第六話「咆哮」(その4)

「敵艦見ユ」

 その報告が大神にもたらされたのは、ワシントンがレーダーで日本艦隊を発見してから少し遅れてであった。おそるべきことに、レーダーとほぼ同等の“性能”を、帝國海軍の見張員は果たしたのである。

「巡洋艦二、駆逐艦四が北進中。速力二四ノット」

 通報してきたのは、前方警戒隊(軽巡『川内』他)であるが、この時点では、戦艦を巡洋艦と誤認していた。

「どうする?」

 加山から、命令を促す問い。
 大神は逡巡し、反駁した。

「……本隊だと思うか? 前衛だと思うか?」

 即断即決の大神にしては珍しい。
 それだけ、この時期の大神は“不調”だったのかもしれない。

「敵の規模はおそらく、前回と同程度。戦艦を含んでいる筈だ。この程度の前衛をもっていても不思議ではないな」

 大神のもとには、偵察情報として米軍の比向輸送船団(おそらくはミンダナオへの)が接近していることが伝えられていた。
 だから、敵艦隊への警戒を強めていたし、戦力も推定できている。
 問題は、どこにいるかであった。

(前衛なら、警戒隊で勝負になる。もし、本隊の一部か、近くに本隊がいるにしても正体を確認できるし、魚雷で対抗できる)

 大神にしては消極的な思考によって、作戦行動が決定された。

「三水戦を突撃させろ!」

「司令部より打電、突撃命令です!」

 軽巡『川内』の艦上でその命令を受けたのは、前方警戒隊(第三水雷戦隊)を率いる 橋本信太郎少将である。
 が、それは意味をなさなかった。

「遅い! もうはじまってる!」

 レーダーにより発見された前衛部隊は、米艦隊から攻撃を受け、戦闘状態に陥っていたのだ。

「右舷六点回頭、左、砲撃戦!」

 『川内』以下、駆逐艦『浦波』『綾波』『敷波』が単縦陣で夜の海を疾駆する。
 相手は重巡を含む艦隊。艦隊運動で、有利な位置を占め、魚雷戦をしかけるしかない。 が──

「なんだっ!」

 新たに発砲してきた艦の発砲炎の大きさに橋本は驚愕した。
 そして、『川内』の周囲には、桁違いに大きな水柱があがり、艦を動揺させる。

「右舷カッターがもってかれました!」
「二番、三番煙突には破孔多数!」

 報告がいくつかあがってくるが、致命傷ではない。
 しかし、ここで、ようやく、敵を誤認していたことに気づいた。

「あれは、重巡じゃないぞ。戦艦だ!」

 実は、この時、『ワシントン』こそ敵艦との遭遇にそなえて徹甲弾が装填されていたが、『サウス・ダコダ』には飛行場を攻撃するための榴弾があらかじめ装填されており、また、以後の数射分も榴弾が用意されていたため、三水戦の被害は、最小限にとどまっていた。まだしも幸運だったというべきだろう。

「司令、どうされますか?」
「このままだ」

 より困難な相手とはなったが、水雷戦隊としては砲力に劣る以上、魚雷攻撃によるしかないことにかわりない。
 『ワシントン』の砲撃が直撃し、『綾波』が瞬時に撃沈されるも、残りの艦は敵艦隊と並行するような進路をとることに成功する。

「左魚雷戦、同航。目標、先頭の戦艦」

 発射調定諸元が矢継ぎ早に指示されていく。

「方位角左四十度、敵速二六ノット、距離六五〇〇、深度三メートル、第一雷速!」

 『川内』の左舷にある二連装魚雷発射管二基がその準備を終える。

「発射初め!」

 次々と魚雷が放たれ、敵艦めがけて疾走を開始した。
 『川内』に続き各駆逐艦からのものをあわせ総計二八本(『敷波』の魚雷発射艦一基は損傷により使用不可)の魚雷が放たれる。
 第一次フィリピン海戦で、米艦隊を壊滅させた九三式酸素魚雷は、起死回生の一撃になる──はずだった。

「なんだ? どうした!?」

 命中予想時間にあがった水柱は僅かに二本。駆逐艦『プレストン』が轟沈したものの、他の艦には何ら変化が見られない。というよりも、米艦隊に届く以前に幾つもの水柱があがってしまった。自爆である。
 その原因は調停の失敗や、海流の影響などがあげられているが、今日に至るも明らかではない。
 だが、仮に明らかになったとしても、この戦況には何ら影響は与えるものではなかった。彼らにとっては、大東亜戦争中、最低の戦果といわれた魚雷攻撃失敗という事実だけが重要だったのだ。

