第五話「血戦」(その4)

「ああ堂々の輸送船か」

 戦時歌謡『暁に祈る』の冒頭の一節を加山は呟く。
 この日、照和十七年九月十九日。日本軍はフィリピンへの上陸を開始した。
 大神機動部隊はこの上陸部隊を護衛する任務を帯びて出撃している。
 旗艦・空母『瑞鶴』に『翔鶴』の五航戦を基幹に、軽空母『瑞鳳』『祥鳳』『龍驤』から成る六航戦を随伴させている(この他に無傷の正規空母『飛龍』があるが、搭載機(より正確には搭乗員)不足から出撃が見送られた)
 空母部隊は航空機を発進させての支援だから、もちろん、加山の視界に輸送船団が見えることはない。沖合から航空機をもって支援するのが彼らの任務だからだ。

「そう嫌そうな顔をするな、加山」

 大神が加山の肩を叩く。だが、表情を変えない。

「陸軍の面子とやらで作戦を強行させられるのでは、戦略戦術以前の問題じゃないか」

 このフィリピン攻略戦は“出番”を求める陸軍主導によるものであった。
 いろいろと陸軍に“借り”がある海軍はこれを拒むことができなかったのだ。しかし、貸し借りで戦略が決められてはたまらないと加山は言っている。
 本来、先の海戦でも搭乗機を損耗させた海軍としては、休養期間をとって立て直しを図りたいところなのだ。

「だが、戦略的に無意味ではないさ」

 フィリピンは太平洋西部における米軍の唯一最大の拠点だ。
 ここには米陸上部隊と航空兵力が存在しており、米海軍の根拠地としてもスーピック湾がある。仮に中部太平洋での戦闘が日本優位に進み、勢力圏を前進できたとしても、フィリピンには常に兵力を貼り付けて包囲・監視していなくてはならないだろう。したがって、このフィリピンを掃討することは後顧の憂いをなくし、前線に兵力を集中できるという意味がある。

「それは承知だが、あまりにも無理がすぎるだろう。清流院参謀総長閣下ならわかるだろうに!」

 大神はこの作戦を陸軍側と作戦打ち合わせした時のことを思い出していた。
 作戦レベルでの打ち合わせということで、海軍側からは大神と加山を筆頭とした艦隊首脳部、陸軍側は第14軍司令官・本間雅晴陸軍中将と陸軍参謀本部作戦班長で今回の作戦指導を自ら行うために14軍に同行する辻政信陸軍中佐らとの会議である。

「リンガエン湾でなくては成功がおぼつかない!」

 席上、辻は大声で怒鳴った。
 海軍側は台湾方面からの航空支援や航行距離が最短になる(すなわちリスクがもっとも少ない)ルソン島北部・アパリ~コンサガへの上陸を考えていた。
 しかし、陸軍側は、それでは陸上進撃路が長大になり作戦の成功が保障できないとし、ルソン島中部・リンガエン湾への上陸を主張したのだ。
 この問題は、戦時における陸海軍連絡機関である大本営でも互いに譲らず、作戦指揮官レベルで決定することされたのである。

「そもそも、今回の作戦は、我が陸軍の上陸を護衛するのが海軍さんの任務だろう。我々の作戦案を実現するために万難を排さねばらぬが当然!」

 辻は陸軍士官学校を主席で卒業した秀才である。自分の才能に並々ならぬ自身を持ち、また、台湾軍司令官・石原莞爾陸軍中将を中心とするグループの中核的人物だ。
 その石原は日本はアジアをまとめあげた上でその盟主として、欧州の盟主、米大陸の盟主と対決するという『最終戦争論』を持論とする戦略をもっている。それを実現するためには、政治的に英国の支配下にある満州国を日本の影響下とし、また英国と戦争状態にある支那とも同盟状態となる必要があった(いわゆる北進論)。これは、現在、日本の国策である太平洋海洋支配による国富増強(いわゆる南進論)とは根本的に食い違う。
 米田派と呼ばれる琴音ら陸軍主流派は海軍主導のこの戦略に従っている形だが、伝統的に、どの国でも仲が悪い陸軍と海軍だ。これを面白くなく思っている陸軍軍人は多い。彼らは北進論というより“反米田派”として石原を中心に集まっている。
 もっとも、辻自身は反米田派というより、純粋に石原に心酔している立場だ。そして、その石原が米田派を批判こそはすれ、対立を望んでいないことから、辻もそれにしたがってはいる。だが、石原派きっての論客であり、軍の組織や階級をも無視した独断専行も辞さない厄介な人物であることにはかわりない。
 このフィリピン攻略を主張したのも辻が中心だったという。琴音達も一定の勢力がある彼らの言うことを無視できず、押し切られてしまったというのが事実だろう。

