其の参 ―新撰組副長・土方 歳三―

 明冶二年 五月 蝦夷・箱館五稜郭
 五稜郭は星型の西洋式城塞として現在も知られている。星型に石塁を築き、全方角を攻撃できるよう大砲を配置している。城内に通じる橋を落とせば四方は堀。城内に突入する手立てはなくなる。
 だが、これはあくまで当時の兵器技術を想定して建設されている。このときの征討軍は最新式のアームストロング砲を多数所有しており、その射程距離は五稜郭に配置されている大砲よりも圧倒的に長い。総攻撃が始まれば、五稜郭はロクな抵抗も出来ず、敵の大砲攻撃を浴びるだけ浴びることになってしまう。
 この五稜郭に、箱館政府の本拠地が置かれている。
 二股口で奮戦していた新撰組だが、各地で戦況不利の報告が次々と入り、孤立することを恐れた榎本武揚によってこの五稜郭に呼び戻されていた。

 その日、五稜郭の中央にある旧箱館奉行所で、軍議が開かれていた。
 出席者は総裁・榎本武揚、副総裁・松平太郎、陸軍奉行・大鳥圭介、同並・土方歳三など、箱館政府の幹部全員であった。

「……間もなく、征討軍による箱館総攻撃が開始されることでしょう。どう戦うべきか、諸君の意見を聞きたい。」

 伝習隊を率いる大鳥圭介をはじめ、過半数の者が籠城しての徹底抗戦を叫ぶ。
 確かに、現時点での戦法はそれ以外に無いかもしれない。だが一人、籠城を反対する者がいた。

「籠城するだけ無駄なことだ。」

 土方は籠城を拒否。打って出て玉砕するべきと発言した。
 だがこれには大鳥をはじめ、ほとんどの幹部たちが反対。大鳥は無駄な玉砕は愚の骨頂とまで言った。

「大鳥さん、一つお伺いするが。……この軍議は、何を話し合っているのですかな?」
「知れたこと……どう戦うべきかを話し合っているのだ!」
「それはわかっています。私が聞きたいのは……『どうすれば勝てるか』を話し合っているのかということです。」
「当然だ! それが軍議というものだ!!」

 それを聞くなり、土方は大鳥のことを鼻で笑った。

「私は、おかしくてたまらない。……あなたの言う籠城作戦は、本来援軍が来ることを前提に行うものだ。この蝦夷に、箱館に、一体どこから援軍が来るというのです?」
「……」
「籠城して、ロクな抵抗も出来ずに死ぬくらいなら、私は全員打って出て、壮絶な戦死を遂げるべきだと思う。」
「狂気だ……君は狂っている!」
「狂っているのはあなたも同じだ。……ここまで追い詰められて、冷静な判断も下せないあなたの方が、よっぽど狂っている。」

 大鳥と土方の論争はこの後も続いたが、結局、榎本は籠城戦を決意。
 土方が自室に戻ると、竜馬と桂が酒を用意して待っていた。

「土方様、お疲れ様でした。さ、どうぞ。」

 桂が酒を勧めたが、土方は拒否。疲れきった顔をして椅子に座った。試衛館でも、京都でも、今までこんなに疲れた土方の顔は見たことがない。

「随分、長いこと言い争っていたな。……で、方針はどうなった?」
「……籠城作戦に決まったよ。」
「だろうな。……だが、予想通りだ。トシ、今井信郎が見廻組の生き残りを率いて突撃に参加してくれるそうだ。」
「そうか。・……太郎さんも俺に賛同してくれたよ。」
「これで・……ざっと五十人ってところか。」

 土方と竜馬は事前に話し合い、最後の突撃に参加してくれる同志を密かに集めていた。結果、今井信郎や松平太郎といった面々が賛同し、明日の突撃に参加してくれることになった。

「……なあ、竜さん。アンタはやはり残るべきだと思う。」
「まだそれを言うのか。」
「アンタには、妻がいるだろう?無駄に死ぬことは無い。」
「……」

竜馬は横に居る桂の顔を見た。悲しそうな顔をしながらうつむいていて、竜馬と目を合わそうとしない。

「死ぬのは、守るべきものもなにもない、俺たちだけでいい。アンタは生きろ。」
「トシ、ここに残っても、死ぬのはわかっている。ならば俺は花と散る道を選ぶ。『士道に背く間敷き事。』局中法度にあるように、俺は逃げたりはしない。」
「……」
「男には、死ぬとわかっていても、危険を顧みずに行動しなくてはならない時がある……負けるとわかっていても、戦わなくてはならない時がある……お前もよくわかっているはずだ。」

