其の弐  ―近江の月・山南敬助 脱走―

 元治元年 十月
 京都・壬生の新撰組屯所に八人の剣客がやってきた。
 北辰一刀流・伊東道場の道場主、伊東 甲子太郎。
 その弟、鈴木 三樹三郎。
 筑後出身の篠原泰之進。
 播州・赤穂出身の剣豪、服部武雄。
 さらに、中西 登、佐野七五三助、加納鷲雄。そして、彼らに入隊を要請し、江戸まで出向いていた藤堂平助。いずれも北辰一刀流の目録以上を得た腕利きの剣客たちである。
 さっそくに伊東たちは前川屋敷の近藤勇を訪ねた。伊東到着の報せは土方や山南の下に届いた。だが、竜馬の下には……

「近藤先生の部屋にお客さんが見えられましたよ。」
「フン……どうせ、伊東甲子太郎の一行だろう。」

 竜馬が食事をとっていると、総司がニヤニヤしながらやってきたのだ。

「おや? ご存知だったのですか?」
「……さっき、この部屋の前を、(山南)敬助が嬉しそうに通り過ぎて行った。俺を呼びに来たかと思ったが……」

 そこで総司は思い出したようにポンと手を叩いた。

「あ、申し遅れました。実は私が近藤先生におじさんを呼んで来るように言われてました。」
「なにぃ? だったら、なぜ早く言わん?」
「どうせ、おじさんは行かないんでしょう?」
「当たり前だ。到着の挨拶ってのは、向こうからやって来るもんだ。俺のツラ拝みたかったら、さっさと出向いてくりゃあいいんだ。」

 その頃、永倉新八、原田左之助の二人も食事しながら伊東のことを話していた。

「伊東甲子太郎なんて大モン、よく入る気になったな?」

 大口あけながら飯をがっつく左之助に対し、新八は昼間から酒を大きな茶碗に注いで呑んでいる。

「いやぁ、新撰組も有名になったからなぁ、人材が雲の如く集まるよ。」
「あぁ、何しろ飯がいいからねぇ!」
「……酒がうめぇからだろ?」
「飯がいいからに決まってるだろ!!」
「酒だ!!」

 酒か飯か、こんなしょうもない議論はそう長くは続かなかった。
 ほどなくして襖が蹴破られ、殺気立った斎藤 一が刀を構えて入ってきた。斎藤は徹夜で巡察に行っており、隣の部屋で寝ていたのである。

「うるせぇっ!下らねぇことで喧嘩してんじゃねぇっ!!」


 その日、局内に触れが出された。
 伊東甲子太郎は参謀に、鈴木三樹三郎は副長助勤・九番隊組長。篠原泰之進、服部武雄は監察部に配属された。
 この時期、局長・近藤 勇は新撰組結成以来、いや江戸試衛館以来の永倉新八、斎藤 一、藤堂平助、原田左之助ら剣技一筋の同志たちよりも、学問に長けている伊東甲子太郎、武田観柳斎、尾形俊太郎、そして山南敬助らを重んじるようになった。
 幹部の取り立て方も、まったくの新参者・新井忠雄、田中寅蔵、南部脱藩浪人の吉村貫一郎を撃剣師範に、毛内監物を学術師範に任命するなど、かつてのように人格や志ではなく、経歴や能力を重視するようになった。
 だが例外もあった。
 義兄弟の契りをかわした土方歳三、局長に次ぐ大幹部である真宮寺竜馬の二人に関しては絶大なる信頼を寄せており、二人の意見はほとんどが聞き入れられていた。

 年が明けて元治二年(慶応元年) 二月。
 土方が屯所を西本願寺に移転すると言い出した。長州びいきの本願寺を屯所にすることは長州に対する牽制の意味合いがあった。主戦派の竜馬もこれに賛成した。しかし、これに強硬に反対している者がいた。
 参謀・伊東甲子太郎と総長・山南敬助である。

