第6話「悲しき神」(その1)

「米田長官。一体、我々はどうしたらいいんですか?」

 帝劇地下指令室で、大神は米田に問う。いや、大神以下、ここにいる花組全員の共通した問いだろう。
 なにせ、こうしている間にも、黄泉兵は帝都を破壊しているのだ。

「慌てるな。まずは夢組の報告を聞くんだ」

 指名されて、夢組第3班班長、西戸有留が立ち上がった。
 日露戦争中、後方撹乱で名声を馳せた明石元二郎陸軍大佐(日露戦争当時)の後継者といわれるほどの逸材だが、一時期、上官であた米田に心酔し、彼についきているのである。

「まず、ヒルコの正体からです」

 大型受像機に情報が表示される。

「ヒルコは、『古事記』に記録されています。それによれば、彼は国生みの神、イザナギ、イザナミの最初の子供です。しかし、イザナギ、イザナミが手順を誤った契りを交わしたため、奇形の子として生まれてしまい、葦の船で流されます。その後、イザナギ、イザナミは正しい手順で契り直し多くの神を生みます」
「それで、その後のヒルコの消息は?」

 大神の問いに西戸は首を横に振る。

「わかりません。『古事記』『日本書紀』はおろか、『風土記』から『古史古伝』に至るまで現存するありとあらゆる文献にあたりましたが、記録されているものはありませんでした。ただし、民間伝承としてヒルコがエビス神になったというものはあります」
「エビス神?」
「そうです、エビス神は」

 といって、西戸が画面を操作した。

「『恵比須神』と書きますが、『蛭子神』とも書きますからね」

 ヒルコ=蛭子=エビスというわけである。

「ただし、これは確認がとれておりません。そして、今、現れているヒルコの霊力の強さと使う術の系統などから見て、日本古来の神であると断定することはできます」
「それが、ヒルコである可能性は?」
「九割九分九厘九毛」

 ほとんど間違いないということだ。

「それで、攻略手段は?」
「ありません」

 あっさりともとれる返答をする。

「そんな、無責任なこっちゃ困るじゃねーか!」

 カンナも不満を漏らす。

「いや、これは言い方を誤りました。正確には見つけられなかった、というべきでした。なにせ、ヒルコに関する情報はほとんど残されておりませんから」
「うーん」

 大神は腕を組んだまま天を仰いだ。

「打つ手なしということか」
「ヒルコについてはその通りです。しかし、黄泉兵には手があります」

 再び画面が切り替わる。

「『古事記』の記録によれば、黄泉兵は桃を嫌うとある」
「桃というと、あの果物の?」
「そうです。そこで、我々は研究を進めた結果、桃に含まれる新種の霊子成分の発見、抽出に成功しました。我々の研究番号で『い401』と仮称しているこの成分は、黄泉兵が放つ負の霊力、すなわち妖力を吸収する成分なのです」
「ということは、これを我々の武装に応用すれば!」
「はい。今まで以上の力を発揮できるでしょう」
「なんだよ、そんな便利なもんがあるなら、早く出してくれればいいのによ」
 カンナがまたも不満を述べる。

「まあ、カンナ。そう無理をいうな」

 ここでは、米田が割って入った。

「抽出に成功したのは、つい一昨日のことなんだからな」

 いずれにしても、夢組からの報告は以上であった。

「それでだ。今、紅蘭と風組に『い401』を応用した武装を整備してもらっている。そちらの調子はどうだ?」

 米田の問いには紅蘭ではなく、風組神武整備班長の瀧下良子が答える。紅蘭は直前まで出撃していたから、最新情報は良子の方が把握している。

「あと一時間でやります」 「おいおい一時間だって? そいつはちょっと無茶じゃねぇのか?」
「いえ、やります。帝國華撃團・風組の名にかけて」

 良子は毅然と言い放つ。それがさも当然であるかのように。

「よし。わかった」

 米田もその決意を汲み取ったのだろう。

「大神。一時間後に出撃するように手配しておけ。月組、夢組、風組はそれぞれの職務を続行!」
「了解!」
「よし、解散!」
 花組以外の面子はそれぞれの仕事に戻るべく指令室から散っていく。
 だが、紅蘭は、その中の一人を捉え、声をかける。

