第四話「奪回」(その11)

「隊長。燃料がそろそろ……」
「わかっている」

 村田は焦りを感じていた。
 こちらの機動部隊が攻撃をうけているのに、彼らはまだ敵艦隊を発見できていなかった。後席の航法士から報告があったように燃料も戦闘を行うには乏しくなってきている。

「友永のほうはどうだ?」
「無電には何も入ってきません」

 村田は迷った。
 引き返すべきか。
 しかし、母艦は攻撃を受けている。どのくらいの損害を受けているかはわからなかったが、無傷ではありえない。引き返したとしても、再出撃できる可能性は高くない。

(いくしかない)

 たとえ全機が海に沈んだとしても、敵空母を撃退できれば、我が軍の作戦目標=サイパン島の占領を成し遂げることはできる。
 村田はそう判断したし、友永も同様の判断をしていた。
 この自己犠牲の精神は日本軍の高い士気を維持をしてる要因ではあったが、その潔すぎる行動が搭乗員の不足とそれによる練度低下を生み出しているのも事実であり、難しいところであった。実際、もし、ここで村田・友永隊が壊滅していたら、日本軍は対米戦はともかく、大陸への展開は不可能であっただろう。

「奇跡」

 後に友永はそう表現し、

「運」

 と村田は述懐した。
 加山に言わせると

「あそこまで運がいい指揮官はいないからな。“天佑、大神にあり”ってやつだ」

 ということになるのだが、いずれにせよ、そういう出来事だった。

「敵機!」

 村田隊の護衛機として飛行していた川島紅雄は叫んだ。
 彼の目には遠く上空の、まるで風防についた埃のように小さな黒い芥子粒が、はっきりと違和感をもって浮き上がり、敵機として認識できたのである。
 今まで長機のケツについていくことさえままならかった彼が、誰よりも早く敵機を見つけたのだ。それは、“エース”として彼が覚醒するための第一歩だったのである。

「敵機やでぇ!」

 紅雄はもう一度叫んだ。
 まだ、他の機は反応していない。
 意を決した彼は、燃料供給を増槽から機内タンクに切り替え、増槽を落下させると左右に機体を傾けてバンクをふりながら、増速して編隊の前に出た。
 一刻を争う空中戦だ。敵機を最初に発見したものが階級に関係なく編隊を導かなくてはならないのだ。
 紅雄の動きに全編隊が反応する。護衛機隊は紅雄を筆頭に迎撃態勢をとり、攻撃機隊は編隊を引締めながら増速し、強行突破にうつる。

「護衛隊へ。機種報せ!」
『単発だ。グラマンだ!』

 村田に答えたのは護衛隊を率いる進藤大尉か。
 いずれにせよ重要なのは相手がグラマン=艦載機であることだ。ということは、この先には敵空母がいる。

「全機! ついてこい!」

 村田はなおも増速させていく。
 一方の護衛隊は既に空戦に入っている。

「このこのこのーっ!」

 先頭を切って突っ込んでいった紅雄は、その真っ只中で、一機のグラマンを追い回している。何度か射撃するが、旋回中射撃となるため弾道が流れてしまっていた。

「なんでや!」

 こうなればとことんまで追い回してやると機体を捻ろうとした。

「!!」

 突然、グラマンと紅雄機の間に味方機が割り込んでくる。
 紅雄の小隊長機だ。
 小隊長機はバンクをふりながら、紅雄機をグラマンとは反対側に誘導しようとしている。それを見て紅雄は急に自分の興奮がおさまるのを感じた。

(またやってしもうた)

 護衛隊の任務は敵を撃墜するのではなく、敵機から攻撃隊を護ることだ。
 一機のグラマンを深追いして撃墜するよりも、数機を追い返すことの方が価値がある。最初に敵機を発見して全機を誘導するという“大役”をしたことで頭に血がのぼっていた。
 紅雄は小隊長機について反転し、攻撃隊を護るための戦いへと向う。
 だが、護衛隊と米戦闘機隊の戦いは互角だ。機数は米側が多いが、F4Fと零戦の性能差で日本側が互角に持ち込んでいるというところである。そして、互角では攻撃隊への敵機の接近を完全に妨げることはできない。

「三番機、くわれました!」

 村田自身の小隊からも被害が出た。

「編隊を崩すな! 弾幕を張れ!」

 思い爆弾や魚雷を抱えたままでは、回避行動をとっても鈍重な動きをするだけで戦闘機の餌食になってしまう。どんなに攻撃を受けても、編隊を維持して弾幕を張るのが最良の防御手段だ。ひたすら耐えるしかない。
 それに、この忍耐に報いがあることも、村田はわかっていた。

