第四話「奪回」(その12)

 「だーっ。人使いがあらいんだよ、うちの陸軍はよぉ!」

 米田は、上半身裸のまま汗をぬぐう。
 彼の頭には鉄兜(ヘルメット)のかわりに鉢巻、手には銃のかわりにスコップが握られていた。

「米田! さぼってるんじゃない!」
「わーってますよ!」

 上官の叱責にも悪びれた風もない。
 まあ、戦闘部隊として第一線で戦闘していたのが、急に土木作業をやらされては腐ろうというものだ。
 上陸した一木支隊にはいわゆる工兵部隊は少数で、また、本格的な土木作業機器もない(そこまで船舶が調達できなかったのだ)。必然的に土木作業は“ヨイトマケ”式の人海戦術に頼らざるをえない。

「たく、前線から兵力引き抜いてまでやることかね」

 と、高圧力の蒸気音がした。

「おいおい。甲虎まで次ぎ込んでるのか!」

 甲虎が、土木作業をはじめたのだ。
 さすがに早い。普通の土木機械と違って、いろいろ細やかにも対応できるのが強みだ。

「たく、前線から甲虎引き抜いてまでやることかね」

 さっきの米田と同じような悪態をついていたのは操縦している琢也だ。
 若い職業軍人であれば前線での華々しい活躍を夢見て当然。しかも最精鋭部隊に配属されたというのに、土木作業をやされていることに納得できない。
 この時期の帝國陸軍は末端まで作戦意図(あるいは意義)を徹底させるということを怠っていた。「命令されたことを全力でこなせばいい」というのは悪しき権威主義だ。
 もっとも、文句を言いながらも黙々と仕事をこなすのは日本人らしい几帳面さだとえた。

「やれやれ。これで、ちいとは平らになったんじゃないか?」

 人海戦術+甲虎の成果で、綺麗に整地されたとは言いがたいが何とか穴や山はなくすことができた。既に米田は上半身の軍服を腰に結び、シャツ姿になっている。上官は「服務規定が……」とかなんとか言っていたが、しったこっちゃーない。大体、本業の工兵の連中は完全な土方スタイルだ。

「ん!?」

 爆音が聞こえはじめた。
 上空に視線を走らせると、ゴマ粒のような点が現れ始める。

「滑走路上から退避ぃ~!!」

 サイレンが鳴鳴り響く。

「退避たって、間に合わない!」

 歩兵と違って大きな甲虎はそう都合よくは身を隠す場所がない。
 琢也ら甲虎部隊はそれでも少しでも身を隠せそうな場所を探して右往左往するが……

「ありゃ、味方機だろうよ」

 米田は近づいてくる機体を悠然と仰ぎ見ながら言う。

「え!?」

 琢也も甲虎の足をとめて、受像機を望遠側に入れた。
 そんなに高倍率のものではないが、灰色の機体にうっすらと赤い丸――日本の国籍マークが見える。

「本当だ。こんな遠くからよくわかりますね、米田のおじ……中尉殿」
「あのなぁ、いくら海軍機だからといって、形や発動機音くらいは覚えておかないと死ぬぞ」
「は、はい」

 陸軍の歩兵というのは戦場で最も脆弱な存在だ。航空機、戦車、銃火器、全てが致命傷になりうる。素人には同じように聞こえる音を敏感に聞き分けて対処せねば、長く生残ることはできないだろう。

「……あれ?」

 琢也はその海軍機がどんどん近づいてきていることに気づいた。それどころか、高度を下げ、脚まで出し始めている。

「着陸するんだ!」
「何してやがる、早く滑走路から出ないと巻きこまれるぞ!」

 米田は言いながら全力疾走している。
 琢也も慌てて甲虎を移動させた。滑走路から退避しろというのはそういうことだったのだ。
 まず最初の九七艦攻が滑走路に滑り込んだ。何度が機体がバウンドするが、どうにか着地に成功する。まずは米田や琢也の土方作業は報われたといえよう。
 そして、その艦攻を皮切りに、次々と機体が着陸していく。なかにはここまできながら滑走路までたどりつけず海に墜落してしまうものや、脚を折って転倒する機体も相次ぐ。

