第四話「奪回」(その3)

「こ、ここは……?」

 意識を失っていたレニが目を覚ました。
 身体のあちこちが痛い。かなり打ち付けたようだ。
 まだ朦朧とする意識の中で、周囲を見回すと、傍らに横たわる二人が目に入った。

「アイリス! 織姫!」

 慌てて二人に駆け寄ろうとしてレニは立ち上がろうとする。だが、中腰になりかけた身体は、それ以上起き上がることができずに、再び床に突っ伏すことになった。

「くっ……」

 レニの四肢には手枷足枷がはめられ、両手首と両足首でそれぞれが短い鎖で繋がれている。はうことぐらいはできるが、歩くことはできない。

「う、うーん…ここは?」
「いったい、なんですかぁ、これはぁ!?」

 レニが立てた物音で、アイリスとソレッタも目を覚ました。二人も同様に枷をはめられている。

(そうか。僕達はマイヤー隊長に捕まったんだ)

 ようやく状況を把握したレニは、改めて周りを見た。
 閉じ込められている牢は四方全てが鉄格子で囲われている。死角がないように、また、脱獄を難しくするために、部屋の中央にこの牢だけが設けられているのだ。そして、床はうちっぱなしのコンクリートに、「陣」が彫られている。おそらくは、霊力を封じ込めるためのものだろう。

「こんなもの、すぐに外しちゃうもん!」

 アイリスが霊力を高め、枷を壊そうとする。だが、枷にはまるで変化がない。
 ならばと、アイリスはますます霊力を高めていく。それは霊力を持たないものでも肉眼ではっきりとわかるほどの光を発している。

「えーーーーーい!!」

 アイリス渾身の霊力が炸裂した。
 しかし、枷にはひび一つ入らない。

「な……どうして!?」

 肩で息をするほどに力を放出したというのに。

「悪あがきはそのへんにしておけ」

 はっとして声のする方を見る。
 そこには、いつの間にかマイヤーと看守らしいSSが立っていた。

「その枷もこの牢も、霊力を封じ込めるための特殊なものだ。いくらアイリスといえども、いや、三人の霊力を併せたとしても脱出することなどできん」

 第一次大戦時に霊力開発によりレニを生み出すだけの技術をもっていたドイツだ。逆に霊力を封じるための研究が進んでいたとしても何ら不思議はない。

「いったい、なーんのうらみがあるですかー!」

 ソレッタがわめきたてた言葉に、マイヤーは珍しく表情を変えた。

「何の恨みかだと? 先月、シュナイダーSS上級連隊指揮官の家を爆破したことを忘れたのか?」

 SS高官であるアルベリッヒ・シュナイダーの家に友人からの郵送物を装った爆弾が届けられた事件である。
 この爆弾は狙い通りシュナイダー宅で爆発し、在宅していたシュナイダーの妻と娘が死亡、母も重傷を負うという事件であった。

「貴様らレジスタンスが我らSSや政府要人、軍人を狙うというのであれば、受けてもたとう。だが、その家族までも狙うことが、貴様らの言う『正義』だとでもいうのか? 断じて違う。ただの卑怯者だ」
「けど、それは僕らのやったことではない!」

 レニの言うことは本当である。
 一口にレジスタンスといっても、その内実は大小様々なグループが活動している。中には深刻な対立を見せているものもあるほどで、とてもではないが一枚岩とはいえない。
 シュナイダー宅爆破事件もレジスタンス中、最も過激なグループが起こした事件である。それに対してレニとアイリスのいるグループは敵味方ともなるべく人命を損なわずにドイツ軍やドイツという国家にダメージを与えることを目標としていた。
 
「それくらいは俺でも知っている。だがな、一般市民に紛れて破壊工作を行うという点では何らかわらん。貴様らは単なるテロリストにすぎんのだ」

 レジスタンス(抵抗運動)とはいっても、フランス国内法でもドイツ国内法でも、そして国際法でも、それはテロリストやゲリラの呼び名を変えたものにすぎない。

「……それでも、私たちは戦い続けるわ。悪虐非道なナチスから、自由な私たちの祖国、フランスを取り返すまで!」

 アイリスは毅然とマイヤーに対峙した。
 その思いは純粋だ。それはマイヤーにもよく伝わってくる。
 だが、純粋であることと、行動に対する評価は全くの別問題だ。

「ならば仕方ない」

 マイヤーは、まだ何か言おうとするアイリスを無視し、出口へと歩き始めた。
 そして、部屋を出る直前、看守に鍵束を渡した。

「全員分の枷の鍵だ。あとは好きにしろ」
「へへ。こりゃどうも……」

 看守は下卑た笑いを浮かべた。
 SSというとエリート集団と思われがちだが、それはすべてではない。特に収容所や刑務所の業務を担当している部隊は札付きだ。

「ちょいと年がいってるが、女には変わりないからな」 

 マイヤーが退出するや否や、二人の看守は檻を開け、牢の中へと入ってきた。そして、まずはとばかりに、アイリスに近寄る。

「やめて! こないで!」

 彼らが何をしようとしているのか明々白々だ。アイリスも逃げようとするが、枷が邪魔してうまく動けない。

「アイリスに触るな!」

 レニは不自由な身体で、なんとか立ち上がると、飛び込むようにして体当りをしようとする。しかし、やはり動きは鈍く簡単によけられてしまう。
 目標を失ったレニは、そのまま檻に激突し、崩れおちてしまう。

「レニ!」

 ソレッタの悲鳴も意に介せず、守衛はレニの背中を踏みつけた。

「おとなしくしてりゃぁ、かわいがってやるんだからよ」

 守衛の履いているのは鋲の入った革ブーツだ。それに体重がかかっているのだから、痛みは並大抵のものではない。
 それでも、レニは、悲鳴一つあげずに、看守を睨み付けた。

「けっ。かわいくねぇ女だ」

 看守はレニのみぞおちのあたりを思い切り蹴り上げる。

「うぐっ……」

 さすがにうめいたレニは身体をくの字に折り曲げるようにして苦悶している。

「なにするですか!」

 ソレッタも怒りにまかせてつっかかろうとするが看守の一人に足を払われ、簡単に倒されてしまう。枷が邪魔をして手をつくことすらできなかったソレッタは、コンクリートの床にもろに叩き付けられる。

「これで邪魔ものもいねぇな」

 看守はアイリスへとにじり寄る。

「やめて! こないでぇ!」

 アイリスが後ずさりする。しかし、すぐに格子に突き当たってしまった。それ以上のスペースはない。

「観念しな」

 看守の手がアイリスにのびる。

「いやぁ! やめてぇ!」

 いくら暴れてみたところで、霊力が使えなければ、普通の女性と体力がかわるわけではない。すぐにのしかかるようにして腕を押え込まれる。そして、もう一人の看守が足を押え込もうとするが、こちらはうまくいかない。

「畜生、おとなしくしろといっているだろうが!」

 上半身を抑えていた看守が、アイリスの頬に二度三度と平手うちを加える。さすがにアイリスが怯むと、もう一人の看守はアイリスの足を抱え込むようにして掴まえることに成功した。

「イヤ! 離して!」

 アイリスはなおも身をよじるが、こうもがっちりと抑えられてしまっては、効果はない。

「さぁて……」

 看守達は舌なめずりしながら、アイリスを見下ろしている。嫌がる姿も、彼らにして見れば欲情をそそる心地よい響きにすぎない。

「まずは一発やっちまうか」

 しかし、やはり足枷をしている相手では思うような体勢にもっていくことができない。

「くそ、うまくいかねぇな」
「慌てるなって!」

 上半身をおさえている看守は、ポケットから鍵束を取り出した。

「マイヤー将軍殿の有り難い差し入れを使わせていただけばいいのさ」
「そうだったな」

 鍵束をうけとると、看守はアイリスの右足の枷に鍵を差し込んだ。三人があれだけ苦労してもびくともしなかった枷が、カチャリという金属音とともに簡単に外れる。
 だが、足首には、枷のかわりに男の手がある。彼女の自由にならないことにかわりがあるわけではない。むしろ、看守の自由になったのだ。

