「大神はん」
休演日の朝のサロン。紅蘭は楽しそうに大神に呼びかけた。
「な、なんだい紅蘭?」
対照的に大神は顔が引き攣っている。
「今日はいい天気やねぇ」
「そ、そうだね」
「絶好の実験日和だとは思わん?」
大神は実験なんて、どうせ部屋の中でやるんだから、天気なんて関係ないじゃないかと思ったが、それを言葉に出すほど命知らずではない。
「じゃあ、大神はん。約束を守ってもらいましょか」
過日のアイリスの騒動で紅蘭の新型蒸気バイクを海底へと沈めてしまった代償として、実験の手伝い――実験台となる約束のことである。
大神は思わずさくらにすがるような視線を送った。
「……約束だから、しかたないですね」
だが、女神も彼を見放した。
「ほな、大神はん。いきましょか!」
「とほほ……」
がっくりと肩をおとしながら大神は紅蘭の部屋へと消えていく。
それを苦笑いしながら見送ったさくらだが、すみれはそれではおさまらなかった。
「ちょっと、さくらさん。あんなに簡単にいかせていいんですの?」
「だって、約束したんですから、しょうがないじゃないですか」
「もう、これだから田舎娘は困りますわ。いいですこと。紅蘭はちんちくりんで眼鏡で貧相とはいえれっきとした女性。ましてや大神中尉はあれだけ魅力的な男性ですわ。若い男女が長い間、密室で二人っきり。何か間違いがないとも限りませんわよ」
「そ、そんな間違いだなんて、大神さんに限って……」
とはいいつも、急速に不安になってくる。
「確かに中尉はそうかもしれません。でも、紅蘭なら、妖しげな薬を使わないとも限りませんわ!」
ひどいいわれようだ。
「で、でもどうするんですか?」
さくらものせられてしまった。
「監視するんですわ! 」
盗み聞きしようというのだ。
「すみれ。やめておきなさい!」
一部始終を聞いていたマリアがたしなめるが、それぐらいでひるむたまではない。
「みなさん、行きますわよ!」
紅蘭の部屋の前に、すみれ、さくら、カンナ、アイリス、そして……マリアの全員が揃っている。
「マリア。あなた、偉そうなことを言っていたわりには、結局、くるのね」
すみれが鋭い口調で言う。
「いえ、その、私は花組の副隊長として、隊員のみんなと一緒に活動しなくてはならないわ」
下手な言い訳である。こと恋愛に関してはすみれの方がよほど素直だ。
「まあ、いいわ。それよりも中が気になるわね」
すみれは扉に耳をよせた。他の全員もそれに習う。
すると、そこから聞こえてきたのは……
『大神はん。本当のことだけ言ってや。うちに気をつかったりしたら、余計、惨めになるさかい』
『わかってる』
『ほな………大神はん、うちの……こと……どう思う?』
とぎれとぎれだが、言葉としては聞き取れる。
『素晴らしいよ。こんな……見たことないよ』
『……もっと近くに……』
『……紅蘭しか見えない……』
『ほんま? うち、ごっつ嬉しいでぇ!』
さくらとすみれの視線が合う。そして二人は小さくうなずきあうと、おもむろにドアを蹴破った。
「ちょっと! 何をしてるんですか!」「ですの!」
勢いよく踏み込んだ二人だが、そこは紅蘭の部屋のこと。たちまちコードに足をひっかけて派手に転倒。そして、コードを引き千切られたために、大神が被っていた紅蘭の発明品は大爆発をおこした。
「あ! 大神はん!」
爆発の煙の中からゆっくりと現れた大神は、しばらくは呆然と直立していたが、やがて黒焦げのまま、床へと崩れ落ちた。
「きゃぁぁ! 大神さん!」「中尉!」「隊長!?」「お兄ちゃん!」「隊長、しっかりしろ!」
次々と室内に現れる花組の面々だ。紅蘭は驚きから立ち直ると、不機嫌そうな視線を彼女たちに向けた。
「みんな、立ち聞きしてたんか? 趣味悪いでほんまに」
だが、すみれは敢然とそれに反論した。
「あら、紅蘭。あなたこそ趣味が悪くてよ。中尉にそんな怪しげな代物を被せて洗脳して愛の語らいをするなど!」
「はぁ?」
紅蘭は呆れたような表情だ。
