第七話「逆撃」(その7)

 暮れやら正月やらが返上だったのは。もちろん実戦部隊だけではない。
 上級司令部もまた休むことはなかった。

「やってもらわねばならない!」

 大本営における会議で机をドンと大きく叩いたのは陸軍参謀本部作戦班長、辻政信陸軍中佐である。

「そんなに大声を出さなくてもよい。聞こえておる」

 不機嫌そうに応じたのは海軍軍令部第一部長福留繁海軍中将だ。
 この陸海軍の実務レベルの会議においては、階級的にも一番下の辻だが、まるで臆することなく海軍側を怒鳴り上げていた。
 先のフィリピン戦において、彼は参謀本部参謀という軍令上は現地軍に対する指揮権がない立場であった。それにもかかわらず、作戦指導の名目で派遣されているということを拡大解釈して、実質的な現地の参謀長として現地の作戦指導を取り仕切ってしまったのである。
 確かに彼は士官学校主席、陸大でも第三席という秀才であり、その作戦はフィリピンで一定の戦果をあげていた。ただ、問題は、後に山下泰文陸軍大将が日記において「この男、矢張り我意強く、小才に長じ、所謂こすき男にして、国家の大をなすに足らざる小人なり。使用上注意すべき男也」と記するほどの自己顕示欲と我の強さである。
 同席している陸軍諸将にしてみると、またか、と自らの身内ながら辟易するところだが、それを便利に使っているという側面も存在する。いつも上から陸軍を見下ろしているかのような態度をとる海軍に、陸軍の主張を突きつけるにはうってつけの人材というわけだ。
 もちろん、全員がそう思っているわけではない。主流派(米田派)の筆頭で、ここにも同席している参謀総長清流院琴音陸軍大将などはそうしたやり方を好んでいない。
 ただ、その主流派の中でも、海軍に対しての感情的な反感が存在している。これは縦割りで似通った組織がある場合には避けがたいことであり、琴音も苦労していた。
 特に、フィリピン攻略開始以降、台湾派(石原派)は戦争の表舞台に陸軍を登場させたということで、発言権が大きくなりつつあり、主流派の言動にも影響を与えてきている。

「聞こえているなら返事をもらおう! 今、この瞬間にも陛下の赤子が、我らの戦友の血があの日本から遠く離れたフィリピンの土に染み込んでいっているのがわからんのか! もはや一刻の猶予もならんのだ!」

 辻の“演説”には熱がこもる一方である。
 だが、海軍側も黙ってはいない。

「そんなことはわかっておる。だからどうするかだ。拙速になっては元も子もない」

 福留の言葉に、辻は更に語気を荒げる。

「拙速とは何事か! 帝國陸軍参謀本部参謀を愚弄するか!」
「そちらが参謀本部なら、こちらは軍令部、同格だ。ならばあとは星の数をわきまえた発言をすべきではないかな」

 軍人であれば絶対に逆らえない階級を持ち出すと、辻もようやく黙った。
 もっとも、なにか事あれば噛み付いてみせるとその表情は語っている。

「さて、話を元に戻しましょうか」

 参謀本部第一部長、橋本群陸軍中将がなんとか事態を沈静化させようとする。優秀な人物だが、辻のような部下を掌握するには苦労していた。
 ともかく、この会議の議題は、フィリピン攻略作戦の促進だ。
 フィリピンでの進撃は止まってしまったわけではないが、進撃は鈍っている。特にコレヒドール要塞を中心とするパターン半島の戦いでは苦戦が続いていた。
 当初、この地域を軽く見た陸軍は二線級部隊である第六五旅団に攻略を命じたが、主陣地帯を突破することができないどころか、大きな損害を受けてしまう。第一四軍は第一六師団(奈良)を投入するとともに、主陣地後方への舟艇機動を行なうなど攻勢に注力するも、これも頓挫。更には逆襲を受けて、一六師団は壊滅的被害を受けて戦線を大きく後退させるという失態を演じてしまった(これを食い止めたのは航空隊の反復出撃による航空支援のおかげである)。
 この第一次攻撃の失敗は陸軍上層部に衝撃を与えた。
 一四軍はパターン半島を封鎖するという兵糧攻めを検討した。しかし、現地で指導にあたる辻はそのような消極策を一蹴。第二次攻撃を主張し、大本営に兵力の増派を要求した。
 もちろん、報告と要請を受けた陸軍上層部でも封鎖案と攻略案とが持ち上がる。しかし、ここで意外な横槍が入った。海軍次官・山本五十六海軍大将が攻略をして欲しいという意向を伝えてきたのである。
 山本は何より米の国力を恐れていた。
 長期戦になれば絶対に日本が負けると確信しており、早期に軍事的成功をおさめて米の継戦意欲を削ぐしかないという戦略を立てている。
 しかし、このところ劣勢が続いた米は、パターンでの防戦〜反撃を格好の戦意高揚宣伝材料としてすさまじい勢いで喧伝していたのだ。米国民の士気を挫くためには、この宣伝を止めさせる必要があるというのが山本の考えだったのである。
 そういう経緯もあり、パターン半島、ならびそちらに戦力をとられて停滞しているミンダナオ島の戦局を打開するために陸軍側が海軍にフィリピンを孤立化するための作戦を依頼しているというのが、この会議だ。

