第三話「転換点」(その11)

「ご苦労だったな」

 聯合艦隊旗艦・戦艦「大和」の司令室で大神の戦況報告を受けた山本五十六司令長官は、そう言って大神達の労をねぎらった。

「はい。しかし、貴重な空母を喪失してしまい申し訳ありません」
「しかたない。戦争だ。よくやってくれた」

 聯合艦隊司令部は一応に満足そうだ。

「ともあれ、米軍もしばらくは動きがとれまい」

 宇垣GF参謀長がいうまでもない。
 米軍は開戦以来の主力だった空母六隻のうち五隻までを喪失した。対する日本は残存正規空母三隻。加えて準正規空母ともいえる「隼鷹」「飛鷹」を保有している。空母の隻数では圧倒的に有利にたったのだ。もっとも、搭乗員不足から、暫くは機動部隊として機能することは難しそうだが。

「やれやれ。これで、俺も肩の荷が下りたってものだよ」

 急に山本は砕けた調子で言う。
 周囲が怪訝に思う間もなく、衝撃的な言葉が彼の口から発せられた。

「俺は聯合艦隊司令長官を辞めるよ」

 瞬間の静寂ののち、恐慌にも似たどよめきが起きる。

「ど、どういうことですか、長官!」

 山本の信奉者といってもいい黒島高級参謀は、文字どおり椅子から飛び上がっている。

「どうもこうもない。私はトラック奇襲直後、敵を撃滅することこそ責任をとることとして、この職にとどまった。そして、それが達成された今こそ、辞めなくてはならない」
「しかし! 戦局はまだ流動的です! 長官がいらっしゃらねば!」

 泣きださんばかりの黒島に山本は苦笑いしながら言葉を続ける。

「戦争は、一人、私の力で遂行しているものではない。ましてや、自分の発言に責任をもたずして、どうして指揮官たりえようか」

 山本の決意は固い。相次ぐ幕僚からの慰留も効を奏さない。

「………」

 そして、ようやく司令部に静寂が戻った。
 全員が諦めたのである。

「……いいかな」

 山本は一同を見回すと、話を続けはじめた。

「実は赤煉瓦(海軍軍令部)とは、既にある程度の話は通してある。後任のGF長官は小沢くんが大将に昇進の上、就任する筈だ」

 これもまた、司令部を驚愕させるに十分だった。序列からいけば横須賀鎮守府長官の古賀峯一大将あたりが順当なところだ。他にも高須四郎大将や豊田副武大将、近藤信武中将に南雲忠一中将など小沢より先任の将官達は何人もいる。ハンモックナンバー(海軍兵学校の年次席次)による年功序列昇進がまかり通っていた海軍では、異例中の異例だ。

「つまるところ、戦時には適材適所でなければやっていけんということだよ。航空時代を迎えた戦局を指揮できるのは、小沢くんをおいて他にあるまい」

 確かに機動部隊構想の生みの親にして、初代の機動部隊司令長官。沖縄沖海戦で負傷により戦線を離脱したとはいえ、その指揮統率力は高い評価が与えられている。
 
「まあ、小沢くんを後継指名できたのは、大神くん。君のおかげも大きいのだよ」
「は? 小官の……ですか?」

 わけもわからず、大神は反問した。

「きみが沖縄沖で示してくれた戦果、そして、今度の戦果が“適材適所”の効果を説得力をもって示してくれたんだよ」

 列席していた加山は、これで人事がかなり揉めただろうと推測できた。硫黄島沖海戦がおわってから、まだ四日しかたっていない。なのに、その海戦の結果が反映されているということは、つい先程きまったに違いない。
 実際、この人事を実現するにはかなりの工作を必要とした。それにかかわった名前をあげていけば、米内光政(元首相)、岡田啓介(元首相)、高松宮宣仁殿下(太正帝第三皇子、海軍軍令部員)、鈴木貫太郎(侍従長)と、終戦工作もかくやと思わせるほどだ。

「これからも、大神中将には小沢長官のもと、奮戦してもらうことになるだろう。よろしく頼むよ」
「はっ」

 そして、同じ頃、太平洋の向こう側でも司令長官の交替が行われようとしていた。

「全く、なんとういうことだ!」

 ルーズベルトは語気を荒げた。
 そこには副大統領トルーマンや陸軍参謀総長マッカーサーら戦争指導の責任者達が揃っている。

「申し訳ありません」

 キンメルは頭を下げた。
 硫黄島沖海戦(米側呼称:小笠原沖海戦)の結果は、米首脳部に大きな衝撃を与えている。

「それで、海軍は今後の作戦をどう考えているのかね」
「はい。主力空母四隻を失った今、攻勢を続けることはできません。当面はハワイを最終防衛ラインとする守勢防御により時間を稼ぎます。そして、エセックス級空母の竣工をまって反撃を開始するというのが最良の選択かと思います」

 日米の国力の差を利用するということだ。それぞれの戦闘では敗北したとしても、日本軍に損害を与えつづけることができれば、その後の「増援」まで含めた差し引きではいつかは米軍が日本軍の戦力を上回ることができる。長期戦になればなるほど、米軍には有利ということである。

「それは我が陸軍を捨て駒にしようということですかな?」

 マッカーサーだ。
 陸軍将校の父をもち、ウエストポイント(米陸軍士官学校)を首席で卒業。四五才で陸軍最年少将官となり、五〇才で陸軍参謀総長まで昇りつめた超エリートである。
 照和一〇年には、現役を退き、米領フィリピンで軍事顧問を務めていたが、照和一六年七月に現役復帰すると密かに本国に召還され、開戦と同時に陸軍太平洋方面総司令官に就任していた。

「海軍の失敗を我が陸軍に押し付けられるいわれはない」

 トレードマークにもなっているコーンパイプをくゆらしながら、マッカーサーは言う。
 陸海軍の対立はどの国でもかわらない。
 ただ、問題は。マッカーサーがルーズベルトの“お気に入り”だということだ。

「キンメル提督」

 マッカーサーに続いてルーズベルトが話はじめた。

「日本海軍の稼動大型空母は2隻だというじゃないか」

 米軍は航空攻撃により大破した空母と潜水艦により沈めた空母を別の空母だと誤認していた(実際には両方とも空母「蒼龍」)。

「我が大型空母は1隻。決して対抗できない数字ではないと思うがね」

 キンメルが反論しようとするが、ルーズベルトはそれを制する。

「それに多くのアメリカ国民の血が未開なる太平洋の地で流されるなど、大統領として認めがたい」

 要は、そうなっては自分が支持を失ってしまうということなのだろう。

「……私にはそういった作戦を指導することはできません」
「そうか。では仕方ない。辞職ということでいいかな」

 ルーズベルトは引き止めもしなかった。
 こうなるとキンメルもそれ以上のことはできない。

「はい。結構です」
「うむ。今までご苦労だった。下がってよろしい」

 そして、ルーズベルト傍らのインターホンに手をかけた。

「……ああ。ニミッツ提督を呼んでくれ」

 背中越しにその声を聞きながら、キンメルは悟った。
 全ては出来レースだったのである。
 なにを言ったとしてもキンメルは敗北責任をとって辞職、後任はニミッツというシナリオがかかれていたのだ。

キンメルは非常に優秀な指揮官であった。だが、悲しいかな、彼は政治という名のロープで利き腕を縛られたボクサーのようにして戦わなくてはならなかった。もし、彼が主張した通り、長期戦でもって日本にあたっていれば、あるいは戦争の結果は逆転していたかもしれない」――――『ニミッツの太平洋海戦史』より

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