 総長の山南敬助は奥州・仙台の出身で北辰一刀流の剣客。竜馬とは単に同門・同郷であるだけでなく、竜馬や平助が『破邪の剣士』であることを知っている数少ない剣客の一人である。
 清河八郎の浪士隊募集の情報を持って来たのは山南であり、新撰組草創期はその博識を活かし、副長として活躍していた。
 しかし、伊東甲子太郎の入隊で、伊東の味方についた山南はしばしば土方と衝突するようになった。土方にとって、既に山南は新撰組にとって必要ない人物であった。

 屯所移転の最終決定は局長・近藤 勇の判断に委ねられる事になった。近藤の答えは移転であった。
 翌日、二月二十一日、山南は竜馬を誘って嵯峨・嵐山を訪れていた。ここは天下の名勝といわれている。

「……・・綺麗だな。」

 二人は茶店に腰を下ろし、川のせせらぎに耳を傾けながらそこから見える嵐山の景色を眺めた。

「奥州には松島があるが……・あそことはまた違った趣がある。いいものを見るということは楽しいもんだな。」
「ああ。……・心が洗われるというのは、こういうことなのかも知れないな。」
「……竜馬君、君はいくつになったのかな?」
「何だ、いきなり?」
「いや……・私はこの頃ひどく疲れるんだ……・」
「年寄りみてぇなこと言うな。」

 竜馬は笑っているが、山南は疲れきった顔をしていた。

「竜馬君、私はいつも思うんだが、君は天下国家のことをどう思っているのだ?」
「…………」
「君の口から出るのはいつも新撰組のこと、義のことだけだ。」
「…………俺はな、敬助。死んだ親父にいつも教えられていた。破邪の宿命は重過ぎるものだ。挫折もするだろう、投げ出したくもなるだろう。だが、例え自分がどんなに追い込まれようと、どんなに絶望しても、義と、誠の心だけはしっかりと持っていろ。」
「義と、誠の心……・」
「そうだ、受けた恩義には命を賭しても報いる義、決して嘘偽りのない誠の心を捨ててはならない。それが誠の男……・誠の武士だ。」
「……不思議な男だな、君は?」

 不思議といわれて、竜馬は少し首をかしげた。

「江戸に居た頃……・仙台に居た頃とまったく変わらない。……・私は君を見ていると、なんだか自分が小さく見えてくるんだ。」
「…………」

 二人は陽が沈むまで、そこに留まって景色を眺めていた。
 だが、翌二十二日早朝、新撰組総長・山南敬助の姿は壬生の屯所にはなかった。最初にこのことに気付いたのは監察の山崎 烝であった。

「土方副長。……・山崎です。」
「山崎君か、入りたまえ。」
「起きてらっしゃったのですか?」
「あぁ。そろそろ巡察隊が帰って来る頃だからな。……何か急な用かね?」
「……はい、取り急ぎご報告いたします。山南総長の姿が見えません。部屋には近藤局長に宛てた置手紙がありました。」
「……脱走か。その置手紙持ってるか?」

 山南の手紙には江戸へ帰るとしか書かれていなかった。
 新撰組に対する批判とか、江戸へ帰ってどうするのかとか、そういうことは一切書かれていなかった。

「すぐに、近藤さん……竜さんにも知らせろ。全幹部を叩き起こせ。緊急軍議だ。」

 屯所に居る全ての幹部が叩き起こされて、緊急軍議が召集された。

「……新撰組総長、山南敬助君が脱走し、江戸へ向かった。彼に対する処分について、諸君の忌憚のない意見を聞きたい。」

 しかし、誰も何も言わなかった。
 沈黙が数分続いた後、藤堂平助が口を開いた。

「私は、あの人を同門の先輩だからといってかばうわけではありませんが、山南さんは、決して士道に背いてはいないと思います。武士らしく、進退を明らかにしています。……それだけは、申し上げたいと思います。」

 この藤堂の意見に永倉、原田、斎藤らが相次いで賛成する。そして、伊東甲子太郎も……・

「参謀として一言申し上げます。山南君は、こと志と違って静かに身を引いたに過ぎない。むしろ、新撰組を愛しんだからこそ、そっと去っていかれた。私はそこに山南君の高潔な人柄を見る思いがする。今はただ、同君の今後の健闘を祈ることこそ、武士としてのおもいやりだと信じています。」
「うむ……私はそう思う。」

