第一話「大神一郎」(その1)


 照和16年12月8日。

「赤軍にはもってもらわねば困るのだがな……」

 呉に借りた住まいで、大神一郎帝國海軍大佐は、職場から持ち帰った資料を読み、嘆息した。 6月に独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻したドイツ軍は破竹の勢いでモスクワに迫っていたが、例年になく早い冬の訪れとともに攻撃は停滞。ソ連軍と一進一退の攻防を繰り広げていた。
 ソ連まで崩壊しては、欧州大陸におけるドイツへの敵対勢力は一掃されてしまう。
 そうなれば、すでにその一角、フランスを失った日英仏の連合國に勝利の芽はなくなる。これは連合國首脳部に一致した考え方だ。
 だから、日本も、英国が経営している満州鉄道(マンチュリア・レイルウェイ)を利用してソ連へ無償貸与物資を送っている。
 まあ、ドイツ国内の新聞だから、ドイツに都合のよいことしか書いていないのはあたり前だ。そう心配することはないのかもしれない。
 そう思いながら、次の頁をめくる。

「これは!」

 大きく掲載された顔写真に、大神は目をむいた。
 それは、東部戦線で活躍する軍人としてとりあげられているマイヤーである。
 記事に目を通せば、彼は、第1SS旅団“LAH”を率いて、各所で戦功をたてているらしい。
 ストイックなまでに自分を軍人であることに規定した彼は、例えどんな命令であろうと、それが軍人としての責務の範囲であれば、全力を尽くして遂行するだろう。
 それは、大神も同じであった。
 雪組隊長だったマイヤーを、軍人としてあるべき姿として手本としていたほどだ。

「すぐに戦うことになるだろうか……」

 かつての戦友と敵として対峙するようなことは避けたい。だが、連合国の一員である以上、既にドイツとは準戦争状態だ。

「あら。もう起きてたんですね、一郎さん」

 その時、襖が開き、彼の妻が顔を出した。

「おはよう。さくら」

 大神さくらは三十路を越えたというのに、少女のように若々しい。どうも霊力というのは生命力とも関わりがあるらしく、霊力の高いものは総じて肉体年齢の衰えが遅いようだ。

「朝ごはん、できてます」
「うん。いただくよ」

 ちゃぶ台に並んでいるのは、味噌汁にご飯に焼魚。ごくありふれたものだが、大神にとってはこの上もないご馳走だ。

「うまい! やっぱり、さくらのつくってくれるものが一番だよ」
「もう、一郎さんたら」

 海軍士官の食事はイギリス流の洋食スタイルだ。だが、日本人は結局、和食が性に合うようである。
 そして、普段は艦上にあり、なかなか愛妻の食事を味わう機会もない。
 今日の大神も、昨日の陸上での公務が遅く終わったために家での一泊を許可されたのだ。

「こうしてると、最初に仙台にいって、お義母さんとあったときのことを思い出すね。さくらが味噌汁をつくってくれて……」
「もう。そんな昔のこと、恥ずかしいから思い出さないで!」

 結婚して16年にもなるというのに、この“らぶらぶ”ぶりだ。恋に敗れた他の花組メンバーが見たら、どう思うことか。
 しかし、天罰てきめん。
 これを妨げる一本の電話が鳴った。

「ああ、いいよ、俺がでよう」

 腰を浮かしかけたさくらを制した大神は、自ら受話器をとった。

「はい。大神ですが」

 しかし、次の瞬間、大神は大声をあげた。

「なんだって!?」

 柔和だった大神の表情がみるみる険しいものに変わっていく。

「トラックが空襲された?」



 トラック島(正確には環礁)は南太平洋にある帝國海軍の大根拠地だ。
 アメリカとの関係が悪化する中、ここには帝國海軍主力が進出し、事あればすぐに対応できるように臨戦態勢がとられていた。
 しかし、現地時間12月8日早朝。
 ハルゼー中将率いる空母六隻からなる米機動部隊は、トラックに空襲を行ったのである。
 それは全くの奇襲だった。
 停泊していた六隻の戦艦「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」「比叡」「霧島」は全て沈没。最精鋭をうたわれた第一航空戦隊・空母「赤城」「加賀」も撃沈させられた。
 また、燃料タンクや地上施設も壊滅的打撃をうけている。トラックは前線基地としては消滅したも同然。人的損害も大きく、今後の作戦活動を維持するのにも支障が予想された。

「これが、速報としての損害結果だ」

 聯合艦隊旗艦・戦艦「長門」に集合した聯合艦隊司令部の面々は一様に押し黙った。あまりの損害の大きさに言葉を失っているのだ。
 この末席に連なる航空参謀・大神一郎大佐も表情は暗い。
 それでも、情勢を把握しようと発言を求めた。

「宇垣参謀長。小沢提督はどうなされましたか?」

 小沢治三郎中将は機動部隊司令官だ。通常なら機動部隊の旗艦、空母「赤城」に乗り込んでいる筈である。

「たまたま、一航戦(「赤城」「加賀」)抜きの演習に出ていてな。空母「飛龍」「蒼龍」、戦艦「金剛」「榛名」らとともに健在だ」
「なるほど、ならば参謀長。聯合艦隊は空母を中核とした艦隊編成に組み直し、米軍に備えるべきです」

