『甲虎』は次々と上陸を果たすと、その上陸地点を中心として確実にその制圧面積を広げていく。
「すげぇもんだな、甲虎ってなぁよぉ」
上陸部隊第二波の歩兵として大発(汎用小型輸送船)に乗っていた米田鷹将中尉はしきりに感心していた。
硫黄島から転属になって内地の土を踏めたはいいが、その転属したばかりの部隊、歩兵第二八連隊が一木支隊として上陸作戦をするときいた時は、己の運命を呪ったものだった。
なにせ、敵前強襲上陸とえいば、敵が待ち構えているところに何も遮蔽物ない海という地形を進撃しなくてはいけないという、最も損耗率の高い作戦の一つだ。それが『甲虎』のおかげで、後続の部隊への攻撃密度は薄くなっているではないか。
「よし、いくぜ!」
米田の号令で、大発にのっていた歩兵達は一斉に飛び降りていく。他の艇も同様だ。
中には腰まで海に浸かっているようなものもいるが、委細構わず、水飛沫をあげながら前進していく。
だが、ここまでくると、さすがに向けられる攻撃も激しくなる。
こうなると、生身を敵弾にさらしている歩兵は脆弱だ。
「うわっ!」
「ぎゃぁ!」
あちこちで兵が倒れていく。
重傷で水に浮かぶように倒れ込んだ兵からは、海水との浸透圧で血が止まることなく流れつづける。
だが、救助しようにも後送できる場所もない。歩兵たちは前進するしかないのだ。
「怯んでる暇なんてねぇぞ! いけぇ!」
米田も声を限りに叱咤する。
そして、少しでも戦力になるためと、指揮刀は腰にぶら下げたまま、九九式歩兵銃を手にし、自らも射撃を行いながら前進を続けていく。
『後続を援護。自動火器から優先に火点を制圧しろ』
甲虎隊も加藤大隊長の指揮のもと上陸地点を確保を続ける。
さすがに海岸で砲火にさらされていることから、損害を受ける機体も増えてきた。
「やられたか!?」
琢也機が左脚膝関節部に受けた銃弾は、装甲の隙間から内部に飛び込み、跳ね回った。どうやら蒸気管に穴が空いたらしい。どんどん蒸気圧が下がる。左脚は機体重量を支えることができない。
「ちぃ!」
機体は砂の上に横倒しになる。だが、敵に対して正面を向けてはいる。
(これならまだやれる!)
琢也はその態勢のまま、攻撃を続ける。
もう動くことはできないから、相手には攻撃され放題だが、甲虎の装甲は、重機以上でなければ貫通できない。しばらくは持つ筈だ。
こうした行動をとったのは彼だけではない。他の行動不能の機体も同じように最後の一弾まで戦い続けようとしている。
「おっしゃ! あのカゲを使え!」
甲虎の制圧した陣地へようやく上陸してきた米田は、この倒れても奮戦する機体に目をつけた。
開けた海岸では絶好の掩蔽物だ。この際、何でも利用しなくては。
後続の部隊も、まだ稼動中の機体をも利用して攻撃している。甲虎とは一度も共同訓練したことはないが、戦車と共同攻撃する時の要領だ。
この時の日本歩兵は、まだ一度も本格的な実戦を経験していない。だが、逆に言えば損耗をしていないということでもある。歩兵としては上陸最先端を担った彼らは日露戦争以来、精鋭を歌われる日本歩兵の伝統をしっかりと受け継いでいるのだ。
「ちぇ。オレを利用してやがるぜ」
自分の機体の影に入ってきたのが、まさか米田一基の甥が率いる部隊だとは気づきもしない琢也だが、気づいたからといって反応は違わなかっただろう。
なにより、それにかまっている暇もなかったのだ。残弾がもう残り少ないのである。
元々、主兵装である回転式多砲身機銃(バルカン砲)は弾薬の消費が激しい。『オレ以上の大飯ぐらいだ』とは後の琢也の談である。かといって、横倒しになってしまっているので、他の兵器を使える状態ではない。
「こうなりゃ、肉体あるのみだ」
操縦席の下から百式機関短銃を取り出した。