「きゃぁぁ!」

 アイリスに構わず、看守は彼女の足を大きく開かせると同時に、その間に身体を入れた。これではアイリスは足を閉じることもできない。

「さあ、いよいよだぜ。覚悟しな」

 看守の手がアイリスの身体に伸びる。

「いやぁぁぁぁぁ!」

 アイリスの悲鳴があがる。
 と、その瞬間、看守は反対側の檻にまで跳ね飛ばされた。
 何が起きたかわからず、もう一人の看守は凍り付いたように呆然としている。それもその筈、当のアイリスですら、悲鳴をあげることも忘れて呆然としている。

「アイリス! 霊力だ! 霊力が使えるようになったんだ!」

 レニの言葉に、アイリスは半信半疑ながらも、まだのしかかっている、もう一人の看守に向けて、霊力の放出を試みた。

「うぐぁ!」

 看守は弾かれるようにして吹き飛ばされ、床に叩きつけられた。本当に霊力が戻ったようだ。

「アイリス! 今のうちに助けてくださーい!」
「わかってるわ。まってて!」

 霊力で、自分の手枷と足枷を破壊したアイリスはすぐに、ソレッタとレニの枷も外した。

「く……逃がすわけには……」

 看守もようやく立ち上がり、三人の行く手を阻もうとする。
 しかし、霊力のもどった彼女達の敵ではない。たちまちに撃退され、今度は立ち上がることもかなわない。

「全く、天罰てきとうでーす!」

 ソレッタは、なぜか日本語で、それも間違った諺で悪態をつくと、看守から檻の鍵を奪った。
 そして、すぐに檻から出ると、逆に檻に鍵を閉めてしまう。

「ん~。しゃばの空気はうまいで~す!」

 ソレッタは伸びををするようにして両手を伸ばした。

「もう、織姫! 早くいくわよ!」

 とはいえ、ソレッタにとってはひさびさの自由だ。
 まだ部屋の中とはいえ、たまらない開放感だろう。

「織姫。いくよ」
「もう。アイリスもレニもせっかちすぎま~す!」

 まだ監視はあるだろうが、霊力を取り戻した今、単なる逃走くらいであればわけもない。
 三人は次々に部屋から脱出する。

「く……畜生……」

 残された看守達は、追うどころか、全身の痛みで動くことすらままならない。

「余録に焦って、出世も不意か……」
「最前線送りだろうな。ヒムラー長官の逆鱗に触れちまうぜ」
「ナイン(No)。そんなことにはならない」

 不意の第三者の声に、はっとして二人は顔を上げた。
 いつのまにか、長身のSS隊員が目の前に立っている。

「いつの間に……」
「そんなことはどうでもいいことだ」

 そのSS隊員は静かに銃を構えた。

「ま、待ってくれ! アンタからもライヒスフューラー(ヒムラー)に言ってくれ! 俺達は何にも悪くなかったて、な」
「そ、そうだ。もちろん、お礼はさせてもらう!」

 SS隊員は呆れたというように冷笑する。

「ライヒスフューラーだと? そんなヤツは知らんな」
「な、あんた、ヒムラーの直属じゃないのか?」

 長身とゲルマン系の顔立からエリートSSだろうと思い込んでいた。改めて、その人物を凝視する。

「……貴様、女か!?」

 しかし、それを確認することはできなかった。
 直後、鉛の返答が彼らの額を撃ちぬいたのである。
 そして、SS隊員は、あらわれた時と同様、誰にも気取られることなく、その場から姿を消した。