(こいつらは上空直衛機だ)

 空母艦載機が編隊で迎撃に出ている。
 となれば空母は近い筈だ。

「!!」

 正面に待望のものが現れた。対空砲火の爆炎だ。
 そう、海の上で対空砲火があるということは、それを発砲する土台――艦がいるということである。
 待ち望んだ米機動部隊が村田の眼前に現れたのだ。

「全機カカレ! 目標敵空母!」

 この時、村田が発見したのは空母『ヨークタウン』を中心としたハルゼー率いる艦隊だった。

「JAPめ! いつ攻撃隊出しやがった!」

 ハルゼーは旗艦とする「ヨークタウン」の艦橋で叫んでいた。
 索敵機には接敵されていなかった筈だ。
 そして、こちらからの攻撃は既に成功している。ワンサイドゲームで終了できたと確信した矢先だったのである。

「潜水艦にでも発見されていたのでしょうか」

 同じ疑問をもっていたロナルド・ギリアム参謀長だ。
 彼はこの戦いからハルゼーの参謀長として配属されている。これまでもハルゼーとの交わりはほとんどなかったから、人となりを噂ぐらいでしか知らない。そうでなければこんな余計なことは言わなかっただろう。

「んなこたぁ、どうでもいいんだ!」

 ハルゼーは参謀長を怒鳴りつけた。

「俺が聞きてぇのは、今、どう対応するかだ! 後はそれから考えろ!」

 ギリアムは肩をすくめた。
 指揮官の疑問に答えただけのつもりだったのに。
 ハルゼーの“ブル”という異名は悪い意味でも、よくあてはまっているものだ。

「迎撃するしかありません」
「そうだ。だが、そんな当たり前のことだけ言ってもしょうがねぇぞ」
「はっ」

 とはいえ、うつべき手はうっている。
 直衛機は迎撃に入っているし、艦隊の対空射撃も回避随意も伝達済だ。

(せいぜいエセックスの戦闘機を引き抜くくらいしか……)

 そうギリアムは考えたが、続いて飛びこんできた報告はそれも不可能にした。

「シャーマン大佐から連絡です。日本軍の攻撃を受けているとのことです!」

 伝令が対空砲火の砲音に負けまいと張り上げた声が、艦橋の雰囲気を更に険しいものとする。二つの機動部隊が同時に発見されていたのだ。
 あとは個々の将兵の奮戦に期待するしかない。

「海面を撃て!」

 海面すれすれにくる雷撃機には舷側に設けられた機銃すら俯角(水平以下)をかけなくてはあたらない。少しでも命中率をあげるため、敵機前面の海面をうち、その跳弾でおとそうというのである。

「ようし、いいコースだろう」

 その撃たれた方の村田は時折機体に破片があたるのを感じながらもそれを無視した。
 誘導装置などないこの時代、魚雷の命中率は射角に依存する。今は、空母の横っ腹が見えているのだ。絶好の射角である。

「射ぇ!」

 村田機、続いて二番機からも魚雷が投下される。
 村田はそのまま敵空母の甲板スレスレを飛び越えていく。

「笑いやがった!」

 その空母の艦橋でハルゼーは耐えがたい屈辱を感じていた。
 今、とびこえていた雷撃機の搭乗員は、確かにこっちを見て笑った。
 畜生、イエローモンキーごときに舐められてやがる!

「魚雷きます! 対衝撃姿勢!」

 一発は避けたが、もう一発は避けきれなかった。『ヨークタウン』の左舷後半部に魚雷が命中する。

「挟差攻撃ができてれば大破させられたがな」

 離脱しながら振り返った村田は残念そうに言った。
 一方向だけからでは避けられる可能性が高いし、魚雷と船体の角度が浅くなればダメージも軽くなる。そこで日本軍では理想的な攻撃方法として、左右前から同時に包み込むような攻撃方法を開発していた。しかし、技量の低下した今の航空隊ではそこまで望むのは酷というものだろう。

「隊長。友永隊からの電文を捉えました。敵大型空母1を撃破したそうです!」
「よーし!」

 思わず村田は声を出した。
 これで自らの部隊を含めて大型空母2を撃破だ。敵の場所もわからずに飛び出したのに上々の戦果ではないか。
 だが、直後に入ってきた味方の電信には落胆せざるをえなかった。

「サイパンにむかえだと?」

 攻撃隊はサイパンのアスリート飛行場に帰還せよとある。
 詳細はわからないが、自空母に帰還できないということだ。

(沈められたか、撃破されたか……)

 不安を抱えたまま、村田は帰路をサイパンにとった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました