其の肆 ―夢の吹く頃―

 慶応四年 四月十八日
 大鳥圭介の伝習隊とわかれた土方歳三と新撰組の生き残りたちは宇都宮城を目指した。桑名藩の脱走兵も含めて僅か200人の部隊で宇都宮城を落とすのは誰の目にも不可能と映っていた。
 馬にまたがって宇都宮城を目指す土方は暗い表情のままだ。近藤 勇の別れは土方の心に大きな衝撃を与えた。
 それは隊士たちも同じだった。斎藤も、島田もそんな土方の心中を察してか、声をかけようとしなかった。

「……近藤さん……」

 馬上の土方は呆然と空を眺めている。気が抜けた廃人と同じである。

『壬生狼が何たるザマだっ!!』
 
どこからか声が聞こえてきた。同時に、遠くから馬が駆けて来る音が聞こえてきた。

「副長、あれを!」

 斎藤が指さしたその先には丘の向こうからボロボロになった誠の旗が駆けて来るのが見える。

「誠の旗が……・」
「一体、誰が……」
「……龍神だ……」

 土方はそう呟いた。彼の言うように、龍神が誠の旗を高々と掲げて戻ってきたのだ。

「生きてやがった・・・・龍神が生きてやがったぞ!!」

 まさしくそれは鳥羽・伏見の戦で怒涛の如き敵陣にその姿を消した新撰組局長代理・真宮寺 竜馬であった。
 佐々木只三郎と共に、一矢報いるべくたった二人で藤堂藩の陣地に突撃していった。結果、佐々木は腰に銃弾を受けて死亡。竜馬は敵中突破を成し遂げ、戦場に転がっていた誠の旗を拾って修繕し、大坂へ駆けつけたが既に新撰組は大坂を去った後。
 竜馬は東海道を通って江戸へ向かった。だが、官軍に追いつかれ、竜馬は追っ手をかわしながら江戸へ向かった。
 その後、箱根に陣取った伊庭八郎率いる部隊に合流。押し寄せる官軍を蹴散らし、江戸へ撤退。品川沖に停泊していた榎本武揚の開陽丸に乗船した。そこで近藤の投降を知った竜馬は馬を走らせて土方たちを追い駆けたのだった。

「よく生きていたな、竜さん。」
「当たり前だ。人間な、諦められねぇことがある限り、そう簡単にくたばらねぇよ。……それより、生き残ったのはこれだけか?」
「そうだ。……近藤さんも、新八っつぁんも左之も、そして総司も、もう居ない。」
「新八に左之助もか……」

 竜馬を加えた新撰組は翌19日、宇都宮城に突入した。
 昨日まで士気が最低まで落ち込んでいた新撰組とはまるで別物だった。

(近藤さん……あんたはこの旗を捨てたが、俺は最期の最後まで決して捨てん。この旗を捨てたら、俺の人生は何だったのか、まるでわからなくなる。)

 この日の土方の戦いぶりはまるで何者かに取り憑かれたかのような戦いぶりだった。
 新撰組の猛攻を受けて、宇都宮城は陥落した。たった200名の敗残兵で城を落としたということは前代未聞であった。新撰組の士気は大いに上がり、会津へと向かった。

 慶応四年 四月二十四日
 中仙道・板橋宿 統制軍参謀府

 投降した近藤は座敷牢に入れられて処分を待っていた。
 その頃、参謀府では会議が開かれ、近藤の処分を議論していた。多くの参謀が近藤の処刑を望む中、大神一彦は数少ない反対派であった。

「近藤勇は、僅かな期間で新撰組のような最強の剣客集団を作り上げたほどの逸材だ。殺さずに次の時代に活かすべきだ!!」
「僅かな期間であれほどの組織を作り上げることの出来る危険人物だからこそ、処刑すべきなのだ!」
「そうだ!しかも奴は池田屋で我々の仲間を皆殺しにするという大逆を犯した重罪人だ!!」

 しかし、大神は断固として近藤の処刑に反対する。

「狭い!貴様らの考えは狭すぎる!あのような希少の人材を次の新しい時代に活かしてこそ、王政維新、明冶維新と呼べるのだ!」
「黙りたまえ!君には参謀会議を批判する権利などない!君は黙って新撰組の生き残りたちを皆殺しにすればそれでよいのだ!」