 近藤もこれに賛同したが、終始黙り込んでいる二人がいる。竜馬と土方である。

「歳さん、竜さん、君らの意見を聞きたい。」
「………」

 竜馬は答えないが、土方は目を閉じて腕を組んだまま答えた。

「俺の意見などない。『局を脱する事を許さず』。そう決まっている。」

 これに伊東が待ったをかける。

「土方君、局中法度はそう決めているかも知れん。だが、それを運営するのは人間なんだ。ただ規則だけで全てを割り切ってしまうのは冷酷すぎる。」
「局中法度は要するに軍律だ。新撰組はこれまでこの軍律を守ってきた。一つでも例外を認めていれば、そこでガタガタになっていたはずだ。」
「しかし、山南君の場合は別でしょう。」
「いいや、別とは思わん。局中法度の前では局長も、平隊士も、見習いも区別はない。」

 この言葉に、全員が沈黙した。
 新撰組結成と同時に生まれた鉄の規律は、誰しも動かすことの出来ないものだと悟ったからだ。

 やがて、壬生の屯所から馬が三騎飛び出していった。
 馬にまたがっているのは、沖田総司、藤堂平助、真宮寺竜馬の三人であった。

 その日の夕刻、旅人たちが宿に入る頃。
 山南敬助の姿は琵琶湖を見下ろす近江の宿にあった。山南は琵琶湖の向こうに沈んでいく夕陽を眺めていた。そこへ、宿の主が入ってきた。

「あのぉ、お客さんですけど。」
「私にか?」

 山南は刀を執って、いつでも抜けるよう身構えた。
 やってきたのは、総司、竜馬、平助の三人であった。

「……負けたよ。」

 山南はそうつぶやいた。

「土方君に負けたよ。まさか、君らが来るとはね。監察の者が来たら、一人も生かしては帰さんつもりだったが……」
「構わんよ、敬助。俺たちを斬って逃げろ。」
「フフッ、私に君ら三人が斬れるわけないだろ?」
「フン、オメェが俺たちよりも強ぇの、俺ぁちゃんと知ってるぜ?」
「何事も剣だけで解決する……そういう考え方ではいつか必ず間違いが起こる。」

 山南が刀を抜いて戦っている姿を見た者はほとんどいない。
 それは山南に刀を抜かせて生き延びた者がいないからだ。北辰一刀流を千葉周作に学んだ山南の剣技は北辰一刀流の中でも上位に位置していた。だが普段、温厚でいる山南は強すぎる自分の剣技を隠した。常識人である山南は何事も剣だけで解決するやり方は嫌いだった。

 その頃、屯所の土方の部屋に近藤が訪ねて来ていた。

「歳、聞いていいか?」
「何だ?」
「……なぜ、あの三人を行かせた?」
「……山南さんが斬れねぇ三人だからだ。監察の者が行っていたら、全員返り討ちにあうことだろう。それに、あの人は潔い人だ。追手があの三人なら、きっと帰ってくる。そう思ったからだ。」

 山南は結局、追手の三人にも、新撰組に対する批判や、江戸に戻って何をするつもりだったのかを、語ろうとはしなかった。ただ、仙台や千葉道場、試衛館での思い出話をしただけであった。


 そして翌、二十三日早朝。
 山南たちは屯所に帰ってきた。近藤に切腹を命じられた山南は終始微笑を浮かべたままだった。山南の介錯は本人の希望で総司が行うことになった。
 山南は武士らしく、刀を脇腹に刺した後、真一文字に引き回した後、総司に首を落とされて絶命した。その見事な最期に、近藤勇は『浅野内匠頭でもこう見事には相果てまい。』と語った。
 この日は奇しくも二年前に浪士隊が上京して壬生村に入った日であった。まる二年間、山南は新撰組幹部としてその博識を活かしてきた。

 そして夕刻、屯所内に触れが出された。
『元治元年 二月二十三日  新撰組総長 山南 敬助。脱走の故を以って切腹。 年、三十二歳。』

「親切者は山南と松原。」壬生でも新撰組一の好人物として知られていた山南と松原を、相次いで失ってしまった。
 局中法度という鉄の掟は、自然と新撰組を自滅の道に引きずり込もうとしていた。

其の参へつづく……


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