第9話「米田特攻」(その1)

 大帝國劇場。
 帝國のもてるすべての技術を投入し、建築された初代の劇場は、黒之巣会との戦いを経て、サタンとの戦いで力尽きた。
 現在あるのは、その後に建築された、新・大帝國劇場である。
 外見的には、以前の帝劇を踏襲し、また、劇場としての機能やレイアウトも(強化はされているが)踏襲されていた。
 帝都崩壊後、一早く再建されたその建造物は、帝都復興の象徴として、人々の胸に刻まれることとなった。

 しかし、それは表面上のことにすぎない。
 帝撃総司令部としての機能は、大幅に強化されている。特に、ミロクに地下倉庫を直接、襲撃された反省から防衛力は格段に向上されていた。

「となれば、次の狙いは宮城だろうな」

 帝國華撃團総司令官、陸軍大将・米田一基は、そう判断した。
 皇居は、その霊的な防御力こそ高いが、直接の防衛力は低いからだ。
 それに、ツクヨミが作戦目的とするもの――八尺瓊勾玉と陛下自身――がある。
 これを護りながら、ツクヨミを倒す。なんという困難か。

「こうなると、空中戦艦ミカサを失っちまってるのは痛ぇな」

 先の戦いよりも強大な敵を、その時よりも劣った戦力で迎え撃たなくてはならないのだ。
 といっても、今更、新兵器が開発できるわけでもない。

「手持ちのあらゆるものを、あらゆる手段で投入するしかないか」

 幸い、花組は大神に指揮を任せておける。
 米田は、その作業に没頭することとした。



「帝國華撃團・花組は、この帝劇から出る」

 地下司令室に花組全員を集合させた大神はこう切り出したから、一同は騒然となった。

「どういうことだよ、隊長。まさか尻尾まいて逃げるってんじゃねぇだろうな?」
「ははは。焦るなよ、カンナ」

 苦笑しながら、大神は先を続けた。

「花組は、帝劇から出て、皇居に駐屯するってことだよ」
「なるほど。護らなくてはならないものが一個所となった今、勾玉と陛下のお近くにいるのが最も効果的、というわけですわね」

 すみれの言う通りだ。
 わざわざ駆けつけるだけ時間が無駄である。

「でも、大神はん」

 紅蘭は心配気に言う。

「神武改の整備はどうしはりますんや。いいたくはありまへんが、改になって、汎用性をなくした分、整備性は悪くなってるさかい」
「うん。問題はそこなんだけど、格納庫としては、轟雷号の予備車両を据え付けて、これにあてる。整備のための大型機材は陸海軍から借用。その動力は陸軍近衛師団から拝借する。警備も彼らの手を借りることになっている」
「近衛師団が警備ですか。役に立つのですかね」

 近衛師団は、皇居に隣接する――というよりも、皇居の一角に駐屯する実戦部隊である。その名の通り、国王親衛隊(Royal Guards)なのだから、精強部隊かと思えば、それは今は昔の物語。近衛が強かったのは、中世までの話である。近代戦において、『近衛は弱い』というのは、半ば軍事常識化した事実であった。
 その原因は定かではないが、おそらく、都市出身者がその多くを占めるようにようになったからだろう。都市出身者は農村地帯出身者に比べて弱兵である――体格や体力のみならず、士気の面においても――ということも、また事実であるからだ。
 赤軍として、ロマノフ王朝の軍隊と戦ったマリアは、それを知っているから、辛辣な台詞となったのである。

「まあ、そう言うなよ」

 大神はマリアを制する。

「ともかく、これは決定事項だ。移動時間は、本日1500。全員、私物を梱包の上、轟雷号格納庫に集合だ」
「了解!」

 と答えたものの、時間が少なすぎる。全員、慌てて私室に舞い戻ると、上へ下への大騒動だ。
 それでも、定刻五分前にきちんと現れたのは、マリアとカンナである。

「ご苦労さん。さすがだね、二人は」

 マリアの荷物は、革の旅行鞄一つだ。ロシア各地を転戦し、アメリカから日本と渡り歩いてきただけあって、旅慣れているといった感じだ。
 一方、カンナは風呂敷を手弁当のようにぶら下げている。