 桂は黙ったまま部屋を出て行き、外で一人泣き出してしまった。

「……行ってやれ、竜さん。もう止める気はない。……せめて今晩くらいは一緒にいてやれ。」
「……」

 だが、竜馬はすぐには席を立とうとはしなかった。


 桂は五稜郭の星型陵墓の先端部分に立って、街を眺めていた。空は夕焼けで茜色に染まっている。だが、五月だというのに冷たい風が吹いている。

「……桂さん。」

 陣羽織を着たままの竜馬がやってきた。散々探したのだろうか、汗をかいている上に息切れしている。
 だが、桂は振り向かない。まるで聞こえていないかのように、街のほうを見ている。

「……その……怒っているのですか?」
「いいえ……」
「桂さん、わかってくれ。……俺は生真面目で、バカ正直で、不器用な男だ。こうと決めたら、俺はその通りにしか生きることが出来ない。・・・・俺は節義を、士道を捨てられない。」
「……」
「恩義を受けた殿、将軍様、会津中将様、新撰組……俺は受けた恩義には命を賭して報いる。……幸いにも、殿と将軍様、会津中将様のお命は守られた。だが、俺は近藤さんの命を救えなかった。……だからせめて、土方だけは生かしておく。土方を守るため、俺は、明日の突撃に参加せねばならないのだ。」
「……」
「桂さん……どうか、俺を許してくれ。」

 竜馬は履物を脱ぎ、桂の背中に向かって土下座した。
 それに気付いた桂は慌てて振り向き、竜馬の土下座をやめさせようとする。

「旦那様!」
「許してくれ、俺を……明日の突撃に行かせてくれ!」
「旦那様、お手をお上げ下さい。」

 ようやく竜馬は顔を上げて桂を見た。

「旦那様……わかっています。明日の突撃、どうぞご存分にお働きくださいませ。」
「……桂さん……」
「わたくしは武士の妻となる者です。夫の出陣を見送るのは妻の務めでございます。」

 しかし、その顔は何とも悲しげで、今にも泣き出しそうな顔をしている。

「……桂さん!」

 力強く桂を抱きしめたが、その小さな体は震えていて、遂に泣き出してしまった。

「……すまない……桂さん……」

 口ではわかっていると言った桂も本心は違う。
 明日の突撃で、おそらく参加する新撰組のほとんどは命を落としてしまうことだろう。竜馬や土方とて、今度ばかりは死ぬ可能性が極めて高い。
 死ぬかもしれない夫を黙って見送ることは、妻にとってこの上なく辛いことだ。桂の本心は、当たり前だが行って欲しくないのだ。

 その日の夜、土方は自室で一人椅子に座っていたが、いつの間にか眠ってしまい、夢を見ていた。
 試衛館での懐かしい夢。浪士組に加盟し、いよいよ上京するその前夜のことだった。

 近藤は江戸の別れの夜ということで、宴の席を設けた。と言っても、貧乏なので料亭に上がったわけではない。試衛館の道場で宴は開かれることになった。
 夕方、土方が試衛館に戻ってくると、台所から井上源三郎が顔を出して迎えた。

「ああ、土方さん。あんたに手紙が来ているよ。」
「俺に?」

 手紙を読んだ後、土方は刀を差し直し、出て行く。

「トシさん! 今日は居候のみんなと一緒に飯を食うんだよ! 最後の夜だからね、わかってるね!!」

 しかし、土方は井上の言葉など聞いていないようで、まったく反応を示さない。
 通りを歩いていると、向こうから竜馬がやってくる。

「何処行くんだ、トシ。」
「……ちょっと、な。」
「……また喧嘩か?好きだな、お前も。」
「……」

 土方はそのままどこかへ行ってしまった。
 日が落ち、時間になってもまだ土方は帰ってこない。仕方なく、近藤は宴を始めた。

「トシさんはまだ帰っていないが、江戸の最後の夜だ。今日は大いに飲もう!」

 宴が始まってしばらくすると、土方が帰ってきた。

「おお、トシさん。何処行ってたんだ?」
「……いや、別に。」
「まぁ、座れ。もう始まってるんだ。今日は大いに飲もう。」

 近藤の隣に座ろうとすると、酒を飲みながら総司が土方に言った。

「土方さん、背中と袴に血が付いてますね。……江戸の喧嘩も、終いですか?」
「フン……喧嘩は、俺の趣味だ。多分、京都に行っても、何処へ行っても、俺は喧嘩に生きて、喧嘩に死ぬことだろう。」

