第一話「帝国華撃團・雪組結成!」(その4)



其の五 銃声

 陸軍の徽章をつけた黒塗りの蒸気自動車が夜の帝都を静かに走っていた。
 その後部座席に、藤枝あやめの姿がある。
 夜のうちにまた一雨来そうな……そんな空模様だった。日中は初夏を感じさせる晴れやかな陽気だったというのに、今は少し肌寒い程だ。

「………………」

 分厚い雲に覆われて月も見えない夜空を見上げて、あやめは深い溜息をついた。

(今度こそは……そう思っていたのに……)

 失意が、あやめの心中に沸き上がるようにどす黒く広がってくる。
 つい先刻まで、あやめは昨日米田とも相談した雪組隊長候補の青年・久慈と会っていたのだ。
 勿論、雪組隊長人事に絡んだ面接だ、などと初っぱなから明かすわけには行かない。
 あやめは久慈が負傷したという事故(と言うことに表向きはなっているが、実際には魔操機兵との遭遇事件)で死亡したある兵士の姉を装って久慈に接触を計った。陸軍省の高官の尽力を得て、特別に弟の死に際の様子を久慈に聞く許可をとりつけた……と尤もらしい理屈をつけて面会しにいったのである。
 まずは第一段階だった。
 そこで見込みがあれば、少しずつ段階を経て帝國華撃團の存在を知らしめ、その隊長として赴任する気持ちがあるのかどうか、任務に耐えうる人材であるのかどうかを調べるつもりだったのである。
 だが、その第一段階から出鼻をくじかれた。

「好きになれるやり方じゃあありませんね……」

 久慈はあやめの申し出に、そう渋い返事をした。
 軍の高官に取り入って特例を押し通す行動に、深い嫌悪感を感じているようだった。それが彼の表情にはあからさまに現れていた。
 彼の生来の潔癖さ故、なのかもしれない。
 軍という組織の中で、上層部の思惑が“特別のはからい”という形で本来あるべき組織の秩序を崩すのは好ましからざる事態とは言え、実際にはよくあることだった。
 それは単なる点数稼ぎや人間関係のしがらみの精算にばかりに使われるわけではない。
 異例を押し通さねばならぬ事態は常に潜んでおり、危機と向かい合わねばならぬ組織を維持していくためにはいつも杓子定規に事を運んでは行けぬ事も数多い。
 だが、あやめの申し出が、単なる弟の死を悼む姉の行動ではないのだと感づいているようでありながら……いや、感づいたからこそ、久慈は長い面会時間の間ついにその頑なな態度を崩そうとはしなかった。
 あやめをじっと見据えた冷たい視線は、この“特別のはからい”と引き替えに、あやめが軍の高官にどんな代償を支払ったのかを下衆に勘ぐっているようでもあった。
 いや、

(この男では……ないのだ)

 ……と、あやめが感じたのは、そのせいばかりではなかった。
 久慈の第一印象は、決して悪いものではなかった。
 きりっとしまった端正な面立ち、恵まれた体格、そして彼の言葉の端々にはその知性、芯の一本通った性格が感じられた。
 負傷によって長いこと伏せっていたと記録にはあったが、もはやその負傷の痛々しさを感じさせるものは何もなかった。
 しかし……違うのだ。
 あやめが求めていた雪組隊長は、彼ではない。

「あの事件のことは余り話したくはない……」

 久慈は事件のことに話しが及ぶと、そう言って眉を寄せた。
 事件の凄惨さを思えば、それもまた無理のないことかもしれない。しかし、一旦口を開くと、久慈の言葉は熱を帯びたものとなった。
 単なる憎しみ……それだけではなかった。
 彼の言葉の裏側には、部下のすべてを失ったその激しい戦いに陶酔しているともとれる感情のゆらぎが見え隠れしていた。

「自分は必ずあの魔物を倒します。例えたったひとりで、でもね。……それまでは現役に復帰することは、考えられません」

 たったひとりででも。
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 その言葉に、久慈は特別の思い入れがあるかのように力を込めた。
 久慈のその言葉は、勇猛果敢な彼の意志表示なのだろうか。
 それとも、望む戦果を得るためなら部下をすべて失うことも厭わない……そんな気持ちが彼のどこかにあるからなのか。
 そのどちらもが多分、正解なのだ。
 たったひとりででも、と彼は言ったが、本当は部下など自分には必要ないの言いたかったのかも知れない。
 あやめが久慈に対して抱いた印象は――そんなものだった。
 部下のすべてを失った戦いで彼が勇敢に戦ったのだと言う記録は、決して嘘ではないのだろう。
 そして彼の能力をもってすれば、確かに魔操機兵を倒すことも不可能ではないのかも知れない。
 しかし……それだけでは駄目なのだ。
 あやめが求めているのは、自尊心を傷つけられたことをいつまでも気に病みながら、復讐をもくろむ男では、ない。
 一機、二機の魔操機兵を倒すことができたとしても、激戦の中で、戦果を挙げることに夢中になるあまり部下を統率しきれずに全滅させてしまうようでは帝都を護ることはできない。
 そう、あやめが危惧したのは、魔操機兵と対峙したその戦いを熱っぽく語る久慈の言葉には、死んでいった部下たちへの――ほんの僅かな鎮魂の気持ちさえ見出すことができなかったことだった。
 確かに魔操機兵との戦いでは、霊力を持たぬ部下たちは役立たずと映っただろう。いや、足手まといでさえあったかもしれない。
 魔操機兵と互角に近い勝負をしながらただの一機にさえとどめを刺すことができなかったのは、そして久慈自身もまた瀕死の重傷を負ったのは、案外その辺が原因だったのかも知れない。
 勿論、それを久慈は口にはしなかった。
 少なくとも死んでいった部下たちに対して、