「荷物は、それだけでいいのかい?」

 心配になって大神が尋ねる。

「ああ。アタイはいつでも身軽なもんよ。それとも、そんなに心配なら中身を確かめてみるかい?」
「い、いや、遠慮しておくよ」

 引きつった笑顔でやんわりと拒否する。こういうところが、カンナの困ったところだ、まあ、魅力の裏返しではあるのだが。

「遅くなってすいません!」
「いや。今が丁度ぐらいだよ」

 ぎりぎりで駆け込んできたのは、さくらだ。
 こちらは、仙台から上京してきた時――そして、帝劇から一度は離れようと考えた時に使った茶革の旅行鞄だ。
 さらに、もう一つ。緑色の房に包れた棒状の荷物。

「荒鷹か……」
「はい。なぜだかはわからないんですけど、これが必要な気がするんです」

 破邪の血脈。
 さくら自身は未だに知らない、その血に受け継がれた技を完成させるには、この荒鷹が必要だという。
 それを感じ取ったというのだろうか。
 しかし、自らの人柱とし、人類を救ってきたという、裏御三家の悪しき因習――人柱となるものを愛する人間にとって――はここで断ち切らねばならぬ。
 それが、帝撃の生まれた理由であると、大神は考えていた。

「どうしたんですか、大神さん?」

 黙り込んでしまった彼を、さくらが不思議そうに見ている。

「い、いや、なんでもない。他の三人が遅いと思ってね」
「そうですね。紅蘭は、だいぶ前に部屋を出た見たいだったんですけど……」
「そやで。うちが一番乗りだったんやで」

 突然、どこからともなく紅蘭の声が響いた。

「紅蘭? どこにいるんだい?」
「ここやここ。上を見てみいや」

 なんと、紅蘭は、格納庫天井に設けられた架設通路から顔を出した。

「うちはとっくに私物なんて整理なんて終わってますやん。整備用品やら補修部品やらを積み込むのに忙しかったんやで」

 そう言うと、紅蘭は、そこから飛んだ。

「危ない!」

 天井から床までは十数米はある。死にはしないかもしれないが、飛び降りるような距離ではなかった。
 紅蘭のことだから、怪しげな発明品を使うのかとも思いきや、その様子は見られない。
 足先からこそ落下しているが、その速度はぐんぐんと増していく。

