其の伍  ―北辰の星・七条油小路の決闘―

 坂本龍馬暗殺の翌日。近江屋を伊東甲子太郎が訪れた。
 暗殺現場の二階から犯人の者と思われる遺留品を持った土佐藩士・谷 干城が降りて来た。

「この鞘と下駄が、残されちょりました。」
「……拝見。……ふむ、この鞘には見覚えがござる。……新撰組十番隊組長・原田左之助のものです。」
「それは誠ですか!?」
「それに、この下駄には瓢箪の印が入っている。これは瓢亭の下駄。瓢亭といえば、新撰組出入りの店。下手人は新撰組に間違いございますまい。」

 これを群集に混じって聞いている侍が居た。
 変装している新撰組監察・山崎 烝である。山崎はさっそく屯所に戻り、左之助にこのことを報せた。

「俺の鞘が!?」

 横には竜馬と新八がいた。

「左之助が坂本龍馬を斬ったというのか?」
「いいえ……原田さんが犯人でないことは、私もわかっています。」
「当たり前だっ!! 俺の鞘はちゃんとここにある!! 大体、鞘が落ちていたということは、抜き身のまま帰ったということだ。仮に俺が坂本を斬ったとしても、鞘を残して帰るほど狼狽はせん!!」
「その現場に落ちていた下駄というのもそうだ。下駄が片方落ちていたってことは、片方は裸足で帰ったってことだ。」
「全く、新撰組をナメた話だ……どこのどいつだ、新撰組に濡れ衣着せやがったのは?」
「……伊東甲子太郎です。」

 山崎の答えに、竜馬も左之助も新八も、『なるほど』という顔をした。
 その頃、局長室には島田 魁が駆け込んでいた。密かに御陵衛士を脱退し、紀州藩・三浦休太郎の下に潜伏している斎藤 一からの連絡であった。

「……伊東の考えそうなこった。」
「……俺を暗殺せよ、か。」

 伊東は斎藤 一に近藤勇の暗殺を命令していた。
 斎藤はこの命令を受けて新撰組に戻り、密かに暗殺の機会を窺っている、という事になっていた。だが、何度も言うように斎藤はスパイ。監察部を通じて近藤に伊東の計画を全て報告していたのだ。

「他に、連絡は?」
「いえ、今回は以上です。」
「そうか、ご苦労だった。下がってくれ。」

 島田を下がらせると、今度は竜馬が入ってきた。

「おお、竜さんか。ちょうど良かった。今、島田君から報告を受けたんだが、斎藤君が近藤さんの暗殺命令を受けていたそうだ。」
「そうか……実は、俺からも報告がある。伊東甲子太郎の奴が、左之助を坂本龍馬暗殺の下手人に仕立て上げやがった。」
「何ぃ?」
「土佐藩の連中はそれを信じ切っている。近い内に御陵衛士と土佐藩の連中が一斉に切り込んで来る可能性が出てきた。」

 近藤と土方はかねてより計画していた作戦を実行に移すことにした。
 伊東甲子太郎に対し、機会があれば国事について談合したいと申し入れた。伊東はこれを受け入れた。数日前に斎藤 一が脱退して近藤勇暗殺計画は漏れていると見るべきなのに、伊東はその溢れる才気ゆえにこの単純すぎる罠に引っ掛かったのだ。

 その日、伊東は一人で近藤の妾宅に出向いた。篠原泰之進や服部武雄が止めたが、伊東は聞き入れなかった。
 近藤と伊東は日が暮れてもなお、国事について論じ続けた。伊東はこのとき、自分の弁舌をもってすれば近藤を味方に引き込めると信じきっていた。無論、当の近藤には伊東の弁論を聞く気など更々なかった。

 その間、新撰組隊士たちは密かに七条・油小路に集結。一方、大石鍬次郎率いる一隊は本光寺の門前にある、焼けた民家に潜んだ。ここは伊東が近藤の妾宅から高台寺に帰る途中にある。
 夜は更けた。伊東は酩酊状態で謡曲『竹生島』を口ずさみながら歩いて戻っていった。
 その日の夜は妙に冷たい風が吹いた。待っている大石たちも、新撰組隊士たちも寒さのあまり震えだしていた。

「くそ……まだか……」

 やがて、一人の男が近付いてくる。

「……来た……手筈通りに行くぞ。」

 伊東が民家の前を通り過ぎようとしたそのとき、塀の割れ目から飛び出した槍が、伊東の首を貫いた。

「ぐぅっ!?………ぬあああぁぁっ!!」

 首を貫かれてもなお、伊東は槍を斬り落とし、飛び出してきた大石鍬次郎らを迎え討つ。

「奸賊めぇっ!!」

 伊東は奮戦するも、既に深傷を負っている。暗殺のプロである大石に勝てるはずは無かった。

「覚悟ぉっ!!」
 ザンッ!!
 大石と数名の隊士が伊東の腹や背中を斬った。

「……」

 伊東はそれでもなお、刀を振り上げたが力尽き、倒れてしまった。すぐに、検分していた尾形俊太郎が屯所に走った。
 屯所では真宮寺竜馬、永倉新八、原田左之助、吉村貫一郎、島田 魁ら精鋭部隊が戦闘準備を進めていた。

「伝令!伝令ェッ!!」
「……首尾は?」
「……仕留めました。」
「…よし。」

 竜馬は複雑な思いで段に上り、全員に号令を下した。

「今宵、高台寺党を一気に殲滅する。……裏切り者には死あるのみ!!」
「おおっ!!」

 伊東の遺体を引き取りに来るであろう高台寺党を迎え撃つ、新撰組精鋭部隊は屯所を出発。
 七条・油小路に潜み、静かにその時を待った。

「おい、平助さんは来るかな?」
「……来るとまずいな……」

 左之助と新八は藤堂だけは斬らずに逃がしてやろうと考えていた。

 その頃、高台寺に番小屋の役人が駆け込み、伊東甲子太郎暗殺の報せが届いた。
 しかしこの夜、伊東甲子太郎にとって不運が重なっていた。高台寺党の、何人かは折悪しく外出していた。

 報せを聞いたのは、篠原泰之進、服部武雄、鈴木三樹三郎、毛内監物、富山弥兵衛、加納鷲雄、そして藤堂平助。以上、7名のみであった。

「みんな、用意はいいか!兄者の遺体を路上に捨て置くわけにはいかん!」
「どうせ新撰組は待ち伏せているだろう。だが、罠とわかっていても、御大将の亡骸を晒しておいたのでは、武士の名がすたる!!」

 鈴木や服部は伊東を殺されたことに怒り狂っている。一方、篠原は藤堂を気遣った。

「藤堂君、君はどうする?」
「……私が、先頭で参ります。」

 平助はこの時から、死を覚悟していたのだった。


 やがて、藤堂や篠原たちは油小路に到達。
 『四方を顧みるに、整然として人無きが如く。よって、伊東の死処に駆け寄り一同嘆声を発すも、賊(新撰組)三方より躍り出て散々に斬りかかりたり。数、二十余名なり。』
 ―以上、篠原泰之進の手記による
 新八たち新撰組の精鋭たちは高台寺党を包囲するように飛び出し、斬りかかった。
 戦闘開始後数分でまず、毛内監物が永倉新八と切り結んだ。

「こぉのぉ……甘ぇんだよ!!」

 毛内の刀を叩き折ると、袈裟懸けに斬った。毛内はこれが致命傷となって死亡した。
 次に加納鷲雄が原田左之助と戦闘を開始。左之助は伊東によって坂本龍馬暗殺の犯人にしたてあげられたこともあって、個人的な恨みもぶつけている。

「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 左之助の槍は加納の右肩、左腕を貫き、加納を戦闘不能に追い込んだ。

「止めだぁっ!!」

 キイィンッ!
 左之助の槍を止めたのは何と平助であった。

「加納さん!!加納さん、逃げろ!!」
「す…すまん……」

 平助は左之助と戦おうとしたが、突然、左之助は槍を引いて走り去ってしまった。

「……左之助さん……」

 一方、吉村貫一郎は一番の強敵・服部武雄と戦っていた。
 二人とも撃剣師範で実力はほぼ互角。何度斬りかかってもダメージを与えることは出来ない。

 しかし、勝負は壮絶な結末を迎えるのであった。

「うおぉぉぉぉぉぉっ!!」

 吉村、服部……共に刺突を放ったその瞬間……
 ガキイィッ!
 ザシュウゥッ!!
 吉村はハッとなった。新撰組は鎖帷子で武装しているが、服部たちは何の武装もしていない。服部の刃は鎖帷子によって阻まれたが吉村の刀は服部の胸部に突き刺さっていた。吉村も武装していなければ、相討ちだったに違いない。

「ぬああああぁぁぁぁぁっ!!」

 ズブウウウゥゥッ!!
 吉村の刃は遂に背中まで貫通した。人一倍情に熱く、そして同じ監察・撃剣師範として苦楽を共にした服部の最期に、吉村は涙を流した。

「おもさげながんす……」

 そう言って、吉村は刀を一気に引き抜いた。間もなく、服部は絶命した。


 その間、篠原、鈴木らは脱出を試みていた。

「退けぇ! 脱出しろぉっ!!」

 だが、一人だけ脱出しない男が居た。藤堂平助である。
 島田と鉢合わせした平助はしばし向かい合ったが……

「……・」

 島田はすぐに刀を引き、走り去ってしまった。
 やがて、平助を除いて、御陵衛士たちは全て脱出した。新撰組は平助を取り囲むが、誰一人として斬りかからない。平助から向かっていっても新撰組の方が引いてしまう。