「こちらの部隊はすぐにでも出陣させることができます。後は海軍の支援をお願いしたい」

 琴音は会議に冷静さを取り戻すべく低姿勢ともとれる言い方で海軍側に意見を問う。
 実際問題、フィリピン攻略戦をはじめてしまった以上、その完遂に向けてあらゆる手をうたねばならないのは事実である。
 海軍側としても台所事情に余裕があるわけではないが、戦争に万全はありえない。問題は常に“相対”だ。絶対数としてどのくらいを揃えられたかではなく、相対的な戦力としてどれだけを揃えたかということが問題になる。

「フィリピンを孤立化させるということであれば、カロリン群島を奪回するより他ありません」

 フィリピン周辺を俯瞰すると、南シナ海はシンガポール、台湾、在支英軍に囲まれている。本国陥落により枢軸側になった仏領インドシナはあるが、インド洋の英海軍東洋艦隊により本国やその他の同勢力植民地からは遠く切り離されており戦局に影響はない。セレベス海方面では英領ブルネイこそ米軍に占領されているが、蘭領インドネシアから英連邦オーストラリアが連合国側であるため海路が遮断されているといってよい。つまり、太平洋というのがフィリピンの唯一の補給路ということになるのだ。
 既にマリアナ諸島の攻略は終了しているが、これだけではまだ口を閉じるには不十分。完全に孤立させるためには、カロリン群島の攻略が必要ということになる。
 また、ここには戦前に日本が統治委任領として整備してきており、パラオやトラックといった海軍の大拠点があった。フィリピン以降の太平洋での展開を考えるのであれば、今のように本土を拠点として出撃するのでは、この拠点を奪回し再整備しておくことは不可欠である。いずれにしても、攻略は必要なのだ。
 問題は、それが今でいいかということである。
 海軍側も考えあぐねているのか、しばしの間があいた。

「古賀閣下」

 その時を見計らってか、琴音は海軍軍令部総長・古賀峰一海軍大将に決断を即すかのように声をかける。
 古賀は横須賀鎮守府司令長官であり、山本の後の聯合艦隊司令長官として有力視されていた。しかし、聯合艦隊司令長官には小澤治三郎海軍大将が抜擢されている。代りに彼が就任したのが軍令部総長だった。
 前任として開戦前から軍令部総長を務めていたのは永野修身海軍大将であったが、山本が聯合艦隊司令長官職を辞するとなると、彼だけが軍令部総長に留まるということはとても許されることでなかった。永野は辞任せざるをえず、後任は米内─山本ラインが古賀を抜擢。本来、古賀も席次的にいえば、まだ軍令部総長になれるものではなかったが、GF長官ともども適材適所だということで押し切ったのだ。
 これについては、明確なリーダシップを示せない永野を更迭し、自分が見込んでいる古賀を軍令部総長にすることこそが、山本のGF長官辞任の真意だとする説も、当時から流布していた。
 ただ、いずれにしても古賀は知米派の一人で、かつ、的確な戦略眼をもった人物(井上成美海軍中将は「非常にものの判断の正しい人」と記している)と評されていて軍令部総長としてふさわしい人間であることは間違いない。
 その古賀は静かに、しかし明確に告げた。

「……やりましょう」

 福留はなにかを言いたげに口を開きかけたが、自らの立場を思い出し、それをやめた。
 一方、辻はわが意を得たりと、口こそ慎んでいるが、もう鼻息が荒くなっている。

「ありがとうございます、古賀閣下」

 そんな中で琴音が頭を下げる。
 これが、大神機動部隊の四度目の出撃が決定した瞬間であった。

つづく

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