其の壱 ―斎藤 一、鬼神と呼ばれた男―

 元治元年 七月十七日
 嵯峨・天竜寺、伏見に集結した長州軍は御所目掛けて突撃を開始。迎え撃つのは会津・桑名・薩摩・仙台・見廻組・そして新撰組。新撰組は伏見に陣取り、福原越後率いる正規軍を迎え撃った。
 ただし、仙台藩家老である竜馬は新撰組本隊と別れ、軍を率いて御所を防衛した。だが、竜馬はあくまで新撰組局長代理として戦った。白旗に大きく『誠』の文字を書いた旗を高々と掲げていた。
 嵯峨・天竜寺からは来島又兵衛、久坂玄瑞ら遊撃隊が打って出て、蛤御門から一気に御所へ突入した。これを迎え撃つのは会津軍と竜馬率いる仙台軍である。
一方、遊撃隊には佐伯忠康(音熊)と止むを得ず参加した大神一彦の姿があった。

 戦いは熾烈を極めた。遊撃隊は、一度は御所の中まで雪崩れ込んだが、来島又兵衛が討死。久坂玄瑞、入江九一、真木和泉は自刃。伏見でも新撰組が長州正規軍を蹴散らし、長州軍は敗走した。
 大神一彦、佐伯忠康の二人も奮戦したが負傷し、森の中へ敗走した。

「急げ!追手が来るぞ!!」

 大神や忠康をはじめ、負傷した者たちは本隊からどんどん遅れていった。

「敵だぁっ!」

 その声に大神が背後を振り向くと、木々の間からわずかに誠の旗が見えた。

「・・・・新撰組?」

 それは竜馬率いる仙台藩の軍隊であった。本隊から離れてしまった大神たちは竜馬たち追撃隊に追いつかれてしまったのだ。

「居たぞ!一人も逃がすな!!」

 竜馬の命令で兵士たちが一斉に突撃する。
 長州勢は負傷している者達ばかりなので、ろくな抵抗も出来ずに次々と討ち取られていく。

「くそったれ!こんな所で死んでたまるか!!」

 大神も忠康も奮戦し、何とか脱出しようとするが既に周りを包囲されてしまっていた。

「くそ・・・・ここまでか・・・・」
「ほお、降参するのか?」

 包囲している兵士たちの間から竜馬が前に出てきた。

「真宮寺・・・」
「大神一彦。いつぞやの借りを返させてもらうぞ!!」

 竜馬は刀を抜いて猛然と突進してきた。
 大神も応戦するが、既に肩や足に傷を負っているため、満足には戦えない。

「もらったぁっ!!」

 ザンッ!!
 竜馬の刀に額を斬られ、大神は気を失った。鉢金のお陰で、致命傷にはならなかったが、重傷である。

「大神っ!!」
「早う手当てせねば死ぬぞ?」
「何?」
「俺も新撰組の真宮寺竜馬だ。傷のせいで負けたなどと言われたくないからな。この場は見逃してやる、行け。」
「・・・・・・・」

 忠康は大神を背負い、山林の中へ消えていった。
 それを見送った竜馬はこれ以上の追撃をやめ、引き上げの命令を出した。



 戦いは幕府側の大勝利に終わった。
 池田屋事件で有能な人材を多く失った長州は、再び多くの人材を失ってしまった。その長州に追い討ちをかける事態が発生した。イギリス海軍の軍艦「ユーリアラス」を旗艦とする四カ国連合艦隊が下関を砲撃、占領したのである。
 加えて、幕府は長州征伐に乗り出し討伐軍を長州に向かわせた。(第一次長州征伐)
 これに長州は主戦派の福原越後ら三人の家老、さらに高杉晋作や久坂玄瑞らを支援した周布政之助も切腹させることで和議を結び、長州征伐は終了した。

 新撰組隊士の中には徳川幕府の天下は安泰だと信じきる者たちが出始めた。
 七番隊組長の谷 三十郎がその筆頭であった。連日、祇園や島原に入り浸って酒におぼれる毎日。自分の弟、昌武を近藤勇の養子にした(近藤周平)こともあって、隊内では大幹部気取りであった。
 士道に背くこの男を誅するべく、竜馬が動いた。
 谷は日ごろ、槍と剣の腕を自慢していた。槍の名人であることは間違いないが、誰一人として剣を抜いたところを見た者はいなかった。竜馬はこれに目を付けたのだ。
 ある日、平隊士の田内 知が傷を負って屯所に運ばれてきた。調べによると彼は女と会っているところを、押入れに隠れていた間男に斬り付けられてしまった。間男と女はそのまま逃走。

「士道不覚悟・・・・だな。」

 部屋には土方と竜馬、そして斎藤 一がいた。

「介錯は誰に?」
「・・・・谷を。」
「谷?」

 竜馬の指名に土方は驚いたが、意外にも斎藤はすぐに賛成した。

「そいつはいい。あいつは日ごろ剣の腕を自慢してるが、誰も抜いたのを見たことがない。介錯をさせれば、本当のところがわかるってもんだ。」

 翌日、田内は谷の手で斬首されることとなった。立会人は、近藤 勇、土方歳三、真宮寺竜馬、山南敬助ら四大幹部。助勤の斎藤 一、監察の島田 魁。
 今回は通常の切腹と違い、田内が負傷しているため、切腹ではなく斬首という形となった。
 しかし・・・

 バキッ!