これは、日本軍唯一の制式短機関銃――現在の言葉でいうなら、サブマシンガンである。生産性や価格の問題から少数の配備にとどまっているが、全長が短いため、空挺部隊や装甲部隊に優先して配備されていた。そして、甲虎隊の乗員にも脱出時の個人装備としてこれが配備されていたのである。
短機を掴んで臨戦態勢をとった琢也は、直上――横倒しになっているから、今は左横というべきか――の取手に手を伸ばした。そのダイヤルを押し込みながら右に90度ほど回すと甲虎の背面上部から、白い蒸気が立ち上った。搭乗口をロックしていた蒸気圧が抜けたのである。
ここからさらに90度ほど取手を捻れば搭乗口が自動的に開くのだが、敵前で大口を開けてしまっては、ただの的だ。
圧は抜けているから、搭乗口は手で押していけば開く。琢也は慎重に力を込めると僅かづつ隙間をあけていった。
先ほどまでは集音機を通じて聞こえていた銃声が、生の戦場の音として飛び込んでくる。甲虎で戦闘をしていた時とは違う緊張感が彼を襲う。
今までは装甲に守られていたが、今度は防弾性能は全くない搭乗服(陸軍の飛行服を流用したもの)だ。正直にいえば怖い。しかし、そんなことを言っていては歩兵に申し訳もないし、士官としての矜持もある。
「うっしゃぁ!」
自らを鼓舞するように気合を入れた琢也は、隙間から百式短機の銃身を飛び出させた。そして、本体から左横に突き出している曲弾倉を左手で掴み、引金を引く。
発射速度の高い短機は、次々と薬莢を空中に吐き出す。それは、甲虎の狭い操縦席内の様々な部品とぶつかり合いながら、落下していく。琢也にはその不規則ながら澄んだ金属音が、ずっと大きい音である筈の射撃音より耳についた。
「よーし!」
米田は動きをとめた甲虎によじ登るようにしながら、敵情を確認した。
どうやらこの甲虎は完全に死んだらしい。それでも搭乗員は健気にも歩兵として攻撃を続けているではないか。装甲で守られているとはいえ、このまま偶然にでも隙間から弾が飛び込めば、ハイそれまでよ、だ。
だが、脱出させようにも甲虎は後方には脱出口がない。搭乗員が脱出するには、敵前に一度出なくてはならない。
「こうなりゃ、本職が負けるわけにいくめぇな」
甲虎の中から自動火器で射撃してくることに、敵は一瞬、怯んだようにも見える。
今が好機だ。
「すすめぇ!」
米田は甲虎を乗り越え、先頭を切りながら走り出した。
「小隊長殿に続け!」
慌てて小隊軍曹が指示を出す。小隊軍曹は、実質的な副小隊長であり、叩上げのベテラン下士官が任命される。実際、米田小隊の小隊軍曹も米田よりずっと年上だ。だが、その彼をしても、米田の決断力や豪胆さには驚かされる。今も、米田がいきなり飛び出していくとは予想できなかった。
だが、指揮官率先となれば士気は高まる。小隊の歩兵は次々と米田の後に続いていく。
(きやがった!)
マイクは接近してくる日本兵が自分に向かってきていることを呪った。
「イエローモンキーを近づけるな! Fire!!」
米軍の主力歩兵銃はM1ガーランドだ。これは半自動小銃であり、引金を引くだけで次々に発射できる。日本軍の九九式歩兵銃やドイツ軍のkar98kはボルトアクションライフルと呼ばれる、一発射つ度にボルトを引き押しして弾を装填しなくてはならない銃であるから、この時点において米軍の歩兵の火力は他列強を圧倒していた。
「やった!」
マイク自らの弾で日本兵の一人が仰向けにひっくり返った。
更に友軍の射撃が続けざまに三人の日本兵を倒した。
一人は顔面を打ち砕かれ、即死。
もう一人は右胸を貫通した弾に動脈を打ち抜かれ、大量出血している。ほどなく失血死するだろう。
最後の一人は足を打ち抜かれて倒れた拍子に、派手に転倒。打ち所が悪かったのだろう、ピクリとも動かない。
数分にしては、大した損害を敵に与えている。
だが、マイクは不気味なものを感じていた。
(なんでヤツラは足を止めない!)