 見下している参謀たちに言いたいことをいわれ、大神も我慢の限界に達しつつあった。

「……そんなに新撰組の残党を斬りたければ、自分で隊士の一人でも斬ってみたらどうだ?」
「何だと!?」
「お前たちは卑怯だ。……臆病だ。……そして『虎の威を借る狐』だ。京都に居た頃はコソコソ逃げ隠れしていたくせに、いざ旗色が良くなってくると、出てきて官軍面か。誠の官軍とは、俺や音熊、中村半次郎や、桂先生のように、血を流した者。岡田以蔵や田中新兵衛、坂本龍馬、高杉晋作のように志半ばにしてこの世を去った者。そして戦って死んでいった兵士たちを言うのだ。お前らのような腰抜けに官軍を名乗る資格はない。」

 大神はこの時ほど自ら望んで人を斬りたいと思った時は無かったと、後に語っている。今の有利な状況を作ったのは、自分たちのように血刀を振るった者だと、大神はそう信じているのだ。
 結局、大神の反対もむなしく、近藤は処刑されることになり、執行は明日・二十五日となった。

 その前夜、大神は座敷牢の近藤を訪ねた。近藤は白装束に身を包み、目を閉じて静かに正座していた。

「近藤殿・・・・お初にお目にかかります。征討軍の、大神一彦です。」

 近藤は目を開け、深々と頭を下げた。

「ご高名は窺っております。拙者は元新撰組局長・近藤 勇と申します。」
「……甚だ申し上げかねるが、ご貴殿の斬首は明日の正午と決まりました。」
「……ながなが、お世話にあいなりました。」
「それで……何かお望みはございませんか?某に出来ることなら、何でも……」
「では……斬首は某の愛刀・虎徹でしてもらいたい。」
「承知しました。他には?」
「今ひとつ、斬首は貴殿にお願いしたい。」
「……某に?……心得ました。」
「かたじけのうござる。」

 大神は潔く死を受け入れようとしている近藤を見て、まさに将たる人材だと……誠の武士だと思った。
 そして翌日の正午……近藤の処刑が執り行われた。

「……これに、間違いござりませぬか?」
「……かたじけのうござる、大神殿。・・・・我が愛刀・虎徹で首をはねられれば、思い残すことは無い。」

 介錯は本人の希望で大神が務めることになった。
 大神は虎徹の刀身に水をかけ、構えた。

「……夢のようだな、トシさん。祇園の三味や太鼓が聞こえる……人生三十五年の、バカ踊りだったよ。フハハハハ……!!」
「……御免っ!!」

 大神は初めて、目をつむって刀を振り下ろしたという。
 慶応四年 四月二十五日
 元新撰組局長・近 藤  勇  中山道板橋宿にて斬首  享年 三十五歳


 宇都宮城陥落後、新撰組本隊と別れて仙台に戻った竜馬は伊達慶邦と会い、会津藩救済の嘆願書を作成した。京都守護職を預かり、新撰組を組織した会津藩は幕府側の先頭に立って戦ってきた会津藩を薩長が許すはずがない。人一倍義理堅い竜馬は会津を見殺しにするわけにはいかず、家老の但木土佐と共に白河小峰城の奥羽鎮撫総督府を訪ねた。竜馬の面会に応じたのは薩摩藩士・世良修蔵。

「……これが、会津救済の嘆願書でござりまする。」
「嘆願書じゃあ?……今更こげな嘆願書が通用すると思うちょるのか?嘆願書云々言うてたのは数日前の話じゃ。」

 そう言って、世良は嘆願書を握り潰して竜馬たちに放り投げた。

「しかし……嘆願書を提出すれば、会津は許されると、伺っております。」
「そげな話は聞いちょらん。会津がまこと恭順の意を示すのなら、なぜ容保の首を持って来ん!容保の首を持って来るまでは断じて許さん!!」
「しかし、それでは会津が納得致しませぬ!」
「何が納得じゃ!我らは官軍じゃぞ!!会津は何じゃ!錦の御旗に逆らう、逆賊じゃぞ!!下手に庇いだてすれば、お主らもただじゃ済まんぞ!!」
「何っ!?」

