第肆部「祇園囃子・池田屋騒動(其の壱)」

 元治元年・初夏。
 京・河原町無名小路に枡屋という道具屋がある。主は枡屋喜右衛門。近頃、妙に繁盛している店である。何かあると睨んだ土方は島田魁を派遣していた。
 ある日、枡屋に一人の侍が現れた。

「御免。誰ぞ、おらんか?」

 奥から番頭が出てきた。

「へい、おこしやす。」
「主人はおらんか?」
「へえ、申し訳ありません。ついさっきお出かけになられまして、何か御用ですか?」
「いや、用と言う用では無い。大分前に掛け軸を頼んでおいたのでな。居ないのならば、仕方ない。また来よう。」

 侍は店を出て、表通りに向かっていった。
 その侍の後を、一人の商人が尾けて行く。新撰組監察方・島田 魁である。変装し、枡屋を見張っていたのだ。

「・・・・・よし、間違いない。」

 島田は何かを確信し、引き返していった。
 そして、近くのうどん屋に入っていった。

「おお、これはこれは尾形屋さん。」

 声をかけた相手は同じく商人に変装した監察方の尾形俊太郎。

「やあ、島田屋さん。さ、どうぞどうぞ。」
「お暑うおますな。景気はどないだす?」
「ま、おかげさまで、よろしうおますな。」

 しばし芝居を打った後、二人は真面目な顔に戻った。

「どんな具合だ?」
「長州藩邸に張り込んだが、桂はやはり現れない。」
「そうか。だが、長州の吉田稔麿が来ている。」
「吉田が?」

 長州藩士・吉田稔麿。本名は秀実。通称、英太郎。吉田松陰の松下村塾で学び、久坂玄瑞らと並ぶ、松門四天王と称される。

「吉田が来ているということは、長州の者が大分入り込んでいるな。」
「吉田だけではない。杉山松助や、肥後の宮部鼎蔵、松田重助、土佐の北添佶麿。いずれも大物ばかりだ。」
「何かあるな。よし。私は局長に報告します。」

 そして、二人ともまた商人の顔に戻った。

「では、これで失礼します。」
「ああ、皆さんによろしく。」

 尾形は屯所に向かっていった。
 その頃、竜馬は見廻組本陣を訪ねていた。

「お待たせしました。」

 一人の男が入って来た。
 京都見廻組与頭 佐々木只三郎。
 神道精武流の達人。かつて、浪士隊・清河八郎の寝返りの折、新徳寺にいた旗本であり会津藩公用方、手代木 直右衛門の実弟にあたる。
 佐々木はかつて老中、板倉勝静によって江戸に呼び戻された清河八郎をある夜、酒に酔っているところを暗殺した張本人であった。そして現在は見廻組の総責任者である。

「浪士隊以来だな、佐々木。」
「まったく、無沙汰いたしております。挨拶に伺おうとは存じましたが、新撰組の屯所に入るのは、いささか・・・」
「ははは・・・・俺もここに来るのはちょっと抵抗があった。」

 しばし世間話をした後、話は本題に入った。

「桂の動きは掴めたか?」
「ダメですね。京に来ていることはわかっていますが・・・・」
「今、新撰組は永倉新八と大石鍬次郎を巡察から外して探させているが・・・どうもうまくない。ほとんどが空振りでな。」
「我々も今井信朗に探させていますが、やはりダメです。」

 その頃、永倉新八と大石鍬次郎は河原町を捜索中であった。

「おぉい、大石君。そっちはどうだ?」
「ダメです。斬った中に桂は居ませんでした。」
「そうか、これで五度目の空振りだな。」

 その時、尾形俊太郎が走ってきた。

「よお、尾形君。」
「あ、永倉さん。ちょうどよかった。この先の木屋町にある紅屋に長州の浪士達がいるそうです。」
「その中に桂はいるのか?」
「そこまでは・・・・」
「よし、とにかく行くぞ!」

 二人は部下を引き連れ、木屋町に急行した。
 紅屋に行くと、5〜6人の浪士達がいた。

「新撰組だ!御用改めであるぞ!!」

 浪士たちの中には桂がいたが、永倉には背を向けており、入って来た段階ではわからなかった。

「お主らの手形を改める。即刻出せ。」

奥に笠を被って寝ている男がいた。

「おい、お主。お主も手形を出せ。その横の後ろを向いている者もだ。」

突然、笠を被っていた男が立ち上がり、裏口から逃げ出した。

「大石君、追うぞ!!」
「はい!」

 二人は部下達と共に、男を追いかけていった。
 桂はゆっくりとこちらを向いた。

「俊輔、居るか?」
「はい。桂先生。」

 伊藤俊輔が全員の無事を確認した。

「大神君は、大丈夫でしょうか?」
「ああ、彼なら心配はいるまい。俊輔。お前は一足先に長州藩邸に行き、手筈を整えろ。私は宮部殿と落ち合い、すぐに行く。」
「わかりました。」