「良子はん」

 瀧下良子が振返る。

「良子はん。うち、手伝わなくていいんやろか?」

 紅蘭は事実上の神武整備責任者でありながら、花組としての職務のために動きがとれないことを気にかけている。

「いいのよ、紅蘭。前にもういったでしょう。あたし達と紅蘭がすごした年月は無駄だったわけじゃないと。私達に任せておきなさい」
「そやけど!」

「紅蘭。前線で戦うのがあなた達、花組の戦いであるならば、これは、私達の戦いよ」

 良子は踵を返し、地下格納庫へと向った。

「良子はん……」

 その後ろ姿を紛れもなく戦いに赴く戦士のそれだ。紅蘭はなにも言葉をかけることができなかった。

「紅蘭。作戦会議を始めるぞ」

 呆然としていたが、大神の声で我に帰り、慌てて卓に戻る。
 そこに残っているのは米田と大神以下の花組だけだ。

「さて、みんな。地図を確認しておこう」

 大神が帝都の地図を大型受像機に映し出す。

「黄泉兵の現在の勢力範囲はこうだ」

 陸海軍により確認されたそれが赤く表示される。すでに帝都の1/3を超えようとしている。

「早いわね」

 すみれが溜息交じりに言う。

「いや、むしろ遅いくらいよ」

「そうだな。マリアの言う通りだ」

 大神もマリアの意見を支持した。

「帝都中心部における建造物の多さが一番の要因だろう。それに、雪組が出動している」
「雪組がですか?」

 マリアが驚きの声をあげる。
 雪組は光武・神武が活動できないような特殊な状況下での戦闘を想定して編成された部隊である。しかし、その編成が本格化したのは大神が最初に花組の隊長になった太正十三年四月頃からであり、結局、『帝都大戦』に戦力として投入されるまではいたらなかった。

「この状況下で初陣というのはきついのではないですか?」
「確かにそうだ。だが、重要拠点を中心に遅滞戦術をとっている。雪組のマイヤー隊長は世界大戦に参戦していた経験ある指揮官だし、米田長官も直接指示を出しているから、しばらくは持つだろう」

 雪組隊長、ハインリヒ・フォン・マイヤーはかつて帝政独陸軍中尉であり、第一次世界大戦を戦い抜いた。その彼が何故、雪組隊長となるに至ったかについても興味深いエピソードがあるのだが、それはここで語るべきものではないだろう。

「宮城への侵入は?」
「まだだ。おそらく宮城そのもの霊的結界はまだ完全に破られてはいないためだろう」

 もっとも、宮城への侵入も時間の問題だろう。

「さて、肝心の黄泉平泉坂だが、黄泉兵の分布や妖力から見て、ここに開いたと考えられる」

 大神が指し示したのは、神田神保町である。

「『神』を『保』つとはよくいったものですね」

 さくらが感心したように言う。

「ああ。つまりは、黄泉國を封じるポイントだったってことだ。黄泉國の神々をそのままの状態で保つための土地というな」

 だが、今はそんなことを分析している場合ではない。起きてしまった悪夢をなんとしても食い止めねば。
 大神はそのために口を開いた。

「作戦方針を決めねばならない。一つは黄泉平泉坂を塞ぐことに力点をおくもの。もう一つはヒルコを倒すことに力点をおくもの。そのどちらにするかだ」

 皆に意見を求める。
 それに最初に応えたのは、すみれだった。

「ヒルコを倒せば、黄泉平泉坂は消えるのでしょう?」
「おそらくは。蒸気演算機によれば、まだヒルコの術は安定しておらず、ヒルコが妖力を注ぎ続けていると分析しているからね」
「でしたら、ヒルコを倒せばいいではございませんこと。一石二鳥ですわ」

 だが、それにはマリアが異論を唱えた。

「ヒルコはどこにいるかわからないのよ。それを探し回ってる間に帝都は蹂躪されてしまうわ」
「では、マリアさん。私達に黄泉平泉坂を塞ぐすべがあって? いえ、聞くまでもないわね。私達には黄泉平泉坂を塞ぐ力などないのよ!」

 確かに彼女の言う通りだ。
 かといって、ヒルコの居場所を確実に捉えることもできない。

「うちの“みえーるくん”が完成しとればなぁ」

 今の蒸気演算機でもある特定の霊力・妖力だけを感知するということはできない。
 下手をすれば、天海の六破星降魔陣の時のように、罠にはめられてしまうおそれもある。
(罠?)  だが、それを思い起こした時、大神の脳裏に閃いたものがった。

「そうだ。罠だよ!」

 大神は叫んだ。

「なにも正面からいくばかりが作戦じゃないさ。ヒルコをおびき出してやればいいんだ」
「でも、どうやって?」
「マリア。考えてみてくれ。ヒルコにおって一番大事なものはなんだ?」
「それは、黄泉平泉坂でしょう」
「そうだ。だから、我々は黄泉平泉坂を攻撃する。我々が坂を封じる手立てを実際にもってるかどうかは関係ない。もっている可能性が皆無でなければいいんだ」
「なるほど。少しでも坂を封じる可能性があるなら、ヒルコはそれを止めにこざるをえんわけやな」