 竜馬はずっと黙っていたが、但木の方は堪忍袋の緒が切れたのか、とうとう刀に手をかけた。

「おう?……何じゃ、その手は?ここをどこじゃと思うちょる?」
「……土佐!控えろ!!」

 竜馬に止められ、ようやく但木は刀から手を放した。
 結局、会津救済の嘆願書は世良の手で握り潰され、竜馬と但木は城を後にしようとした。

「竜さん!……お話したいことが……」

 やってきたのは監察の島田 魁であった。
 島田は偶然にも世良が江戸の総督府にあてた書状を入手したのだ。

「人の手紙を盗み見るのは武門の恥なれど……」
「あの男のことゆえ、嘆願書のことも報告してはいないと思いまして・・・・」
「よし、拙者が見よう。」

 但木は書状を開いて内容を読んでみた。その間、島田は部屋の外に座して見張りを勤めた。
 内容のある一節を呼んで但木は目を疑った。そこには……

「おのれ、世良め!・・・・『奥羽皆敵……弱国二藩は恐るるに足らず』とは・・・・」
「弱国二藩とは……仙台と米沢のことか……」
「許さん!そっちがその気なら、弱国の手並み、特と見せてくれようぞ!」
「……よし、俺たち、新撰組でやる。」

 それから数日後の夜、遊郭で寝ていた世良修蔵は何者かによって暗殺された。
 証拠品となるものは一切残されなかったことから、下手人は暗殺のプロだということしかわからなかった。ともあれ、世良の暗殺が、事実上、戊辰戦争第三の役・会津戦争の引き金となったのは言うまでも無い。


 慶応四年 五月十五日。
 治安維持を名目に上野の山に陣を構え、再三にわたる退去勧告を無視し続けた彰義隊に対し、統制軍は遂に攻撃を開始した。統制軍を指揮したのは村田蔵六。後の大村益次郎である。
 わずか半日足らずの攻撃で彰義隊は壊滅。
 圧倒的な火力と、大神一彦、佐伯忠康の操縦する人型蒸気を持って、統制軍は僅かな損害で済んだのである。
 隊士たちは江戸の町へ散り散りになってしまった。その隊士たちを追って、統制軍は直ちに残党狩りを開始した。その大半は討ち取られ、逃げ延びる者はごく僅かであった。

 その中にあって、ただ一人……逃げようともせず、立ち向かってくる隊士が居た。
 襲ってくる統制軍を薙ぎ倒し、鬼神の如き強さを持ったその男。

「居たぞ、あそこだ!!」

 新手が男を発見し襲い掛かってくる。しかし、男はまったく動じない。槍を構えて追っ手を睨んでいる。

「彰義隊の残党でごわすな?」
「……そうだ。」
「この者たちを斬ったのもお主でごわすか?」
「……だとしたら、何とする?」
「官軍に楯突く逆賊として、お主を成敗する!」

 官軍と聞き、男は豪快に笑い出した。

「ハッハッハッハッハッ・・・・!!官軍か!お前らが官軍か?薩長の芋侍が、官軍気取りか!」
「ぬぅっ!無礼な!!構わん!斬って捨てぃっ!!」
「やめとけ、怪我するだけだぜ?大人しく刀を引くこった。」

 取り囲んでいる官軍兵士は全員抜刀。男はやはり全く動じない。

「……よしな。」

 官軍に待ったをかける、今一人の侍が現れた。長州派維新志士・佐伯忠康である。
 だが、男を取り囲んでいるのは薩摩の兵士。長州派である音熊の命令など聞くはずも無い。

「なんじゃ、長州か?お主の指図を受ける道理はござりもはんぞ。」
「……指図をするつもりはない。忠告しているだけだ。……その男はお主らでは斬れんぞ。」
「何じゃて?」
「壬生の狼を斬るのは、お前らのような雑兵では無理だと言っているのだ。」
「……み、壬生の狼!?」

