親愛なるきみへ(第九話)  作・鰊かずの

<1>

 親愛なるサツキ。
 あなたの手紙を、いつも嬉しく読ませてもらっているよ。
そしてクリス。
きみから手紙を貰えるとは思わなかった。きみの申し出を嬉しく思うよ。もしも叶うのならば、今すぐにでもきみに会いに行きたい。


 深い闇に染まったシュトックハウゼン本家の中で、この手紙だけが一条の光だった。あなたが私に、光を見せてくれた。心から礼を言うよ。
 クリスはとてもいい子に育ったようだね。リーリエとジェイコブも、あなたたちに本当に良くしてくれた。兄が心から礼を言っていたと伝えてくれ。
この家から本当に自由になり、本当の夢を二人で叶えて欲しいと。
 私はいつも後悔していた。ドイツへ渡っても、あなたは幸せにはなれない。あなたも、あなたの子供もきっと私を恨むだろう。
 でも、クリスの手紙を読んで、私はそんな風に思うのをやめた。クリスは私に、あなたと結婚して欲しいと言っていたよ。父親の事は忘れて、個人の幸せを手にして欲しいと書いてあった。そのために会いに来て欲しい、と。
 そうだね。クリスが受け入れてくれるのなら、今からだってやり直せる。
もしも今、一四年前に戻ったとしてもきっと君を連れていっただろう。後悔すると分かっていても、きっと。あなたは私の光だから。
 最近、起きていられる時間が減ってきた。
 こんな思いをクリスもするのかと思うと、この身に降りかかった呪いが憎くてたまらない。この呪いは、次代に持ち越させないで欲しいというのは、私の身勝手な願いだろうか。
サツキ。もしもこの呪いが解けたなら、一緒に帝都へ行こう。そしてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……

 それが、書斎に残されていた手紙の全文だった。

 サツキ奥様。
 旦那様は限界です。
 二、三日が峠でしょう。
 迎えを寄越しますからお支度ください。

 エセルバート・フェアヴァルター

 それだけ書かれた手紙が、食卓の下に落ちていた。

<2>

 医務室へと運ばれたクリスはそのまま昏睡状態に陥り、なかなか意識を取り戻さなかった。
 帝劇へ帰還した花組の間に動揺が走った。目の前で降魔がクリスへと変化したのだ。しかも、横浜で取り逃がしたあの白い降魔だ。
「どういう事ですの? あの白い降魔はクリスさんだ、とでもおっしゃいますの?」
 花組全員がサロンに集まり、すみれがかえでに詰め寄った。
 かえでは意外とすっきりとした顔で頷いた。
「ええ。そうよ。クリスはこの八年間、『降魔憑き』という体を引きずって生きていたの」
「降魔憑き!? そりゃ一体どういう事だよ、かえでさん!?」
 食って掛かりそうなカンナに、レ二は極めて冷静に答えた。
「降魔憑き。妖力、または怨念が物体、あるいは肉体に憑依し、降魔として現れる一歩手前の状態」
「正解よ、レ二。……この場合は少し意味合いが違ってくるけど」
「クリスの代名詞として、ルドルフがまれに使っていた。研究者達の間では、研究に没頭するクリスの事を『仕事憑き』と呼んでいた。それと同じ意味だと思っていたけれど、違うんだね」
 大神はレ二を見た。冷静な言葉とは裏腹に、その目には怒りにも似た感情で満ちていた。