「なに言うてんねん。これはうちの開発した新型霊力感知器“みえーるくん”やで! あらかじめ特定の霊力情報を入力しておくことで、その霊力の持ち主のみを追いかけることができる上、個人携帯可能な小型化に成功した画期的なもんや。うちの霊力情報を入力しておいて、その実験を大神はんにしてもろうておったんに!」
ちなみに、先程の会話、全てを再現するとこうなる。
“みえーるくん”を背負い、その防塵眼鏡型の表示装置を装着し、霊力の持ち主を示す光点を見ている。
「大神はん。(実験なんだから)本当のことだけ言ってや。(本当は失敗作なのに、成功してるなんていって)うちに気をつかったりしたら、余計、惨めになるさかい」
「わかってる」
「ほな、実験開始や。大神はん、うちの発明品の使い心地、どう思う?」
「素晴らしいよ。こんな小型軽量な霊力感知器は見たことないよ。きちんと紅蘭の霊力を捉えている」
「それじゃあ、それをもったまま、もっと近くにきて、反応を試してみてや」
「ちゃんと光点は動いてるよ。それに、紅蘭(の霊力を示す光点)しか見えない」
「ほんま? (“みえーるくん”がうまく動いて)うち、ごっつ嬉しいでぇ!」
「もう、おかげで折角の“みえーるくん”が台無しや!」
紅蘭は怒り心頭だ。
「大神はん。いくで!」
先程の爆発でまだ煙をあげている大神をひきずりおこすと、紅蘭は部屋をでていこうとしている。
「ちょっと、紅蘭。隊長を連れてどこにいくの?」
マリアが慌てて呼び止めるが、紅蘭は振返りせずに答える。
「花やしき支部や。あそこなら実験に邪魔も入らないさかいな」
彼女をとめる資格があるものは誰もいなかった。
「へー。ずいぶん復旧したんだなぁ」
大神が 帝撃復帰後、花やしき支部を訪れたことは何回かある。それこそ、翔鯨丸での出撃時には毎回ここに出入りしているわけである。しかし、それは純粋に帝撃としての任務としてである。今回のように浅草線を使って、営業中の遊園地としての「花やしき」を訪れるのははじめてのことだ。
「大神はん。復旧ってーのは間違いでっせ。ここは復興したんや」
紅蘭が胸をはる。
実際、花やしきの施設は面目を一新し、帝都大戦以前の施設はほとんど残っていない。
「ほら。これなんて、うちの自信作やで」
紅蘭が指さしたのは新生花やしきでも一番人気の施設、『弾丸列車』だ。後に帝國最古のジェットコースターとして有名なったものである。
「へぇ。排気管が見えないけど、動力は何を使ってるんだい?」
「ははは。甘いで、大神はん。あれは列車に動力があるわけやないんや。見てみぃ、動き出しの最初のところに坂があって、その上まで列車をチェーンで引き上げてるやろ? あれで位置エネルギーを稼ぐんや。そしたら、あとは高低差を利用して位置エネルギーを運動エネルギーに変換してるっちゅうわけやで」
もちろん、それを実現する為には綿密な計算が要求される。
「なるほど、さすがは紅蘭だね」
「あたりまえやがな!」
臆面もない。
「そや、大神はん。あれ乗ってみーへん?」
「ええ? あんなに待ってる人たちがいるのに?」
人気施設とあって長蛇の列ができている。
「なーに。うちが一声かければ、裏から入って最前列に座れますさかい、大丈夫よって!」
だが、大神は眉をひそめた。
「紅蘭。それはいけないよ。自分達の都合だけで動き、人の迷惑を考えないようじゃね」
「……そやな」
紅蘭もはっとしてうなだれる。
大神と一緒にいることで、浮かれていたのかもしれない。
「でも、列に並んで乗るなら、別に構わないよ」
「ほんま?」
一転、紅蘭の顔が明るくなる。
「ああ。紅蘭がそうしたいならね」
「よっしゃ! そうと決まれば、早く並ぶでぇ!」
列の後ろにつき、我慢強く順番を待つ。
「それにしても、平日の昼間だと言うのになぁ」
幼い子供を連れた家族連れはまだしも、恋人同士らしい男女が多い。
「大神はん。それを言うたら、うちらも今、ここに並んでますやん。しかも、二人きりで」
「そ、それはそうだけど」
「どうせなら、溶け込まんといかんで!」
紅蘭は大神の腕を自分の腕で抱え込んだ。
「こ、紅蘭!?」
「静かにしなはれ大神はん。こうやって、恋人同士のふりをしとけば、うちがあの帝劇花組の團員だとはわからしまへんよってな」
