夜襲
「旅團長! 増援です!」
待望の一報が米田にもたらされたのは、その日の二〇時三〇分のことであった。
「どこの部隊か?」
「小倉師団です」
「井上だな。よし、師団司令部にいくぞ」
米田は、とりあえずの指揮を副旅團長に委譲すると、到着した小倉師団こと第一二師団司令部へとむかった。今後の作戦打ち合わせのためだ。
同師団の師団長である井上光中将の話では、移動路上にロシア軍が存在したため、その排除に手間取ったとのことだったが、損害事態は軽微だったのが幸いだ。
もちろん、増援が来たからといって米田旅團が第一線を外れることなどできない。引き続き前線に留まるため、第一二師団と担当区域や陣地配置などについて、打ち合わせをする。
もっとも、実際には、上級司令部(このば場合は、第一軍司令部)から命令は出ているから、確認と、現場レベルでの擦り合わせといったところだ。
であるから、一刻も無駄にできぬ最前線のこと、手早く終わらせて解散となる。しかし、米田は席をたとうとする井上を呼び止め、ある一つの注文を出した。
「それは…………なるほど。おもしろいですな」
井上は驚きながらも承認する。
だが、米田の提案に驚かされることになったのは、彼だけではなかった。
「はっ? もう一度お願いできますか?」
部隊の整理・移動・展開をこなして旅團司令部に戻ってきた一馬は、米田の言葉を聞くなり、すっとんきょうな声をあげる。
「聞こえなかったか? 今夜、我が旅團の全戦力をもって夜襲を敢行する」
「この状態でですか!」
戦力的な損失をひとまず置いたとしても、退却行動から数えればもう丸一日以上、作戦行動を続けていることとなる。しかも、劣勢な状況下での戦闘を長時間に渡って強いられたのだから、消耗も激しい。
「明日以降も戦闘は継続します。ここで無理をしては、兵が持ちません!」
一馬の意見は居並ぶ幕僚、指揮官達の意見でもある。というよりも百人いたら九十九人が同じ意見だろう。
だが、問題なのは、人と違うたった一人が旅團の指揮官ということだった。
「なんでぇなんでぇ。どいつもこいつも、わかっちゃいねぇなぁ!」
米田はやや芝居ががった仕種で首を横に振った。
「ここで休息をとらせてみろ。やつら敵の攻撃をうけたって泥のように眠り込んで起きてきやしねぇぞ」
それはいささか誇大な表現だが、十分な休息がとれぬまま翌朝の攻勢をうけねばならないのは、その通りであろう。
「だからといって、夜襲をかけたところで、疲労が増すばかりで事態は悪化します!」
初めての最前線での指揮という興奮が一馬には残っているようだ。
「おい、一馬。戦争をやってのは誰でぇ?」
だが、米田は落ち着いたものだ。
「そ、それは人間です」
「だろうが。それだったら、算術みてぇに戦争を考えるんじゃねぇ。人間的にかんげーてみろ!」
といわれても、何の事やら、一馬を含めた居並ぶ幕僚には理解できない。
「いいか。人間てぇもんは、ある程度まで疲労の頂点に達する。それが“壁”だ。だが、この“壁”を越えちめぇば、一気に突っ走っていけちまう!」
夜襲を行う事で、旅團ごと無理矢理にでも“壁”を乗り越えようというのだ。全てが嘘というわけではないが、かなり強引な理論である。
「米田旅團長のおっしゃることは、わからないではありませんが、無茶がすぎます」
「無茶だと?」
米田は呆れて見せた。
「おいおい。今更なに言ってやがんでぃ。この戦争をおっぱじめちまったのが、最大の無茶じゃねぇか。なら、俺らは無茶に無茶を重ねなきゃ、勝てねーよ」
それこそ、無茶苦茶な台詞だ。
だが、これは多かれ少なかれ、ほとんどの将兵が抱いていることであったから、だれも反論できなかった。
「正式に命令する。本旅団は、今夜0時、全戦力でもって夜襲を敢行する!」
☆
暗がりの中、一馬は何度も時計を確認した。
まだ10分ある。
さっき時計を見た時からまだ1分もたっていない。
(落着かなくては……)
ふと傍らの米田を見れば、微動だにせず敵陣を見つめている。かといって、気負った雰囲気もない。
泰然自若というのはこういうことを言うのだろう。
「時間だ。進撃開始!」
時計を確認もせずに、しかし、正確に零時丁度に米田が命じた。
旅團全軍は静かに闇の中を動き出す。
「………」
誰もが無言。金具が擦れる音と、僅かな靴音だけが聞こえる。
(なんという緊張感だ!)