『何をしている? 研究室に戻れ、降魔憑き。……何だ、その目は。貴様の生殺与奪の権利は、義父である俺にある事を忘れるな』
『……はい、叔父さん』

 二人の会話が、耳の奥に蘇った。何て事はない、いつもの会話。それがどんな意味を持っていたのか、知りたいという衝動に駆られた。
「詳しく話して、かえでさん。――ボクは全てを知りたい。その上で、クリスを理解したいんだ」
かえでは頷くと、静かに語り始めた。まるで報告書を朗読するようにしっかりした声だった。
「事の発端は今から約百年前、独逸のベルリンに降魔が出現したの。当時、著名な悪魔祓いの家系だったシュトックハウゼン家は、降魔討伐に乗り出した。降魔を出現させたのは、当時の当主の妹のレベッカが、死んだ自分の娘を復活させようとした結果だという説もあるけれど、真偽のほどは定かではないわ」
「それは……レベッカさんも辛かっただろうね」
 大神が同情的な声を上げたが、かえではシニカルな笑みを浮かべた。
「レベッカは当時一六歳。結婚もしていないわ。当主のワルターは歳の離れた妹をそれはそれは可愛がっていたらしいわね。……可愛がりすぎたのね。きっと」
 意味深なかえでの言葉に、マリアはピンときたようにかえでを見た。その顔にはいやな予感がすると書いてあった。
「かえでさん。ひょっとして、レベッカとレベッカの娘は教会や親族から迫害されませんでしたか? 罪だと言って」
「そのようね。レベッカは完全な箱入り娘で、屋敷からはほとんど出た事がないし、当時の日記や文献によると重度のブラザーコンプレックスだったらしいわ」
「そうですか……」
 マリアは何とも言い難い、という顔で頷いた。他の花組のみんなも、なんとなく納得したような顔でそれぞれあさっての方向を見た。
ただ一人、二人が何を話しているのか分からないアイリスは、身を乗り出して説明を求めた。
「ねえねえ! どーいう事なの? アイリスわかんないよ!」
「つまり、ワルターとレベッカは近親相……」
「レ二! みなまでいわなくてもいいわ」
 あまりにも率直なレ二の言葉をマリアがさえぎった。説明を中断されたアイリスは頬をぷう、とふくらませてジャンポールを抱きしめた。
「マリアぁ。レ二がおしえてくれるのに、邪魔しないでよう」
「アイリス。大人になったら分かるわ」
「あーっ! またアイリスのこと、子供あつかいしてるーっ!」
「そ、それにしてもかえでさん、ずいぶん詳しいですね」
 大神が強引に割って入った。このままではアイリスが機嫌を損ねて話がまたややこしくなってしまう。
「もちろんよ。まず敵を知らなければ、戦いに勝つ事はできない。でしょう、大神くん」
「ええ。『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』ですからね」
「よろしい」
 かえでは満足そうに頷くと、話を続けた。
「話が逸れてしまったわね。雑魚を掃討して、最後に首領格の大きな降魔が残った。そこまでは良かったのだけど、追いつめられたレベッカは降魔に呪いをかけたの。それはシュトックハウゼン家の霊力を与え続けなければ、降魔はひとかたまりの瘴気となって大地を不毛な物に変えるというものだった。
その結果、降魔をそのまま倒す事も、大地に封印する事も、何か他の物に封印する事もできなくなった。そして、当主は最終手段として、己の体内に封印した。自らの霊力で降魔の妖力を中和しようとしたのね。
ところが、当主一人の霊力では中和しきれず、降魔は彼の霊力が尽きるとその娘に乗り移った。そうやって、五年から十年の周期で一族の中の最も霊力の強い者に乗り移り続けてきたの」
「そんな! それじゃあ、あの白い降魔は……」
「ええ。あれは、降魔憑きの末期症状。クリスの霊力が尽きかけている証拠よ」
 むごい運命だった。自分の体が異形の魔物になり、だれ彼構わず襲い始める。そんな事を想像したら背筋が寒くなった。
横浜では迷子になったのではなく、白い降魔こそクリスだったのだ。かえではそれを知っていた。だから、とどめを刺そうとするレ二を止めたのだ。
クリスがその後あれほど落ち込んだのはこういう事だったのだ。
 かえでは続けた。
「そういう一族だったから、この呪いを解くために以前は呪術研究を……最近では霊子力学研究を積極的に行ってきたの。そして、先代当主の弟ルドルフ・シュトックハウゼン少将は、今までの生ぬるい研究ではらちがあかないと考え、人体実験へと着手した。やがて、ルドルフの野望はシュトックハウゼン家の降魔と霊力の高い軍団を利用して世界を我が手にという所まで膨らんだわ。それが、ヴァックストゥームの始まりよ」