 そこで、目が覚めた。
 夢とわかった時、土方は不思議な気分になった。

 試衛館の頃を夢に見ることなど、京都に居た頃から一度もなかった。それをなぜ今になって……突撃を明日に控えた今になって見たのか……

「みんな……俺に来いって言ってんのか?」

 窓から外を見た。東の空がぼんやりと明るい。間もなく、五月十一日の朝になろうとしているのだ。


 同じ頃、竜馬は自室で新撰組の段だら羽織に着替えていた。
 鉢金を閉め、手甲、鎖帷子の装着も終えて万全の態勢をとり、霊剣荒鷹を差し、寝室に目をやった。

「……」

まだ布団の中には桂が眠っている。よく見るとその目には涙が浮かんでいる。

「……桂さん、行って来るよ。」

そう言って、竜馬はそっと、部屋を出て行った。
土方の部屋に行く前に、朝の空気でも吸おうと外へ出た。

「……ん?」

 朝もやの中に三つの人影が見える。
 こんな時間に出歩いている者等、ほとんどいない。刀に手をかけたまま、竜馬は人影にゆっくりと近付く。

「刀から手を引きたまえ、竜馬君。」

 その声には聞き覚えがあった。死んだはずの山南敬助の声だった。そればかりか、他の二人は藤堂平助と坂本龍馬だった。

「お前ら……何でここに。」
「何……三途の川を渡る前に、ちょっと竜さんと土方さんの顔を見ておこうと思ったんですよ。」
「三人で土佐や江戸、仙台……色んな所を見て回り、最後にここへ来たっちゅうワケじゃ。」
「……お前らなぁ、死んでからどんだけの日数が経ってると思ってんだ? さっさと成仏しろ!」
「……成仏する前に、君には言っておきたかったんだ。……竜馬君、死ぬな。君はこんな戦で死んでいい男じゃない。」
「……そんなことを言いに、わざわざ来たのか?……心配無用、俺は死なんよ。帰りを待っている人が居る限り。」
「……」

 すると、三人の姿は朝靄に溶け込むように消えていった。
 今のは一体何だったのか、竜馬にはわからない。だが、敬助の言おうとしていたことはわかる。竜馬には真宮寺家の当主。破邪の血統を後世に残す義務がある。だから、敬助は死んではいけないと言ったのだ。


 日が昇った。土方と竜馬は新撰組の生き残りと、自分に賛同してくれた松平太郎、そして見廻組の生き残り、今井信郎を伴って五稜郭を出る。その数、五十余名。

 目を覚ました桂はまた五稜郭の先端部分に立った。昨日、竜馬と一緒に居た場所である。

(男には、死ぬとわかっていても、危険を顧みずに行動しなくてはならない時がある……負けるとわかっていても、戦わなくてはならない時がある……わかっています。私だってわかっていますよ、旦那様……だけど……)

 やはり本音は行って欲しくない。百戦錬磨・常勝将軍の竜馬といえど、今度ばかりは死ぬかもしれない。そう思うと、今からでも追いかけて行きたくなる。
 すぐ側には、大きな桜の木が立っていて、花を一杯に咲かせている。風が吹くとその花びらが舞い降りる雪の如く散っていく。

「散り行く花は……二度と返る事はない……みなさん……どうかご無事で。」

 桂は祈るような気持ちで桜の花が舞う空を見上げた。


 土方たちが向かったのは一本木の関門だった。
 そこには薩摩藩の陣地があり、ここを突破すれば黒田了介の本陣がある。

 茂みに潜んで様子を伺ってみると、薩摩の兵士たちが進撃の準備をしているのが見えた。

「……島田!」
「ハッ。」
「……新撰組は何人残っている?」
「十数名ほどです。」
「……俺に付いて来い。」

島田は後ろに控えている新撰組の生き残りたちに召集をかけた。
その間、土方は馬にまたがり、刀を差しなおした。

「……竜さん、太郎さん。俺が刀を抜いたら、全員突撃。いいな?」
「……ああ……死ぬなよ、土方。」
「……」

 竜馬の言葉には答えず、土方は島田 魁・中島 登、相馬主計ら新撰組の生き残り十数名を率いて出て行く。その間、竜馬と松平、今井の三人は茂みに潜んで土方の合図を待つ。
 関門に近付くと、薩摩の隊長が土方に気付いた。

