其の壱 ―五稜郭―

 北海道 函館市。
 幕末、この地で戦いがあった。江戸時代から明冶時代へと移り変わっていくその戦乱は、戊辰戦争最後の役・箱館戦争が終わる、明冶二年の五月まで待たなければならなかった。
 この地に立て篭もったのは江戸を追われた幕臣たち。当時、その男たちは夢を見た。ある者は武士としての意地から、ある者は新政府に対する批判から、またある者は己の死に場所を得るために。それぞれの思いを胸に秘めた男たちは、一隻の船に夢を託した。
その船の名を、「開陽丸」と言い、北斗の星にも似た夢の城を、「五稜郭」と言った。

 明冶元年、冬。
 榎本武揚を総裁として、ここに一つの政権が誕生した。『蝦夷共和国』と名付けられたその国は、五稜郭を本拠とし、箱館を領土とした。土方歳三は大鳥圭介と共に陸軍奉行並となり、真宮寺竜馬は作戦参謀として幹部に迎えられた。
 だが、その初任務は決して楽なものではなかった。
 松前城攻略である。土方と竜馬は新撰組の生き残りたちを引き連れて松前へ進撃した。

 11月5日。土方が率いる新撰組は松前城に到着。城攻めを開始した。しかし、松前城は新式の城。城門は鉄製で、城内には12ポンド加濃砲が設置されていた。土方と同じ陸軍奉行の大鳥圭介は長期戦を予想していたが、土方は「すぐに済む」と言って増援を要請しなかった。

「クソ……正面は銃士隊に大砲の連携攻撃か。」
「敵も考えたが、少し詰めが甘い。……島田!」
「はい!」
「身軽な者を五、六人選んで、俺について来い。」

 竜馬の命令を受けて、すぐに島田は人選にかかった。

「何をするつもりだ、竜さん?」
「俺は裏へ回って城内へ侵入し、敵を撹乱する。銃士隊は俺たちに任せておけ。」
「わかった。大砲は俺たちが何とかする。」

 竜馬と島田の率いる小隊は木々に隠れながら城の裏側へと回った。
 その間、正面の本隊は銃と大砲の連携攻撃によって釘付けにされていた。

「……よし、行くぞ!」

 竜馬隊は鉤縄を引っ掛けて塀を登り、城内に侵入した。

「新撰組、見参!!」

 わざと大声で叫び、城内の建物に火をかけた。
 これに銃士隊は正門から離れ、竜馬隊の制圧に向かう。

「よし、走れ!!」

 土方隊も行動を開始。砲撃の合間を縫って城門まで接近。
 やむなく、守備隊は城門を開けて砲撃をする以外になくなってしまった。

「行くぞ! かかれぇっ!!」

 城門を開けたその瞬間、土方と斎藤を先頭にして新撰組本隊が城内に乱入した。

「急げ! 合流するぞ!!」

 やがて竜馬の部隊も本隊と合流。新撰組は怒涛の如く本丸まで攻め入った。
 宇都宮城といい、松前城といい、新撰組は城攻めに滅法強いということを証明し、大鳥圭介や松平太郎にあらためて新撰組の強さを認識させることになった。

 その頃、宮古湾では……
 甲鉄艦をはじめとする政府軍艦隊が集結。陸上でも、薩摩陸軍と長州陸軍が揃いつつあった。しかし、陸上に設けられた参謀府に居るのは薩摩陸軍を率いる黒田了介ら薩摩藩士だけであった。

「遅か。……長州は何ばしよっとか?」

 外は吹雪。長州陸軍は陸路を宮古に入ってきたところであった。

「参謀、馬にお乗りください。」
「……みんな歩きようのに、乗れるか。」

 長州陸軍を率いる山田市之允は兵士たちを気遣い、馬に乗らずに歩いていく。
 そしてようやく、参謀府に到着したのだが……

「あぁーっ!寒い!こんな寒い時に戦なんかやってられるか!戦は来年の春までお預けじゃ。」

と言って、山田は寝床を拵えて眠ってしまった。

「……何じゃ、こうわろは?」

 ちなみに言えばこの二人、後の総理大臣と、司法大臣である。薩摩藩士・黒田了介は後の第二代内閣総理大臣・黒田 清隆であり、長州藩士・山田市之允は後に司法大臣となり、日本大学の前身となる日本法律学校を設立する、山田 顕義である。