「では、実際にヴァックストゥームを始めたのは……」
「クリスの叔父のルドルフよ。彼は「氷のルドルフ」と呼ばれる男でね。冷徹な性格と正確な判断力、高い作戦遂行率は独逸陸軍の中でも群を抜いているわ。……形の上では、当主であるクリスが首謀者という事になっているし、そう言われても仕方のない程の事をした事もまた事実だけど、その裏にはルドルフが深く関与しているわ」
 その言葉に、レ二は無意識に視線を逸らした。「緑の薔薇(グリューネローゼ)」はクリスの創作物だという。
ヴァックストゥームという闇に触れ続ける内に、クリス自身も闇に染まってしまった時期があったのだろう。その事が、今もなお二人を苦しめている。
 かえでは続けた。
「ルドルフの兄のハインツは、別の方法でこの呪いを解く事はできないかと考え、最後の手段として東洋で著名な破邪の血統である真宮寺家に、降魔退治を依頼するために来日した。そこで、当時帝都へ出ていたさつきさんと接触して仙台へ行って頼み込んだの。でも、真宮寺家の回答は『否』だった」
「じゃあ、おばあ様は遠方からはるばる助けを求めて来た人を見捨てたんですか?」
 ずっと昔から代々苦しんで、最後の最後に頼ってきた人を見捨てるなんて、さくらには信じられなかった。真宮寺家への……祖母の桂への不信が芽生えたさくらに、かえでは首を振った。
「そういう捉え方もできるけど、当時帝都はいつ霊的脅威にさらされるか分からない状態だったの。帝都防衛の為には、真宮寺家の力は絶対に必要な物だったし、ハインツはまだ降魔を受け継いではいなかった。シュトックハウゼンの降魔を倒すために大佐を派遣するという事は、日本を見捨てて独逸を助けるという事に発展する微妙な問題なの」
「そう……なんですか」
「さつきさんは、ハインツを哀れに思って、当主を説得しようとしたけどムダだったわ。そうこうしている間に、ハインツとさつきさんは恋に落ちた。さつきさんは、大佐が独逸へ行けないのならば自分が行くと言い出した。さつきさんもまた、大佐に次ぐ高い霊力の持ち主で、大佐が帝都を防衛する間の仙台の護りの要として、すでに将来を決められていたの。そんな真宮寺家への反発も少なからず
あったのでしょうね」
 かえでは少し苦笑いをした。
「もちろん、周囲は反対したわ。特に当主の桂さんは二人の仲を絶対に認めないとおっしゃってね。一門の者もそれに同調した。さつきさんはますます反発した結果、真宮寺家の全てを捨てて独逸へ渡った。その前日、大佐は二人の仲を認めて、さつきさんに小柄を渡したの。真宮寺家はさつきさんを勘当して、死んだものとして扱ったわ。そして、さつきさんもまた真宮寺姓を捨て、シュトックハウ
ゼン家へ渡った。でも、降魔祓いは失敗した。やがてクリスが生まれて、ハインツはクリスを次代だと宣言した。さつきさんは本家を離れ、ベルリンで二歳の子供と共に生活を始めた」
「次代だと宣言って……そんな事分かるんですか?」
「そうらしいわね。そして、クリスの「次代」はレ二、あなたよ」
 視線がレ二に集中した。レ二は少し驚いたようにかえでを見た。
「ボクが?」
「ええ。……クリスはその事をひた隠しにしたわ。もしもこの事が公になったら、ルドルフはレ二を引き取って、飼い馴らして自分の命令をよく聞く人形に教育して、クリスを殺したでしょうね。彼にとってクリスは目の上のコブだったけど、クリスは次代が決定していない事や彼女自身の才能を失う訳にはいかないという事で自分の身を守っていたわ」
 レ二は手を強く握り締めた。今まで信じてきた事が、今日一日で二転三転していった。もう何を聞いても怖くない。そんな気がした。
「話が逸れたわね。さつきさんがシュトックハウゼン家を出て暮らすのは何の問題もなかった。むしろハインツは日本へ帰るよう何度も説得したらしいわ。でも、さつきさんは首を縦に振らなかった。
次代の依代であるクリスはどうあっても独逸を出国する事はできない。自分が帰ったらクリスは一生この本家の檻から出られないだろう。だから自分が市井で育てる。この子ならきっと呪いを解いてくれるに違いないから、と。ハインツはとうとう折れて、外で生活する事を認めた。彼女達の後ろ盾と監視のために、彼は自分の妹夫婦を派遣した。それが、ミルヒシュトラーセ夫妻……レ二の両親よ」
 そこまで語った時、黒子が屋根裏から降って来て、かえでに耳打ちした。
「クリスが目覚めたそうよ」