壬生の狼とは新撰組が京都に居た頃のあだ名である。その名を聞くや否や、雑兵たちは刀を捨てて逃げていった。

「……槍を執っては天下無双。……アンタ、元新撰組十番隊組長・原田左之助だな?」

よく見てみると槍と鉢金には『丸に一文字』の家紋が刻まれている。原田左之助の付けている紋である。

「……俺も聞いたことがある。人型蒸気とかいう鋼鉄の鎧を着て戦う、佐伯忠康。あだ名は、音熊とか言ったっけか?」
「アンタが彰義隊に入っていたとは知らなかった。」
「別にアンタとお喋りする気はねぇ。やるのかやらねぇのか?」
「やらないよ。アンタと勝負したら、俺も危ねぇからな。……だが一つ聞かせてもらう。これから、どうするつもりだ?」
「……」
「新撰組と合流するのか?」
「いいや。・……俺は、大陸に渡ろうと思う。……大陸に渡って、もっと広い世界を見てみてぇんだ。」
「……そうか。……じきに新手が来るぞ、行け。」

 左之助は槍を引き、走り去っていった。

「……原田左之助……ありゃあ、夢を見る目だ……ああいう男も居たのだな。」

 新撰組十番隊組長・原田左之助がその後、どこへ向かったのか、どうなったのか、それを知る者は居ない。一説に大陸で馬賊の頭領になって暴れ回ったいうが、それを裏付ける証拠は存在しない……


 慶応四年 五月二十九日  江戸・千駄ヶ谷
 一番隊組長・沖田総司はここで養生をしていた。名前も沖山宗治郎と変え、面倒を見ている植木職人の夫婦ですら、彼が沖田総司であることを知らなかった。
その日、新撰組を脱退した永倉新八が沖田を訪ねてきていた。

「そうですか……土方さんたちは、会津へ向かったのですか……」
「ああ・・・・風の噂によると、竜さんが戻ってきたそうだ。嘘かホントか知らんがね。」
「本当ですよ。だって竜馬のおじさんは先月ここにいらしたんですから。」
「竜さんがここに来たのか?」
「ええ。あの世からお迎えが来たのかと思ったら、『俺ぁ、ちゃんと足あるぞ!』って怒ってました。」
「そうか……ここへ来られるのは俺だけだと思ってたんだがな。」
「けっこう、皆さん来てくれますよ。近藤先生や土方さんが来てくれたこともありますし、原田さんも来てくれました。」

 そのとき、表が騒がしくなってきた。どうやら官軍が御用改めをしているようだ。

「……沖田君、布団に戻れ。俺が一芝居打つ。」
「どうするんですか?」
「まぁ任せておけ。」

 新八に言われるまま、総司は布団に潜り込んだ。
 しばらくすると障子を開けて官軍の兵士たちがやってきた。

「おい、御用改めである。そいつを起こせ。」
「無茶を言うな、この人は重病人だ。起こせんよ。」
「何ぃ?病名は何だ?」
「……それよりお前さん、さっきその障子を触ったろ?帰ったらよく手を洗っておけ。それから他の全員もよくうがいをしておくことだ。」
「ろ、労咳か!?」
「……大きな声を出しなさんな。ここの夫婦はまだ知らんのだからな。」
「わ、わ、わかった、もういい。行くぞ!」

兵士たちは逃げるようにそこから立ち去っていった。

「……バカな連中だ。労咳がそう簡単にうつったりするものか。労咳ぐらいで逃げ出すくらいだ。あいつら、戦場では長生き出来んな。」
「……」
「……沖田君?……何だ、ホントに寝ちまったのか?」

その後、永倉は隠れ家に戻り、総司が目を覚ました時はもう真っ暗になっていた。

「……ヤだなぁ、この頃はすぐに眠くなっちゃう。」

起き上がって縁側に出、空を見上げた。見事な満月が空に輝いている。

「……満月かぁ……キレイだな。」

ふと、庭先に誰かが立っているのに気付いた。よく見てみると二人居る。格好からすると侍のようだ。

「誰ですか、そこにいるのは?」

二人はゆっくりと近付いてくる。そして月明かりがその二人の顔を照らした。

「……こ、近藤先生!それに、井上のおじいちゃん!?」
「シィーッ。」
「……どうしてここに?」
「総司、お前に会いに来た。」
「ボクに?」
「近藤先生と二人で、三多摩に帰ろうと思ってね。ついでに総司に会いにきたわけだよ。」
「ボクは『ついで』ですか?」
「どうだ、総司。一緒に、三多摩へ帰らんか?また、百姓を相手に天然理心流を教えようじゃないか。」
「……この騒々しい世間とは縁を切って、多摩の田舎で、静かに暮らそう。」