「す、すごいんですね、空母戦って……」

 琢也は目を見張った。
 特に攻撃機と爆撃機は全ての機体が何らかの損害を受けているといっていい。
 地上機と違って空母戦は“一発勝負”となる。そうなると多少不利な状態でも強引に攻撃にいくし、攻撃目標も対空火器をそろえて陣形を組んだ艦隊だから被害も大きくなるのである。

「ぶわぁ! 陸地やぁ!」

 そこに零戦から降り立ってきたのは、紅雄であった。
 彼もまた生き残り、この基地まで帰還したのだった。
 標準語に矯正されるのが本来である軍隊において(方言のため命令が理解できないなどいうことがないようにするためだ)、紅雄の関西弁は目立つ。米田も、端によせた甲虎から降りていた琢也も紅雄も紅雄に気づく。と、視線に気づいたのか、紅雄も二人に気づいた。二、三歩、二人の方に歩き出した時である。

「川島! お前の機体、損害はなさそうだな」
「は、はい!」

 飛行長の村田だ。
 いきなり声をかけられて川島はバネ仕掛けのように背筋を伸ばし、敬礼する。

「それで弾薬は?」
「だ、弾薬は、ほ、ほとんどありません」

 どうしても弾薬をばらまいてしまうのは若さゆえだろう。

「よし、他の機体から補充する。燃料もアメさんが残してくれたのがあるんだ。手伝え! 貴様に出てもらうぞ!」
「りょ、了解!」

 村田は無事な戦闘機をかき集めていた。
 後続の邪魔になるなどの理由で、損害の激しい機体は廃棄されてしまっているが、何機かはほんとんど損害を受けていない。これにアメリカ軍が飛行場に残していった燃料や陸軍の地上装備用の燃料を補給し、弾薬をかき集めてなんとか戦闘可能な状態にもっていけた零戦は6機ほどだった。

「全員、傾注!!」

 村田は出撃する6人を整列させた。彼自信は艦攻乗りだから出撃できないが、陸軍を通して受領した大神の命令を説明した。

「我が艦隊は空母『飛鷹』を失い、『隼鷹』を戦闘不能とされた! しかし、大神長官は戦艦『金剛』に移乗し、現在も敵を追撃中である! 諸君らはその上空を援護するのだ。役目は重要であるぞ!」
「了解!」

 6人は一斉に自分達の機体に乗りこむ。
 ただ整地しただけでほとんど機材はないが、搭乗員仲間がプロペラにロープを絡ませると、それを思いきり引っ張ってエンジンを回す。そして、適当な石を車輪にあてただけの車止めを外し、機体を滑走路に誘導した。

「うわっ!」

 紅雄は機体が軽く跳ねたのに焦った。
 訓練基地と母艦しか知らない彼には、“前線基地”の滑走路の起伏はいささか難儀な代物だ。他のベテラン達に比べるともたつきは否めない。

「村田サン。あんなの選んで大丈夫なんですか?」

 それを見ていた友永が不安げに言う。

「確かに技量はまだ劣るがな。今日、うちの編隊で最初に敵機を見つけたのがヤツだよ」
「ほう」

 敵を最初に発見するというのは、搭乗員にとって最も必要な資質の一つである。
 例えば戦闘機同士の戦いというと、一般には追いつ追われつの戦い――ドッグファイトを想像するだろう。しかし、実際には、敵機に発見されないうちに死角から近づき、一撃で決めるというのが最も多い撃墜パターンなのである。

「目の能力にはベテランもなにもないだろう」
「なるほど」
「それに、あいつには期待させる何かがあるんだよ」

 村田の“予言”は次の海戦で的中する。

「上空、友軍機6機!」

 見張りの声に大神は悠然と肯いた。
 その落ちついた姿に加山は感嘆する。
 まだ敵に空母が残っているかもしれない。それのに、水上艦だけで進撃を続けるとは、なんと豪胆なことか。
 アスリート飛行場にしたってそうだ。加山をも驚かせた、攻撃をうけている中での冷静な判断。あれがなければ、帰る場所を失った攻撃隊はなすすべなく海上に不時着するしかなかっただろう。それが僅か6機とはいえ、再出撃を可能にしたのだ。