「アイツらさえいなければ、俺はもっと戦えたのだ」

 ……などと口にするほどに冷酷な男ではない。
 しかし、そんな思いが彼の意識にいつまでもこびりついた染みのように消えずにいるのもまた事実であるに違いない。
 あの時に死んだ兵士の姉――そう名乗ったあやめに対してさえ、ほんの一言も戦いのさなかの部下たちの奮闘をねぎらう言葉が出なかったその裏側に、久慈の自己中心的とも言える幼児的なこだわりがあるのをあやめは感じたのだ。


「ふう……」

 帝劇へ向かう蒸気自動車の後部座席で、あやめは長い溜息をついた。
 昨夜、あれだけ久慈のことを誉めあげた手前、やはり今日のことを米田に報告するのは気が重かった。
 そして何より、雪組の隊員たちのことが気がかりだった。
 米田が言っていたように、雪組隊長選出に当たっては、すでに陸・海軍は勿論、警察、消防に至るまであらゆる人材を根こそぎ調べ上げてきた。候補者の数は、それこそ星の数ほどにもなる。久慈はその中で最後に残されたひとりだった。
 その候補者を、もう一度最初から調べ直すか……。
 それとも全く新たな人材を探し出すか……。
 いずれにしても、一朝一夕に出来得ることではない。
 結局それまでの間、雪組は現状維持を強いられることになるのだ。
 その間にも黒之巣会との戦いは激しさを増して行くに違いない。
 雪組も、いつまでも今のままの−−訓練に精を出すだけの状況ではいられない。
 彼女たちもまた花組の隊員たちと同じように黒之巣会との戦いに出て行くことを求められようとしているのだ。
 そして彼女たちの初陣は、もう明日に迫っているかも知れない。
 もはや万策尽きた、と言いたくなる状況だった。

(私がもう一度花やしきに戻ることも考えなくては……)

 それを米田に申し出たからと言って、容易に許可されることでないのは分かり切っていた。
 もともと黒之巣会との戦いは花組を中心に考えられている。
 花組の補助部隊として位置づけられた雪組のことは二の次、三の次、とされているのが現状だった。
 人材不足は帝撃全体にとって頭の痛い問題なのだ。
 それは先陣を切って黒之巣会との戦いに投入された花組とて例外ではない。あやめが花やしきから帝劇に呼び寄せられたのも、そのためだった。
 せめて雪組の隊長が決まるまでは……そう言って異動を渋っていたあやめだったが、戦いの状況はその時間を待ってはくれなかったのだ。

「ちょっと……車、止めていただけるかしら?」

 ふと、あやめはそう言葉を漏らした。

「……? 何か?」

 運転手はいぶかしむように言いながらも速度を落とし、車を道の脇へ寄せた。

「少し外の風に当たりたいの。……車酔いをしたのかしらね」
  
 まるで言い訳のようにそう呟いて、あやめは車の外に出た。
 車酔いなど口実だった。
 何もできないことが歯がゆい……だからなのだ。

「明日も、雨になりそうだわ」

 誰にとなくそう呟く。
 すでに深夜を回り、当たりには人の行き来もほとんど見られなかった。
 墨を流したような夜空を見上げ、もう一度、小さく溜息をもらす。少し肌寒いくらいだったが、頬を撫でるように吹き寄せる涼風が心地よかった。
 
 たんっ!

 その涼風の向こうに、紛れもない銃声を聞いたのはその時だった。

「…………!?」

 そこに、危機がある。
 それをあやめは瞬時に悟っていた。
 そして今、彼女は無用の危険に近づくべきではなかった。やらねばならない責務が山積みとなっている上に、帝撃という秘密組織に属する身であるからには、例えどういう理由があるにせよ、常に細心の用心を強いられているのだ。
 それを充分に理解していながら、あやめは自らの足の歩みを止めることが出来なかった。
 何がある、というはっきりとした手応えを得たわけではない。
 ただ、そこへ行かねばならないのだと、直感とも言える思いにせき立てられるように一歩、二歩、と足を進めた。
 三歩目を踏み出したとき、あやめは背後を振り返った。
 あやめをここまで乗せてきた軍差し回しの黒塗りの蒸気自動車。
 その運転手は、平服の姿ではあったが陸軍の軍人だった。
 しかし、彼は今の銃声には気づいていなかったようだった。運転席で気の張る仕事からつかの間解放されたように身体を伸ばしている。

(彼の協力を仰いだ方がいいのか……)

 一瞬、そんな考えも意識に浮かんだ。
 しかしその思いは次の瞬間には振り捨てていた。
 そして四歩目には、あやめの歩調はすでに走っていた。
 頭の中が真っ白になっていた。
 帝撃のこと、雪組のこと……今日面会した久慈という青年のこと……。すべての屈託が消え失せ、あやめはただ銃声のした方向へ走っていた。
 自分に何かが出来る、と感じたからではない。
 何かに縋るように……。
 そこに何かの答えがあるような、そんな思いに駆られて走っていた。 


続く



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