「内地はいいなぁ」
呉軍港近くの料亭・五月荘。
久々の内地帰還とあって、加山は早速に繰り出していた。
「古人曰く勝って兜の緒を締めよ、っていうけどさ〜。命の洗濯をしないとやってられんよな〜」
「なんといっても、畳の上だからな」
そう応じたのは戦艦『大和』運用長として同じ海戦を戦ってきた海兵同期、泉福次郎海軍中佐だ。
「何を言ってる。貴様ら、うらやましくもあるぞ」
これは潜水学校教官の松村寛治海軍中佐。
後輩の養成も重要な仕事ではあるが、やはり、海軍軍人たるもの、前線に出たいというのは当然だろう。
彼も加山らと同期であり、今日は都合のつく同期たちが集まって無事帰還の宴というわけだ。
となれば、気心の知れている仲とあって、最初から大いに盛り上がっていく。
まるで水を飲むかのような勢いで、膳の上の徳利は次々と横倒しになり、屍と化す。
「おーい、酒の追加だ! 燗してなくていいぞ、そのままもってこい!」
調子よく追加を頼んだ加山だが、返ってきた声の主は、意外な人物であった。
「おっ、加山、そここにいたのか」
「大神!」
一同が驚く。
もちろん、それには理由がある。
なにせ大神は“海軍一”とも称される程の愛妻家なのだ。母港に帰ってくると真っ先に家に帰ってしまい、戦友たちの“命の洗濯”を省みることはおろか、料亭に顔を出すことすらないのだ。
実際、今日も加山が誘ってみていたのだが、即断で断られていたという経緯がある。
「おいおい、どういう風の吹き回しなんだよ?」
こうなると、代表質問は盟友・加山をおいて他にない。
「それが、家にだれもいなくてさ」
「ええっ!? ついにさくらくんに愛想つかされたのか!」
大神は脱力して肩をおとす。
こいつのノリはどうして、こうも変わらずにいられるのだろう。
「やっぱりか! あんな美人のKA(妻)が、いつまでも大神のところにいるわけないと思ったんだよ!」
「貴様の優柔不断ぶりじゃ、逃げられて当然だな!」
訂正。加山だけでなく、同期みんながそうだった。
もちろん、さくらが帝國歌劇團のスタアだったということは、皆が承知のことである。
というより、人気女優だったさくらの結婚・引退は、当時一般にも報道されたことだ。 もちろん、同期たちも興味津々で、早速、大神の新居を冷やかしにいったところ、さくらは良妻にして惚気ぶりを大いに発揮。「なんで、こんなにいい人を、この朴念仁が!」と、大神の帝撃での経歴を知らない(加山以外の)同期一同は大いに不思議がって、「海軍七不思議のひとつ」とまで言っている。
そんな評判の妻が“出奔”とあっては、格好の酒の肴だ。
「さくらは帝劇の手伝いにいったんだよ」
報告に出頭した聯合艦隊司令部経由で、大河の件は既に大神に伝えられている。しかし、さくらのことまでは(私事になるから当たり前だが)情報はなく、家に帰ってからはじめて「書き置き」で帝都にいってしまったことを知ったのだ。
事情もさくらの気性もわかっている大神だから、納得はできるが、そこはやはり、一人では寂しい。やむをえず、ここに現れたというわけである。
「ふーん、テイゲキね」
加山が微かに表情を変えた。
まだ詳細はわからなくても、何かあることがわからない男ではない。
が、それをここで追求すべきでないことも、わからない男でもない。
「じゃあ、今日は独身だな!」
ニヤリ、と笑みを浮かべる。
「よーし、女将を呼んでくれ。呉で一番のエス(芸者)をつれてこい!」
「おいおい、加山……」
うまく話題をさくらからそらしつつ、場の雰囲気は保つという加山の機転ではあるが、やっぱり面白いからという動機の方が大きいように見えるところだ。
同期連中も断ろうとする大神を押さえつけ、勝手に話をすすめていく。
「今をときめく機動部隊司令長官殿だ。一人じゃ足りないぞ。上から順に十人は呼ばないと!」
泉の言葉に加山は大きくうなずいた。
「そりゃーそうだ。でも、古人曰く、英雄色を好む。大神ばかりエムエムケイ(もててもてて困る)になりゃしないか?」
「その時は、全額払ってもらうさ。頼むであります、中将閣下!」
「な……」
文句をいおうとする大神だが、酔っ払い連中が聞く耳をもっているわけがない。
「メーター(テンション)の上がりが足りないんだよ! ほら、大神、飲め飲め!」
加山はどこからともなく取り出したギターを爪弾きながら、煽りたてる。
「そんな……」
とはいえ、大神は聖人君子ではない。帝都・巴里と浮名を流した(ついでに風呂ものぞいた)男だ。その日は、実際、同期がうらやむほどのMMKぶりで、朝まで楽しく飲み明かしたという。
もっとも、黎明の街には加山のギターが傷心の音色を響かせたそうだ。
「古人曰く、軒先かして母屋をとられる、か。ちくしょーっ! いつも大神ばっかりじゃないかーっ!!」