「紅蘭!!」

 大神が手を伸ばすが、もちろん、間に合うはずもない。紅蘭は床に叩き付けられた――と次の瞬間。

 びよよよぉーん

 およそこれ以上はない間抜けな音とともに、紅蘭の身体は床から弾んだ。
 思わず大神は顔面から床にすべりこんでしまった。

「どや、新発明の跳躍靴やで!」

 紅蘭が履いている靴の底には、大きな板バネが取り付けられている。

「こいつを使うとやな。歩くよりも早いし、膝や腰への負担も軽くなるんや!」
「……いいから早く並んでくれ」

 頭を抱える大神。

「なんや。ノリが悪いで大神はん。折角、大神はんの分も用意してあったのに……」

 それでも、素直に並んでくれただけ、ありがたい。

「さてと。あと二人だけど――アイリスは、まだ寝てるかな?」

 先の戦いで、よほど疲労したのか、あれ以降、アイリスはお昼寝の時間が長くなっている。

「まあ、起きれば早いからなぁ」

 だが、集合時間を五分すぎても十分過ぎてもアイリスも、すみれもあらわれなかった。

「遅いなぁ」

 こんなこともあろうかと、あらかじめ早めの集合時間を設定してあったが、その余裕もなくなってきた。

「私が呼びにいってきましょう」
「ああ、済まない、マリア。頼むよ」

 しかし、その必要はなかった。
 マリアが歩きはじめようとした、丁度、その時。
 空中に巨大な物体があらわれたのだ。

「きゃぁっ!」

 そして、それとともに床に落下したのは、アイリスである。

「大丈夫かい、アイリス!?」

 尻餅をついているアイリスに大神が手を貸す。

「うん。大丈夫。でも、ちょっと間違えちゃった」

 荷物もろとも瞬間移動してきたのだが、目測(?)を少しばかり誤ったようである。

「それにしてもものすごい量の荷物だな」

 床に山を成す荷物を見て、大神は呆れた。

「でもぉ、アイリスの荷物は、こっちのちっちゃいのとジャンポールだけだよ!」
「え? じゃあ、他のものは?」
「おーっほっほっほっ。もちろん、私のものですわ!」

 格納庫に響き渡る高笑い。

「でたな、妖怪くそばばぁ!」
「まっ。失敬ですわね、カンナさん。全く猿はこれだから困りますわ」
「あにぃ!? やいやいやいやい! その言い草といい、この荷物の山といい、いってぇどういう了見だぁ!?」
「あーら。淑女のたしなみとして必要不可欠なものばかりですわよ。あなたみたいに着たきり雀っていうんなら、話は別でしょうけどね」
「あんだとぉ!」

 どうして、こうカンナとすみれは両極端なのか。
 ちょっとは混ざり合ってくれでもすれば、もう少し楽なのに。
 嘆きはともかく、ここはカンナの味方をせざるをえない。

「すみれくん。我々は、いわば間借りさせてもらうんだから、そんな大荷物をおいておく場所はないよ。それに轟雷号にだってつめないよ」
「あら、そうですか。残念ですわ」

 意外にあっさりすみれは引き下がった。

「中尉のおっしゃることならば。なんといっても、中尉は私と将来を誓い合った仲ですもの」

 すみれが頬を赤らめながら言う。
 こうなると、激昂するのは、さくらである。

「ちょっと、大神さん。どういうことですか!」
「お、おちつけ、さくらくん。俺は無実だ!」

 今にも荒鷹を抜いて切りかからんばかりのさくらを、大神は必死に制止した。
 実際、彼には、全く身に覚えがないのだ。

「すみれくん! 困るじゃないか!」
「あら、心配なさらなくてもいいんですよ、中尉。私が心変わりすることなどありませんわ」
「いや、そうではなくて……」

 相変らず、大神の意向は反映されていない。

「すみれさん! いいかげんにして下さい!」
「田舎娘はひっこんでらっしゃい!」

 こうなるともう混乱はとまらない。
 7人が入り乱れて、上へ下への大騒ぎだ。
 移動開始予定時間はとうにすぎてしまったが、これではその目途すらたたない。
 こうなると、場をまとめられるのは一人しかいなかった。

「この馬鹿野郎ども! 一体なにやってやがるんだ!」

 その大声は格納庫中に響き、7人の動きも瞬時に止まった。
 もちろん、それは、帝撃総司令官・米田一基の一喝である。

「ったく。大神。おめーがしっかりしねぇから、こういうザマになるんだ!」
「面目次第もありません」
「よし、とっとと出発するぞ!」

 と、米田も轟雷号に乗り込むそぶりを見せる。

「ちょ、長官。どうなされるおつもりですか?」
「どうって、おめぇ、俺がいなきゃ話になんめー。だれが宮中や近衛に挨拶すると思ってるんでぇ?」

 それはわかっている。聞きたかったのは、そんな回答ではない。

「いえ、ですから、長官も轟雷号にのっていかれるというのですか?」
「なんでぇ、大神。俺だけ仲間はずれにしようってのか」
「しかし、お体の方は……」
「あーっ? 俺をなめてねぇか? こちとら、おめぇが産湯をつかった年にゃぁ、満州を駆けずり回ってんだぞ!」

 だから心配なんじゃないか、と大神は思う。とはいっても、頑固さでは定評のある江戸っ子だ。

「長官、無理はしないで下さいよ」

 花組は荷物を積み込むと、既に轟雷号に積載されている神武改に乗り込んだ。轟雷号には、客席などないから、ここが彼らの指定席というわけである。
 一方、米田は、轟雷号の数少ない“椅子”である、緊急用操縦席についた。通常は、自動運行される轟雷号だったが、万が一の場合に備えて、手動でも運行できるように、こうした装備が設けられているのだ。

「よし。やってくれ!」

 全員が態勢を整えたのを確認した米田は、自ら命令を下した。
 轟雷号は、垂直まで持ち上げられると、弾丸列車の名に恥じぬ勢いで、螺旋状の線路を駆け下りていく。

(ちぃっ。年寄りにはしんでぇな)

 大神の前では、強がって見せたものの、さすがに堪える。

(だが、耐えられねぇほどじゃねぇ)

