第五話「血戦」(その12)


 大神とさくらは向かい合うようにして構えをとる。

「瞳に映る輝く星は!」
「みんなの明日を導く光!」
「今、その光を大いなる力に変えて!」
「破邪剣征・桜花乱舞!!」

 霊力の奔流が敵に──星条旗を付けた空母に向かっていく。



「大神閣下。お時間です」
「ん…ああ……もうか」

 従卒の周防に起こされた大神は頭を振って、意識をはっきりさせた。
 夜間中の作戦指示を下した後、仮眠をとっていたのだ。
 人によっては豪胆とも呑気とも言うだろうが、疲労が判断力を低下させることを大神はよく知っていた。

「あの頃みたいに若くないからな……」
「閣下?」
「ああ、いやなんでもない」

 思わず呟いた言葉をいぶかしんだ周防に苦笑を浮かべながらこたえる。
 それにしても、太正時代の戦いを思い出したあげく、それを米軍にぶつけるとは。

(やれやれ。追い詰まっちまってるな)

 まだ修行が足りないな。
 そんなことを思い出しながら、周防が差し出した紅茶を一気に飲み干した。

「よし、いくか」

 自らに気合をいれるようにして声をあげると、艦橋へと移動する。
 既に加山や源田も揃っていた。

「……今ひとつのようだな」

 報告を受ける前から、大神は周囲の空気を感じ取った。

「残念ながらな。夜戦部隊も会敵できていない」
「そうか。じゃあ、後退させたな?」

 加山は頷く。
 大神は、日の出までに敵艦隊を捕捉できる見込がなければ夜戦部隊を後退させて、再合流を目指すことを、予め指示していたのだ。
 なにせ、夜が明けてしまえば、米軍も航空攻撃が行える。戦艦などいい的でしかない。

「大神長官。戦闘機の発艦準備、完了しております」

 源田も指示通りに進めてきた事を報告する。

「よし。発艦可能になり次第、出撃。夜戦部隊の上空直衛からだ」

 艦隊が合流しきるまでは、前方、すなわちより近い場所にいる夜戦部隊に航空護衛をつける。もちろん、すぐに発艦させる後続機に自艦隊上空も直衛させる手筈だ。

「索敵計画は?」
「ここに」

 源田が扇形に飛行計画が記入されたチャートを示す。
 夜戦部隊が会敵できなかったことから、その方向を外し、予想される進路に密度が高くなるようにされている。

「よし、これでいこう」

 大神も一瞥するやそれを許可する。
 この司令部は互いの能力について信頼しあっており、大神が作戦の方向性を示しさえすれば、流れるように進行していく。
 もっとも、源田にしてみると、大神・加山で作戦の流れ自体が決められててしまい、しかも、それがよくできたもので、自分の出る幕がないことには不満だったのだが。

「『利根』『筑摩』に信号を送れ」

 この二艦は主砲を前方に集中させ、更に一基二門を減らしてまで航空兵装を強化した“航空巡洋艦”だ。原艦隊から分派したあと夜戦部隊には合流させず手元においたのは、こうして索敵機を出すためである。
 両艦の呉式二号五型射出機は、火薬式射出機特有の砲撃にも似た爆発音とともに、零式水上偵察機をニ機、零式水上観測機を四機ずつ、両艦合計で十機を射出した。
 設計上、利根型は一艦で合計六機を搭載することになっている。だが、開戦当初は実運用上、充分な空間を確保するために五機運用とされていた。これを索敵機の数はできるだけ多くすべきだという大神の考えにより六機に戻しており、通常の重巡と比較すれば三機、すなわち倍の航空機を搭載している。二艦でなら六機多いということになり、一機が扇形に十五度を担当するとなれば、九〇度分の索敵範囲を余計に持てる。その効果は大きい。
 他の艦艇は入れ替わっても、『利根』『筑摩』──第八戦隊が常に機動部隊の直衛戦隊となっているのは、これが理由だ。
 だが、この時は、それでもうまくはいかなかった。

「……まだ発見の報告はないのか」

 苛立ちを隠せない声で、加山が問うが、答えは否。

「もう折り返しですな」

 こちらも焦りを隠せない源田。
 各索敵機は扇の先端、すなわち最遠方に達しており、あとは帰路になる。

「逃げたな」

 大神はそう断言した。

「まだ、帰路に敵を発見する可能性はあります。あるいは、網をかいくぐったということも考えられます」

 一応、源田が航空参謀としての原則論を言う。

「ああ、わかってる。だが、敵の気配がなくなった」

 殺気にも通ずる刺すような空気が感じられないのだという。

「しかし、この状態で米軍が撤退するのか?」

 加山も疑問を呈した。
 自軍に残る空母は1隻。
 逆に米軍は無傷の空母を少なくとも1隻。場合によっては2隻いるだろうし、追い撃ちをかけることができなかったエセックス級空母も修理できて戦線復帰しているかもしれない。米軍が戦力的には有利であろうというのが、大神達の分析であった。