<3>

 全員で医務室へ向かうと、クリスがベッドの上で上体を起こして、さっき築地にいた夢組の一人となにやら話しをしていた。
 入ってきたかえで達に気付くと、夢組の女性は会釈をして医務室を出て行った。
 クリスはうつむいたまま、入ってきたみんなを見ようともしなかった。その姿は、死刑判決を待つ囚人のようにも見えた。
「クリスくん。話はかえでさんから聞いたよ。今まで大変だったね」
 思いもかけない大神のいたわりの言葉に、クリスは反射的に顔を上げた。
 そしてそこにレ二の姿を認めると、恐怖に顔をひきつらせて膝に顔をうずめた。
「レ二を、私の目の届かない所へやってくれ! 早く!」
「分かったわ。……レ二」
「了解」
 レ二は無表情のまま、クリスに背を向けて医務室を出た。
 医務室のドアが閉まる音を確認すると、クリスはゆっくりと顔を上げて、自嘲気味に髪をかきあげた。
「最低だな、私は……」
「クリスくん。話はレ二とかえでさんから聞いたよ。でも、まだ腑に落ちない点がいくつかあるんだ。辛いかもしれないけどきみの話も聞かせて欲しい」
 クリスはかえでを見た。妙にすっきりした顔のかえでは、クリスに向かって微笑んだ。
「レ二は全てを思い出したわ。そして、それを大神くん達にも話した。私はシュトックハウゼンの呪いからご両親のなれそめまでを話したわ。その間も、あなたが変化した所を見た後も、大神くん達の口から「化け物」という単語や、あなたを非難するような声は一言も出なかったわよ。だから、安心してちょうだい」
「なんや、クリスはん。うちらが「化け物」って言うと思うとったんか?」
 紅蘭が驚いた。全人格を否定する言葉を吐かれるのではないか、と恐れていたのでは、降魔の事を言い出せなかったのにも頷けた。
「そのような暴言を吐くとお思い? わたくし達を見くびっていただいては困りますわ」
「……ありがとう、みんな」
 クリスは顔を上げて、頑張って微笑んだ。
「分かっている。私は化け物だ。誰が否定したって、新月が近づいて月の霊力を借りられなくなってくると、発作的にあんな風になってしまう。分かっているんだ。分かっているけど、それを他人に面と向かって言われるのは、辛い。……仲間に、友達に言われるのは特にね」
「クリス……」
 織姫は何とも言い難い顔をした。
 クリスはうつむいたまま語り始めた。今まで無理やり蓋をしてきた思い出を掘り起こしていた。
「あの日……あの日、私はレーラー先生の許で次の発表会のためのレッスンを受けていた。「アメージング・グレース」の一節を歌っていたのは覚えているが、後は何も覚えていない。
気がついたらベッドの上で、歌った日から十日も経っていた。気を失っている間に夢を見た。魔物が母さんを殺すんだ。私は駆け寄ったけど間に合わなくて、気がついたら魔物が私になっていた。私は母さんの死体を上から見下ろして、笑うんだ。
目覚めて、そこに夫人がいて、夢の話をしたら一瞬痛そうな顔をした。私はその顔が気になって母さんはどこだと問い質した。夫人は口ごもっていたけど、最後には亡くなった事を教えてくれて、形見だと言ってこの小柄を渡してくれた。私は、自分が殺したかのような錯覚にとらわれて、自分は違うんだと主張し続けた。……悲しくて、苦しくてやるせなかった。
母が亡くなり、私はミルヒシュトラーセ夫妻に引き取られた。自分の家を引き払い、見なれた隣に住むようになった。そんな折、ある日突然二階の奥の部屋へは入れてくれなくなった。今までは断りも無く入り込んでいたのに、出入り禁止を言い渡された。訳を聞いても教えてはくれなくて、私はとてもむきになった。入れてくれないなら入ってやろうと居間から二階へ上がろうとする私を、彼らは少し強引に引き止めた。その時、私の心に黒いモノが生まれた」
 クリスは無意識のうちに、小柄を握り締めた。
「目の前が真っ暗になった。母さんが死んで、私にはここしか居場所がない。それなのに、優しかった夫妻に冷たくされた事がひどくショックで、私は言ってはならない事を叫んだ。『みんな大嫌いだ。死んでしまえ!』……その願いは、すぐに現実のものとなった」
 いっそう強く握り締めた指は、血の気を失い白くなっていた。
「その瞬間を、私は覚えていない。彼らの悲鳴や物が壊れるような音を聞いたような気がするけど、わからない。ただ気がついたら真っ赤で!」
 クリスは膝に顔をうずめた。大神はそっとクリスの背中をなでた。薄い病衣の下の背中は驚くほど細く、さっき夢組につけられたのだろう、降魔封じの魔法陣の跡が手の下に感じられた。それがクリスの背負ってきた「荷物」の象徴のように思えた。
 クリスは顔を上げた。その顔に血の気は無く、目はただ虚空を見つめるばかりだった。
「その時は、心が麻痺したように何も感じなくて、どうして絨毯が赤いんだろうとか、どうして変な方向に曲がってるんだろうとか、そんな事を考えていた。
物音がして振り返ると、そこにレ二がいて、ドアのところだけが日常だったから、逆に私は冷静さを少し取り戻した。ドアの脇には、見た事もない化け物がいた。化け物はレ二に爪を振り上げて、襲いかかろうとしていた。私は思わず駆け寄った。爪にしがみついて、消えろって叫んだ。そうしたら、消えたんだ。私は本当に消えるなんて思わなかった。私もレ二も、ここで死ぬんだ。あんな風になるんだって思ったのに、消えたんだ。そうしたら、耳の奥から声が聞こえた。『お前が望んだ結末だ。何を嘆く?』……私は、今でも覚えている。あの時、私は本気で人を憎んだ。私に優しくしてくれないなら、いなくなってしまえって、思った。真っ赤に染まった自分の手を見ると、怖くてたまらなくなった。レ二は、私を恐怖と嫌悪の目で見て叫んだ。『来ないで! 父さんと母さんを返して、化け物!』
そして、レ二は霊力を発現させた。私はただ、レ二を抱きしめる事しかできなかった」
 辺りに沈黙が降り立った。誰も何も言えず、ただ視線が集中する中クリスは続けた。
