第陸部「月明・日本橋街道(其の参)」

 降魔と裏北辰一刀流を継ぐ、三人の剣客たちとの戦いは始まった。
 降魔の巣窟・日本橋には真宮寺竜馬と藤堂平助。玄武館を襲う降魔を迎え撃つのは千葉佐那。

「くらえぇっ!!」

 日本橋地下に広がる大江戸大空洞に突入した竜馬と平助は襲い掛かる降魔を次々と撃破していく。しかし、いくら倒しても、奥からどんどん降魔が出てくる。

「くそっ!キリが無いぜ、竜さん!!」
「それを・・・言うなぁっ!!」

 二人とも既にかなり疲れている。戦闘が始まってから、間もなく1時間が経過しようとしている。太刀筋は乱れ、体力は限界に達している。
 一方、玄武館を襲撃した降魔の一団は既に佐那によって片付けられていた。

「・・・・・」

 十匹の降魔を相手にしていながら、佐那はかすり傷一つ受けていなかったが、なぜかその表情はまだ険しい。

「さすがだな、佐那。」
「・・・・お兄様。お父様たちを安全な場所へ。」
「何?・・・もう降魔は・・・」
「いいえ。・・・・・まだ居ます。」

 佐那は刀を構えたまま、周囲を警戒している。彼女の霊力がどこかに潜伏している降魔の存在を知らせているのだ。

「お兄様、早く。」
「わ、わかった。」

 重太郎や定吉たちを退避させた後も、佐那はその場に残って警戒を続けている。
 ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・
 突然、地鳴りと共に地面が激しく揺れ始めた。

「・・・・来る・・・・」

 やがて、地面がひび割れ、地底から全長15m以上はある大型降魔が出現した。普通の降魔はせいぜい2m前後。15mという大きさは異常である。

「こんな降魔が・・・・」

 相手がどれほどの力を持った降魔か、それは佐那にはよくわかる。とても自分のかなう相手ではない。しかし、逃げる事は許されない。降魔と戦えるのは自分を含めて三人だけ。

「いざっ!」

 佐那は霊力を最大限にまで高め、大型降魔に斬りかかって行った。
 大型降魔の強力な妖気は日本橋で戦っている竜馬と平助にも感知できた。

「平助!」
「竜さん、これは!?」
「佐那さんが危ない!戻るぞ!!」
「合点!!」

 竜馬と平助は脱出をはかる。当然ながら、降魔の群れが後方から追撃してくる。
 それらを片付けながら脱出するのだから、当然、余計に時間がかかる。

「くそったれ!今は一刻を争う時だと言うのに!!」
「竜さん、あれを!!」

 平助に言われて前を見てみると、洞窟の入り口に一人の剣客が立っている。その男の顔は二人とも見知っている顔だった。

「山崎っ!?」

 剣客は土方の命令で江戸へ向かった監察の山崎 丞だった。

「・・・・・・」

 山崎は刀を抜き、精神を集中し始めた。しかし、山崎がいつも得物にしていたのは鉄棒。刀を抜いたところは、竜馬も平助もほとんど見たことがない。

「光刀無形よ、その力を示せっ!!」

 刀を一閃すると、追撃してくる降魔がまばゆい光に包まれ、消滅していく。

「な、何っ!?」

 裏北辰一刀流を継承する竜馬たちですら、これほどの威力を持った技は持ち合わせていない。

「や、山崎・・・・お前、一体・・・・」
「副長の命令です。お二人が江戸に来た理由を探るように言われています。」
「そうじゃなくて、今のは何だと聞いてるんだ。」
「ああ・・・・あれは我が家に古くから伝わる、この光刀無形のお陰ですよ。」

 光刀無形。それは『二剣二刀』と呼ばれる、魔を退ける力を宿した刀の一つである。ちなみに、竜馬の持っている霊剣荒鷹もその一つである。伝説によると、他には神刀滅却と神剣白羽鳥という刀剣が存在するらしい。