二人とも優しい笑みを浮かべている。近藤も、井上も、長いこと見せなかった、昔の笑顔である。

「……さぁ、総司。一緒に帰ろう。」
「……京都に行く前から、もう決めてます。近藤先生の行かれるところなら、ボクはどこへでもお供します。」

 総司は着替えて刀を腰にさし、満月の光に照らされながら千駄ヶ谷の家を跡にした。
 やがて満月が雲に隠れると、三人の姿は漆黒の闇の中へと消えていった。

その翌朝、まだ朝日も出ていない薄暗い時間に、新八はこの植木職人の家を訪ねた。新八 は隠れ家で目を覚ましたその時から、嫌な予感がしていたのだ。そして、それは現実となる。
 総司が寝ている離れの部屋を開けてみると・・・・

「……沖田君!?」

 新八は深い眠りについている総司を見るなり、体温や脈を確かめた。悪い予感は現実となってしまったのだ。
 部屋から出てきた新八は静かに障子を閉め、縁側に気力の抜けた廃人のように座り込んだ。

「……クソォッ!!」

 ドガッ!
 泣きながら右手で床を何度も強く叩いた。
 やがて朝日が昇ってきて、あたりを明るく照らす。新八は上ってくる朝日を呆然と見詰めていた……

 慶応四年 五月三十日
 元新撰組副長助勤・一番隊組長・沖 田 総 司  江戸・千駄ヶ谷にて病死。 享年二十八歳。

 そして永倉新八もまたいずこともなく、その姿を消したのだった。

 その後、新撰組は会津戦争を経て、桑名藩主・松平定敬と共に仙台に入った。
 仙台藩家老でもある竜馬の計らいにより、土方や新撰組は専用の屋敷を与えられてそこに陣取った。

「こんな立派な屋敷を貸してもらえるたぁ、竜さん。アンタ、ホントに家老なんだな。」
「『ホントに』って何だよ?信じてなかったのか?」
「……まぁ、内心な。アンタみたいにガラの悪いバカが家老なわきゃないと思ってた。」
「ケッ。それより、トシ。ちょっと付き合え。」
「どこか出掛けるのか?」
「ここは仙台だぜ?行くところはたくさんある。」

 竜馬は城をはじめ藩の各重役たちと会って回り、次は竜馬を頼って仙台に入ってきた伊庭八郎、榎本武揚、松平太郎、永井玄蕃らと会った。そして最後に、自宅に戻った。

「……ここは?」
「俺ん家だ。」
「はぁ?……こんな立派な屋敷がアンタの家か?」
「……お前ホントに俺のこと信用してなかったんだな。」

 門をくぐると玄関先で使用人の岩井権太郎が掃除をしていた。

「いよぉ、権太。今帰ったぞ!」
「おぉっ!旦那様!お帰りなさいませ!!奥様!旦那様がお帰りになられましたぞ!!」
「・・・・『奥様』?・・・・アンタ、所帯持ちだったのか?」
「ま、まぁな。」

 やがて奥から竜馬の妻・桂が出てきた。……妻といってもまだ正式に祝言を挙げてはいないので、厳密には許嫁のままである。

「竜馬様!お帰りなさいませ。」
「ただいま、桂さん。……紹介しよう、コイツは新撰組副長の土方歳三だ。」
「『コイツ』とは随分だな。」
「ようこそいらっしゃいました、お名前は伺っております。わたくしは真宮寺竜馬の許嫁で桂と申します。よろしくお願いします。」
「……知らなかったな。竜さんにこんな美人の嫁さんが居たとはな。」
「少なくとも、俺が出会った女人の中で、もっともめんこい人だ。……手ぇ出すなよ?」
「さぁ……俺ぁ何事も手が早い方でな。」

その日、土方は真宮寺家に宿泊した。
桂や使用人たちが豪華な家には似合わない質素な家庭料理を作ってくれた。

 真宮寺家は代々質素倹約を旨としている。食事もその精神にのっとり、普段は一汁一菜と決められている。高級な食材などは一切使わない。それは今日の真宮寺家でも同じことである。

