第伍部「祇園囃子・池田屋騒動(其の弐)」

 黒谷の会津本陣を訪ねた竜馬は暗い夜道を一人で歩いていた。
 一方、長州藩邸を出て、壬生方面に向かっていた大神一彦たちはあらかじめ放たれていた斥候からの報告を受けていた。

「何? 真宮寺竜馬が? 巡察か?」
「いいえ、一人です。真宮寺竜馬一人で、歩いています。」

 『人斬り彦斎』の異名を持つ肥後藩士・河上彦斎は報告を聞いて不審に思った。

「どう思う、大神殿? 罠とも考えられるが・・・・・」
「しかし、新撰組局長代理ともあろう男が、大胆にも囮を買って出るとは思えん。それに、我々の計画が漏れるはずはない。」
「・・・・・現在の巡察隊の位置は?」
「半時ほど前に、屯所を出ました。3つ向こうの通りを行くはずです。」
「・・・・・」
「どうする、大神殿?」
「・・・・天佑だ!天佑を確信し、真宮寺竜馬を斬る!!」

 大神を先頭に、浪士たちは竜馬の行く方向へ先回りした。
 数分後、竜馬の足が止まり、周りを警戒し始めた。

「・・・・・」

 何か気配を感じているのだ。そして、それは当たっていた。
 前後から浪士達が走ってきて、竜馬を包囲した。

「どなたかな? 人違いなら良し。もし、俺を新撰組の真宮寺竜馬と知ってのことなら、その時は止むを得ん。こっちも死力を尽くして戦うまでだ。」

 と、その時、一人の男が前に出た。

「・・・・・お前は、大神一彦!」
「ほお、覚えていたか。さて、どうする真宮寺殿?この者達はいずれも人斬りの異名を持つ者ばかりだ。」
「なるほど、見覚えのあるツラが多いわけだ。佐伯忠康(音熊)、河上彦斎、岡田以蔵、そして斯波正勝。さぁて・・どうするかな?」

 竜馬は霊剣荒鷹に手をかけ、そして、一人の浪士に斬りかかった。

「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 剣は空を斬ったが、敵中突破に成功。竜馬は逃げるが、大神達を振り切ることはできない。向こうもほぼ同じ速度で走っているのだ。
 途中、振り向いては一人、また振り向いては一人と斬っていく。それが竜馬のいつもの戦い方だった。そして竜馬には勝算があった。このまま走りつづければ、巡察隊にぶつかる。そうすれば多少は有利になる。
 そして案の定、巡察隊に当たった。この日の巡察には人員不足のため斎藤、永倉、原田ら幹部が三人もいた。

「あれぇ、竜さん。会津藩邸に行ってたんじゃ・・」
「その帰り道だが、厄介なのに会った。」
「え・・・・あれですか?」

 通りの向こうから大神達が駆けて来る。

「よし、行くぞ!!」
「おおっ!!」

 原田の合図と共に、8人の隊士達が突撃する。

「怯むな、行くぞ!!」

 大神達も負けじと突撃してくる。
 通りのど真ん中で壮絶な斬り合いとなった。どちらも剣の腕には自信のある者ばかり。なかなか勝負は付かなかった。

 ピイィィィィッ!!

 そこへ、今井信郎率いる見廻組の巡察隊が駆けつけてきた。

「見廻組、今井信郎なり!新撰組の方々、助太刀致す!!」

 これで、戦闘は新撰組が断然有利になった。大神達は撤退したが、5名の仲間を失い、新撰組、見廻組の人的損害は負傷者4名だけであった。

「いやぁ、今井殿。よく来てくれた。もう少し遅ければ危のうござった。」
「何をおっしゃる。新撰組の真宮寺殿、永倉殿、斎藤殿、原田殿とそうそうたる面々なら、敵はおりますまい?」
「今井殿は、お気づきにならなかったのですか? あの浪士たちも、相当な面々でしたぞ。わかっているだけでも、長州の大神一彦、佐伯忠康、肥後の河上彦斎、土佐の岡田以蔵、福岡の斯波正義。」
「なぜ、そんな大物ばかりが一緒にいたんだ?」
「わからん。だが、大方大神辺りがかき集めたに決まってる。ここは危険だ。とりあえず、屯所へ引き返そう。奴らが戻ってくる。」
「そうかも知れねぇな。よし、引き上げだ!動けるモンは負傷者を手伝ってやれ!」

 新撰組も見廻組もその日は巡察を切り上げ、各屯所に戻っていった。



 六月三日
 山崎はいつものように島田と会っていた。

「おお、これはこれは、島田屋さん。」
「やあ、山崎屋さん。みなさんご機嫌よろしうおますか?」
「ええ、お陰さんで。」

 そして、一頻り芝居を打った後、報告をした。

「昨夜、宮部と北添が到着した。だが、まだ桂は現れない。」
「うむ。監察方総動員で探しているが、誰からも報告は無い。」
「まだ長州藩邸に篭っているというのだろうか?」
「恐らくそうだろう。人が来る。別れよう。」

 そして、二人ともまた商人の顔になった。

「では、みなさんによろしく。」
「へえ、今度ウチにいらして下さい。みんな待っとりますさかい。」

 それぞれ別々の方角に歩いて行った。
 その頃、桂はまだ長州藩邸に篭っていた。

「桂先生。宮部様たちがそろそろ池田屋に出向いて下さいと。」
「まあ、慌てるな俊輔。新撰組の動向がわかるまで、下手に動いてはまずい。」
「しかし、先生。間者の松井隆三郎、荒木田左馬助は斬られ、今は新隊士の募集もやっていません。動向を探るのは、極めて困難です。」
「わかっている。だが、何か気になるのだ。今は池田屋にも、四国屋にも行ってはいけないような・・・・・」

 桂の予感は当たっていた。今彼がどちらに行っても、すぐさま新撰組監察部の網にかかり、すぐに新撰組の強襲を受けてしまうだろう。
 屯所では相変わらず病人が多く、巡察の編成もままならなかった。

「どうしたものかね。だんだん赤札が増えていく。」

 斎藤、藤堂が河合の部屋で巡察の編成を考えていた。河合は毎日毎日、巡察の編成には頭を悩ませていた。

「これをこうして・・・あきまへんなぁ。この人、昼もやったからなぁ。」
「河合さんも大変だねぇ。毎日毎日・・・」
「ある意味、巡察よりも大変かもねぇ。」
「せやけど、これが私の仕事やさかい。みなさん外回りで頑張ってはるんや。これくらいで音を上げたらあきまへん。」

 そこへ、あくびをしながら原田が来た。

「ふぁああぁぁ・・・おぉい、河合さん。巡察の編成は出来たかい? 昨夜の一件で4人も怪我人が出ちまったからなぁ。」
「はぁ。もう少し待っとくれやす。すぐ考えますさかい。」
「そうかい。まだ時間あるからゆっくり考えてくれや。」
「しかし、どんなものかねぇ。監察部が全員出払ってるってことは、大手入れがあるってことだろ?出来るのかね?」
「斎藤さんよぉ、いざとなりゃ、俺たちだけでやるまでさ。麻疹やコレラも跳ね除けたくれぇの勢いでな。」

 その頃、総司と井上、そして近藤の3人は部屋で雑談をしていた。

「しかし、こうも病人が多いのでは、河合君もだいぶ困ってるだろう。」
「へぇ、しかし、あの人は私と同じでやりくりするのが得意でごぜぇますから、任せておいて大丈夫でしょう。」
「ははは・・・お祖父ちゃんも試衛館の時は大分苦労しましたからねぇ。」
「わしは剣の修行をしているよりも質屋に通う時間の方が長かったからねぇ。上達しなかったはずだ。」

 そんな話を聞いて、近藤は少し渋い顔をしていた。

「源さんには、随分と苦労をかけてしまったなぁ。スマン。」
「いやいやいや!!私は別にそんなつもりで言ったのでは!!」
「はははは・・・・!!」

 井上は慌てているが、総司は他人事だと思って馬鹿笑いしている。

「そう言えば、土方さんは?」
「ああ、トシさんなら、部屋にいるだろう。」

 近藤の言う通り、土方は部屋で何かを書いていた。

「お邪魔しますよ、土方さん。」

 総司がお菓子を持ってニコニコしながら入って来た。

「何だ、総司か。何の用だ?」
「いえ、別に用と言う用ではありませんが、お菓子を持ってきたんです。美味いですよ、どうですか?」
「いらん。総司、そんなものばかり食ってるから、お前はいつまでもたっても顔が白いんだ。」
「そういう土方さんは黒すぎますよ。」

 総司は机の上にある書物に目をつけた。

「また俳句をお読みになられてたのですか?」
「ふん、お前には関係ない。」
「関係ないとおっしゃる割には、よく私に見せるじゃないですか?」
「あれは、別に好きで見せてるわけじゃない。見せないと、お前がうるさいからだ。」

 土方はよく俳句を読む。豊玉という号を名乗り、その顔からは想像も出来ないような可愛らしい俳句を読むと、総司は言う。

 一方、竜馬は松原を誘って散歩に出かけようとしていた。

「局長代理。松原です。入りますよ?」
「おう、来たか。」
「行きましょうか?」
「ああ。」

 竜馬の差している刀を見て、松原は首をかしげた。

「差し料が違いますね。霊剣荒鷹はどうしたんです?」
「・・・研ぎに出すだけだ。」
「・・・・・」

 その日、竜馬は近藤の虎徹、土方の之定を預かり、研ぎに出した。出来上がりは二日後、即ち六月五日である。
 屯所への帰り道、竜馬は空を見上げていた。

「どうしたんです?空ばかり見て。」
「・・・忠司。空ってのは、何処から見ても青いもんだな。」
「はあ?」
「仙台から、桂さんも同じ空を見ているのかね・・・」
「何の話ですか?」

 竜馬は照れ隠しのように笑った。

「ふっ。何でもない。帰るぞ。」
「はあ・・・」

雲ひとつ無い晴天の下、二人は壬生へ戻っていった。



其の参へつづく……

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