「帰ったか」

 背後の気配を感じたマイヤーは、振り替えることもなくそう言った。

「はい」

 そこには、先程のSS隊員が立っていた。

「今ごろ、発覚しているころだな」
「ええ。全ては計画通りに」

 マイヤーが総統直々の命により捉えたレジスンタンスの指導者を、SSが不始末により逃がしてしまう。
 結果として、マイヤーの株はあがり、ヒムラーには失点となる。

「やつらには、これくらいしておかんとな。我が武装SSに余計な干渉をすると、高い代価を払うことになると」
「それに、三人も救出できました」

 その言葉に、マイヤーははじめて後ろを振り返り、鋭い眼光を浴びせた。

「勘違いしてもらっては困る。我が武装SSのためにした事だ。他の事は些細な結果論だ」

 常人なら後ずさりしてしまうほどの迫力を、しかし、SS隊員は僅かに口の端に笑みを浮かべて、受け流した。

「いいでしょう。とりあえず、そういう事にしておきましょう」

 マイヤーも、こいつには参るといわんばかりに視線をやわらげた。

「相変わらずだな、ロベリア」
「誉め言葉としてうかがっておくわ」

 そう言って帽子をとった彼女の髪は見事な銀髪である。
 さらに変装は終わったとばかりに、眼鏡をかける。
 そして、ロベリアという名前。
 紛れもなく、巴里はじまって以来の大悪党といわれ、後に巴里華撃團・花組隊員として活躍したロベリア・カルリーニであった。

「いずれにせよ、貴様のプランがなければ、俺には何の策もなかった。礼を言わせてもらう」
「利害が一致しただけなんでしょう。私は三人の救出。貴方はヒムラーの追い落とし」
「そういうことだ」

 マイヤーはロベリアにワインボトルを投げた。
 ロベリアはそれを軽々とうけとめ、ラベルに目をやる。

「ベルンカステラー・ドクトール・リースリング・アウスレーゼの24年。いい酒ね」
「祝杯がいるだろう」
「ダンケ・シェーン。いただくわ」

 彼女の手にはいつのまにかナイフが握られている。
 そして、コルク抜きでもないそのナイフで、あっという間に栓をあけてしまう。手先の器用さはさすがだ。

「では。遠慮なく」

 そのまま喇叭飲みだ。
 彼女にかかっては、ワインがまるで水のようである。

「ロベリア。これからどうするつもりだ?」
「さてね。アイリス達には義理があるが、フランスがどうなろうとも知ったこっちゃない」
「ルーマニアは?」

 ロベリアの祖国だ。

「それも知ったこっちゃない。ナチスに併合されようと、露助の属国になろうとね」
「自分の手で運命を切り開けないなら、所詮、それまでか」
「そういうことさ」

 ロベリアは冷たく笑った。
 マイヤーの台詞は彼女の人生哲学だったといってもいい。
 それは、国家に対する評価としてもかわらないということか。

「つまり、予定はないということか」
「そうだね」

 ここでマイヤーは少し思案した。
 そして、再び鋭い視線をロベリアに向ける。 

「ロベリア。俺の副官にならんか」

 多少の事では動じない彼女も、さすがに目を剥いた。

「ルーマニアからの義勇SSという名目で俺が手を回す。なに、我が総統(マインフューラー)という強い味方もいらっしゃるからな」

 マイヤー自身、ヒトラーの鶴の一声で潜り込んだ口である。
 SSは正式には国家組織ではなく、党の機関であるから、党首たるヒトラーの意向を無視できないのは、当然のことだ。

「……」

 ロベリアはマイヤーの真意を計り兼ねた。
 今回はともかく、今後もマイヤーとロベリアの考えが一致するとは考えにくい。
 あるいは、自分を“人質”として、旧帝撃・巴里撃の連中を抑え込むつもりか。
 マイヤーの表情からは何も読み取れないし、これ以上には語る気もないらしい。

(ふん。それも面白いか)

 ドイツ軍内部に入り込む機会など、そうはあるものではない。
 都合が悪くなったらケツをまくってしまえばよい。その時に捕まるほど間抜けな自分ではないだろう。

「ヤボール。ヘル・コマンダール(了解。指揮官殿)」

 ロベリアはSS式の右手をあげる敬礼をしてみせた。
 彼女なりの茶目っ気といったところだが、マイヤーは全く表情を変えずに言った。

「我がSSではヘル(殿)はいらない。ただコマンダールだ」

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