「そして、私はシュトックハウゼン本家へ引き取られた。時間が経つにつれていろんな感情が戻ってきて、毎日泣いた。泣きながら目覚めて泣きつかれて眠る。そのくり返しだった。あの家に返してくれと泣きながら駄々をこねる私に、エセルバートーー私つきの執事がとうとう折れて、周囲の目を盗んで連れていってくれた。
辿りついたその場所には、全てを忘れたかのように新しい建物が立てられていた。知らない家族が、ここに住むんだって明るい声を上げていた。呆然と立ち尽くす私に、後ろから母さんの写真家仲間が声をかけた。……泣き続ける間に髪は金色に変わってしまったのに、よく見つけてくれたと今でも不思議に思うよ」
 クリスは自分の髪をつまんだ。しばらくまじまじと見ていたが、やがてまた語り出した。
「彼は労わりの声をかけてくれて、あのアルバムを渡してくれた。そこで、母さん達の顔をようやく思い出したんだ。
本家へ帰った後も、私はアルバムを抱えて泣いていたが、少しは他を見る余裕が生まれた。窓の外は林になっていて、初めて庭に出たんだ。木漏れ日が眩しくて、目の奥が真っ白で、最後にレ二を抱きしめた時の光によく似ていて……レ二はまだ生きている事を思い出した」
 クリスがレ二を初めて訪ねるまでの二ヶ月間は、クリス自身が立ち直るための期間でもあったのだ。クリスはただ小柄を握り締めたまま、一つ息をつくと先を続けた。
「私は執事にレ二の所在を聞いた。すると、ブルーメンブラッドの研究所に連れて行かれた。そこでレ二は、すでに心を閉ざした後だった。
私はすぐに叔父にかけあった。こんな事はもうやめてくれって言ったけど、聞き入れてはもらえなかった。私はただの十三歳の小娘で、周囲から当主として見てもらえなかった。私は降魔の『器』であればそれでいい、その辺で綺麗な服でも着て笑って言う事を聞けばそれでいい。何も悩む事はない。
そう言う叔父の言葉を聞き入れちゃいけない。そう思った。そして、私は周囲に認められるために、ヴァックストゥームをやめさせる力を得るために霊子力学の研究を始めた。私が他人に誇れる「力」はそれしかなかったから。……後は、ご存知の通りだよ」
 クリスはベッドの背もたれに背中を預けると、うつむいて黙り込んだ。
 かえでは水の入ったコップを手渡した。長く語って疲れたのだろう。クリスは水を一気に飲み干すと一息ついた。青白い顔色に、少しだけ顔色に生気が戻ったようだった。
 そんなクリスに、あと一点だけどうしても聞いておかなければならない事があった。
「クリスくん。あと一点だけ聞かせてくれ。どうして呪術の研究に手を出したんだい?」
 大神の言葉に、クリスはいやな顔をした。
「それは……興味があったからだよ。シュトックハウゼン家は魔術師の家系だし、呪術を霊子力学に活かせないかと思ってね」
 クリスはさらりと言った。そのままごまかしてしまいそうなクリスに、かえでは厳しい声をかけた。
「あなたがそんな理由で、危ない橋を渡るはずがないでしょう? あなたの呪術研究を調べさせてもらったわ。あなたの事だもの。呪術を本気でやろうと思ったら、基礎から応用までしっかりと自分のものとするはず。
でも、あなたは降魔の憑依術のみを極めて、他の分野には見向きもしなかった。……あなたはこの術で、自分と降魔の憑依状態を完璧な物にするつもりだったのね?」
「そんな! そんな事をしたらきみは……」
 クリスは観念したように手を振った。みなまで言うなというように手を振ると、感心したようにかえでを見た。
「それにしても、よく調べたな。呪術に関しては、ほとんどの資料を破棄させたのに」
「帝撃の諜報機関を甘く見ないでね」
 クリスは肩をすくめた。いたずらがばれた子供のような顔をすると、諦めたように語り始めた。
「私は、どんな手段を使っても両親の遺志を継ぐ」
 その言葉には、強い決意がにじみ出ていた。
「帝国華撃団は優秀だな。二年前には黒之巣会と葵叉丹の脅威を退け、黒鬼会との戦いでは連戦連勝の快進撃だ。私が呼び出した降魔もあっさりと退けられたし、生身の戦いも見事だった。これならば、制御を失った「白い降魔」だって退けられるだろうさ」
「クリスくん、まさか……」
 大神の声に、クリスはきっぱりと言い放った。
「私は帝都へ死ぬために来たんだ。降魔を倒す技術を得る。ブルーメンブラッドが解散した後はそのために霊子力学を発展・進化させたんだ。その集大成が今、帝都にある。……本当ならば、帝都へきたその日の夜に術を執行するつもりだったんだが、私も甘いな。レ二の明るい顔を見たら、あと一ヶ月だけ生きたくなった。次の満月までなら保つと思ってたんだが、予想以上に霊力の消耗が激しかったようだ」
「そんな事を考えていたのかい? 君は!  そんな事をしてはいけない! 残された者の悲しみは、どうすればいいんだ?」
 大神は怒鳴った。そんな大神に、クリスはきっぱりと反論した。
「残された者が悲しいのは、残した者を愛していたからだ。残した者に何の感情もなければ、別れも辛くはないだろう?」
「じゃあ、最初私達を拒否していたのは……」
「私はもうすぐあなたたちに殺されますが、愛してください、友達になってくださいなんて、口が裂けても言えないさ。……まぁ、結局差し出された手を取っちゃったけどね」
 かえでは、まるで何でもない事を語るようなクリスの頬を叩いた。
 その目には、はっきりとした憤りの色が浮かんでいた。
「かえでさん!」
「自己犠牲なんて、許さないわ。あなたはそれで、本当に満足なの? 女の子らしい幸せも何もかもなげうって、それがあなたの本当の望みだとでも言うの? 大神くん達と打ち解けたあなたは、本当に幸せそうだった。あなたはその幸せを手にする資格があるわ。そのための障害を取り除くために、みんなの力を使って頂戴」
 クリスはかえでを見返すと、ひどく興奮して叫んだ。