敵部隊は“突撃”でなく“進撃”してきている。やみくもな突撃ならば、一種の狂気たりえ、多少の損害をうけても、その突進力が失われるまでその前進はとまらない。
しかし、“進撃”はそうはいかない。正気を保ち、きちんと隊形を維持したまま、整然と前進する必要があるのだ。だから、これだけの損害を受ければ恐怖感を感じるのが普通である。逃げ出さないまでも、出足が鈍るなり、その場で動けなくなるなりする兵が出てくる筈である。
それなのに、日本兵はまるで何事もなかったように進んでくるではないか。頭を低くし、腰をかがめながら走る基本通りの姿勢で。
(やつらの神経はどうなってるんだ!)
それでも、士官として鍛えられてたマイクは何とか日本兵を止めるべく戦場を見回した。
(あれは……)
彼の目は先頭を走ってくる敵兵を捉えた。
一見すると他の兵隊と同じに様に銃を持って走ってきているが、その腰には刀を吊っている。戦場で刀となれば、それは指揮刀に違いない。すなわち、アレが士官、指揮官だ。
「先頭のヤツを狙え! あれが敵の隊長だ!」
自身も先頭の指揮官、すなわち米田に銃を向ける。
だが、なかなか弾があたってくれない。ただでさえ、空襲や艦砲射撃による攻撃や人型蒸気の出現で士気が下がっていた兵達は、自分達相手に迫ってくる敵兵に動揺し、正確な射撃ができずにいるのだ。
それを悟ったマイクは密かに舌打ちした。
(こうなりゃ、オレが当ててやる!)
マイクが持っているのは兵士がもつM1ガーランドではなく、一部下士官や士官に指揮官用という位置付けで配布されているM1A1トンプソン・サブマシンガンだ。
この銃は米軍最初の制式サブマシンガンである。その堅牢な作りと動作の確実性は、禁酒法時代のギャングがドラムマガジンタイプを好んで用いたことからシカゴタイプライターの異名をもっていることからも証明されている。ただし、その弾薬は米軍制式拳銃であるM1911A1ガバメントと同じ.45ACPと呼ばれるものを採用していた。これは、強力なストッピングパワー(=打撃力)をもっているが、拳銃用の弾薬であるから射程は短く、また反動も大きいことから“狙って当てる”ことには適していない。第一、サブマシンガンという兵器自体が、高い発射速度で近距離の面を制圧するためのものである。
それでもマイクはトンプソンの銃床を肩にぴったりとつけ、狙いをつけた。連射をすれば銃が跳ね上がることと、相手が向かってきていることを計算に入れ、やや手前側(下側)を狙う。そして、跳ね上がりを最小限にするために、トンプソンの銃身付根あたりに取り付けられている前方グリップをしっかりと握り締めた。
(今だ!)
マイクは引金を引いた。
.45ACPの強い反動が銃身を上に向けようとする。それを銃の重みとグリップで抑え付け、着弾を集束させた。トンプソンにしては上出来な射撃だ。
逆に、その弾幕にさらされた米田の方はたまらない。その身体には瞬時に三発が命中し、前方に回転するように倒れた。
「Ya!!」
思わず歓声をあげかけたマイクだが、次の瞬間、我が目を疑った。倒した筈のヤツがすぐさま起き上がってきたのである。
「馬鹿な!」
実は、米田にあたった最初の一弾こそ、左大腿部外側の肉を抉り取った。脚を負傷してバランスを崩した米田は前方に倒れこむのだが、それが頭を突き出すような形になったのが幸いし、二発目はヘルメットにあたり、弾ははじかれた。更に三発目は腰にあたったが、偶然にも腰につけている九九式歩兵銃の予備弾薬を直撃し、身体にはあたらなかったのだ。
強運といえばそれまでだが、戦場では断固とした行動が自ら運を招き寄せることがある。「鷹というより猪というにふさわしい」と戦後、部下に述懐された米田の面目躍如といったところだろう。
「Sun of a bitch!!」
悪態をつきながらマイクは射撃を再開するが、明らかに動揺している。トンプソンをうまくコントロールできていないのだ。