 松前城落城から数日後……
 11月15日。江差沖に停泊していた艦隊の旗艦・開陽丸が嵐に遭遇し座礁。沈没してしまった。この報せに榎本をはじめ閣僚たちは落胆した。開陽丸は榎本艦隊の最強艦。いわば切り札であった。それを失った今、政府軍艦隊を海上で食い止めることは難しくなってしまった。
 この事態を打開すべく、榎本はある作戦を打ち出した。

「ストーンウォール(甲鉄艦)を分捕る。」
「分捕る!?」

 これには全員が驚く。軍艦を奪取する、ましてや新政府軍の最新鋭艦を分捕るなど、出来るはずもなかった。

「榎本さん、どうして分捕るというのです?何か策でも?」
「……『アボルダージ』作戦だ。」
「あぼるだーじ?何です、それは?」
「何処の国でもいい、第三国の旗を掲げて敵艦に近付き、攻撃を加える。ただし、攻撃の直前には自国の旗をあげなければならない。……この戦法は、万国法でも認められていることなのだよ。」
「よし、その役目、我々伝習隊がやりましょう!」

 まっさきに大鳥が立ち上がったが、それに待ったをかけたのは竜馬だった。

「いや、これは言わば殴り込みの喧嘩だ。こういうことは、陸上戦主体の伝習隊よりも、我ら新撰組の方が慣れている。我々が参ります。」
「しかし、新撰組は戦いが続いて疲労が溜まっているのではありませんか?」
「なんの。全員意気軒昂。合戦をしたくてウズウズしています。」

 両者一歩も譲らず、結局、回天には新撰組。播龍と高雄(第二回天)には伝習隊が乗り込み、3隻同時に接舷して襲撃することに決まり、会議は終了した。

 土方と竜馬が部屋に戻ると、斎藤や島田たち新撰組の幹部たちが勢揃いして待っていた。

「会議はどうなりましたか?」
「俺たちは回天に乗って突っ込む。同時に、伝習隊が播龍と高雄に乗って突っ込んでくることになった。」
「やっぱり伝習隊が出てきましたか。」
「大鳥の奴、新撰組にばかり手柄を取られているから、この辺で功績を挙げたい一心なんだろうよ。……それで、隊士たちは?」
「元気ですよ。早く戦をしたくて仕方が無いようです。」
「そうか。出港は今夜だ。準備をするように。」

 しかし、出港直後には激しい嵐に遭遇。
 榎本脱走艦隊の出港には、いつも嵐が付きまとっていた。結局、この嵐で各艦は散り散りになり、甲鉄艦奪取は難しい状況となったのだ。

 その頃、宮古湾に集結した政府軍艦隊だが、海軍参謀はじめ、甲鉄艦の艦長たちは連日酒を飲み、全くの無警戒であった。
 黒田了介は酒を飲んで酔っ払っている長州海軍を見かねて、警戒態勢をとるようにと意見した。というのも、榎本艦隊が青森沖に出現したと言う報告が入っていたのだ。しかし、海軍参謀らはこれを偽情報と判断していた。

「偽じゃち何ごてわかる?」
「ここいらは、恭順したとは言え、敵地同然。我々を撹乱しようとして、偽情報が乱れ飛んじょる。」
「呑気じゃのう、海軍は。偽か誠かまず、斥候を出して確かめるのが筋じゃござりもはんか? 陸軍ならそうする。」
「榎本艦隊が何のその。現れたら甲鉄艦で蹴散らしてご覧に入れよう。」

 参謀は黒田に酒を勧めたが、黒田はこれを鞭で払いのけた。
 これには参謀や艦長たちも黙ってはいない。

「何をするか、己は!!」
「……おはんら、しきりに『甲鉄』、『甲鉄』ち言いよるが。そん『甲鉄』を敵に取られたらどげんすっとか?」
「甲鉄を取られる? ハンッ!! 何をバカなことを!!」
「ならば訊くが……おはんら、アボルダージっちゅう作戦を知っちょるか?」
「あぼるだぁじ?……何だそりゃあ?」
「フン、アボルダージも知らんで、よぉ海軍参謀が務まるのぉ。わからんようなら、今すぐやめぃ!……アボルダージが何かわかったら、呑気に酒など飲めんはずじゃ!!」