大神はついつい忘れがちだが、帝劇花組といえば、あれだけの大きさの劇場を毎公演、満員にできるだけの実力があるスタア達なのである。紅蘭がいうことも、もっともだと思ってしまう。
「わかった。こうしていよう」
が、紅蘭の本心はもちろん違う。やや上気した顔がそれを如実に表している。
そして、彼方でも、その本心に気づいている人々がいた。
「ああ! 中尉ったら、あんなにくっついて!」
金切り声で叫ぶすみれを始めとした残りの花組の面々である。
花やしきは遊園地部分もれっきとした帝撃の施設だ。となれば、それ相応の監視態勢が整えられているのは当然である。そして、帝撃総司令部たる帝劇地下司令室で花やしき各所に設置された監視装置の映像を見る事ができるのもこれまた至極、当然なのである。
「もう。お兄ちゃんたら。お兄ちゃんの恋人はアイリスだけだよ!」
と怒ってはみても、帝劇を勝手に離れるわけにはいかない。紅蘭と大神は花やしき支部に新装備の打合せにいくということで外出許可をもらっているのである。
「さあ、大神はん。順番やで」
大荒れの帝劇とは関係なく、大神と紅蘭は無事に弾丸列車に乗り込んだ。
列車の全ての席をうめると、ガタンという音をたてて留金が外れる。滑るように動き出した列車は最初の坂の下で一瞬停止するが、チェーンにより、ゆっくりと坂を登りはじめる。
「さあ。これからやで!」
坂の頂点を極めた列車は、突然、その位置エネルギーを運動エネルギーへと変換しはじめた。
鉄のレールを軋ませながら、狭い園内を列車は駆け回る。
「う、うわ、うわ、わわわわわぁーっ!」
この悲鳴は大神のものである。隣でケロッとしている紅蘭が苦笑するほどだ。
「なんや、大神はん。だらしないなぁ」
案の定、列車を降りるやいなや、紅蘭につっこまれた。
「いやぁ。なんか、こういうのは苦手みたいだよ」
「苦手って、海軍の駆逐艦の方がよっぽど速度が出るんやおまへんか? 第一、毎日のように轟雷号にのってるやない!」
「いや、確かにそうなだけど、体感速度ってのが違うというべきかなぁ」
「大神はんも意外なところに弱点があったもんやなぁ」
他愛もない会話。
これでは、まるでデートである。
「おや、紅蘭さんじゃないですか」
花やしきの職員――すなわち、帝撃月組の隊員が話し掛けてきた。
「あっ。これは大神隊長もご一緒でありましたか!」
陸軍上がりの月組隊員は、思わず敬礼をしかける。年齢や園内清掃をさせられているところから見ても、まだ帝撃に入って日が浅いのだろうということが見て取れた。
「そう固くならなくてもいいよ」
苦笑しながら大神は言う。それは、彼に対する苦笑ではない。かつて日露戦争や日清戦争、あるいは維新の英雄に憧れていた自分が何時の間にか、憧れられる対象になりつつあるという現実に対する苦笑だ。
大神は自分がそんなに偉いことをしたとは思っていない。ただ、無我夢中で突き進んでいただけにすぎないと思っているのだ。
「それにしても、今日は何でこちらへ?」
「あ、そやった。肝心なことを忘れるとこやったで!」
紅蘭がポンと手を打つ。
「早速、地下にいくでぇ! うちのものすごい発明もあるさかいな!」
大神も花やしき支部にはあまり詳しくない。紅蘭に先導されるままに、歩いていく。
「え、ここに入るのかい?」
それは、お化け屋敷と書かれた建物であった。
「そや。いくで!」
さっさと中に入っていく紅蘭を慌てて大神は追いかけていく。
「うわ……」
薄暗い館内では、蒸気仕掛けのお化け達がうごめいており、なかなかに迫力がある。
「大神はん。こっちやで」
紅蘭は人影のない順路の脇へと手招きしている。
「いったい、何をしようというんだい?」
「まあ、みとき!」
順路脇の見えにくいところにあるお墓の卒塔婆を、紅蘭はレバーを動かすように操作する。すると、墓石は静かに滑っていき、地下への階段が現れた。
「ほな、いこうか!」
呆気にとられていた大神もその声で正気を取り戻し、地下へと降りていく。
やがて、明かりが見えてきた。それを目指して歩を進めれば、花やしき支部地下工場へ到着だ。