「私のせいなんだ! 私が彼らを憎まなければ、私がミルヒシュトラーセ家に引き取られなければ! レ二はヴァックストゥームなんかに関わり合いにならずに済んだんだ! ジェイコブさんとリーリエさんの元で、幸せに生きられたんだ! 私さえいなければ!」
 クリスの目から涙が流れた。それを袖口で押さえて目を閉じると、深く息をついた。今まで何度か見てきたあの深呼吸だ。何度、そうして涙を飲み込んできたのだろうか。
目を開いたクリスの目から涙は消え、少しだけ元気のない声で静かに語った。
「……母さんが死んで、シュトックハウゼン本家に引き取られるのは私一人のはずだった。リーリエさんが私たちの後ろ盾を引き受けたのは、あの家から完全に独立するための条件だったんだ。あの家に、レ二を関わらせないために、側にいてくれただけだったのに……。私には幸せになる資格なんてない。せめて罪の償いだけでもしなければ、あの世で合わせる顔がない……」
マリアは一歩前へ出た。ロシア革命時、最愛の隊長を目の前で失って、失意のままニューヨークで苦しむために生きていた頃の彼女とクリスの姿がだぶって見えた。
「クリスさん。あなたのご両親は、確かに降魔の呪いが終わる事を望んだと思うわ。でも、それはあなたに幸せになって欲しかったからよ」
 そう言うと、マリアはクリスの手を取った。握り締めた指は冷たくて、ロシアの冬を思い起こさせた。
「ロシア革命の時、私の判断ミスで最愛の隊長を失ったわ。私は自分を責めた。あの時援護をためらわなければ、隊長は死なずに済んだ。あの時に死ぬべきだったのは自分だったのにって。あの人を失って、何かが私の時間を止めてくれるその日まで、苦しみの中で生きる事が償いになると思って生きていたわ。レ二のために生きようとしたあなたに比べたら、私は弱虫ね」
 クリスはただ黙ってうつむいて、マリアの話に耳を傾けていた。
「私はそのまま、苦しみの中で死ぬ事を望んだわ。でもそれは違う。このまま何もせずに死ぬのは、彼の死を無駄にする事だって言ってくれた人がいたの。そして、私は心から隊長に向き合った。
あの人が何を思い、何のために戦っていたのか、理解しようとした。そして悟ったの。このまま何もせず、ただ死を待つのは違う。生きて、何かを成し遂げる事こそ償いになる。そう思ったわ。だから、私は帝国華撃団に入った」
「マリア……」
 クリスは顔を上げて、マリアを見た。マリアは、悩んでいる様子のクリスに微笑んだ。
「あなたは、自分が幸せになる資格なんてない。そう言っていたけれど、そんな事はないわ。私はあの時、生きて何かをする決心をした。そして今、この帝劇でとても幸せよ。だから、あなたにも生きる決心をして欲しい。そのために、私たちは助力を惜しまないわ。たくさんの人達が私を救ってくれたように、今度はあなたを助けたいの」
 自分と同じように、愛する人を自分のせいで失い、その苦境から立ち上がったマリアの言葉には、真実の重さがあった。マリアが立ち直り、幸せを手に入れられたのなら、自分にもそれが可能かも知れない。
 そう思ったが、そのためには最大の障害を取り除かなければならない。その自信がクリスにはなかった。
「でも……どうすればいいんだ!? 降魔の力は日に日に大きくなっていくのが分かる。反比例するように私の霊力は弱まっている。今回元に戻れたのは奇跡だ。次はない。……私にはもう、レ二が獲物にしか見えないのに」
「ボクが囮になる」
「レ二!」
 振り返ると、出て行ったはずのレ二がドアの前に立っていた。一旦外へ出たレ二は、ドアを閉めた後もう一度ドアを開けて、クリスの話を全て聞いていた。
 レ二はひどく真剣な顔で繰り返した。
「ボクが囮になって、クリスから出てきた所を叩けばいい。降魔の次の狙いはぼくだ」
 レ二の提案に、クリスは激しく頭を振った。
「だめだ! 私は反対だ。もしも失敗したらどうする? お前は私の八年間を無駄にするつもりか?」
 凄い剣幕で否定するクリスに、レ二は真っ向から向き合った。
「成功したら? 成功したら、クリスの八年間は本当の意味で報われるんだ」
「レ二……でもだめだ。そんな危険な事、させられない。母さんは降魔を迎え撃って死んだんだ。その二の舞になったらどうする?」
「二の舞になんかさせない! クリスくんもレ二も、二人とも守ってみせる!」
 大神が叫んだ。その目には、強い意思が込められていた。
 その意思に呼応するように、花組のみんながクリスを励ました。
「そうだぜ。お前はあたい達の仲間なんだ。いい加減自覚しろよ」
 クリスの肩を力強く叩くカンナの隣で、紅蘭がやさしく微笑んだ。
「うちらがついとる。うちらと光武があれば、勝算は十分あるで」
「わたくしたちが降魔ごときに負けるとでもおっしゃりたいの?」
 少し怒ったようなすみれの言葉に、織姫が力強く頷いた。
「あの程度の降魔なんか、わたしたちの手にかかれば問題ナッシングでーす!」
「全ての元凶は降魔よ。あなたじゃないわ」
 労わるようなマリアの言葉に、さくらは頷いた。
「そうですよ。クリスさん、もう一人で苦しまないでください」
「アイリス、お友達をいじめるやつはゆるせないよ」
 アイリスはジャンポールを抱きしめながら言った。
「みんな……」
 みんなの言葉に力を得たように、レ二は力強く言った。
「クリス……ボクはもう一人じゃない。信頼できる仲間がついていてくれる。もうクリスが全てを背負い込む必要はないんだ。ボクたちを信じて」
 みんなの言葉を受け止めてしばらくの間うつむいていたクリスは、決心したようにゆっくりと顔を上げて、おずおずと右手を大神に差し出した。
「助……けて」
 クリスは大神の目を見据えて言った。今までずっと蓋をして押し込めていた気持ちが口をついて出た。これを口にしたら、もう後には戻れない。でも、一度はけ口を見つけた思いは止まらなかった。
「死にたくない。死ぬのは怖い、嫌なんだ。助けて……ほしい」
「もちろんだ!」
 クリスの震える手を、大神はしっかりと握った。