「ぐわあぁっ!?」

 竜馬と斎藤の思惑通り、谷の剣の腕前はひどいものであった。
 一撃で首を落とされなかったため、田内は首の骨が折れ、激痛が走って悶えている。

「まったく・・・・見てられませんな。」

 谷を押しのけ、斎藤が刀を抜いて一刀の元に田内の首を落とした。
 これに怒ったのは谷である。

「斎藤!なぜ、横槍を出す!!」
「田内君が苦しんでいた。だから、俺が斬った。それだけのことだ。」
「黙れ!貴様・・・・わしにこんなことをしてタダで済むと思ってるのか!!」
「ほお?・・・・どうするというのだ?」
「斎藤!そこまでにしておけ!!」

 待ったをかけたのは近藤であった。近藤は誰でも信用してしまうタチだ。
 彼が谷に寄せた信頼は絶大なるものであった。昌武を養子に迎えたことを見れば、それはよくわかる。

「フン、斎藤。命拾いしたな?」
「どっちが?谷さんよ、今日から毎晩湯に入って体をよく洗っておくといい。とりわけ、首のアカは落としておけ。」
「・・・・・・」

 ──近藤の前では谷を斬ることは出来ない。

 そう思った竜馬は別の手を打った。これに協力したのは藤堂平助、松原忠司、沖田総司、そして斎藤 一の四人である。隊内に谷を恨む者は他にいくらでもいた。
まず、平助と忠司が谷を祇園の料亭に連れ出した。三軒ほどハシゴをして十分に酒に酔わせ、四軒目に向かうふりをして谷を清水坂の近くまで誘導した。ここで一旦、平助と忠司は姿を隠した。

「・・・・・ん?・・・・・藤堂君?・・・・・松原君?」

 そのとき、谷の方に近付いてくる一人の剣客の姿が見えた。

「・・・・誰だ?」
「・・・・谷 三十郎。稽古を付けてもらいに来たぜ。それも、真剣でお願いする。」

 現れたのは斎藤 一であった。続いて横から現れたのは沖田総司。

「谷さん、首のアカはちゃんと落としましたか?」
「そ、総司・・・・貴様まで!」
「気に入りませんねぇ。」

 茂みに隠れていた平助と忠司も再び姿を見せた。

「我々を小者扱いするのは構いませんが、沖田君を総司呼ばわりするのは、納得行きませんね。」
「貴様ら・・・・・これを近藤局長が知ったら・・・・・」
「知ったら・・・・どうだと言うのだ?」

 最後に姿を見せたのは竜馬だった。手には谷の槍を持っている。

「この勝負、局長代理、真宮寺竜馬が検分する。斎藤を倒せば逃がしてやる。さあ、槍の腕前を拝見させてもらおうか?」
「お、おのれぇっ!!」

 槍を手に取ると、谷は斎藤に向かって猛然と突進してきた。

「フン・・・・・遅すぎる。」

 斎藤はこれを軽々とよけ、谷の槍は塀に突き刺さってしまった。

「俺を突き殺すつもりなら、最低、これぐらいの速さで突っ込んで来い!!」

 刀を構えた斎藤は谷の何倍もの速さで突進。新撰組隊士特有の平刺突を放った。刀は心臓を貫き、谷は即死した。

「フン。」
「真宮寺竜馬、確かに検分した。・・・・・さて、長居は無用。引き揚げるぞ。」

 竜馬たちは「天誅」と書いた紙切れを置いて屯所へ帰還した。
 翌日、屯所内に触れが出された。『七番隊組長・谷 三十郎。清水坂において数名の浪士に襲撃され、奮戦するも死亡。』



 この頃から、局中法度違反による隊士の粛清が頻繁に行われるようになった。
 元監察方・川島勝司、士道不覚悟(臆病)により斬殺。
 勘定方・酒井兵庫、脱走の故をもって斬殺。
 勘定方・河合耆三郎、御用金紛失により切腹。
 隊士・葛山武八郎、士道不覚悟により切腹。
 五番隊組長・武田観柳斎、士道不覚悟(薩摩藩と内通)により斬殺。
 その中の河合喜三郎の切腹には永倉新八や、原田左之助、藤堂平助ら幹部が猛抗議した。