 米田は自信を深めた。
 これならば、問題はないだろう。
 すべての機材を有効に活用することに。



「へぇ。思ったより立派なものができてるじゃないか」
 
 大神は花組の宿舎として急遽造営された建物を見上げた。
 木造の掘っ建て小屋よりはマシ、といったつくりのものだったが、その工事期間を考えれば、奇跡的だ。

「はい。近衛と第一師団の工兵隊が総出でやりましたので。外壁の一部で、まだペンキの乾いていないところがありますが、特に支障はないと思います」

 説明しているのは、近衛師団の少尉だが、今一つ引き気味だ、

(ま、無理もないか……)

 大神は自分の格好を思い出して、納得する。
 帝國華撃團は秘密部隊。その隊員の正体を知られてはならない。
 というわけで、大神は黒眼鏡に海軍の制帽を目深に被っり、顔を隠している。他の隊員達も似たようないでたちだ。
 なまじ、着用している戦闘服が鮮やかなだけに、余計に異様な感じである。

「よし、各自、荷物を自分の部屋に入れて、15分後に作戦会議室に再集合!」

 作戦会議室、とはいったものの、急ごしらえの宿舎にはそんなものはない。出入り口脇に儲けられた天幕がソレである。

「全く。なんですの、あの部屋は。神崎家お抱えの大工に命じて作り直させますわ!」

 顔をあらわすなり、すみれは憤慨した。
 確かに、板張りの部屋は、殺風景で何もなく、ただ、どこかの貸布団屋からでも調達したらしい布団が一組あっただけである。
 これでは、すみれはたまらないだろう。

「まあまあ、すみれくん。そんなに長居するわけじゃないんだし。勘弁してくれよ。君の趣味には合わないだろうがね」

 と、大神にいわれると、態度が一八〇度変わる。

「あら。中尉ったら。どうして、そう私を困らせるのかしら。もう、中尉のおっしゃることなら、何でも聞きますわよ」

 全員がジト目で大神を見る。
 どうも、最近、すみれからの“攻勢”が激しい。
 大神は防戦一方だ。

「あー、じゃあ、そろそろ会議をはじめましょう」

 こんな時、頼りになるのはやはりマリアだ。
 ほっとして、マリアをみると……

「あ゜……」

 やっぱり目が怒っていたのであった。

「さ、さあ。現状の分析からだ!」

 無理矢理、自分を元気づけると、資料を広げた。帝劇や翔鯨丸ほど設備が整っていないのが難点だが、蒸気演算機の可搬型端末を持ち込んでいるので、情報能力そのものが低下したわけではない。

「皇居は知っての通り、江戸城だ。徳川家康が幕府を開くにあたっては、当然のように様々な結界が張られた。それは、日光東照宮の建立により完成を見る」

 その結界を整備したのは、天海僧正だから、皮肉なものだ。

「だが、ヒルコとの戦いの結果、この結界は、既に弱められている。ツクヨミの進入を阻むことはできない」
「実際、既に帝都に出現しているわけやしな」

 紅蘭の言葉に、全員が身震いした。
 ツクヨミとの最初の手合わせを思い出したからだ。
 圧倒的なまでの力。
 その部下にすら帝撃の全力で、ようやく引き分けることのできた戦い。
 あれから花組の戦力は向上したが、それがツクヨミに届くものなのかどうか。

「となれば、ヤツはこの宮城を直接襲ってくるだろう。そこで、周辺の地形だが」

 大神が地図を広げる。
 そこには、帝撃の宿舎や、神武改の格納場所、近衛師団の警備態勢までが書き込まれていた。

「さっきも言ったけど、もともと江戸城だったところだ。防御陣地としてはなかなか堅牢だ」

 四方を水濠と石垣に囲まれ、一度に大人数が押し渡れないように狭く入り組んだ通路。
 戦国時代という一〇〇年に及ぶ実戦経験から生み出された究極の要塞である。
 もっとも、火力が格段に発展しているから、その分は割り引いて考えなくてはならい。

「近衛師団は田安や桜田など各門を守るようにして配置されている」
「なるほど。基本戦術通りですね」
「ああ。その通りだ」

 マリアの言葉に大神は頷いた。
 まさに教科書通りの布陣といえる。

「ですが、隊長。近衛の兵器が通用するのですか?」
「いや、無理だ。一〇五粍の直撃さえ効かなかった相手だからな」
「では、何のために……まさか、捨石に!?」

 兵の身体を盾とし、時間を稼ぐつもりではないのか。
 そう思い当たって、マリアは思わず腰を浮かした。

「もちろん、その戦術は検討したよ」
「隊長!!」
「だが、その作戦案は放棄された」

 隊員達がほっと胸をなで下ろす。

「といっても、なにも人道に配慮したわけじゃない。効果が薄いと判断されたからだよ」

 逆にいえば、効果があるならば、その作戦案を採用する可能性もあったということだ。

「少数の必死により、多数の必死が助かるならば、それはよい作戦だ。俺だって、躊躇はするけど、その命令を下すだろう……悲しいけど、これは戦争だからね」

 大神は苦渋に満ちた表情で言う。
 どんな戦争でも、必ず味方に損害は出る。ただ、その味方の死に、いかに高価な対価を支払わせてやるか。
 それができる作戦指揮官が名将であり、そうでなければ凡将・愚将と呼ばれる。

(でも、俺は、君たちだけは死なさない)

 そもそも彼女達は、軍人ではないのだ。死して礎となるものは、防人たる軍人の仕事である。
 それに、愛するもの達を死に追いやることなどできない。
 人は、それをエゴと言うだろう。
 しかし、普通の人間の当たり前の感情である。
 戦いは人を修羅に変えるものだ。
 だが、古人はいう。
 我も人なり、兵も人なり。
 それを忘れたものは、正義の旗のもとに戦うことはできまい。

「近衛の連中は、いわば早期警戒部隊だね。敵を発見次第、我々に通報する。そして、橋を落とす」
「皇居にかかる橋をですか!」

 さすがにさくらが驚きの声をあげる。
 宮城にかかる橋といえば、どれも文化財クラスのものばかりだ。

「そうだ。既に工兵部隊により爆薬を仕掛けてある。あとは、起爆装置を入れるだけだよ。そうすれば、雑魚の足止めには十分だろう」
「なるほど。確かに雑魚には有効でしょうね。雑魚には……」

 マリアの言葉は重い。
 ツクヨミは水濠や石垣など苦にもしないであろう。実際、いきなり皇居の内側に出現する可能性も高い。

「いずれにしても、こちらの全力でツクヨミを叩く。それ以外に手はないからね」

 そして、より詳細な検討に入っていく。
 地形、陣形、戦術、通信符号……
 目先目先の戦闘に追われがちだったため、課題は山積みである。
 全員が没頭して作業をしていた、その最中だ。

「中尉。何か外が騒がしくありませんこと?」

 すみれの声に、全員が顔をあげた。
 確かに様子がおかしい。

「捧げ銃!」

 突然、天幕を守る歩哨の声が響く。明らかに普段と異なる調子だ。

「何だ!?」

 何事かと確認する暇もなく、入り口から人影が現れる。
 その人物を見た瞬間、大神も平静ではいられなかった。

「総員気をつけ! 敬礼!」

 それは、太正帝と摂政宮であった。

「いや、楽にしてくれ」

 太正帝はそう言うが、大元帥の制服を纏った皇軍最高司令官を前に緊張するなという方が無理であろう。

「陛下、椅子をどうぞ」

 さくらが椅子をすすめた。太正帝もそれに謝辞を述べつつ腰掛ける。
 
 心労のためだろうか、再び病状が悪化しはじめているようで、帝劇を訪れた時よりも生気が感じられない。

「陛下。わざわざご足労いただきませんでも、こちらからおうかがい致しましたものを」
 大神は恐悦至極である。

「いやいや。此度は我が皇祖のことでご迷惑をおかけしている。こちらから出向くのが筋というもの」

 明冶以降、歴代天皇の特徴ともいえるのが、徹底した私心のなさであろう。
 この時もそれは変わらなかった。

「諸君らだけを戦わせる気はない。朕もまた、諸君らと共に戦う所存だ」

 軍服はそのあらわれということだろう。

「いえ、陛下。陛下の宸襟を安からしめることこそ我らが使命。誓って敵を撃滅いたします」

 撃滅とは極端な表現である。
 かつて、日露戦争中の聯合艦隊司令長官・東郷平八郎が同じ言葉を用いて時の明冶帝に奏上したことがあった。帝の前での言葉は絶対であったから、その場に列席していた者は一様に驚き、後にその真意を問うた。
 東郷は「もとよりそのようなことを言うつもりではなかったが、陛下のご心痛がありありとうかがわれ、ついあのように申し上げてしまったのだ」と答えたとという。
 大神も同じ思いであった。
 もっとも、敵を撃滅できなければ、自分達の敗北なのであるから、これ以外に回答のしようがなかったのも事実ではあるが。



