「大きい」
海軍次官・山本五十六海軍大将は、目前に広がる機体に感嘆した。
「全長四六.一メートル、全幅六三.四メートルです」
機体設計を担当した中島飛行機の中島知久平社長が説明する。
中島は、元海軍軍人で国会議員、かつ軍需専門の航空機製造会社社長という人物だ。これからは航空機が戦力の中核になると早くに見抜いて海軍を退役して、日本がその分野において立ち遅れないようにと会社を立ち上げたのである。
ただ、海軍を辞めて企業家として成功し、あるいは社会的地位を得たというのが、逆に海軍当局の癪にさわっているのか、日本最大の軍用航空機生産会社であるのからすれば、海軍での採用例は少ない。現在の主力機では九七式艦攻ぐらいであろう(ただし、零戦は三菱の開発だが製造は中島でも行なわれており、三菱よりも生産数が多い)。
しかし、中島が建白していた「必勝飛行機案」には海軍次官となった山本五十六が目をつけた。俗にZ飛行機案ともいわれるこの建白書は、超巨大かつ超長距離・高高度飛行可能な機体を量産し、敵根拠地を直接爆撃して根こそぎ戦力を奪おうというものである。護衛には、機体下方に向けた機銃を満載した「対航空機型」を随伴させ、敵機を掃討するのだという。敵機がほとんどこれないような上空を飛行することと合わせて、ほとんど無敵艦隊。敵軍港を爆撃し、あるいは、敵生産拠点を一方的に破壊するという行為を続けていけば、敵は降服するしかなくなる。
「米国に勝利するためにはこれしかありえない」
開戦の報を聞くや、中島飛行機の主力工場である太田工場に自社の技術者達を集めた中島はそう断言した。
あまりに壮大なその構想に技術者達も度肝を抜かれたが、中島はそのまま食堂に技術者達を“軟禁”し、計画が仕上がるまで解放しないという強硬ぶりであったという。
しかし、そうまでもしても「必勝飛行機案」そのままを実現するには、今日の技術──例えば、四二式戦略爆撃機“陽山”でも持ち込まない限り不可能だ。
実のところ、中島の建白は国家の存亡に対する切迫した危機感から生まれたものであり、戦略爆撃の有効性を主張するのと同時に、日本という資源小国が米国に勝利するには、このくらい荒唐無稽な事が必要だという、迂遠な和平希求だったのである。
もちろん、山本がそれを解らなかったわけではない。元々、考え方は中島と近いのだ。米軍の生産力がまともに日本に向けられれば、戦わずして日本の敗北は決定すると思っている。
だが、彼は海軍大将、海軍省次官として武力戦に勝利する道を希求しなければならない立場だ。
GF長官時代に計画を知った山本は、この計画を強力に支持し、また次官になってからは実際に推進してきている。三菱や愛知、川西、神崎といった各社にも、メーカーの壁を超えて協力体制をとらせ、また、陸海軍共同計画として、“挙国一致”の航空機としたのだ。
大型機の経験が豊富な三菱や川西は実施設計に大いに貢献しているし、神崎が霊子甲冑技術支援の見返りに得た欧米の工作技術は制作において不可欠だった。そして、何より困難が予想された大馬力発動機が開発に成功したのが奇跡的である。
もちろん、構想には現実的な修正が多々加えられ、最終的に出来上がったのは六発の長距離大型爆撃機。だが、これなら、米軍が近々実戦配備するといわれるB─29大型爆撃機を凌ぎ、開発中というB─36大型爆撃機に匹敵するであろうという代物だ。
「発動機始動!」
バラッ、バラッという不規則な音が、すぐに低音の協和音に変わる。日本軍機として空前絶後のレシプロ六発の発動機だ。
「離陸開始」
発動機音が急速に高くなる。
そして、大きな機体がゆっくりと滑走をはじめた。
陸海軍の要人や中島をはじめとする技術陣は固唾を呑んで見守る中、それは次第に速度をあげていく。
「まだか……」
誰かがうめくように声を漏らした。
機体が大きいことで錯覚として機体の速度が遅く見え、また、従来にない大型機で滑走距離が長い。
あるいは、このまま飛べずに終わってしまうかという危惧配すら抱かれた時。
前輪が浮き上がり、巨鳥は空に上がった。
「おおっ」
知らずと歓声があがる。