「海軍は自分の作戦のためにはフネを出せて、陸軍のためには出せないというのか!」
「そんなことはいっていないだろうが!」

 遂に加山も腰を浮かせてどなり返した。
 大神にすれば、よくここまでもったと思える。飄々としたスタイルで隠してはいるが、加山は熱血漢だ。

「我々は協力してことにあたろうというのだ。陸軍から一方的な押し付けをされるいわれはない!」
「だから、海軍が非協力的だといっているのだ!」

 辻も机を叩きながら身を乗り出す。
 あわてて双方の参謀達が二人を止める。
 大神は不動のまま視線を辻から、その隣にいる本間にずらした。
 本間はじっと腕組みしたまま自らは発言していない。
 辻に任せたともとれるし、辻に関わらないようにしているともとれる。

「加山、落ち着け。辻参謀も座りたまえ」

 辻は丸眼鏡の奥から大神の顔を一睨みした。
 階級では大神の方が遥かに上だ。だが、そんなものはこの男にとっては大したことではない。ただ、それに怖じぬ大神の落ち着いた態度に、ひとまずは大人しく座ることにした。

「それで、大神長官。海軍側はいかがしてくれるのか?」

 幾分、言葉は穏やかになったが、鋭い眼光を大神に向ける。
 だが、大神はそんな辻に同じように鋭い眼光を浴びせた。いや、くぐりぬけた修羅場の数が多い分、大神の方が目に宿る迫力は上だ。それでも視線をそらさないのは、さすが辻というべきか。

「……わかった。上陸地点はリンガエン湾にしよう」

 辻は再び腰を浮かし、しかし、今度は最敬礼しながら両手で大神の右手をしっかりと掴んだ。

「ありがとうございます、大神閣下!!」

 この日、辻の日記には『大神閣下はすばらしい偉人である』と記されていた。
 感激屋の彼らしく大神への最高級の賛辞だ。
 結果として、石原派の中核であるところの辻にそう受け取られたことで、後の大神による陸海軍統合指揮がスムーズにいくことにんるのだが、これはまた後の話である。
 この時は、陸軍側は満足したものの、海軍側は騒然とした。

「大神。このままうまくいくと思うか?」

 加山の言葉で大神の意識は現実へと引き戻される。

「このまま、っていうわけにはいかんよ」
「しかし、大神閣下の作戦は大したものですよ」

 源田航空参謀が心底、関心したように言う。

「まさか、戦闘機だけをのせるとは思いもつきませんでした」

 通常、大型空母であっても小型空母であっても戦闘機と攻撃機(爆撃機)をバランスよく搭載する。
 今回の作戦に参加している六航戦の各空母の航空機搭載定数も以下のようになっている。

 『瑞鳳』 戦闘機18(補用3)、攻撃機9
 『祥鳳』 戦闘機18(補用3)、攻撃機9
 『龍驤』 戦闘機18(補用3)、攻撃機12
 (合計) 戦闘機54、攻撃機30
 
 これにより、空母を分遣したり、喪失したりしても1隻ずつが独立した戦闘単位となることができ、1隻でも残っていれば(威力はともかく)、制空・対地支援・対艦攻撃・哨戒・索敵の全てが行えるということになる。
 だが、大神はあえてその柔軟性を捨てた。六航戦全てを戦闘機だけで固めたのである。その結果、総計93機の戦闘機隊となり、戦闘機の数だけで見れば正規空母5隻分にも相当する戦力となった。全てが制空権確保に当たるのだから、船団上空の護衛には一応の自信が持てる。その分、手薄になる地上支援は台湾・高雄基地の航空隊、台南空から中攻(中型攻撃機の略。この当時の主力は九六式陸上攻撃機と一式陸上攻撃機)を出撃させている。護衛も台南空の零戦をあてているから、艦隊には負担がかかっていない。単座戦闘機としては超長距離出撃だが、開戦以来、この距離の出撃を繰り返している台南空にとっては既に日常の作戦行動のうちだ。まして、この時の台南空は、後に帝國海軍の撃墜数2位となる西沢広義をはじめ、海軍士官学校出でのトップエースとなる笹井醇一、“大空のサムライ”の異名をとることになる坂井三郎らそうそうたる面々がそろっており、開戦以来の戦闘経験と相まって、帝國海軍最強の航空隊といえる。それを計算して、消耗している艦載機を補うという大神の作戦だ。
 空母の艦載機はバランスよく攻勢すべきという“常識の打破”と艦隊だけでなく基地航空隊までを見据えた“視野の広さ”が、この作戦の発案を可能にしたといえる。
 常識を破ることでは一目おかれている源田が感嘆していることからも、その発想力が飛びぬけていることがわかるというものだ。