「止まれ! 貴公ら、いずれへ参る?」
「参謀・黒田了介殿に会いに行く。」
「貴公の名は?」

 次の瞬間、土方は刀を抜き、自らの名を叫んだ。

「新撰組副長・土方歳三!!」

 その名を聞き、隊長は腰を抜かしてしまった。

「て、敵だぁっ! 新撰組だぁっ!!」

 土方とそれに続く島田たち新撰組が突撃を開始。
 同時に、茂みの中に隠れていた竜馬、松平、今井らも飛び出して突っ込んでくる。

「斬り込めぇっ!!」
「突撃ぃっ!!」
「新撰組に遅れを取るな!見廻組の強さを見せてやれ!!」

 たった五十人といえど、剣技にかけては一騎当千の強者ばかり。混乱している隙を突いて怒涛の如く突き進んでくる。
 しかし、薩摩側もようやく銃で応戦してきた。銃を相手に刀ではかなわないと退く者も出てきた。

「退くな!退く者は斬る!!」

 土方も竜馬もそう叫び、突撃を続ける。
 しかし土方は馬に乗ったまま単騎関門の中へ突入していく。

「土方ぁっ!!」

 竜馬の制止も振り切り、土方は黒田了介の本陣目掛けて突っ込んでいく。並み居る薩摩の兵士をなぎ倒して突き進むその姿は、まさに鬼神の如し。土方歳三、人生三十五年の一期を飾る、晴れ姿であった。
 ガアァァァァンッ!!
 銃声とともに、馬上の土方が姿を消した。
 そして、上空には先ほどまで土方の手に握られていたはずの、誠の旗が宙に舞っていた。一発の銃弾が、土方の胸を貫き、遂に土方は力尽きたのだった。

「ぬあああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 竜馬は怒りの雄叫びを上げて突撃を再開する。
 しかし、土方が倒れたことを知った隊士たちは次々と退却していく。それを横目に見ながら竜馬は関門の中へ突入した。

 何者かに取り憑かれたかのように、竜馬は暴れまわった。あまりの恐ろしさに逃げ出す薩摩兵も居る。大砲の弾も、鉄砲の弾丸も、竜馬を避けているかのように外れていく。一体、何人の人間を斬っただろうか、気付いた時には周りに立っている者は一人も居ない。
 薩摩兵は一旦、本陣まで後退した。周辺には凄まじい数の死体が転がっている。どれだけの人間を斬ったのだろうか、竜馬の段だら羽織は返り血で真っ赤に染まっている。

「……土方……」

 竜馬は土方を探した。すると、愛刀・和泉守兼定を握り締めたまま倒れている土方を見つけた。

「トシ!」

 抱き起こしては見たが、既に息を引き取っている。

「トシ……わあああぁぁぁぁぁっ!!」

 竜馬は初めて大声を上げて泣いた。
 土方が死んだことに対する悲しみから来た涙か、それとも土方を守れなかった自分の不甲斐なさに対する怒りの涙か・・・・それは竜馬にしかわからない。
しばらくすると島田 魁や相馬主計らが戻ってきた。

「……副長……」
「……島田……何でもいい、荷車を探してくれ。トシの遺体を……運ぼう。」
「はい。」

竜馬は側に落ちていた誠の旗を拾い、それを土方の遺体にかけてやった。
島田が探してきた荷車に亡骸を乗せ、三人は無言のまま五稜郭へ引き上げて行った。


竜馬の帰りを待つ桂は、竜馬の個室でただじっと座って待っていた。
途中、岩井権太郎がお茶を運んできたが、それにも手を付けず、食事もとっていなかった。

「……」

そのとき、戸が開いた。
入ってきたのは血だらけの竜馬だった。

「旦那様!」

駆け寄ろうとした桂だったが、竜馬がそれを制した。

「寄るな、桂さん。……汚れます。」
「構いません!」

そう言って、桂は竜馬に抱きついた。着物や顔が血に汚れてしまったが、桂はそれを気にも留めない。

「よかった……ご無事で……本当によかった……」

しかし、竜馬の顔は悲しげなままだ。

「どうかなさいました?」
「桂さん……俺は……俺はとうとう……新撰組を守れませんでした……」

 そういった竜馬は崩れるようにその場に座り込んでしまった。ふと、廊下を見ると、荷車から担架に移されて、誠の旗がかけられたままの土方の遺体が目に入った。

「……土方様ぁっ!!」

 土方の死を知った桂は竜馬同様、声を上げて泣き出した。しかし桂の涙は土方の死に対する悲しみの涙であることは明白だった。


明冶二年 五月十五日  新撰組副長・土 方 歳 三、戦死。享年三十五歳。
その亡骸が、果たしてどこに埋葬されたのか、なぜか、今もって不明である。……そのわけは……


終章へ……


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