第一部「江戸の喧嘩」(其の参)


 文久2年 元旦 江戸 日本橋
 江戸の中心とも言えるこの町の中に大きな道場がある。

 北辰一刀流 玄武館

 北辰一刀流の総本山である。道場主は千葉周作成政。

「明けまして、おめでとうございます!」

 同門の者達が年始の宴を設けている。
 出席者は千葉成政はもちろん、桶町道場の道場主、千葉定吉。師範代の千葉重太郎。定吉の娘、佐那。
 伊東道場の道場主、伊東甲子太郎。その弟、鈴木三木三郎。師範代の篠原泰之進。
 他に免許を授かった者・・・真宮寺竜馬、藤堂平助、山南敬助、清河八郎、服部武雄。後に新撰組に入隊する者が大勢ここにいたのだ。
 そして、四国・土佐の脱藩浪士、坂本龍馬もここにいた。
 誰しも腕に覚えのある者達ばかりだ。
 当時、同門などの繋がりは、現代に比べてかなり深く、家族同然の付き合いは当たり前だった。

「先生、今年も一つよろしくお願いします。」

 竜馬は成政に挨拶をした。

「竜馬君は、最近試衛館とかいう道場に居候しとるそうじゃな?」
「はあ、あちらで厄介になっております。」
「わしは人のことにはあまり口出ししとうはないが、たまにはお国の御勤めをした方がいいんじゃないのかね?」
「ははは・・・先生も相変わらずですな。生憎、殿にもあまり期待はされていなくて。」

横から定吉が話しに入って来た。

「竜馬さん、試衛館とかいう道場には、強い人はいますか?」
「もちろん。道場主の近藤勇はもちろん、沖田総司や井上源三郎、いずれもかなりの使い手だ。そして、もう一人。師範代の土方歳三という男。他の三人とは比べ物になりません。」
「ほお、例の君を負かした男かね?」
「あれは、剣の腕が立つだけじゃありません。あれでなかなかの策士です。剣の使い手で、頭もキレる。一番たちの悪い人間ですよ。」

 竜馬は土方の戦略家としての才能を高く評価していた。
 甲元一刀流との喧嘩の時も、土方はその才を遺憾なく発揮し、見事撃退した。
 山南や藤堂と話していると、定吉の娘、佐那が酌をしてきた。

「藤堂さん、どうぞ。」
「いやあ、恐縮です。」
「真宮寺さんに山南さんも、どうぞ。」
「それでは、お一つ頂きますかな。」

 三人とも自然と笑みがこぼれる。
 佐那は馬術、長刀の達人。しかし、その美貌は「小千葉小町」と評判だった。
 その佐那が、密かに・・・と言うより、本人は周囲が気付いていないと思っているのだが、好意を寄せている相手が居た。

「ところで、佐那さん。まだ、あいつのこと好きなのかい?」
「ええっ!?藤堂さん、どうしてご存知なんですか?」
「ははは・・・あれで隠しているおつもりでしたか?ここにいる大半の者は知っていますよ。」

 竜馬と山南はその「大半」の中に入っていない。

「誰だ、その相手は?」
「あそこにいる・・・・」

 藤堂が指差した方向には一人で酒をガバガバ呑んでいる男。

「土佐の坂本龍馬です。」
「ほお、あれか。神道無念流の桂 小五郎を負かしたというのは。」

 坂本龍馬・・・土佐藩の郷士。桶町道場で北辰一刀流を学ぶ。藩対抗の剣道大会で決勝戦に進出。相手は神道無念流・錬兵館道場の師範代、桂 小五郎。全戦全勝。負け知らずの剣客だった。
 その桂に、坂本は勝利した。それにより、坂本と千葉道場の評判は一気に上がった。
 しかし、土佐に帰郷した龍馬は武市半兵太の土佐勤皇党に加えられた。そしてある日、土佐の重臣、吉田東洋暗殺の疑いをかけられ、土佐を脱藩。諸国を遍歴した後、江戸に辿り着いた。

「よお、坂本殿。」

 竜馬は酒を呑みながらやってきた。

「拙者、仙台家老・真宮寺竜馬と申す。」
「おう、おんしが仙台の真宮寺殿か。お初に、わしが土佐の坂本龍馬じゃ。」

 礼節を全く意識しない口ぶり。普通ならぶった斬られているところだ。

「お主、なかなかの使い手だそうだな?」
「いやいや、おんしには適わんですきに。」
「ははは・・・謙遜と受け取っておこう。では、また。」

 竜馬は山南たちのところに戻ってきた。

「どうでした?」
「いやあ、あいつあれでなかなかいい目をしているよ。この国の未来を見る目をしている。ああいう男が、幕臣にいればな。」
「佐那さんも、いい男に惚れたもんですね?」

 佐那は顔が真っ赤になっている。

「赤くなりおって、ははは・・・・。」
「もう・・・・みなさん、いい加減にしないと怒りますよ!」
「こりゃいかん。鬼小町を怒らせちゃ、俺たち殺されちまうぞ。」
「はははは・・・・!!」

 3人とも大笑いしているが、佐那はますます顔が真っ赤になった。

「もう、知らない!!」

 その日の夜。道場には、一部の者が残っていた。
 残っているのは千葉成政、定吉。伊東甲子太郎、清河八郎、真宮寺竜馬、藤堂平助、山南敬助。
 6人は時勢について論じ合っていた。

「大分、世の中が騒がしくなったな。」
「黒船来航以来、幕府の威信は失われつつある。」
「いかにも。大老、井伊直弼が暗殺され、幕府は最後の砦を失った。」
「今のままでは、この国は諸外国に踏み潰されてしまうぞ」

 成政、定吉、伊東、清河の4人は熱心な尊王派。一応、藤堂と山南も尊皇派だが、4人ほど熱心ではなかった。
 それに対し、竜馬は佐幕派。ただ、竜馬の場合は他の佐幕派の人間とは違う。
 竜馬にはもはや幕府はこの国に必要ない存在とわかっていた。しかし、真宮寺家は仙台藩はもちろん、徳川幕府からも禄を食んでいる。
 己の思想よりも大義を重んじる竜馬は、例え幕府が滅びる運命にあろうと幕府のために尽くすと誓っていたのだ。

「竜馬殿の意見を伺いたい。」
「拙者の意見はありません。初めから決まっています。拙者は、あくまで義を取る。たとえこの身が滅ぼうと、拙者は幕府のために尽くす。」

 伊東が苦笑しながら言う。

「相変わらずですね、竜馬さん。しかし、今の幕府では近いうちに潰れてしまいますぞ?無駄なことですよ。」
「伊東さん。アンタの言葉とも思えん。アンタは人一倍義理を重んじていたはずだ。」
「君は何かと義理と言う言葉を持ち出すが、君の義理人情は君自身を破滅に導いている。それぐらい、君にもわかっているはずです。」
「ふっ、わかってるさ。わかっていても、義に生きる。それが、男ってもんだろ?」

 この水掛け論は延々と続き、いつしか東の空が明るくなりつつあった。

其の肆へつづく……


一つ前へ
目次に戻る