 食事と入浴を済ませた後、竜馬と土方は縁側で涼みながら、思い出話をしていた。

「……京都が懐かしいな。」
「トシはほとんど京から出なかったから、特に懐かしいんだろうな。……俺はいつも仙台、江戸、京都と転々としていたからな。」
「俺たちは結成された時から、竜さんに頼りっ放しだったな。」
「そうだなぁ……俺ぁ、斬り合いよりも新撰組のために駆け回った時間の方が長かったような気がするな。」

 やがて話題はふるさとや家族の話になった。

「多摩の頃が懐かしいよ……俺は日野の生まれでな。のぶという姉がいる。佐藤彦五郎という名主に嫁いでいるが、俺に似て、喧嘩が好きでね。子供の頃は男たちに混じって相撲やチャンバラをしていたよ。竜さん、家族は?」
「……俺には兄弟が居ない。両親も俺が幼少の頃に死なれた。だから、権太をはじめとする奉公人たちが、俺の家族だ。」
「……そうか……悪いこと聞いたな。」
「なに、気にするな。……しかし、試衛館で初めてお前に会った頃、俺はお前が大っ嫌いだったよ。」
「どうしてだ?」
「ほら、八王子で甲源一刀流と喧嘩をしたろ?あの時、お前な……」

 八王子の淺川で、土方は藤堂、原田、竜馬の三人を引き連れて甲源一刀流と戦った。
 そのとき、土方は藤堂、原田の二人に闇に紛れて敵の裏側へ回るよう指示したが、竜馬には指示を出さなかった。

「二人と一緒でもいい、俺と一緒でも。どっちでも好きにしろ。」

 土方はそう言った。竜馬は正直、見くびられているのかと思ってムッとしていた。

「そんなこともあったな。」
「それでも、あの喧嘩は楽しかったぜ。20人を散々にやっつけて、こっちは怪我人一人も出ず。完全勝利だったもんな。」

 二人がそんなことを話しているその時、城内では異変が起こりつつあった。
 それは土方や竜馬にとって思いも寄らぬ事態であった。


 突如、伊達慶邦は藩の執政を変えた。新たに執政となったのは遠藤文七郎。
 覚えているだろうか?遠藤はかつて、密かに京都に来ていたことがある。そこで新撰組隊士を引き連れた竜馬と出くわし、ちょっとした喧嘩をしている。
 遠藤は自分の閣僚たちを集め、評定を開いていた。

「だいぶ、城下が騒がしいようだな。」
「はっ、榎本武揚の艦隊と、真宮寺様の新撰組が来ているために、藩兵たちが騒いでいるようです。」
「フン、榎本が江戸から連れてきたのも、真宮寺の新撰組も、要するに敗残兵だ。そんなものは何の役にも立たん。開陽丸は最強の軍艦かも知れんが、軍艦の一隻や二隻でどうなるものはあるまい。」
「は、おっしゃる通りでございます。」
「……して、いかがなさいますか?」
「まずは、伊達公に時勢を説く。そして官軍に恭順の姿勢をとって頂く。そうすれば、旧幕府軍も城下には居られなくなる。」

 遠藤の説得に、伊達慶邦は突如方針を変え、征討軍に対し恭順の意を正式に表明した。
 それと同時に遠藤は佐幕派の人物を次々と捕縛、監禁していった。そして、竜馬の屋敷にもその手が及んだ。

「開門!伊達公の使いである!!直ちに開門せよ!!」

 門を開けたのは権太である。開けると同時に兵士たちは権太を押しのけて屋敷内に雪崩れ込んだ。

「む?」
「何か、騒がしいな。」
「トシ、来い!」

 竜馬は土方を奥にある自室に通し、床の間の掛け軸を引き上げた。そこには抜け道が隠されていた。

「これは!?」
「とりあえず、ここに隠れてろ。もし、俺の合図が無ければずっと奥へ進め。裏山に通じている。それから、万一のために、荒鷹を預けておく。」
「アンタはどうするんだ?」
「いいから、行け!」

 竜馬は土方を無理矢理通路に押し込むと部屋を出て行った。
 その頃、兵士たちは竜馬を探していたが、桂や権太たちが妨害してなかなか奥には進めない。

「えぇい、邪魔立て致すな!伊達公の使いである!!」
「使いなら、使いらしく玄関でお待ちなさいませ!土足で屋敷内に立ち入ることはまかりなりません!!」
「女の分際で何たる口の利きようだ!!」
「女でも、武士の妻となる者です。武士の妻には務めというものがございます!」
「構わん!押し通る!!」