初飛行とあって足を出したままのゆっくりとした周回飛行だ。
「さすがですわね」
中島の傍らに立つ神崎財閥の女当主、神崎すみれは、技術陣の中にいた旧知の女性に声をかけた。今回の発動機の開発主任、李紅蘭である。最近では二人が会うのはもっぱらこうした舞台になってしまった。
「うちだけの力じゃあらへん。みんながんばってくれはった」
かつて帝撃は光武とその改良型を主戦機として戦った。
世界でも有数の高密度都市である帝都を舞台に活動するには、ある程度以上の大きさになると活動しにくかったという事情があるからだ。
一方で、圧倒的な力に対抗するには、大きさの制約を無視した高出力機を用いる必要もあった。
叉丹を相手にした時の神武、あるいは、長安を相手にした時の双武がそうである。
紅蘭は日本航空界を眺めたときに、一千馬力級発動機では寿、後には榮など諸外国に引けをとらない発動機があるのに比べ、それ以上になると、急に貧弱になることに気付いた。これでは、想定した状況内で戦えている時には問題がないが、強大な敵を相手にした場合には太刀打ちできなくなる──そう考え、人型蒸気(甲虎)の開発と並行して、大馬力発動機の研究にあたっていたことが、今回の開発を可能とした。
もちろん、空技廠技官として、三菱・火星発動機や中島・ハ─219発動機、あるいは英国ロールスロイス社のマーリン発動機のデータを検証することができたのは、大いに収穫であり、また、それらを開発した技術陣と組んだ今回の仕事は、紅蘭にとっても光武開発以来の大規模開発計画であり、一人ではなしえなかったことだ。
「それと、材料が手に入ったからや」
「同盟国のおかげですわね」
資源小国・日本では算出できない希少金属が、同盟国・英国の傀儡政権である満州(マンチュリア)や、隣接する同盟国・ソ連から得られたことは幸運だった。
これにより、ようやく今回の発動機は完成したのである。
『第三旋回完了』
管制から機体が着陸態勢に入ったことが告げられる。
飛行時間にして十数分。
大きな期待は、再び地上へと脚をつけ、その処女飛行を終えた。
「無事に飛んでよかったですわ」
「そやな。でも、まだまだこれからやで」
技術者としての意欲あふれる言葉。
しかし、科学で人を幸せにしたいと言っていた彼女が純然たる兵器をつくる苦悩をすみれはわかっている。
帝劇時代は自分たちを正義と言えた。
しかし、戦争はそうではない。
まして、大型機による高高度水平爆撃という戦術は、面制圧を目的としたもので、精密爆撃が困難だ。目標以外への巻き添えも多くなってしまう。
「あら紅蘭。私が言っているのはそういう問題ではなくってよ」
「じゃあ、なんやねん?」
「よく爆発しなかったってこと」
「かーっ、失礼やなー」
帝劇時代と同じような軽口がでる。
ただ、それだけで終わらないのは、あの頃とは違う。
「大神中将がいらっしゃいますから」
彼が海軍幹部としている限り、紅蘭の思いは届いている筈だ。
すみれは、それが言いたかったのだろう。
「そうやな」
甲虎の公開試験における大神の言葉が蘇る。
それがあったからそ、紅蘭はここまでこれているのだ。
「じゃ、すみれはん、失礼するで。発動機の調子をみてこな!」
彼女は、他の技術者、整備員らとともに機体にかけつけていく。
日本航空界にとっては未知の領域である大型機の開発は困難を極めることが予想された。
実際、この初飛行こそ、大きな問題はでなかったものの、以後、本格的な試験になるに従って、機体桁強度不足による翼のよれ、与圧装置の不具合、量産試作型発動機における工作精度低下に伴う気筒のバラツキなど、様々な問題が起こる。
高々度最高速試験を行っていた量産試作二号機がフラッターにより空中分解してテスト中だった搭乗員全員が殉職するという痛ましい事故も発生した。
それらの問題が最終的に解決するのは米が保有していた大型機の技術を導入した四三型以降のことだが、三式重爆撃機/三式大型陸上攻撃機『富嶽』一一型として半ば見切り発車で制式採用されたのは、これから幾らもたたない照和一八年一月一日のことである。