第二話「指揮官」(その1)


 一九四一年。
 ドイツ・ベルリン

「よくきてくれたマイヤー!」

 総統官邸で、ハインリヒ・フォン・マイヤーの前に現れたアドルフ・ヒトラーはことの外、上機嫌であった。
 マイヤーは戦功により、その騎士十字章に柏葉を加えることになったのだ。

「我が総統(マイン・フューラー)におかれましても、御元気そうで何よりです」
「固い挨拶はよい。楽にしたまえ」

 総統はマイヤーに椅子をすすめると、自らも着席した。

「やはり、君を武装SSの指揮官に推薦したのは間違っていなかったようだな」

 ドイツに帰ったマイヤーは、すぐに武装SSの少将として任命された。
 武装SSとは、本来、NSDAP(ナチス)のヒトラー個人のボディーガードから発展した組織である。
 NSDAP=政府である現在では、事実上、国家組織といえる。
 開戦時には、僅かな兵力であったが、SS帝國指導者(長官)ハインリヒ・ヒムラーの権力欲や、部隊自身のあげた戦績により拡充を続け、第二の陸軍とも呼べる存在に成長しつつある。
 そして、それにはもう一つ、理由があった。
 ドイツ国防軍首脳の主流を占めるのは、所謂プロイセン閥である。
 彼らは、中世以来の貴族であり、プロイセン以来皇帝(カイザー)に忠誠を誓ってきた。
 もちろん、その能力的な高さは疑う余地もないほどであったが、ババリアの一兵長でしかなかった立場から総統にのぼりつめたヒトラーとは反りが合わない。
 だから、彼は、非プロイセン閥の有能な将校を求めていた。
 その代表が、国防軍の内部では、現在、アフリカで活躍しているエルヴィン・ロンメルであり、武装SSでは、ハインリヒ・フォン・マイヤーなのだ。
 もっとも、マイヤー自身は、貴族の称号である“フォン”をもっていることからわかる通り、本来はプロイセン閥とよべる人間である。しかし、第一次世界大戦において反主流派としての扱いをうけたことから非プロイセン閥としてみなされているのだ。

「どうだね、マイヤー。前線の様子は」
「総統。東部戦線の我が将兵の士気は変わらず高いものですが、著しく損耗しております。今の攻勢も決定的な戦果を得ることはできないでしょう」

 マイヤーは率直なものいいをする。
 そのあたりもヒトラーに気に入られているところだ。

「確かにそうだろう。だが、今回の攻勢は、決定的な勝利を得るための準備段階だよ」

 意外な言葉にマイヤーがいぶかしむ。

「はっはっは。さすがの君も、全世界を視野に入れた戦略には疎いようだな。よかろう。説明してやろう」

 ヒトラーは壁に張られている世界地図を示した。
 それは敵味方の勢力範囲別に色塗りされている。

「君も周知の通り、我がドイツはイタリア、米国と同盟しておる。対して、ソビエトは日英と協同歩調をとっておるわけだ」

 もともと、連合国は日英仏であったが、フランスはすでにドイツ占領下である。
 ソ連は、これら三国と同盟を結んでいたわけではないが、『敵の敵は味方』ということで結びついているのだ。

「現在、我が軍が実際に本格的な戦闘に及んでいるのは、ソ連に対してだけだ。イギリスの現在の戦力では、本格的な上陸作戦を行うことは不可能であり、我々は大した備えも必要ない」

 これは全くその通りだった。
 陸軍力も海軍力も空軍力も、イギリスには不足している。
 一時の勢いはなくなったとはいえ、Uボート(潜水艦)による通商破壊は続いており、イギリスは思うように戦力を整えることもできなかった。