「大神。三川艦隊との合流を待ったほうがいいんじゃないか」

 敵艦隊には水上艦では戦艦2、巡洋艦8(実際は7の誤報)という報告が入っている。『金剛』『榛名』は高速ゆえに機動部隊に随伴しているが、本来は帝國海軍で最も古い戦艦である。巡洋艦も4隻しかいない。駆逐艦はほぼ互角で、個々の駆逐艦の能力では帝國海軍の方が上だから、これが辛うじて上回っているというところだろう。総合的に見れば、大神艦隊は不利である。しかし、世界最大の戦艦『大和』及び大和の登場までは世界七大戦艦(ビック・セブン)に数えらえれた『長門』『陸奥』を擁した三川艦隊と合流できれば、水上戦で米軍に遅れをとるようなことはまずなくなる。

「いや、あの艦隊は足が遅いからな。高速部隊に圧力をかけるには向いていない」

 大和はともかく、長門型は最高速度25ノット。おそらく30ノット以上の最高速度をもつであろう米機動部隊に対して劣速である。今は敵に判断する“時間”を与えることはできるだけ避けたいというのが大神の考えだった。すなわち、敵の焦りを誘うということである。

「榛名2号機より入電。敵艦隊上空に機影なし。進路は南方にとっているとのことです」

 機影なし、と聞いてどう判断すべきか加山も源田も迷った。まだ空母が1隻残っているだろうと思っていたからだ。

「別の艦隊があるのではないですか?」

 源田はそう判断した。
 通例、米軍は空母1隻ごとに別々の艦隊として行動する。残る空母1隻は、別の艦隊としてまだ未発見なのではないかという疑念だ。

「いや、もう空母はいないのでは?」

 これは加山だ。
 そもそも米空母は2隻しかいなかったのではないかということである。
 だが、大神は意外な返事をした。

「どちらでも一緒だ」

 どういうことかと加山は説明を求めた。

「空母が残っていて、攻撃する気があるなら当に攻撃隊がきている筈だ。それがないということは少なくとも攻撃を継続する意思は薄いということ。もちろん、空母がないなら、それに問題はない。我々はこのまま追撃態勢を続けるんだ」

 この作戦の一番の目的は上陸占領作戦の成功だ。すなわち、敵を撃滅する必要はなく、撃退すればいいのである。高速水上艦による追撃も相手に態勢を整えないうちに戦場外へ押し出そうとするためのものだ。無理にアスリート飛行場から出撃させたのも、もちろん、残っているかもしれない敵空母への対応でもあるが、陸上基地を使うことで“航空兵力の健在”を示すためのものである。米軍の補充能力が高いとはいえ、彼らも兵力の無駄遣いはできない。“基地航空兵力”が健在なところに(残っているとして)空母1隻で対抗しても降下は薄い。空母がなければ、航空兵力なしでは攻撃を継続できない。
 どちらにしても撤退する公算が高い。それを見越しての大神の指揮だったのだ。
 そして、それが状況はその指揮が的中したことを示している。

「上空の零戦の航続力が持つところまでは追撃しよう」

 そして、米艦隊からの反撃は結局のところなかった。
 この戦いで、日本軍は空母「飛鷹」を失い「隼鷹」が大破。他、駆逐艦「睦月」、輸送船1が沈没、軽巡「神通」が中破した。
 米軍は空母「ヨークタウン」「エセックス」が大破している。
 損害だけ比較すれば、米軍が僅かながら勝利といえる。しかし、米軍はその作戦目標――マリアナ防衛に失敗したのだ。

「中尉殿。あれを!」
「うんあ? おい、撃つなよ!」

 前線で戦っていた米田の前にあらわれたのは、白旗を掲げた米兵だった。
 それは、守備隊の降伏を告げる使者だったのである。

 9月4日、サイパンは陥落。
 続いて9月18日にグアム上陸、9月21日にテニアン島へ上陸した。
 10月11日には全マリアナ諸島を事実上、制圧する。
 最終的にはほぼ当初のスケジュール通りであった。
 しかし、実のところそれは、機動部隊戦で紙一重で敵艦隊を追い返したことにことによる辛うじての勝利であった。
 そして、この戦いの成功が続くフィリピンの死闘を招いたのである。

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