ウエストポイントの秀才とはいえ、実戦経験はほとんどない。連戦連敗の上、黄色人種の日本兵は『欧米兵器のデッドコピーで一流ぶっているだけのイエローモンキー』というイメージをぬぐう機会はなかったのである。兵隊達も同様だ。
それが、目の前で覆されている。
日本軍はまだ米軍が実戦化できていない人型蒸気を投入し、損害をいくら受けても退くことなく向かってくる。
その“ありうべかざる現実”が、彼らに突きつけられたのだ。
「う、うわぁ!」
声をあげて最初に逃走し始めたのは、マイクの部隊で一番若いスミスだった。南部ジョージア州で徴兵された彼には、有色人種に対する蔑視が根強い。彼もその価値観にとらわれている。
町の喧嘩ならともかく、有色人種が近代戦をうまく戦えるわけがない。
そう信じていたものが根底から覆されたことで、パニックを起こし逃走したのである。
通常ならば、そんなスミスを捕まえ臆病者と罵り、無視矢理にでも戦闘に引きずり戻す者があっただろう。
だが、この時はほとんど全員が同じ感情を抱いていた。
一人の逃走は芋蔓式に周囲に伝染していったのである。
「踏み止まれ! それでもアメリカ軍人か!」
マイクが叱咤するが、崩壊は止まらないどころかマイクの周囲にまで及んでくる。
「敵前逃亡は銃殺だぞ!」
脅してみても効果はない。
もはや踏み止まっているのは彼と数人の下士官だけだ。
逆に、崩れたとみた日本兵は、前進速度を速め、突撃状態になって突っ込んでくる。
その先頭はもちろん米田だ。
「おりゃぁ!」
もはや銃撃の距離ではない。
米田は銃剣のついた九九式歩兵銃を槍のようにして突き出した。相手は、取り残されたマイクだ。
「Shit!」
マイクも凡百な兵士ではない。
突き出された銃剣を身を捩りながらトンプソンで払う。銃剣の切っ先がトンプソンの本体にあたり、金属同士がぶつかり合う鈍い音をたてた。それによって銃剣の軌道はそれ、マイクは辛うじて避けることに成功する。
しかし米田は走りながら突きに出たから、勢いまではとまらない。そのまま体当たりするような形になり、マイクは仰向けに引っくり返った。米田の方も脚の負傷から踏ん張りがきかず、転がるように転倒してしまう。そして、その拍子に二人とも銃が手から離れてしまった。
「JAPめ!」
マイクは上体を起こしながら、腰の拳銃、M1911A1ガバメントを抜いた。
こいつのパワーをもってすれば致命傷にならなくても、相手の体勢を崩せる。それで時間を稼ぎ、こちらの体勢を立て直せば勝てる筈だ。
このマイクの算段は彼我の距離がもう1mでも離れていれば現実になっただろう。だが、今の距離は米田の間合いだった。
米田も腰に手をかけたが、彼が抜いたのは拳銃ではない。その腰にぶら下がっていた指揮刀を抜いたのだ。
指揮刀は大音響が響く戦場において“見ため”で指揮をするためである。極端なことをいえば、棒や旗でも構わない。実際、平時においては刃のついていない刀を使っている。
さすがに実戦となると刃のついたものに替えるが、これは本来の陸軍の規定ではサーベルだ。しかし日本軍の士官達は日本刀を使うことを好んだ。厳密に言えば違反なのだが、刀は武士の魂。それをとがめるような者は皆無であった。
そのご多分に米田も漏れない。それも照和新刀と呼ばれるような粗悪なものではなく、米田一基が神刀滅却に次いで愛用したという名刀・二代目倖次(ゆきつぐ)だ。しかも、米田は天涯一心流の剣術修練を積んでいたのだ。
「破っ!」
気合もろとも白刃が一閃した。
ほとんどガバメントを構え終わっていたマイクだったが、その引金を引くことなく、袈裟懸けに切り捨てられたのだ。
一瞬、凍りついたように棒立ちとなった彼は切断された動脈から噴水のように血を噴出させながら、跪くように崩れる。そして、そのまま前に突っ伏し、辺りを血に染めていく。
「JAPの気違いめ……!!」
それが彼の最後の言葉だった。
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