「持てる戦力は全て有効に活用するということだ。それがどんな離れたところにあり、関係なさそうに見えるものでもな」

 三度目に帝都を救った時、巴里の戦力まで投入したこと思えば、今回の作戦は遥かに常識的といえる。大神にしてみれば当然の発想だ。
 そして、さらに大神は上陸支援の切り札として、先のマリアナでも猛威を見せた艦砲射撃を行わせている。戦艦『大和』『長門』『陸奥』を中心とした砲撃は今回も非常に有効だ。
 それを実感しているのは前線の将兵達であろう。

「うわぁ。昼間みてもすごいなぁ!」

 桐島琢也は艦砲射撃のすさまじさに舌を巻いていた。
 彼は、再び独立特車第一〇六大隊、すなわち甲虎隊の一員として上陸部隊の先頭にたっている。
 もっとも部隊長の加藤健夫少佐にいわせれば「あれぐらいやってもらわねば困る。人使いが荒いんだからな」ということになる。
 彼らはマリアナでの戦闘が一段落したと思うまもなく、このフィリピン攻略戦に投入されたのだ。甲虎の有効性が実証されたのにもかかわらず、実戦運用できる部隊が彼らしかいないがゆえだ。

『前進!!』

 加藤の号令の下、甲虎隊は前進していく。
 制空権を握った上で、圧倒的ともいえる艦砲による準備砲撃の後での上陸だから、反撃はきわめて微弱だ。

『一〇時の方向、敵戦車!』

 発砲炎で位置が暴露したのはM4シャーマンだ。
 75mm砲を装備しているものの、腰高で装甲も薄いこの戦車は、独軍にレンドリース(事実上の無償供与)されたが、強力なソ連戦車の前に次々と撃破され『ボール紙戦車』と酷評をうけている。『棺桶いらない。トラックよこせ』と独側に言われる始末であった。
 しかし、当時の日本軍戦車は貧弱であり、これに対抗できない。甲虎の装甲も戦車砲の直撃をうけたら役にはたたない。
 幸い、光学照準に頼るこの時代。移動目標に対する中距離以上での砲撃命中率は数%にすぎず、このシャーマンの初弾も甲虎からやや離れた所の砂浜をえぐるにとどまった。

「攻撃します!」

 自己判断で自分が戦車を攻撃するのにもっとも良い場所にいると判断した琢也は銃を構えた。甲虎の通常装備である7.7mm機関銃とは異なり、銃身が長く、また、銃の機関部も大型である。かつて光武二式でマリアが使っていたライフルを彷彿とさせるものだ。

「照準良し。発射!」

 甲虎すら揺るがす反動を残して発射されたのは、30mm徹甲弾。
 これは甲虎用にスケールアップされた対戦車ライフルで、人間では耐えられないような高い初速で打ち出される。既に対戦車砲としてはこのクラスの口径は威力不足だが、先にいくほど絞り込むように細くなる銃身にタングテン弾芯を組み合わせることで、高初速・高貫通力を実現しているのだ。
 琢也の放った弾丸も、シャーマンの正面装甲を打ち抜き、撃破に成功した。

「すげぇ!」

 その威力に琢也は歓声をあげる。
 ライフルの使い勝手で戦車を撃破できるというのだから便利だ。

『浮かれるな!』

 すかさず小隊長に叱責されるが、前の戦闘に比べれば、だいぶ慣れてきたゆえといえよう。加えて、米軍の海岸での反撃は、この程度にすぎない軽微なものだった。
 結局、わずかな損害で日本軍は上陸に成功したのである。
 だが、これは血まみれの戦場にほんの第一歩を踏み出したのにすぎなかったのだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました