「畜生……」
第一次攻撃隊を率いる村田重治海軍少佐は眼下の光景に、覚悟していたとはいえ、悪態をついてしまう。
ほんの一年と少し前には、まさか、自分が実戦でここを──トラックを空襲することになるとは思わなかった。
第一次大戦での戦勝により、独から南太平洋の信託委任統治領を引き継いだ日本は、そこに南洋庁を設置し、開発に努める。同時に軍事的にも進出をすすめ、とりわけ、トラックは太平洋における一大根拠地となった。
といっても、正確にはトラック島という島はない。
正確にはトラック諸島というべきであり、実態は堡礁、それも直径六四キロに及ぶ大環礁である。諸島としては二四八、環礁内に限ると約五〇の島々からなるものだ。
この“内海”化した巨大な環礁の内部では、空母が全速航行しながら発着艦訓練できるほどである。
「胸が痛くなるな」
現在、米軍は主力艦隊をここにおいているわけではなかった。
今も軽巡以下の艦艇しかみえない。
だから、一際大きく、開戦璧頭の奇襲で沈没したまま放置されている日本軍艦艇の姿っが見える。
戦艦『比叡』『霧島』『伊勢』『日向』『山城』『扶桑』──そして、空母『赤城』『加賀』。
第一航空戦隊(『赤城』『加賀』)は彼が艦攻隊の元締めとして育ててきた部隊であったし、『赤城』は彼が居住した“家”でもある。
炎上する『赤城』から辛うじて脱出した村田だ。ここで敵愾心を新たにせざるをえなかった。
「全軍、突撃!」
ト連送を打ちながら、村田率いるトラック空襲隊は攻撃を開始する。
「ちっ。やっぱあるっちゃね」
水上艦艇からだけでなく、地上からも打ち上げられる対空砲火。
信託委任統治領における軍事施設の設置は禁止されており、日本はそれを守っていた(あくまで『港』と『飛行場』を整備したというだけだる)。しかし、米軍が占領して約一年。彼らは未島などに対空砲台を築いていた。さすがの工業力というべきだろう。
「でも、これくらいでとめられると思うな」
迎撃にあがってきたF4Fは、零戦隊により完全に抑え込まれている。
米軍はトラックには余り注力しておらず、防衛力が限定的であるのは、事前の偵察通りだった。
日本側は、彼らが考える重要度に比して、余りに防備が薄いことを疑問視している。
「あるいは、我々をここに引き付けておく罠ではないかと疑った」
──富岡定俊(当時海軍軍令部作戦課長)
自著『開戦と終戦』より
しかし、実際には米軍もここまで手が回らなかったというのが実情であった。
矢継ぎ早に侵攻し、また、急速に戦局が悪化する一方で、対独レンドリースとそのための大西洋の補給線の維持(独海軍により釘付けにされているとはいえ、英国海軍は正規空母をも保有する強力な海軍である)のために戦力を割かざるをえなかったからだ。
合衆国艦隊司令長官兼作戦部長アーネスト・J・キング海軍大将や米太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ海軍大将らは、予算の増額と軍需産業への国家動員を求めたのだが、ルーズベルト大統領はそれを拒否している。
中国市場の獲得と不況の解決という政治目的達成のため、国内の厭戦気分を強引に戦争までもっていたルーズベルトである。中国利権を獲得した最大国家である英国を打倒しなくては、戦争目的は果たせない。今、戦争をやめるわけにはいかない。
一方で、参戦の名目が日本の卑怯な振る舞いに対する掣肘である以上、対日戦には目に見える形での戦果が必要であり、かつ、国民の戦争継続への熱気を保つために勝利し続けなければない。
となれば、国家動員をする必要性──戦局の不利を訴えることは、戦争継続を危うくすることを意味している。ルーズベルトとしては、なんとしても避けねばならなかったのだ。
「よーそろー……ていっ!」
投下索を引くと、九七式艦攻から九九式二五番陸用爆弾(二五〇キロ爆弾)一発と九九式六番二号通常爆弾(六〇キロ爆弾)六発が投下される。
一般に命中率が低いとされる水平爆撃であるが、本来は面制圧を目的とした戦術であり、手練の一番機に続いて爆弾を落下させることで後続機の練度も補うことができるという利点もある。
自由落下により威力を増した爆弾は、次々と目標──飛行場や港湾施設を破壊していく。
「なにか忍びないな……」
村田もトラックには“住んでいた”とといって過言ではない。
米軍が手を加えているとはいえ、日本軍が使っていた当時の面影を残す施設、自らが訓練に明け暮れた飛行場、港湾を爆撃することに複雑な気持ちがないでもない。
とはいえ、そんな感傷とは別に、攻撃隊総指揮官としての行動を着実にこなしていく。
投弾が終了した後続機に帰還を促すと、自らはやや離れた位置から攻撃の状況を確認する。
迎撃してきた敵戦闘機隊は今や上空に見えず、対空砲も沈黙させた。環礁内の敵艦もまた、炎上し、あるいは大きく傾き沈もうとしているものばかりだ。
「艦爆も練度が戻ってきたな」
トラック環礁内は深度が浅い。
航空魚雷は、最終的には海面下数米の深度で命中するのだが、投下直後は自重に落下速度が加わって数十米ほどもぐってしまう。
そのため、今回は雷撃を行えず、急降下爆撃隊が艦船攻撃を受け持ったのだ。それでも、小型艦相手だったこともあり、米艦艇は全滅した。
もっとも、トラック奇襲時のハルゼー機動部隊も、ほぼ急降下爆撃と水平爆撃だけで帝國海軍に大打撃を与えているのだから、これくらいはやってもらわねば困るというところだろう。
「よし、これで関にも面目がたつ。引き上げよう」
村田隊と入れ替わるように関衛海軍少佐率いる第二次攻撃隊がトラック上空に到達する。そして、トラックの基地機能を完全に喪失させるに至ったのであった。
☆
「日本軍はペリリューの戦いを優位に進めています」
参謀長ロバート・B・カーニー海軍少将の説明を南太平洋方面軍司令官ウィリアム・ハルゼー海軍中将が不機嫌そうに聞いている。
トラックを無力化した日本軍は、返す刀でペリリューに上陸した。
ここには、占領した米軍が整備していた飛行場があり、これが狙われたのだろう。
「本島にくるかと思ったがな」
本島と呼ばれているのは、コローネ島のことだ。
ここには、日本が南洋庁本庁を置き、信託統治領の行政、開発の中心拠点となっていた。パラオの人口もインフラも、そこに集中していたのである。
従って、米軍も二個師団を配置し防備を固めていた。
だが、日本は空爆による制圧を多少行った以外はコローネ島を無視している。
「日本軍が企図しているのは、フィリピンへの連絡線の破断とサイパン方面への圧力軽減でしょう。最もフィリピンに近いペリリューを狙うのは、兵力が大きいコローネを狙うより合理的です」
カーニーはフランク・ノックス海軍長官自身の指名により、ハルゼーの参謀長に就任したばかりだ。ノックスはハルゼーの作戦指揮官としての有能さを認めているが、時に感情的であったり、単純なミスをすることがあることが気がかりであった。それを埋めるためにカーニーをつけたのである。
カーニーは五〇年代半ばという難しい時期に米海軍作戦本部長となった程だから、有能であることは間違いなかった。
だが、その彼にしても、「ハルゼーはリスクを敢えて冒し、極めて大胆な行動と即断即決の傾向が強かった」と述懐するほど、ハルゼーの発想力と決断力には苦労している。
今回も、ハルゼーは兵力を補うために他人が発想しえなかった作戦を立案した。
護衛空母の機動部隊への編入である。
護衛空母とは、輸送船を改造、あるいはその設計を流用した安価かつ大量生産の容易な小型空母のことである。
第一次大戦において、欧州の連合国支援の米船団はUボート(独海軍潜水艦)による通商破壊を受けた。この時の海軍次官が、現大統領であるルーズベルトだったのだ。
彼は、その経験から、今次欧州戦役開戦直後、最低限の機能をもった空母を多数整備し、船団護衛用に用いることを海軍に指示する。