「それよりも、玄武館に降魔の親玉が向かいました。急ぎましょう!」

 竜馬、平助、そして山崎の三人は急いで玄武館に引き返していった。
 しかし、大型降魔との戦闘を開始していた佐那は既に重傷を負っていた。

「くっ・・・・やっぱり、一人じゃ・・・・」

 右肩を負傷し、両足にも傷を負っている。既に満足に戦える状態ではない。
 そこへ止めを刺そうと降魔が腕を振り下ろしてきた。

「うわっ!?」

 降魔は佐那の体を掴み取り、握り潰す。全身の骨が砕かれ、佐那に耐えられない激痛が走る。

「うああああああぁぁぁぁぁっ!!」

 大型降魔にとって、佐那の体を握り潰すことなど造作も無いことである。だが敢えて力を加減し、激痛を長引かせようとしているのだ。

「う・・・うぅ・・・さ、坂本様ぁ・・・・」

 と、そのとき・・・・

「破邪剣征・桜花放神!!」

 平助の放った桜花放神が大型降魔の背中に命中。不意の一撃を喰らい、降魔は佐那を手放した。

「危ないっ!!」

 落下してくる佐那の体を竜馬が見事受け止めた。しかし、佐那に意識は無い。

「くそ・・・早く医者に診せなければ・・・・」

 既に平助と山崎は大型降魔との戦闘を開始したが、明らかに押されている。竜馬も戦闘に参加したいのだが、重傷の佐那を放ってはおけない。

「竜馬殿ぉっ!!」

 そこへ駆け付けたのは重太郎であった。定吉を桶町道場に移し、佐那を心配して駆け戻ってきたのだ。

「おお、重太郎殿!地獄に仏だ!!佐那殿を早く医者へ!!」
「わかりました!お任せを!!」

 これで竜馬も戦闘に加わった。しかし、相手の大型降魔は巨大な図体にも関わらず、動きが素早く、腕や尻尾、翼を利用した衝撃波などを巧みに使い分けて攻撃してくる。
 三人とも、攻撃などする余裕は無く、降魔の攻撃を避けるのに精一杯であった。

「くそっ、このままじゃ三人ともやられる!」
「局長代理、私が奴の注意を引きます。その間に、藤堂さんと共に桜花放神を。」
「しかし山崎・・・」
「議論している時間はありません!!」

 山崎は危険を顧みず、大型降魔に猛然と突進していく。

「平助!!」
「あいよっ!!」

 二人は刀をおさめ、抜刀術の構えをとって、霊力を高める。この状態から繰り出される技は桜花放神以外に無い。

「まだまだ!とびっきりデカイのをぶっ放すぞ!!」
「心得ました、竜さん!!」

 山崎は素早い動きで降魔の攻撃を全て回避、時間を稼いでいる。

「よぉーし、行くぞ!離れろ、山崎っ!!」
「はいっ!!」

 山崎は大きく飛び退き、降魔から離れた。だが降魔も既に竜馬と平助に気づいていた。口を大きく開いて妖気を集中している。

『破邪剣征・双剣・桜花放神っ!!』

 二人が抜刀すると、巨大な桜色の光弾が生じて降魔目掛けて突っ込んでいく。だが同時に、降魔も巨大な妖力弾を発射。
 しかし、桜花放神はあっという間に妖力弾を飲み込み、さらに大型降魔をも飲み込んでしまった。
 ギシャアアアアアアアァァァァァッ!!
 降魔の断末魔が響き渡った。光が消えた後、そこには降魔の姿はなく、ただ大きなクレーターがあるだけであった。

 

 翌朝 松本良順宅
 重傷を負った佐那は重太郎によって医師・松本良順の家に運び込まれていた。
 松本良順は全国的に有名な蘭学医で、近藤勇や竜馬とも交流があった。だが、いくら名医と言えども、今回ばかりは治せる自信はまったく無かった。

「ふう・・・・」

 処置室から出てきた良順の顔はさえない。

「どうですか、良順先生。」
「わからんねぇ・・・・私は藪医者かも知れんが・・・・人事は尽くした。後は天命を待とう。」
「・・・・・・」

 助かる可能性は無いに等しい。
 佐那は坂本龍馬との婚約を破棄されたばかり。生きようとする意志はほとんど無いと思われる。よく医者は『気力の問題』と言うが、事実、気力の有無によって生死が左右されることもある。
 だが、今の佐那には恐らくその気力は無い。はっきり言って望みはほとんど無い。
 こうなったのも、坂本が佐那との婚約を破棄したせいだ。
 竜馬はそんなことを考えると、腹が立って仕方なかった。

「・・・・俺を斬りに来た近藤 勇もそこで肩を怒らしていたよ。」

 近藤は攘夷主義者である。逆に、良順は西洋の医術を学んでいる。まだ江戸に居た頃、近藤は攘夷を断行するため良順を斬りに来たことがある。
 そのときは、山南や竜馬が止めたが、近藤はなかなか引き上げようとはしなかった。今では和解し、良順と近藤はいい仲になっている。また、近く京に上って屯所を訪問することも決まっている。