夜襲を初体験する一馬は、そのあまりの重圧に悲鳴をあげそうになっていた。
だが、その緊張が疲れを感じさせなくしているのも確かだ。
(まいったな。米田中将のいった通りだ)
今まで何人もの上官にあってきたが、この将軍はとびきりである。
部下を引き付ける統率力。上官にも直言する勇気。そして、類いまれなる判断力とそれを実行する決断力。
帝國陸軍でも五本の指に入る指揮官であろう。
もっとも、馬鹿に馬鹿と言わずにおれないから、出世はできそうにないが。
(この人ならば……)
たった一家となった裏御三家。
他方、都市部の開発が進むことで、古来よりの霊的防御は弱まる一方である。
このままでは、やがて降魔から日本を守りきれなくなるだろう。
一馬が陸軍士官となったのも、その“ジリ貧”から脱出するために近代軍事組織を利用できないかと考えたからであった。
そして、米田ならば、それを成し遂げてくれるやもしれない。
(しかし、いずれにしても、この作戦を終わらせなくてはいけないな)
既に予定の線まで前線した旅團は、地面を這うようにして匍匐前進を続けていた。
だが、それも長くは続かない。
「!!」
一発の銃声が響いた。
どこかで、誰かが発見され、ロシア軍歩哨の射撃を受けたのだろう。
一瞬後、今まで兵隊達とともに地面に伏せていた米田は立ちあがり、指揮刀を前方へと突き出した。
「突撃ぃ!!」
喇叭手が突撃喇叭を吹く。
それを合図に、旅団は蛮声のような鬨の声をあげ攻撃を開始する。
「切り込め! やれ!」
米田は銃火をものともせずに仁王立ちし、声を掛け続ける。
しかし、今回は自ら戦闘に参加することはない。
もちろん、命が惜しいわけなどではない。ただでさえ乱戦となる夜戦において、少しでも正確に戦況を把握するためだ。
「よし、そのまま押せ! 同士討ちにだけ気をつけろ!」
夜襲は、第二次大戦に至るまで日本軍の十八番である。逆に、ロシア軍は、伝統的といっていい程、夜戦には弱かった。
ここで、やや本題から外れるが、この事について解説しておく必要があるだろう。なぜならば、それがロシア軍と日本軍の違いのみならず、この戦争における両軍の立場をも明確に示す事になるからだ。
まず、夜襲というものに触れておく。
通常の戦闘ならば、接近する敵を発見し、それに対して砲撃なり射撃なりを加える。敵が陣地まで到達できたとしても、戦力は減ぜられているし、防御側には精神面も含めて準備を整えることができる。
しかし、夜襲というものは、陣地に到達するまでの過程が(成功すれば)全て省略される。気づいた時には、陣地に無償の敵がいるという事態になるのだ。
この時、防御側には何ら準備する猶予が与えられない。特に精神的なそれが最も大きな影響を戦況に与える。考えても見てほしい。物音に気づいて目を覚ますと、明らかに自分に対して殺意をもった人間が武装して傍らに立っていた時のことを。
パニックに陥った兵はもろい。通常の技量を発揮する事はできず、本来の判断力も失われることはいうまでもない。
そして、夜襲にはもう一つの特徴がある。乱戦になるということだ。
戦闘そのものが、極めて近距離において開始されるため、敵味方が入り乱れた状況になる。こうなると、砲撃や集中射撃による攻撃が不可能となるため、火力や兵力の寡多が埋まってしまう。
すなわち、夜襲とは、奇襲効果と乱戦とがその最大の特徴である。
では、その夜襲において、最も効果的に戦闘を行うためには、必要とされる事は何であるか。それは、慣れと下士官・兵の自己判断能力だ。
前者について、説明の必要はないだろうから、後者についてのみ筆を進める。
通常の戦闘では、兵士や下士官は、上官により命令を与えられ、それに従い行動することはいうまでもない。だから、兵や下士官は、戦場全体の情勢など把握せずとも、それなの働きをすることができる。
しかし、夜戦ではそうはいかない。