「こちらが苦しい時は、向こうも苦しい。あるいはこちらか向こうに誤認があるのか」

 大神は、戦場で最も難しいことの一つが、冷静な判断を下すということであることをよくわかっていた。だから、理屈通りには物事がすすまないことには何ら不思議な事とも思っていない。

「まあ、理屈をつけていうなら……」

 一方で加山は月組隊長であったように情報能力に長けている。それは、様々な情報を収集し、時には一見して無関係な情報を結びつけて分析し、現実を説明し予測する理論を構築していく作業でもある。

「米軍は現有戦力で、こちらの空母と基地航空隊を相手に長期間踏みとどまれる確証をなくしたのでしょう」

 米艦隊の任務は、増援となる輸送船団を護衛し、フィリピンに揚陸することである。
 少なくとも陸軍部隊と物資が全て地上に展開するまでは空母をこの海域に貼り付けて援護しなくてはならない。もし、米機動部隊が揚陸中に後退を余儀なくされれば、裸になった輸送船団は全滅しかねない。
 そこまで計算にいれると、このまま継戦することは危険が大きすぎると米軍は判断したのだろうと加山は推察した。

「乾坤一擲の戦いをするほど、アメさんは追い詰められていないというわけか」

 大神も納得する。
 大神の直感を加山が補い、あるいは加山の理論を大神が補う。
 やはり後代にまで語り継がれるだけの名コンビなだけはある。
 実際、加山の仮説はかなりの部分で当たっていた。
 この時の米軍は『エセックス』が離脱したため、残る空母は『ラングレイ』と『レンジャー』である。
 レンジャーは、米正規空母の中では小型で排水量一万四千五百トン。これは、日本軍でいうと『蒼龍』型とほぼ同等である(『瑞鶴』型は二万五千六百頓)。
 ラングレーに至っては、給炭艦ジュピターから1922年に改造されて完成した米海軍最初の空母で、一万一千トンとこれも小型だ。旧式化したことから1936年には水上機母艦に改造されていたのだが、空母不足から急遽、再改造され、発進補助用蒸気カタパルトを装備した上で戦線に加わっているというものだ。
 米空母は機体を露天係留(格納庫だけではなく飛行甲板上に直接係留する)しているため、このニ艦だけでも搭載機数は一一〇機を数える(『瑞鶴』は満載でも八四機)。
 しかし、日本側には基地航空隊が存在することと、小型空母であって損害許容度が低いことから、米艦隊は撤退を決意したのである。
 ちなみに、艦隊司令官であるハルゼーは攻撃続行を唱えていたのだが、地域を管轄する南太平洋方面司令官ゴームレー中将が撤退を命じた。
 ゴームレーは、米海軍としても稼働全空母をつぎ込んでおり、このままの攻撃継続はリスクが高すぎると判断したのである。
 日本側が考えている以上に、米の台所事情も苦しいのだ。

「それで、どうされますか?」

 念のためこの日一杯、そして、翌日も索敵活動を行った大神艦隊であったが、後退してしまった米艦隊を見つけることは、当然、できない。
 結局、この第二次フィリピン海戦で、米は空母『エセックス』が中破のみ。日本は空母『龍驤』が沈没、空母『翔鶴』『祥鳳』が中破ということになり、戦術的に見れば米軍が勝利した。しかし、戦略的には米の増援計画を頓挫させたという意味で日本の勝利といえる。
 それを踏まえた上で、源田は、今後の艦隊の行動をどうするかを大神に尋ねた。

「空母は下げよう。内地でまた再建だよ」
「はっ。仕方有りませんな」
「源田参謀も一緒に内地に戻ってくれ。先に再建にかかっていてほしい」

 この大神の台詞に、源田は首をかしげた。

「というと、大神長官はどうなさりおつもりですか」
「私が受けた任務は、比島攻略支援だ。まだ、それは終っていない」

 空母を下げたとしても支援艦隊を中心とした戦力は残る。
 同艦隊司令官の近藤中将に指揮を任せて後退してもいいのだが、大神は現地に留まることを選択したのだ。

「私は『大和』に移乗する。参謀長、つきあってもらうぞ」
「やれやれ。人使いが荒いなぁ」

 苦笑して見せる加山だが、表面上のポーズ。その実は望むところであった。
 大神も加山も米軍がこのまま比島が攻略されるのを黙って見ているとは思っていない。まだ、ここで厳しい戦いが続くと確信していたのだ。

つづく


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