 紅蘭が合点がいったとばかりにうなずく。

「もちろん、この作戦を成功させるためには、ヒルコが出てこざるをえないようにするため、黄泉兵達を倒し続けなければならないがな」

 それでも、これが最も成功率の高い作戦であろう。

「米田長官。この作戦で構いませんか?」
「よし。いいだろう」

 頷きながら、米田は満足していた。
 大神の導いた作戦はこの状況下では最良のものだろう。
(これならば、俺がいなくなっても大神でやっていけそうだな)  齢を重ねれば、確かに優秀な軍人に必要な経験というものをえることができる。しかし、同じく優秀な軍人に必要な頭の回転の速さや新しい知識の導入といった能力は衰えていく。そのバランスが崩れた時、歴戦の軍人はただの老害と化す。
 米田はそれが間近に迫っていることを感じていた。
 自分の後継者となり帝國華撃團全体を指揮できる人間を探さねばならない。

(引退すれば、悠々自適の生活を送りたいものだ)

 だが、そのためにもヒルコを倒さねばならない。

「帝國華撃團・花組は出撃準備をせよ。詳細は大神に任せる」
「了解!」

 一時間後。
 花組の姿は翔鯨丸上にあった。
 大神は僅かな暇を見つけて通路に出ると、そこで煙草を吸っていた。

「大神さん」

 そこにさくらが顔を出した。

「珍しいですね。大神さんが煙草を吸うなんて」
「ああ。ごめんごめん」

 この時代、煙草の害については明らかになっていなかったから、ほとんどの成人男子は煙草を吸っていた。大神も例外ではなく、士官学校時代は嗜好品として煙草をふかしていた。
 だが、帝國華撃團に転属になって以来、その本数はめっきりと減っている。煙草の匂いが花組の面々、特に髪の長いさくらや紅蘭にうつってしまうのを恐れたためだ。

「あやまらなくていいんですよ、大神さん。それに、私は煙草の匂い、嫌いじゃないですから」
「あれ? さくらくんは煙草は吸ったことないよね」
「当たり前じゃないですか。私はまだ成人してないんですよ。でも、お父さんが、よく煙草を吸ってたから」
「なるほど。父上の匂いっていうわけだね」
「ちっと違うかな。一番、親しい人の匂いなんですよ」

 そう言って、さくらはやや顔を赤らめる。

「さくらくん……」

 鈍感な大神もさすがに気づいた。
 無言の時が流れ、見詰め合う二人。
 それに耐え切れなくなったのは大神の方だった。照れくさくなって話題を強引に変えていく。

「それにしても、帝都は酷い有り様だ」

 まだ帝都大戦の傷も癒えぬ帝都に、黄泉兵があふれようとしている。
 眼下にはそれを目の当たりにすることができた。

「本当ですね……」

 さくらも心配気に街をみつめる。

「なんとしてもヒルコを倒さねば!」

 大神が力強く言う。だが、さくらはそれに疑問を投げ掛けた。

「本当に、ヒルコを倒すしか方法はないんでしょうか?」
「当たり前じゃないか。ヒルコを倒せば、黄泉平泉坂は消え、黄泉兵達も冥府へ戻る。帝都を守るにはそれしかないんだ!」
「けど、ヒルコが術を止めさえすればいいんでしょう? 倒すだけが方法じゃないと思います」

 さくらは引かない。

「さくらくん。戦うのが怖くなったのか? それとも、帝都を守ることをやめてしまうのか?」

 自然と大神も詰問口調になっていく。

「そんなんじゃありません! でも、守るために戦うことって……本当に正しいんでしょうか?」
「なんだって!?」
「私達が帝都を守るように、ヒルコだって守るものがあって戦っている、大神さんはそう思ったことはないんですか?」

 大神も一瞬、返事ができない。

「私、ヒルコの言うこともわかるんです。生まれてすぐに捨てられてしまった苦しみや恨み。感情をもっているなら、当たり前じゃないですか」
「だから、ヒルコを見逃せたというのか?」
「違います。救ってあげたいんです。このままじゃ、ヒルコが可哀相です」

 さくらの強い語調に、大神は諦めたようにかぶりをふった。

「さくらくん。僕は眼下の、この瞬間にも苦しんでいる人々こそ救いたいよ」

 寂しそうにそう呟き、表情を変えた。それは花組には見せたことのない、人間的感情を押し殺した表情だ。

「真宮寺くん。我々、帝國華撃團・花組は全力でヒルコを倒す。隊員の作戦行動方針に例外は認めない」
「……それは命令ですか」
「そうだ。帝國華撃團・花組隊長、大神一郎帝國海軍中尉としての命令だ」

 それだけ言い終えると、大神は踵をかえし、その場を去っていく。
 さくらはそれを追おうとはしなかったし、する気もなかった。

一つだった二人の心が、今はもう、通わない。




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