<4>

 医務室での一件の後、大神達の行動は素早かった。
 早急に作戦が立案され、それはすぐに米田司令の承認を得て、各方面が慌しく動き始めた。
 クリスの霊力を考えると作戦の開始は早ければ早いほど良く、作業は急ピッチで進められた。
 一番面食らったのはクリスで、今までの停滞ぶりからは考えられないくらいのスピードで進む展開についていけず、しばらくふらふらしていたようだったが、とりあえず紅蘭の後にくっついて作戦の準備を手伝っていた。
 全ては、流れるように順調に進んでいった。

 作戦開始一時間前に大神はいつものように帝劇内を見まわっていた。
 大きな作戦開始直前には、花組隊員達も緊張している事が多いので、それを解きほぐすのも大神の大切な仕事の一つだった。
 音楽室の前を通った時、中から歌声が聞こえてきて大神は足を止めた。
 中を覗くと、クリスが音楽室の中央で椅子に座って知らない歌を口ずさんでいた。
「やあ、クリスくん。どうしたんだい?」
「やる事がないから歌ってる。……大神少尉は出撃の準備をしなくてもいいのか?」
「ああ。みんながどうしてるのか気になってね。」
「へえ。大変だな」
 少し元気のない返事が返ってきた。
「何か、心配事でもあるのかい? 俺で良ければ話してくれないか?」
「おせっかい」
「はは。性分だよ」
「この戦いが終わったら、私はどうしようかと思ってね」
「え?」
「失敗したらとても楽だ。何も考える事はない。レ二に降魔が乗り移った後も、奴が私に戻ってきた時も、生きているつもりは毛頭ない。今だって精一杯なんだ」
「……」
 大神は黙って先を促した。
「だけど、もしも成功したら? 成功して、レ二にも私にも、他の誰にも奴が乗り移らずに倒す事ができたら? その後、私はどうすればいいんだろう? 五年先、十年先の私なんて考えた事もなかったから、少し戸惑っている」
 クリスは片膝を立てて頬杖をついた。今までずっと償いのためだけに生きてきただけに、突然終着点の向こうにも道があると言われて戸惑っているのだろう。大神は少し考えた。
「研究は? かえでさんも紅蘭も誉めてたよ。霊子力学をここまで理解している人は他にはいないって」
「霊子力学は、霊力を必要とするんだ。確かに花組ほどハードルは高くないが、この作戦終了時に私の霊力がどれくらい残るのかはっきり言って分からない。研究ができなくなって落胆するのは嫌だから、それ以外で何かできないか考えていたんだが、面白いくらい何も思い浮かばない」
 クリスはひょいと肩をすくめた。
「まあ、今までの特許権使用料があるから、今すぐ食うに困るって事はないんだが……」
 それだけを言うと、クリスは窓の外を見た。その背中に一抹の寂しさを感じて、大神は歌の事を思い出した。
「クリスくん、歌を歌ってもらえないかな? きみの歌を聴きたい」
 クリスは少し驚いて大神を見た。
「へえ。……リクエストは?」
「きみが今歌いたい歌を」
 了解、と小さく言うと、クリスは立ち上がり歌い始めた。