通信機器が未発達であり、かつ暗視装置もないこの時代。闇に散開した部隊を有機的に指揮運用するなど不可能である。
となれば、下士官や兵達は、自分たちで戦況を把握し、必要とされている行動を判断しなければならない。
ここで、日露両軍の下士官・兵について見るならば、その能力については日本軍の方が優れていた。これは、日本人が伝統的に教育熱心であり、それは下士官・兵においても列強の兵の平均以上の教育水準を保っていたことが大きい。
対して、ロシア軍の下士官・兵の水準は列強の中でも低かった。それは、ロシア軍の中では兵・下士官と士官の間に大きな一線――貴族かそうでないのかという差が存在したからである。
元来、貴族は平民や農奴達が自分の判断で行動することを嫌う。それは、軍隊という組織の中にあっても変わるものではない。彼ら貴族士官達は、下士官や兵に。半ば盲目的に従うことを要求した。そのため、下士官・兵の“自己判断能力”は奪われてしまったのである(ちなみに、この傾向はソ連邦成立後も変わらず、第二次大戦において数量的に劣る独軍に苦戦する要因となる)。
更にもう一つ、“士気”についても触れておく。
士気というものを簡単に言い換えるのであれば、『やる気』となるだろう。
つまり、士気が低下してくれば、戦闘力も低下するし、士気が崩壊すれば、兵達は逃げ出してしまう。逆に士気が高ければ、不利な戦況でも踏みとどまって戦い続ける。士気を維持するということが、軍隊統率上の大問題なのだ。
そして、そのためには幾つかの方法が存在するが、その一つに、今の戦闘が、意義あるものだと理解させることがある。その点においても。日露両軍兵士の差は大きかった。
日本軍の兵士達は、この戦争で日本が負けるようなこととなれば、日本という国家が近代国家としては消滅してしまうであろうと認識していた。彼らが日本を思い、家族を思い、あるいはまだ見ぬ子らを思うのであれば、戦場に踏みとどまらねばならないと理解していたのである。
一方、ロシア軍の兵士達は、なぜ、このような辺境に自分が送り込まれたかというの理解していなければ、そもそも日本がどこにあるのかすら知らないのである。
これでは、どちらの士気が高いかも一目瞭然だろう。
余談がすぎた。本題に戻ろう。
ともあれ、このような背景をもった夜襲であったから、戦況は圧倒的に日本軍有利である。
「旅団長。このままなら、ここを占領できるかもしれませんね」
一馬も、経験が浅いながらもよく戦況を把握している。
だが、米田から見れば、まだ思慮が足りない。
「馬鹿いってるんじゃねぇ。そろそろ引き上げるぞ」
「は?」
勝っているのに、後退をするという米田の言葉を、一馬は理解できなかった。
「おいおい。ここを占領したとしても、どうやって維持する気だ? 敵中に突出した少数部隊など、いい的だぞ。ましてや、防御陣地を構築する暇もないからな」
明るくなれば圧倒的優勢の露軍に押しつぶされてしまう。
「いったろう? この作戦は凸凹をつくらねーのが鍵だってな。このままじゃ俺たちが凸部になっちまうんだよ」
勝利に奢らず、回りを見極める。
重要な事だが、平時の仕事ですら、実際にできる人間は少ないだろう。
それを、このような極限状態で、当たり前のようにこなしている。
(なんという男だ)
激昂したり、怒声を発したり、あるいは酔っ払ってみたり。それら全てが、もしかしたら、演技なのかもしれない。
一馬にはそう思えてくるほどだ。
もっとも、米田は、そんなに器用な男ではない。
彼の言動は、どれも彼の本心から出ている行動だ。
ただ、指揮官としての天性の資質をもっており、それを戦闘という実体験を重ねる事で極限にまでに鍛え上げた結果である。
「全軍撤退! 元の陣地に戻るぞ。急げ!」
続く
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