元治元年 六月一日。
祇園祭の囃子が響き渡り、京都の町は実に賑わっていた。
その頃、壬生の新撰組屯所では幹部会議が行われていた。
「どう思う、トシさん?」
「近藤さん、奴らはあれくらいのことで諦めるような奴らじゃない。古高俊太郎を捕まえたことで確かに浪士たちは狼狽した。奴らの取る道は二つ。ひとまず京より撤退するか、あるいは短兵急に事を決行するか。いずれにせよ、どこか一箇所に会するはずだ。」
古高俊太郎捕縛と大量の武器押収により、過激派浪士たちはそのまま京より撤退すると、所司代は思い込んでいた。しかし、土方はあくまで敵は一箇所に集まると主張。近藤、竜馬もその考えに賛同したが、山南だけは反対した。
「土方君。そこまで言うのなら、何か根拠でもあるのですか?」
「根拠などあるはずがない。一か八かの、博打だ。」
「博打?これはひどい。こんな大事なことに博打を打つとは、心外ですな。」
「博打でいけないのなら山南さん、要するに俺の勘だ。」
「勘?・・隊を率いる者が勘で動くとは、言語道断。近藤先生、どう思われますか?」
土方は昔から、何事も自分の勘を信じ、それをもとに行動してきた。論より実行。それが土方の行動理念だが、山南は違う。慎重に検討して行動を起こす。土方とはもとももとウマの合わない人格だった。無論、土方は昔から、何かと弁論を述べる山南が嫌いだった。
「所司代の考えも山南君の意見も一理ある。もっともなことだ。しかし、私はやはり、土方君の意見を尊重したい。」
「しかし、近藤先生。」
「理屈はいらない!」
『理屈はいらない。』・・・それは近藤と土方の合言葉のようなものだった。近藤は武州三多摩でガキ大将をしていたが、その時から既に土方の勘には絶大なる信頼を寄せていた。
その頃・・・・
河原町三条 旅籠・池田屋。
入口から一人の薬売りが入って来た。
「あ、お帰りなさいませ。」
主の惣兵衛が出迎えた。
「やあ、暑うなりましたな。」
「そうどすな。あんさんもしんどうおますやろ?」
「いやぁ、これも商売やさかい。」
薬屋は階段を上がり、部屋に戻っていった。
(・・・・・まだいるな。ざっと13人。)
隣の部屋には大勢の武士達がいた。長州藩の浪士たちだ。この薬屋の正体は山崎 丞。
新撰組諸士取調役兼監察方 山崎 丞。
大坂鍼医師の息子で、剣は神心明智流、棒術は香取流を修めている。人一倍義理人情に厚く、そして忍耐強い。監察と言う役目にもっとも打って付けの人物である。
山崎は1ヶ月近く屯所を離れ、薬屋に変装して長州藩士たちの同行を探っていたのだ。
緊急時以外の連絡手段は河原町の表通りで店を出して商人を装っている島田 魁と接触。そして島田がさらに壬生で同じように店を出している尾形俊太郎と会って、そして屯所に報告される。
なお、緊急時は直接屯所に報告することになっている。
同じ頃、長州藩邸では、大神一彦、佐伯音熊の二人が、河上彦斎、岡田以蔵、斯波正義の3人を招いてある計画を練っていた。
「頭デッカチの連中は当てにならん。新撰組を潰すには今が絶好の機会だ。幸い屯所内には病人が溢れている。動けるのは30人程度だ。」
「今まで我々を散々コケにしてくれた新撰組を一網打尽にするには、奇襲攻撃以外にない。夜中に屯所を襲い、近藤や土方の首を挙げる!」
この計画に参加するのはいずれも腕利きの剣客たちばかり。河上、岡田、斯波はもちろん、それ以外の者も各流派の免許皆伝の者ばかりだった。
「それで、襲撃はいつですか?」
「これより、四日後・・・即ち六月五日とする。それまでは市中を巡察する連中をやる。大将首を狙うのはそれからだ。」
六月五日は祇園祭の日程では宵山の日。祭りが最も盛り上がる日であった。
六月二日。
所司代に出向いていた山南と竜馬が屯所に戻ってきた。早速近藤に報告しようとしたが、ちょうど尾形が山崎からの報告を伝えていた。
「おお、竜さんに山南君。今、ちょうど尾形君から報告を受けていた。山崎君が池田屋という旅籠に13名の浪士がいると報せてきた。しかも、まだまだ集まるそうだ。」
「実は、そのことで所司代からお話がありました。」
二人とも座り、竜馬が報告する。
「所司代も会津様も、四国屋が怪しいと言ってきております。」
「四国屋?」
監察方で、市中情勢に詳しい尾形が説明する。
「四国屋とは、二条河原町にある通称『丹虎』のことで、昔から長州藩とは縁の深い料亭です。今も、長州藩士たちが出入りしています。」
「・・・・トシさん。確か古高も・・・」
「そうだ、四国屋と言った。」
古高は土方の酷い拷問を受けてその計画を吐いた。その中で一同に会するその場所は四国屋だと言ったのだ。
「しかし、山崎君の報告では池田屋だ。」
「近藤さん。古高が命欲しさのあまりに言ったことだ。嘘は言わんはずだ。」
それには竜馬が反論する。
「甘ぇよ、トシ。本当の武士なら、最後の最後まで望みは捨てんものだ。古高は結局、最期まで同志の名を口にしなかった。俺は、山崎の報告を信じたい。」
「竜さん、近藤さんも、あんたら少しばかり、山崎君を信じすぎているんじゃねぇのか?」
「トシ、お前は人を疑いすぎる。」
近藤とはこういう男だ。かつて一度も人を裏切ったことも、逆に裏切られたこともない。それゆえに、自分を慕う者には絶大な信頼を寄せる。
いつも人を疑ってかかる土方とは対称的な人格だった。
「考えても見ろ。山崎が間者だったとしたら、簡単に俺たちを陥れられる立場にあるんだ。」
「土方、山崎はこれまでにも、数多くの長州浪人を挙げて来た。古高の正体を暴いたのもあいつだ。間者にどうしてそんなことができる?」
竜馬と土方、互いに一歩も譲らない気迫で議論している。
それを無理に近藤が割って入る。
「いずれにせよ。今、屯所の者はほとんど動けない。敵の襲撃には十分注意せねばならんな。尾形君、ご苦労だった。引き続き、浪士たちの動きを探ってくれ。」
「承知しました。尾形俊太郎、任務に戻ります。」
尾形は再び屯所を離れ、任務に就いた。
その夜も山崎は薬を売り歩き、池田屋に戻ってきた。
そして、部屋に入って、浪士たちの様子を探る。
そのとき、部屋から杉山松介が出てきて、主人を呼んだ。
「おぉい!誰かいないか!」
「へえ、何ぞ御用でしょうか?」
「今晩、遅くに客が二人来る。宮部さんと北添さんとおっしゃる。戸は明けておいてくれ。」
「へえ、わかりました。」
用件を伝えると杉山はまた部屋に戻っていった。
もちろん、山崎はばっちり聞いていた。
「宮部・・・北添・・・肥後の宮部鼎蔵と土佐の北添佶麿か・・・」
宮部鼎蔵、北添佶麿。どちらも広く名の知れた男。
この報せは池田屋の前を通った島田に投げ文で伝え、そして尾形から近藤、土方の耳に入った。
「うむ・・・・吉田、宮部と言った所が首領格だな。それが池田屋に集まっているとは・・・」
「近藤さん、少しは、うたぐったらどうだ?そんな大物なら、山崎君に気付かないはずがないだろう?」
「いや、トシさん。山崎君は変装が得意中の得意だ。原田君や斎藤君が巡察の時にすれ違っても、顔色一つ変えずに素通りしたそうだ。この1ヶ月も屯所を離れてながら、なかなかああはいかんものだ。」
近藤が土方を始めとする試衛館以来の同志を除いて、最も信頼を寄せていたのが、この山崎丞であった。入隊して即、監察に取り立てたのも近藤だ。近藤にとって、山崎は土方に次いで頼れる存在となっていたのだ。
その頃、竜馬は会津藩邸の野村左兵衛に呼ばれていた。
「お待たせしました、公用方の野村左兵衛です。」
「始めまして、新撰組局長代理、真宮寺竜馬です。」
竜馬はもともと総長だったが、この春の人事で局長代理に就任。総長には代わって山南敬助が就任していた。
互いに礼をして、話は早速本題に入った。
「さて、新撰組の監察部は、浪士たちの集結地点を池田屋と判断されているようですが、まことですか?」
「そのとおりです。」
「実は、我々でも独自に調べましたところ、どうも違うようでして・・・」
「・・・・丹虎・・・ですか?」
「ご明察。所司代でも、同様の答えを出しております。」
「野村殿、我々・・・少なくとも私は監察部の意見を重視したいと考えております。」
「ごもっともなことです。しかし、万一ということもあります。もし斬り込む際には四国屋にも兵力を回していただきたい。これは、殿の強い要望です。よろしいかな?」
「・・・承知いたしました。」
竜馬は深深と頭を下げ、そしてたった一人で屯所へ戻っていった。
同じ頃、長州藩邸から大神一彦率いる新撰組強襲部隊が壬生方面に向かっていた。