「イギリスは、元来、アングロサクソンとして我が同胞たらなくてはならないのに、日本などと結ぶから苦しむことになるだ!」

 ヒトラーは著書『我が闘争(マインカンプフ)』の中でも、東方(東欧、ソ連)への進出のみを唱えていた。英仏と宥和できるのであれば、長年、フランスと領有を争っていたアルザス・ロレーヌ地方を明け渡してもいいと言っている。
 もっとも、第二次日英同盟がなったのには、マイヤー自身、関係していなかったといえば嘘になる。
 二度にわたる帝都・東京での“大戦”での被害により、著しく国力を低下させた日本は、財政難と経営するだけの体力を失ったことから、日露戦争で得た権益であった満州鉄道の経営権を英国に売却したのだ。
 これにより、満州経営に乗り出した英国だったが、あまりにも本国から遠いこの地を治めるために、番犬あるいは中継拠点たるパートナーを必要とした。
 また日本は、失った国力を回復させるためにビジネスパートナーを必要としたのである。
 両国の利害は一致し、同盟への道が敷かれたのだ。
 こうした敬意を考えるなら、当時、雪組隊長だったマイヤーら帝撃が帝都の破壊を防げていれば、あるいは満州は日本が経営し続け、英国と対立していたかもしれない。

「いいかね、マイヤー。英国は日本の助力をあおがない限り、欧州大陸へ侵攻することはできん。そして、その日本は米国を撃破しない限り、太平洋からでることすらかなわん。そして、米国は日本に対して圧倒的に優位にたっている。となれば、ソビエト攻略を急ぐ必要はあるまい?」
「確かに……」

 理論的には正しい。
 だが、マイヤーには一つ危惧があった。

(日本海軍には、あの男がいる)

 大神一郎。
 マイヤーが知っている中でも最高の指揮官だ。
 数々の不可能を可能にし、どんな局面においても決してあきらめることのない男。

「どうしたかね、マイヤー」

 つい押し黙ってしまった。

「いえ、なんでもありません。我が総統」
「うむ。戦場から直行であったから、疲れておろう。奥さんに会いにいきたまえ。休暇もあるのだから、ゆっくりと楽しむがよい」
「はっ。重ね重ねのご配慮、恐れ入ります」
「うむ。それと、君のところには、十七才のケンくんと十六才のカッツェくん、それにカリナちゃんは十才だったな。お土産をもっていてあげたまえ」

 ヒトラーの合図で品物が運ばれてくる。
 マイヤーはその記憶力に舌をまいた。

(これが彼をして総統たらしめているものの一つか!)



 マイヤーがベルリンの自宅に戻ったのは昼下がりのことだった。

「おかえりぃ。まーちゃん!」

 飛びついてきたのは妻である。
 武装SSはNSDAP(ナチス)の組織だから、ドイツ人=アーリア人種至上主義に基づいている。特にエリート部隊であるLAHの入隊基準は厳しく、家系として純粋なドイツ人であることはおろか、金髪碧眼で身長185センチ以上という規定まで設けられていた。
 マイヤー自身は、難なくこの規定をクリアしている。
 しかし、彼の妻は日本人だから、純血を重んじる思想から外れており、普通なら入隊が許されないところだったであろう。しかし、まだ武装SSが草創期であったことやヒトラー自身のお気に入りということで、いつのまにやら、妻の経歴は「在日ドイツ人夫妻の娘」という嘘八百の代物になっていた。書類上、全く問題がないわけだ。

「子供たちは?」
「戻ってきてるよ!」

 今や全ドイツの子供達は、ヒトラーユーゲントと総称される集団教育組織に通っていた。

「それと、お客さんきてるよぉ」
「客?」

 いぶかしみながらも部屋に入った彼の前に現れたのは、懐かしい顔だった。

「マイヤー隊長、お久しぶりです」
「マイヤーおじさん、ご無沙汰しております」

 それは、レニ・ミルヒシュトラーセとイリス・シャトーブリアンであった。
 さしものマイヤーも眉を僅かにあげ、驚きを表情にあらわす。

「アイリスはともかく、レニは日本にいたんじゃなかったのか?」

 レニは旧花組メンバーのうち、結婚していない二人のうちの一人だ(もう一人はマリア)。大神を慕ってのことであるのは、大神本人以外には周知の事実である。そのため、マイヤーと異なり、レニは日本にとどまりつづけ、帝劇からは離れたが、俳優としての活動は続けていた。