春にかすむ 東の空
凪いだ雲が 紅に光
彼方臨む 山の端も
こがねいろへと

単純なメロディーに乗った澄んだ声が辺りに響いた。昔からある、四季の景色を謳った有名な歌だ。おそらく、さつきが故郷の仙台や帝都を想って歌っていたのだろう。
クリスの声は澄んでいた。以前聞いた時も悲しいまでに美しい声だと思ったが、改めて聴くと切ない思いが胸の中に重く響いた。独逸で、さつきははこの歌をどんな思いで歌ったのだろうか。そして、クリスはどんな思いで聞いていたのだろうか。
そんな事を考えていると、ピアノの音が響いた。突然の伴奏に驚いて振り返ったその先で、織姫がピアノを弾いていた。思わず歌をやめると、織姫も手を休めた。
「織姫……」
「ワタシ、アナタのことを誤解していました。クリスがなにを思っていたかなんて、ワタシは考えようともしなかったです。ただ表面に見える事で判断して、あなたにずいぶんヒドイ事を言いました。……ソーリーでーす」
 クリスはしゅんとした織姫の様子に、やがて微笑んだ。
「私を憎んだ人は多い。だけど、それを後悔して謝ってくれた人は少ない。ありがとう、織姫」
「そ、そこで礼を言われるのはヘンなカンジ。……さ、続けるでーす。曲はまだまだ続きますよ」
 クリスは少し首をかしげた。
「織姫……この曲知ってるのか?」
 織姫は少し自慢げに胸を張った。
「以前楽譜の整理をしてた時に、この曲の楽譜を見つけまシタ。きっと、何かが引き合わせたのでショウ。だから、ミョーな心配せずに、いきますよ」
 クリスは軽く頷いた。


夏の夜は 蛍が舞い
黒い空を ひかり きえて
ひとひらだけ はぐれ光
この手の中に

 間奏が流れ、歌が始まった。それに合わせて、今度はバイオリンの音が響いた。
 レ二が弾くその音に一瞬驚いて視線を交わしたが、少し微笑んでそのまま続けた。
 三人の音が混ざり合い、美しいメロディとなって帝劇に響き渡った。


秋はやがて 暮れゆく空
楽しき日を 黄金(きん)に染めて
朱(あけ)に 青に 紺に 黒に
やがて 闇へと

冬は雪が全て閉ざし
帰る道も 白く染めて
見渡す道 人の波は
東へ 西へ」

 いつのまにか、花組のみんなが集まっていた。音楽室に揃ってクリス達のセッションに耳を澄ませた。
 花組だけでなく、かすみや由里やつぼみ、米田支配人やかえでも顔を出し、音楽室にはたくさんの人達が集まっていた。


あれは過ぎた 遠き日々よ
遠き空を夢見た日よ
日々は 巡り やがて 空は
さくらいろへと

日々は 巡り やがて 空は
さくらいろへと」


 後奏が終わり一礼した三人に、いつのまにか黒子まで集まって盛大に拍手をした。
「ねえねえ、もう終わりなの? アイリスもっと聞きたーい!」
 アイリスがだだをこねた。そんな様子に、織姫は指を鳴らした。
「そうです! 帰ってきたら三人でセッションするでーす。きっと素晴らしい物になりますよ」
「そうだね」
「セッションか……いいね」
 クリスは心からそう思った。いつも一人で歌っていた。誰かが伴奏をしてくれて、「聴きたい」と言ってくれる人の前で歌うのは八年ぶりだった。今まで自分のためばかり歌っていたが、こんな風に誰かのために歌うのはこんなにも嬉しい事なのだと改めて思った。
「大神少尉。未来の事はわからない。けどまず、帰ったら三人でセッションをしたい」
「ああ。期待しているよ」
 大神は心から言った。織姫はちょっと笑うと、大神達の背中を押して音楽室から追い出した。
「それじゃあ早速、曲目を考えて少し音合わせをするです。ですから、皆さんは少し席をはずすがいいでーす」
「分かったよ。それじゃあ、作戦開始時間に遅れないようにね」
「了解」

「大体こんなカンジでオッケーですね」
「うん」
 知っている曲をつき合わせて、簡単な演出も付け加えながら進行表は完成した。軽く口ずさんでいるクリスをさえぎって、織姫は真剣な顔でレ二とクリスを見た。
「レ二、クリス。ワタシ、このセッションは絶対に成功させたいです。誰か一人欠けてもこれは成功しません。絶対に生きて帰りましょうね」
「……ああ。ここまできて諦めるものか」
 クリスが強く頷いた時、ドアをノックする音と一緒に紅蘭が顔を出した。
「話の最中やけど、ちょっとええか?」
「紅蘭。何か用?」
「例のアレの最終調整をしたいねんけど、クリスはんええか?」
 作戦準備のために昨夜から寝ていないはずの紅蘭だったが、疲労の色は微塵も見せず、とても元気そうだった。
「ああ。……それじゃ」
「また後で」
 連れだって出て行く二人を見送って、レ二はふと思いついた。
「織姫。このプログラムの後に、少し付け加えたいんだけど……」
 レ二は織姫にアイデアを伝えた。結局、作戦開始直前まで二人は内緒の計画を練っていた。



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次回予告

全ての物語には終わりがある。
怒りも、憎しみも、悲しみも、喜びも、そして愛情も
全ては瞳の奥を灼くような白い光へ融けていく。
だけど……
次回 「親愛なるきみへ 最終話
________________羽根と共に去りぬ」

太正櫻に浪漫の嵐!
心から笑えた時間を、ありがとう

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