そして、四一年六月に就役したロング・アイランドを皮切りに、アヴェンジャー級、ボーグ級、サンガモン級を次々と就役させ、また、現在建造中のカサブランカ級に至っては、最終的には約一週間で一隻を就役させる計画となっている。
この護衛空母は、当初、大西洋を中心に投入され、英海軍潜水艦部隊による通商破壊をほぼ完封(逆に英国はUボートによる通商破壊で苦境に追いやられている)。その後投入された太平洋でも、帝國海軍ならびに英東洋艦隊の潜水艦につけいる隙を与えていない。
ただ、ジープ空母ともベビー空母とも揶揄され、後に改称されたCVEという艦種略号から「燃え易く(Combustible)、壊れ易く(Vulnerable)、消耗され易い(Expendable)」などと自嘲されたように、あくまで補助的な用途としてか考えられていなかった。
実際、最新鋭の正規空母エセックス級とカサブランカ級を比較すれば、全長は二七〇米に対して一五六米、基準排水量でいえば二七,二〇〇屯に対して七,八〇〇屯と丸で大人と子供である。
しかし、ハルゼーは空母の価値は航空機を戦場に運ぶという能力にあるのであり、他の性能は副次的なものでしかないと主張した。
海軍作戦本部は難色を示したが、「ならば正規空母をよこせ」というハルゼーに反論することができず、彼の案を承認するに至ったのである。
もっとも、鈍足の護衛空母を艦隊に組み込んだため、艦隊速度は低下し、戦場到着が遅れたことは否めない。その間、日本軍は上陸し地歩を固めてしまった。
それでも、ハルゼーにはなんら揺るぎはない。
これから行われる空母決戦に勝利し、周辺の制海権を奪ってしまえば、いくら日本軍が陸上で優位を占めていようと関係がない。孤立し、補給切れとなった部隊は戦力たりえないからだ。
「ここまでくると、ちょいと陸さんの反撃は難しい」
上陸部隊を撃退するには、重装備を上陸させる前、つまり上陸直後の反撃が最も望ましいとされている(水際防衛)。一度、展開を終えてしまえば、あとは普通の陸上部隊同士の戦いだ。よほどの兵力差か作戦上の失策がなければ短期に勝負がつくことは難しくなる。
それを許してしまったのは、ハルゼーの前任者、ロバート・L・ゴームリー海軍中将の消極的な指揮にあると米海軍上層部は考えたのだ。
もともと、ハルゼーはニミッツ太平洋艦隊司令長官の前線視察に同行してこの司令部、ヌーメアを訪れた。しかし、ニミッツは前線の士気低下とゴームリーの悲観的な判断に直面し、このまま指揮を任せるわけにはいかないとキング米海軍司令官の裁断を得て、即時にゴームリーを解任。ハルゼーを南太平洋方面軍司令官に任命したのである。
「これまでわたしにあたえられたうちでもっとも厄介な任務だ」
とぼやいたというハルゼーだが、さもありなん。
つねに「戦勝」を演出してきた米国が、第一線司令官の更迭という戦況の不利を示唆する行為をせざるをえないというのは、それだけ苦しい状況に追い込まれているということだ。
ゴームリーは戦前、参謀部門でのキャリアを積む。そこでは、事務能力に優れ、頭脳明晰にして精勤だと高い評価を受けていた。米海軍で将来の米国艦隊司令長官、海軍作戦本部長をあげると筆頭に名がくるほどだったのである。そのまま平時が続けば、その評判通りになったであろう。
しかし、戦時の指揮官としては不適格であった。
その明晰な頭脳は、あらゆる可能性を考えた結果、悲観的予測をも導きだし、積極的な決断をすることができなかったのだ。
彼には、大胆さが、勇気が欠けていた。
そして、その二点こそが、ハルゼーが評価されている理由である。
彼を嫌うものこそいれ、闘志という点で彼が米海軍随一であることに疑いを挟むものはいないのだから。
「だが、いいか、我々は一戦で全てをひっくり返す」
ハルゼーはそう断言した。
この海戦に勝利すればいまからでも戦局は逆転できるのだ。