 兵士が桂たちを押しのけようとしたその時、奥から竜馬が出てきた。

「騒ぐな。」
「旦那様!?」
「夜分に一体何の用だ?」
「伊達公から、すぐに城へ参れとのことです。」
「……相わかった、すぐに参る。」

し かし、桂や権太は悪い予感がするのか、竜馬を引きとめようとする。

「旦那様……」
「止めてくれるな、桂さん。心配ない、すぐに戻ります。・・・・権太、桂さんを頼む。それから・……『掛け軸』もな。」
「……心得ました。」

 竜馬はそう言って兵士たちに連れられて屋敷を出た。
 全ての兵士が屋敷から出たのを見届けると、権太は土方の隠れている掛け軸の隠し通路を覗いてみた。

「ありゃ?」

 そこに居るはずの、土方の姿は無かった。
 土方は既に屋敷を脱出し、新撰組の本陣に戻っていたのだ。

 城に上がった竜馬だが、伊達公には謁見出来ず、そのまま地下の座敷牢に入れられてしまった。

「……こいつぁどういう了見だ?家老職にある俺を牢屋に入れるとは、なかなかいい度胸をしているな?」
「お静かに。間もなく遠藤様が参られます。」
「遠藤?……文七郎か?」

 やがて、牢屋の前に遠藤がやってきた。相変わらず、懐に手を引っ込めていて態度が悪い。

「久しぶりだな、真宮寺。」
「まったくだな、文七郎。……こいつぁ一体何の真似だ?……と、聞くだけ野暮だろうな?」
「我々に手を貸してはくれぬか?……と、尋ねるだけ野暮だろうな?」
「そういうこった。誰がテメェなんぞに手を貸すものか。」
「ならば、死ぬまでそこに居るがいい。」

 竜馬は全てを悟った。文七郎が伊達公を説得し、藩の方針を変えさせたのだと。
 このままでは、土方たち新撰組も、榎本の脱走艦隊も、仙台城下には居られなくなってしまう。桂や権太たちにも危害が及ぶ恐れすらある。
竜馬が捕まったという情報は土方を通じて新撰組隊士たちに伝えられていた。

「竜さんが!?」
「ああ。恐らくどこかに監禁されているのだろう。」
「それで、どうします?竜さんは局長代理、放ってはおけません。」
「わかっている。しかし、竜さんは城の中だ。簡単には手出し出来ん。」

 ほどなくして、榎本艦隊が幕兵を乗せて仙台から出港して蝦夷へ向かうとの報せが入ってきた。新撰組も直ちに乗船せよとのことだった。

「……相馬君、君は一隊を引き連れて竜さんの屋敷へ行き、奥さんと奉公人たちを保護し、軍艦に移れ。」
「承知しました。」
「野村君、君は残りの隊士を引き連れ、一足先に港へ行け。出港時刻までに俺たちが到着しなかったら、その時は構わん。出発したまえ。」
「心得ました。・・・・副長たちはどうなさるので?」
「俺と、斎藤君、島田君は竜さんを助けに行く。」
「しかし、副長。城の警護は強化されています。侵入は容易ではありません。」
「なぁに、俺たちは新撰組だぜ?斬り合いは得意中の得意だ。」

 新撰組は動き出した。
 相馬主計は隊士15名を率いて真宮寺家に入り、桂や権太らを連れて軍艦へ向かった。残りの隊士は野村利三郎に率いられて港で待機。土方たちの到着を待つ。
 その土方たちは仙台城の裏側から侵入。竜馬の居る、二の丸地下牢へと向かう。