 伊藤は仲間を引き連れ、出て行った。
 一方、永倉達は逃げた男を追いつめていた。

「もう、逃げられんぞ!被り物を取れ!」
「・・・・・」

 男はゆっくり笠を取った。

「!?貴様は!!」
「そう、水戸藩士・大神一彦!」
「桂はどうした!?」
「ふん、貴様らまんまと俺の手にかかったな。桂殿はあそこに居たのだ!」
「何!?くそったれ!!」

 永倉、大石が一斉に斬りかかるが・・・

「狼虎滅却・・・」

 大神は空高く舞い上がった。

「やばい!退け!!」
「無双天威!!」

 ドゴオオオオオオオオォォォォォォォォォォッ!!

 濛々と砂塵が舞い上がった。永倉も大石も、間一髪の所でかわしていた。

「くそ、逃げられた・・・」

 視界が開けるとそこには大きな穴だけが残っていた。
 その頃、長州藩邸に入っていた吉田稔麿は二人の男を呼び出していた。
 彼らの名は、松井隆三郎、荒木田左馬助。

「両君に来てもらったのは、他でもない。例の件、返答を聞かせてもらいたい。」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 松井と荒木田は黙ったまま大きくうなずいた。

「そうか、やってくれるか。頼むぞ。この計画の成否は君たちにかかっているのだ。」
「心得ました。」
「万事、お任せを・・・・」

 藩邸を出た二人が向かったのは、前川屋敷。新撰組屯所である。
 その日、屯所では隊士の新規採用試験を行っていた。二人はそれを受けた。
 結果、鏡心明智流・免許皆伝の松井は剣の腕を買われて一発合格。一方、剣はそこそこだが兵法を学んだ荒木田は学術を買われて入隊を許可された。
 二人は早速、行動を開始した。
 井戸の中にネズミの死骸や毒物を放り込んだ。たちまちその井戸水を飲んだ、もしくは井戸水を使った料理を口にした隊士のほとんどの者が病気にかかり、動けなくなってしまった。これ以上、感染者を増やさないために、病人は一室に寝かされていた。

「おい、病気なんざ、気合で吹っ飛ばせ。」

 と、病室のど真ん中を堂々と歩くのは、原田左之助。

「飯でも食え。元気が出るぞ。それとも、酒にするか?」

 病気知らずのこの男は相変わらずであった。
 しかし、それでも感染者は増えつづけ、病原菌の出所が井戸であると気付いた頃には動ける者は30人足らずになっていた。毎日の巡察の配置はもちろん、桂の捜索に回す隊士の編成にも、幹部達は頭を痛めていた。

「参ったね、こりゃぁ。赤札ばかりだ。」

 藤堂、斎藤、松原、そして河合が夜の巡察の編成を考えていた。

「う〜ん・・・ほな、この人を・・」
「その人、高熱でうんうん唸ってるよ。巡察は無理だ。」
「そうですか。・・・あ、ほな、こないしましょ。」
「あ、その人昼からずっとになってしまいます。ちょっと気の毒ですよ。」
「こりゃあ、巡察の編成にも一苦労だな。」

 斎藤が一人の隊士の所で目を止めた。

「うん?山崎君も病気か?」
「あ、屯所にはおりません。ひとまず実家に帰らはったんやと思います。」
「へえ、よっぽど悪いんだな。」
「しかし、どういうわけだろうね。江戸で麻疹やコレラが流行ったころも、試衛館の連中は一人も病気にかからなかったしな。」

 その頃、近藤と土方は尾形から報告を受けていた。

「ふむ、吉田、宮部のあたりが首領格だろうな。」
「どうする、トシさん?踏み込むか?」
「いや、まだだ。まだまだ奴らは集まってくる。その枡屋に現れる者を、全て確認する必要がある。こうなったら、監察だけでなく、幹部の者も動員して、枡屋を徹底的に監視させる。」

 土方は副長助勤の者にも枡屋を監視させた。また、桂捜索隊を編成しなおし、永倉を外し、代わりに竜馬が入れられた。



其の弐へつづく……


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