「先生、俺は決めたよ。坂本龍馬を斬る。」
「しかし・・・それでは佐那さんが・・・」
「二度とあの男を、佐那さんに会わせる訳にはいかない。節義に・・・・いや、士道に背いた者は全て斬る。それが新撰組の・・・・『誠』の士道だ。」
「新撰組の士道だ?・・・・じゃあ、あんたはどうなんだ?あんたは、坂本を斬る事が本当にいいことだと思うのか?」
「・・・・・」

 竜馬は答えない。坂本を斬ることはこの国にとって大きな損失になるかも知れないということは彼にもわかっている。
 だが、坂本はその前に一人の武士だ。一人の男だ。男として、武士としてあるまじき行為をした者は、断じて生かしておくわけにはいかない。
 竜馬には『政治』というものは存在しない。あるのは『義』と『誠』だけだ。義に背くも者、誠に背く者は誰であろうと斬って捨てる。竜馬はそういう男だ。

「おぉい、竜さん!先生!!」

 平助がニコニコしながら走ってきた。

「佐那さんが・・・・佐那さんが意識を取り戻しました!!」

 それを聞くや否や、竜馬と良順は病室へ駆け込んだ。
 そこには定吉と重太郎、そして体の至る所に包帯を巻かれてベッドに横になっている佐那がいた。

「佐那さん・・・俺だ、竜馬だ・・・わかるか?」

 佐那は声を出さなかったが、小さくうなずいてこれに答えた。

「よかった・・・・佐那さん・・・・もう大丈夫だ・・・・」

 竜馬の目に涙が浮かんだ。
 仙台を出て、千葉道場で修業を積んだ竜馬だが、両親は早くに先立ち、兄弟は一人も居ない。そんな竜馬の後に付いて来ていたのが幼い佐那であった。
 彼にとって、佐那は実の妹のように思えていたのだった。

 

 数日後、竜馬、平助、そして山崎の三人は、京へ帰ることになった。
 伊東や定吉たちに挨拶した後、三人は松本良順宅にいる佐那を訪ねた。佐那はまだ、ベッドから動くことは出来ない。降魔から受けた傷は思いの外深かった。

「佐那さん、俺たちは京へ戻る。」
「そうですか・・・・竜馬様・・・・お話が・・・・」

 竜馬は平助たちを下がらせ、二人だけで話すことにした。

「竜馬様、坂本様を・・・お斬りになるのですか?」
「・・・・・・」
「良順先生から、聞きました。」
「・・・・・・奴は節義に反する愚か者。ゆえに斬り捨てる。」
「やめて下さい。それだけは・・・・・それだけは、おやめ下さいませ。」
「・・・・・・佐那さん、俺はね。アンタを実の妹のように思ってきた。俺はアンタが可愛くて仕方ない。そのアンタを捨てた坂本を俺は許せない。」
「真宮寺様が、節義を重んじるお方だということはわかっています。ですが・・・・私が意識を取り戻せたのは、坂本様のお陰だと、良順先生がおっしゃいました。」

 佐那は確かに龍馬との婚約を破棄されてしまった。しかし、佐那が龍馬を思う心に変化はない。
 生と死の間をさ迷っていた佐那が心に思ったこと、それは「もう一度坂本に会いたい」という願いであった。そこから生きようとする意志が生まれ、奇跡的に意識を取り戻したのだ。

「・・・・・・」
「真宮寺様、あなたが私のことを妹だとお思いなら、坂本様を斬らないで下さい。」
「・・・・・・負けたよ、佐那さん。坂本は斬らない、絶対に。・・・・・では、これで失礼します。」
「真宮寺様。」
「はい?」
「一つだけ・・・・坂本様にお伝えしてもらいたいことがあります。・・・・・いつまでも・・・・・いつまでも、佐那は死ぬまで、坂本様をお待ちしておりますと。」
「・・・・・・わかった、伝えよう。」

 結局、この約束は果たされなかった。
 千葉 佐那。北辰一刀流の開祖、千葉周作の弟・定吉の娘。幼少の頃より武術に励み、北辰一刀流剣術、馬術、薙刀などの武術を一通り会得。さらには『破邪の剣術』である『裏の北辰一刀流』をも会得し、破邪の剣士となった。
 だが、美貌でも知られ、『小千葉小町』と言われて評判だった。竜馬は皮肉を込めて『鬼小町』とも言っていたが。
 その後、坂本龍馬は京都にて暗殺されるが、彼女は龍馬の死後も『龍馬の妻』として生き続け、60年の生涯を終えるまで、独身を貫き通したのであった。

 

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