「……やっぱり見張りは厳重ですね。」
「……ひの・・・・ふの……三人か……ちょうどいいな。」
「何がです?」
「ま、付いて来い。」

 土方は見張りの兵士を峰打ちで気絶させ、その鎧と陣笠を剥ぎ取った。

「これで、堂々と入れるってわけだ。」
「さすがは、土方さん。喧嘩の名人ですな。」
「いや、忍びの名人ですな。」
「フン、誉めているつもりかね?」

 その頃、本丸の遠藤のもとには征討軍の使いとして大神一彦がやって来ていた。

「ほう・・・・では真宮寺竜馬を捕らえたというのはまことだったのですな?」
「いかにも。二の丸の地下牢に監禁しておる。警護にも万全を尽くしておる。」
「……はたして、そうですかな?」
「何?」
「私は何度も真宮寺竜馬や新撰組と戦ったが、彼らに常識は通用しません。恐らく、新撰組は真宮寺竜馬を助けにやって来るでしょう。……いや、もう来ているかも知れませんよ。」
「バカなことを。」

 遠藤は本気にしないが、大神は必ず新撰組がやってくると踏んでいた。
 一方、牢屋の中の竜馬はすることもなく、寝転がっていた。

(トシたちは……脱出できただろうか……)

 そんなことを考えていると……
 牢の前に人の気配を感じた。起き上がって見てみると三人の兵士が刀と鍵を持って立っていた。

「文七郎の刺客か……吟味するまでもなく、俺は死刑か?」
「……望むならそうしてもいいぜ、竜さん。」
「その声……トシか!?」

 兵士たちは笠をとった。それこそまさに、潜入した土方、斎藤、島田の三人であった。

「バカが、なぜ助けに来た?」
「アンタを見捨てて行けると思ってんのか?さっさと出ろ。」
「……フン……俺の仲間はバカばっかりか。」
「じゃあ、アンタもバカってこったな。そのバカの仲間なんだからな。」
「フン。」

 不機嫌そうに牢屋から出てきた竜馬だが、本当は危険を冒してまで助けに来てくれたことが嬉しくて仕方なかったのだ。
 ほどなくして竜馬脱走の報せが遠藤の下に届いた。同時に、真宮寺家の者が全員姿を消したことも報告された。

「おのれぇっ、真宮寺め!」
「だから、言ったでしょう。必ず来る、と。」
「こうなれば……真宮寺の家を焼き払え!!」

 兵士に命令して真宮寺家に火を掛けさせようとするが、これに大神が待ったをかけた。

「真宮寺の家に手出しは無用です。」
「何ぃっ!?」
「真宮寺の家は俺が預かります。」
「貴様、何の権限があってわしに命令を……」
「失言ですな、遠藤殿。取り消して頂こう。」
「何が失言だ!某は伊達家中。陸奥守以外に命令……」
「控えろ!!」

 それまで下手に出続けていた大神の態度が一転した。

「参謀府の大神一彦に向かって何たる態度だ!俺の一言で貴様も、この仙台も、どうにでもなるのだぞ!」

 大神も本当はこういう言い方は好きではない。
 だが、遠藤のような人物にはこう言うのが最も効果的だと思ったからこそ、このような言い方をしたのだ。

「今一度言う、真宮寺の屋敷はこの、征討軍参謀府の大神一彦が預かる。文句はあるまいな?」
「は……ははっ……」
「それからもう一つ。恭順を表明しただけで官軍になれると思ったら大間違いだ!本当の官軍とは、俺たちのように血を流して戦い抜いた、薩摩や長州の兵士たちを言うのだ!」

 遠藤もただ黙って大神の前にひれ伏す以外に無かった。

(真宮寺よ……こいつは一つ貸しにしとくぜ?……俺がお前を殺すまで、誰にも殺されるんじゃねぇぞ?)

 竜馬や土方たちは開陽丸に乗り込み海路を北上、蝦夷(北海道)へ向かったのだ。
 このときの北海道は幕府の直轄領ではあったがまだ、未開の地。奥へ行けば広大な原野が広がっている。榎本はここに独立国家を建設し、敗残兵たちが安心して住める国を作ろうと考えていたのだ。

 時は幕末から明冶に変わるまさにその瞬間。
 この僅かな期間に、多くの者たちが夢を咲かせ、夢を散らせた。

 そして今、徳川幕府という時を越えてきた、枯れかけた大きな木に宿った鳥たちが、翼を広げて北の空へ舞い上がっていった。皆が心に消えない夢を持ち、消せない炎を宿している。
 いつかそこに夢を乗せた風が吹く。多くの幕臣たちはそう信じて榎本武揚の艦隊に乗り込んで行ったのだった……


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