 この口論を聞いていたのが、後の連合艦隊司令長官で日露戦争の英雄となる、東郷平八郎であった。しかし彼はこのときはまだ、『春日』の三等士官であった。
 その日、『春日』には長州藩士の大神一彦が人型蒸気を搭載するために訪れていた。

「そうか、そんなことがあったのか。」
「黒田さんの言われる、『アボルダージ』作戦は、確かに有り得ることです。オイもイギリス人に色々海軍のことを聞かしてもらったけど、その時に黒田さんの言う接艦作戦も聞いた覚えがあります。」
「そんな騙まし討ちのような作戦をしてもいいのか?」
「万国公法では、攻撃の直前に自国の旗を揚げると、規定しちょります。これからは、オイたちのような軍人も、万国公法を勉強せねばならんのかもしれません。」
「……おい……あれは何処の船だ?」

 沖合いから一隻の船が接近してくるのが見える。マストにはアメリカの星条旗が揚がっている。

「あれが敵じゃったらエライこっちゃのう。」
「おかしい……直角に近付いてるぞ!!」

 そしてその直後、突然、星条旗が降ろされた。

「いかん! アボルダージだ!!」
「大砲で甲鉄艦に報せろ!! 急げぇっ!!」

 まさしくその艦こそ、新撰組の乗る回天であった。嵐により播龍・高雄の2隻とはぐれ、単艦で作戦を決行してきたのだ。

「……先頭は斎藤隊、それから相馬隊と野村隊が続け。三人とも、抜かるな!」
「はっ!」
「最大の敵はガトリング砲だ。あれが稼動する前に制圧するぞ。」

 やがて艦長の甲賀源吾が作戦開始の合図を出した。

「アボルダージ! アボルダージ!!」

 マストに日の丸が揚がる。同時に、春日から甲鉄艦へ、アボルダージ作戦を報せる空砲が鳴り響いた。

「いくぞ、衝撃に備えろ!!」

 ドガアアアアアァァァァァァァァッ!!
 回天は甲鉄艦の後部に衝突した。同時に、土方の合図で斎藤 一が斬り込んだ。

「新撰組・斎藤 一、一番!!」
「同じく野村利三郎、二番!!」
「同じく相馬主計、続けぇっ!!」

 三〇人の新撰組隊士たちが一斉に斬り込んだ。あっという間に後甲板を制圧。
 中央部へ進もうとしたその時・・・・
 ドガガガガガガガガガガガガガ・・・・・・・ッ!!
 中央部からガトリング砲の射撃を受けた。敵の反撃態勢が整ったのである。作戦通り、三隻同時に突っ込んでいれば、中央部の敵は孤立し、両側から攻め立てられたはずだった。

「いくぞ、竜さん!!」
「おうっ!」

 竜馬と土方が甲鉄艦に乗り込んだ。
 だが、ガトリング砲の銃撃を浴びて次々と新撰組隊士たちは射殺されていく。やがてガトリング砲の銃口は回天の艦橋に向けられた。艦橋では甲賀源吾が指揮をとっている。
 ドガガガガガガガガガガガガッ!!

「ぐわっ!?」

 甲賀源吾は眉間に銃弾を受け戦死した。代わって指揮をとったのは松岡盤吉。既に回天の甲板には多くの乗組員の死体が転がっている。甲鉄艦の上でも、既に4分の3の隊士を失っている。

「作戦中止だ!戻れ!!」

 松岡の命令を受けて、竜馬も作戦中止を下命。まず生き残っている平隊士を撤退させ、幹部たちは最後に撤退した。しかし、この戦いで多くの隊士の命が失われ、野村利三郎も銃弾を受けて波間にその姿を消したのだった・・・・・

 前代未聞の軍艦奪取作戦は失敗に終わったが、その大胆さと勇猛果敢さを評価され、世界の海戦史上に『宮古湾海戦』としてその名を止めることになる。


其の弐へつづく……


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