「竜さん、こんな割の合わねぇ話ってあるか!!」

 河合切腹の理由は隊の御用金五十両を紛失してしまったためである。それはそれで仕方のないことである。
 永倉たちが怒っているのは、その後の近藤勇がとった行動についてである。近藤は隊の御用金五百両を妾である深雪太夫を身受けするために使った。明らかに個人的なものである。河合は五十両の責めを負って切腹したというのに、近藤は五百両で妾を囲う。これに不満を抱かない者がいないはずがない。

「新撰組は同志の集まりで、身分の上下があっちゃならねぇはずだ!それがどうだ!!こんなことじゃ、河合君が浮かばれねぇぞ!!」
「・・・・・・」

 竜馬は何も言わず、ただ腕を組んで抗議を聞いている。

「竜さん、今、平隊士たちが何て言ってるか知ってるか?」
「アンタが局長になればいいって言ってんだぜ?」
「大体、新撰組は芹沢鴨と、アンタの口利きで出来上がったものだろ? なら、アンタが局長になるべきじゃねぇのか!?」
「言葉を慎めっ!!」

 ようやく竜馬が口を開いた。
 竜馬は彼らになぜ、自分たちが新撰組に入ったか、そしてなぜ、江戸の試衛館に集まったかを問いただした。

「それはオメェたちが、近藤さんに惹かれたからじゃねぇのか? 近藤さんを将たる器と認めたから、試衛館に集まり、そして新撰組に入ったんじゃねぇのか?」
「・・・・・・」

 これに、永倉たちは黙り込んでしまった。
 確かに、試衛館に集まった食客たちは、近藤の人格に惹かれたから試衛館に住み着き、新撰組に入った者たちは、近藤を大将と認めたからこそ入隊したのである。
 誠の武士なら一度大将と決めた者を決して裏切ったりはしない。そう言ったところ、永倉たちはようやく納得してくれた。
 とそこへ、監察の山崎 丞が飛び込んできた。

「局長代理、山崎です。取り急ぎ、ご報告します。」
「何だ?」
「実は・・・・・松原さんが亡くなられました。」

 竜馬をはじめ、そこに居た者たちの誰もが驚いた。

「な、亡くなったとはどういうことだ?流行り病で死んだってのか?」
「・・・・・自決として、取り扱いたいと思います。」

 山崎の案内で竜馬たちは三条大橋へ向かった。
 橋の真ん中に島田 魁と斎藤 一が待っていた。

「斎藤! 松原が死んだってのは・・・・!?」

 そこで竜馬たちは言葉を失った。
 斎藤の足元には松原が履いていた下駄と女物の下駄。そして遺書が置いてあった。

「・・・・・・」

 斎藤の話では松原は自分が斬った浪士の妻に恋をした。
 しかし、それは士道に反すること。どうせ切腹させられるなら、女と共に死にたい。松原は斎藤にそう言い残して屯所を出て行ったという。

「・・・・・・」

 竜馬は説明する斎藤の顔をジィーッと睨んでいた。

「・・・・・・新八、手分けして、忠司たちの遺体を捜してくれ。俺は斎藤と一緒に近藤さんに報告する。それから、山崎は守護職に届けろ。島田は町役人に知らせて人手を集めて来い。」
「心得ました。」

 新八たちと別れたあと、竜馬と斎藤は屯所へ向かった。

「・・・・・斎藤、本当のことを言ったらどうだ?」
「本当のこと?」
「・・・・・お前、何か隠してるだろう?」
「別に何も。」
「お前と忠司は無二の親友だ。一応同門でもある。お前、忠司をかばってるな?」

 しつこく尋問してくる竜馬にとうとう斎藤は耐え切れなくなった。

「女の素性は本当だ。あの遺書も、下駄も本物だ。奴は本当に心中するつもりだった。」
「お前が、止めたんだな?」
「・・・・・無駄に死んで欲しくなかった。あいつはいい奴だ。死なせたくなかったんだ。」
「それで、忠司は?」
「もう京を出る頃だろう。西へ向かって行ったよ。・・・・あいつのことだ。二度と俺たちの前に現れることもねぇだろうし、捕まるようなヘマもするまい。」
「そうか・・・・・・惜しいとは思うが・・・・・・斎藤。このことは他言無用だ。俺も、近藤さんには報告しない。それが、忠司のためだ。」
「心得ている。」

 当たり前だが、忠司とその女の死体があがることはなかった。町役人などが総出で捜索活動を行ったが、いくら探しても存在しない死体は見つかるはずはなかった。
 四番隊組長・松原忠司が、いつ、どこで、どのように、なぜ死んだのか、正式の記録はない。守護職には斎藤のでっち上げた心中の話が報告された。この話は『壬生心中』と言われ、京の街中に広まった。
 だが、その真実を知る者はほとんどいない。
 ともあれ、新撰組から四番隊組長・松原忠司の名前は消えてしまった。

其の弐へつづく……


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