 一同がざわめいた。

「大神大佐。慎み給え」

 参謀の一人がたしなめるように言った。
 平時における軍隊というものは、出世にはあまり差がない。それは、戦功のたてようがないからだ。
 しかし、大神は違った。
 太正末期に帝國華撃團・花組隊長として“戦果”をあげた彼は、その後も二二六事件鎮圧などに功績をあげ、照和帝の信任も厚い。海軍兵学校首席ということもあいまって、異例の出世をとでげていたのである。
 だが、その分、風当たりも強い。
 今も若造がと言わんばかりの空気だ。だが、大神はまるで気にせず自説を主張する。

「いえ。現在、完熟訓練中の空母「瑞鶴」「翔鶴」と合わせ、正規空母四隻、そしてこれを補助する軽空母とあわせれば、かなりの戦力となるはずです」

 しかし、これには宇垣参謀長が異論を唱えた。

「それは博打にすぎる。空母部隊では主力たりえん。停泊中ならともかく、航行中の戦艦を航空機で沈めることはできまい」

 この頃、世界的に海軍の主力は戦艦であるとする、所謂『大艦巨砲主義』が主流であった。帝國海軍でも、これは根強い。

「この聯合艦隊旗艦たる「長門」、同型艦の「陸奥」。そして、来年初頭に完成する世界最大最強の四六糎砲戦艦「大和」がある。これをもってして対抗すべきだ」
「戦艦の隻数では、相手が勝っているのですよ」
「量は質で補えばよい」

 馬鹿な。
 大神は内心で罵倒した。
 かつて、一対一では圧倒的な戦力をもっていた空中戦艦ミカサは、結局、霊子甲冑による迎撃なしには、降魔により沈められていた筈だ。その体験をしたからこそ、砲術科将校だった大神は航空畑に転じたのである。

「しかし、参謀長!」

 大神がなおも発言を続けようとした時、二人の間に割ってはいるものがいた。

「両名ともそのくらいにしておきたまえ」

 今まで静観していた山本五十六聯合艦隊司令長官だ。

「宇垣くん。我々が、今、保有している戦艦は「長門」「陸奥」「金剛」「榛名」だけだ。これで、米太平洋艦隊と正面から事を構えられるのかね?」

 「大和」は竣工までまだ間がある。
 更に「金剛」「榛名」は帝國海軍が保有する戦艦の中でも最も古いものだ。

「いえ、確かに数量的な劣勢は否めませんが……」

 言葉を続けようとする宇垣を山本が制する。

「我々に残されている、米に拮抗しうる戦力は空母だけだよ」

 山本五十六は、海軍でも数少ない航空用兵論者だ。
 他に、機動部隊司令長官の小沢治三郎中将、二航戦司令官の山口多聞少将らが主要な航空用兵論者であり、大神もこれに属していた。また、彼らは同時に知米派が多いことから、知米派の重鎮格である米内光政予備役海軍大将の名から「米内派」とも呼ばれており、海軍の中でも特別なグループとして見られている。

「黒島くん」

 山本は高級参謀の名を呼んだ。
 作戦立案実務を行うこの職についている黒島亀人大佐は海軍きっての変人として有名だ。しかし、頭のキレは他の追随を許さず、独創的なアイディアを出すことで知られている。

「大神くんと一緒に空母艦隊の編成を至急まとめてくれ」
「わかりました。大神大佐。すぐにきたまえ」

 黒島はさっさと席をたつ。

「え。いや、でも……」

 会議はまだ途中だ。
 大神がちらりと山本の顔を見ると、肯いている。
 慌てて大神は、黒島の後を追った。

「大神よ、あんな馬鹿どもの会議につきあうこたぁねぇんだ」

 黒島は長門の廊下だというのに、憚ることなくそう言う。
 彼は、その性格ゆえに長く不遇を囲っていた。だが、自らの頭脳には自信がある。だから、順調にエリートとして昇ってきた他の聯合艦隊参謀に敬意のかけらも抱いていないのだ。
 ただ、自分を引き上げてくれた山本には、心服し、義侠的な忠誠心をもっている。
 そして、その山本が目をかけている大神には、一定の節度で接していたし、また、大神自身の才能にも着目していた。さすがに長期の劣勢な実戦で鍛えられたことはあると。
 もっとも、自分にはかなわないとは思っているが。

「それにしても、この大敗、責任問題はどうなるのでしょう」

 大日本帝國海軍はその創設以来一度たりとて敗北したことがない。
 開戦劈頭の奇襲によるとはいえ、マスコミの追求は必至だ。

「好きなだけ言わせておけばいい。この難局をのりきれるのは山本長官をおいてより他にない」
「そうだといいのですが……」



 大神の危惧はあたった。
 トラックの損害が知れるにつれ、マスコミや議会からも山本長官更迭の声があがった。だが、山本は「敵を撃滅することこそ責任をとること」として頑として居座ったのである。
 実際に海軍の人事を司っているのは、海軍省であり、強権を発動しようと思えばできないことはなかったのだ。だが、この非常時に混乱をきたすようなことを実行するのは避けようということで、結局は、山本体制のまま戦争を遂行することになったのである。
 もっとも、そのとっばっちりは思わぬとこに出た。
 山本の子飼いの一人であり、若くして聯合艦隊司令部航空参謀という要職を務める、“一〇年後の聯合艦隊司令長官”とも目される大神一郎大佐は、少将に昇進の上、第五航空戦隊司令に転出した。
 形の上では栄転だが、その実、山本残留と引き換えの見せしめ人事といったところだ。
 ともあれ、大神は、一転、日米戦の最前線にたつことになった。



つづく



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