「やああぁぁぁぁっ!!」

 左之助が槍を持って突っ込んできた。だが、殺気が全く無い。それもそのはず……・

「平助、みんな逃げたぞ。オメェも逃げろよ。」

 次に新八が突っ込んできた。やはりこっちも殺気が無い。

「南に逃げろ、誰も居ないぞ。」

 そう言って、平助を南の方へ押し飛ばした。大石や島田たちも逃がそうとしている。

「藤堂さん、早く逃げろ。」
「さぁ、早く。」

 だが、平助は逃げず、呆然と立ち尽くしている。
 ―誰も俺を斬ってくれない。
 平助がそう思って腹を切ろうとしたそのとき、隊士たちの中から一人の男が出てきた。

「……平助。」

 出てきたのは竜馬であった。既に抜刀しており、無言のまま刀を八相に構えた。
 平助も刀を正眼に構えて、竜馬の方を向いた。

「竜さん……行くぞ!」

 平助と竜馬の刀はほぼ同時に振り下ろされた。
 ザンッ! キィンッ!
 だが、竜馬は鎖帷子を着て出動してきた。そのため、平助の剣は通じない。だが、平助は何も武装していない。竜馬の一撃は平助に致命的な傷を与えていた。

「………」

 平助は竜馬の顔を見て微笑んだかと思うと、力尽きた。倒れ掛かってくる平助を抱きとめ、脈を確かめたが平助は息絶えていた。

「平助……」

 竜馬は答えの返って来る筈のない平助の遺体に言葉をかける。

「平助……裏御三家を継ぐ者も、とうとう俺一人になっちまったよ……」

 竜馬の悲しみは他の誰にも理解できないものであった。
 破邪の剣士は裏北辰一刀流を継承した者のこと。千葉定吉、千葉佐那、真宮寺竜馬、藤堂平助の四人だけ。その内、隼人、藤堂、真宮寺……いわゆる裏御三家を継ぐのは竜馬と平助のみ。既に断絶したという隼人一族に加え、藤堂家は平助の死によって断絶。竜馬に兄弟が居ないため、裏御三家を継ぐのは竜馬一人となってしまった。
 竜馬には『魔を狩る者』としての悲しく辛い宿命がある。それを理解できる数少ない者である平助を斬ってしまった。その悲しみは計り知れないものであった。

「平助……俺は……俺は寂しい……」

 平助の遺体を抱きしめながら、竜馬は涙を流した。
 人前では絶対に泣いた事のない竜馬が初めて見せた、悲しい涙であった。

 慶応三年 十一月十八日
 七条油小路において、元新撰組参謀・伊東甲子太郎 暗殺さる。
 元八番隊組長・藤堂平助、元監察方・服部武雄、元学術師範・毛内監物、共に討死。

 屯所へ戻った山崎は近藤に油小路の戦闘を報告した。

「……高台寺の一党、油小路に抑えました。」

 伊東甲子太郎の暗殺よりも、近藤には気になることがあった。それは……

「藤堂君はどうした?……藤堂君は来たのか?」
「……武士らしく、斬り死にされました。」
「……そうか……武士らしく死んだか……」

 新撰組の隊士は、そのほとんどが武士ではない。百姓や町人もいる。近藤や土方ですら武士ではない。彼らが思ったことはただ一つ、『本物の侍よりも侍らしくありたい。』藤堂平助もまた、誰よりも侍らしくあろうとした。
 平助を敵に回してしまった近藤は、せめて平助を武士らしく死なせてやりたかったのだ。

 藤堂平助と伊東甲子太郎は竜馬の手によって、壬生の光縁寺に埋葬された。だが後に御陵衛士の生き残りたちによって、戒光寺に改葬されて現在に至る。

「……平助よ……俺は最後まで行くぞ。新撰組隊士として……破邪の剣士として……一人の男として……俺は、誠の節義を貫き通して見せるよ……・」

 その隣には山南敬助の墓がある。

「敬助……オメェなら、『それ見たことか』と言って説教するだろうな。」
『竜馬君、何事も剣だけで解決しようとする考え方が、こういった悲劇を起こすんだ。問題の全てはそこにある。』

 かつてそんなことを竜馬に言った山南の声が、今また聞こえるような気がした。真冬のように冷たい風が吹く壬生の光縁寺を、竜馬は去って行く。

 藤堂平助、坂本龍馬、山南敬助、伊東甲子太郎……この数年で北辰の星たちが消えていった。
 ――俺もいつかは消える。しかし、それまで俺は精一杯生きる。
 竜馬は余儀なく袂をわかち、散っていった盟友たちの墓前にそう誓ったのであった。

 

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