「第三国経由で潜入した」

 おそらくはスイスか。
 欧州は地続きだから、国境からの潜入は難しいことではない。

「なるほど。目的は反政府活動――総統を倒すことだな」
「ヤー(Yes)」

 レニは小さく肯いてみせた。
 これも大神を慕うがゆえの行動だろう。

「ふん。で、アイリス――いや、フラウ・シャトーブリアンはレジスタンスの指導者なのだろう」
「そうよ。でも、アイリスでいいわ、マイヤーおじさん」

 アイリスもすっかり成長した。
 母親に似て容姿端麗スタイル抜群といったところだ。花組最年少として飛び跳ねていたのが嘘のようである。

「いずれにしても、貴様ら二人は敵ということか。武装SS中将たる私のところにくるとはいい度胸だ。俺が騒げば、一巻の終わりだ」
「いえ。マイヤー隊長はそんな人ではないことを、私たちはしっていますから」

 僅かにマイヤーは唇の端を歪めた。
 見透かされているというのは、あまりよい気分ではない。

「で、目的はなんだ。再会を楽しみにきたとは思えないがな」
「ヒトラーを暗殺して欲しい」

 レニが単刀直入に切り出した。

「マイヤーおじちゃんなら、ヒトラーに近づけるわ。お願い!」

 だが、マイヤーは即座にこれを断った。

「ナイン(No)」

 もちろん、アイリスやレニもこれで納得するわけにはいかない。

「ヒトラーさえ倒せば、この戦争は終わるわ!そうすれば、みんな戦わなくて済む! みんな傷ついたり死んだりしなくて済む!」
「今のドイツは英国を屈服させられず、両面作戦を行っている。これでは武力戦に勝利することはできない。しかし、これは軍部の意向を無視している。ヒトラーが政務不能となれば、事態は大きく変わる筈」

 それでもマイヤーは首を横にふる。

「貴様らの言い分は、事によれば正しいのかも知れない。だが、それはテロリズムだ。我々が行わなくてはならないのは国際法にのっとった戦争であり、軍隊同士の戦いだ。特定個人の暗殺は、許されるべき行為ではない」 
「だが、それによって多くの人の命が救われるのであれば、緊急避難として許されるのではないですか」

 レニが食い下がるが、これもマイヤーは明確に否定した。

「総統は民主選挙によって選ばれた。そして、合法的に今の地位を手に入れられた。いわば、民主主義自身が独裁を選んだのだ」

 ここでマイヤーはアイリスに視線を向けた。

「アイリス。民主主義の基本原則は何だと思う?」
「……自由、平等、博愛?」
「それは、理念だな。民主主義の原則とは、権利と義務だ。国民は政治に参加する権利をもつ。だが、同時に政治によって生じる責任をとる義務がある」
「ドイツ国民は、ヒトラーを選んだ。ゆえに、ヒトラーが何をしようとも、自分達の責任であると?」

 レニの言葉に頷く。

「それにより他国からドイツ国民が永遠に責めをうけることになろうともな。それが、民主主義というものだ」

 これには、レニもアイリスも一言もない。

「わかったら、出て行いきたまえ。ここで見逃してやるのが、貴様達に対する最後の情けだ」

 つまりは、次に出会った時は容赦しない。
 そういうことである。

「わかったわ、マイヤーおじさん」

 あからさまに落胆した様子でアイリスは席をたつ。

「仕方ないな」

 レニは相変わらず、あまり感情を表に出さない。
 だが、その瞼から一筋の涙が流れたのを、誰か見ただろうか。

(もう、あの日々には戻れないのか……)

 思い出は同じなのに、今は立っている場所が違う。
 そして、それが同じになることは、もう、ありえない。
 黄金の日々は去り、鉄と血の嵐が吹き荒れるのだから。



つづく



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