 陛下が帰られた後も、会議は夜更けまで続いた。

「巡回、しっかりと頼むよ」
「はい」

 警備兵にそう声をかけると、大神は宿舎に入った。
 睡眠はできるだけ多いほうがいい。
 そう考えて、早々に寝床についた。
 しかし……

「ね、眠れない!」

 夜の巡回が日課となっていた大神は、すぐには寝れない体質になっていたのだ。
 恐るべきはモギリの習慣。
 仕方なく、大神は体を起こした。

「外でも眺めてればマシかもしれないな」

 宿舎から出たいところだが、無闇に歩き回ると歩哨を惑わすこともなりかねない。
 廊下でも窓くらいはついているから、気分転換にはなると考えた大神は、それを実行に移した。

「………!?」

 空をみあげた途端、言葉では説明しがたい違和感が大神を襲った。

(何だこれは!)

 冷汗が吹き出す。
 今まで感じたこともないような見えない圧力に襲われているようだ。

「大神……さん?」

 呆然と大神が立ち尽くしていると、さくらが部屋から現れた。

「さくらくん。感じるかい」
「……大神さんもですか」

 二人で夜空を見上げる。
 そこに、輝く星々はなかった。

「雲がでているのか?」
「でも、昼間はあんなに晴れてたのに。ほら、月だってあんなに奇麗にでてますよ」

 さくらの言う通り、空には満月が浮かんでいた。月明かりでみる限り、雲がでているようには感じられないのだが。

(……しまった、そういうことか!)

 大神は舌打ちした。

「さくらくん。みんなをすぐに起こして、戦闘装備で集合させるんだ!」
「え、あ、はい」
「俺は近衛に連絡して緊急警戒態勢をとらせる!」

 ここでは自分で服を着替えなくてはならない。
 大神も慌てて着替えを行う。
 そして、全員が集合したのは、一五分後のことであった。

「もー、お兄ちゃん。どうしたの? アイリス眠いよぉ!」

 寝入りばなを起こされて、一同は不機嫌だ。

「ごめんごめん。だが、そうもいってられないんだ」
「まさか、ツクヨミのやつがくるってんじゃーねーだろーな」

 そうカンナが言った瞬間だ。

「大神隊長に伝令!」

 近衛の兵隊が駆け込んできた。

「俺が大神だ。内容は!」
「はっ。近衛師団は、半蔵門及び二条橋方面に敵影を確認、直ちに所期の行動に移ります」
「よしわかった。ご苦闘!」

 大神は、さも当然といったように答える。
 しかし、驚いたのは隊員達の方だ。

「大神はん。なんで、敵がくるってわかったんや」
「すまん。失敗したよ。もっと早くにわかっていなくてはならなかったんだ」
「中尉。どういうことだか、全くわかりませんことよ」
「ああ。月だよ」

 皆が思わず空を見上げる。
 だが、先ほど大神が見た時と変わらぬ月が空に浮かんでいるだけだ。

「月齢一〇……満月ですね。私はこんな時に夜襲はないと思ったのですが……」

 マリアの言葉に大神は頷いた。

「俺もそう思っていた。夜襲には、明るい満月は不利だからね。だけど、相手はツクヨミ――月読命だ。月が最大の時に、最大の力を発すると考えて当然だよ。そう考えて注意してさえいれば、星空の異常にももっと早く気づいた筈なのに……」
「大神さん。それよりも、今は、敵を迎撃することが大事です!」
「そうだな、さくらくん」

 大神は花組の面々に向き直ると、力強く命令を下した。

「帝國華撃團・花組、出撃せよ!」




次へ進む


第8話へ戻る
目次に戻る