「次発装填、急がせろ」

 『川内』を除く各艦には魚雷の次発装填装置が装備されている。
 これは、帝國海軍が独自に開発したもので、通常の艦艇であれば魚雷発射管に装填されている魚雷を撃ってしまえばそれで終わりとなるところを、予備の魚雷を発射管に装填し“二発目”を可能にするという装置だ。
 だが、次発装填には三〇分ほどの時間が必要であり、しかも、戦闘下でとなると、一層手間取ることも想定される。それまでは有効な対戦艦装備をもたないまま、戦わざるをえない。
 それでも橋本は、戦い続ける道を選んだ。

「増援がくる。それまでは、駆逐艦を少しでも減らす」

 彼らは自分たちの役目をそう規定していたからだ。

「せ、戦艦!?」

 三水戦からの報告に声をあげたのは、周防だった。

「おいおい、貴様が驚いてもしょうがないだろう」

 加山が苦笑する。

「は、はい。申し訳ありません!」

 しかし、周防が声をあげていなければ、加山がそうしたかもしれなかった。
 それぐらい、“誤認”の衝撃は大きかったのだ。

「加山、クラスはなんだと思う?」
「米戦艦群のほとんどは鈍足で、こんな高速作戦には追随できません。となれば、前回の砲撃部隊と一緒だ。新型戦艦『ワシントン』『サウスダコタ』級でしょう」

 幕僚群の前なので、敬語で加山が考えを述べる。

「まさに本隊ということか」

  断じて行えば鬼神もこれを避く、というが、逆に消極的な判断は災厄を招き寄せるということか。
 更にこの時、別方向から戦場に駆けつけた第一〇戦隊は、重巡二・軽巡二を中心とする米前衛部隊に遭遇してしまい、三水戦に合流することができなくなっていた。

「このままだと、三水戦がもちません」
「わかってる」

 加山の言葉にそっけなくこたえるが、これは何か考えることに集中しているからだ。
 そして、次の瞬間には結論を出した。

「とにかく戦場に急行させる。『大和』と『叢雲』を分離して全速だ」
「む……」

 加山が唸った。
 大和の最高速度は二七ノット。
 その他の艦は最も遅い『金剛』『榛名』でも三〇ノット。僅かとはいえ、今はその僅かが惜しいということだ。
 だが、戦力の逐次投入になるのではないかという危惧がある。

「駆逐艦は大事だからな」

 そう言われると加山も納得せざるをえない。
 空母に随伴できる高速戦艦は確かに貴重な存在だ。
 だが、反撃に転じた以上、これまでより一層、海上補給路の保護が重要になる。それには戦艦よりも駆逐艦がずっと有用であり、逐次投入で戦艦が撃破されてでも、水雷戦隊の壊滅を防ぐべきだと大神は考えたのである。

「敵軽巡1、脱落!」
「よし」

 第一〇戦隊を率いる木村進少将は、軽巡『長良』から指揮をとっていた。
 とにかく目の前の巡洋艦隊を突破して、三水戦を助けたいのだが、敵艦隊が優勢でそれどころではない。
 この時、第一〇戦隊と交戦していたのは、ダニエル・J・キャラハン少将率いる第六七任務部隊であった。主力は重巡『サンフランシスコ』『ポートランド』と軽巡『ヘレナ』『ジュノー』である。
 重巡は明らかに格上としても、二隻の軽巡は『ヘレナ』が一五.二センチ三連装砲五基、一二.七センチ連装砲四基、『ジュノー』が一二.七センチ連装八基をもつという強力な新鋭艦だ。
 対する『長良』は太正時代に建造され、一四センチ単装砲七基という装備でしかない。同じ軽巡といっても戦力は大きく劣る。
 本来は、突破するどころの話ではない。

「暁被弾! 脱落します!」

 ポートランドの斉射により二〇センチ砲弾に包まれた暁は、つい直前までの快速が嘘のように急速に速度をおとしている。なにより、大きく傾いて、今にも転覆しそうだ。

(あれは救えまい)

 木村がそれを確認した直後、今度は『雷』、そして『天津風』が被弾する。
 幸い、『雷』は戦闘続行可能だが、『天津風』は損害が大きく、戦場を離脱せざるをえない。

「左舷三点回頭」

 しきりに艦隊を左右に振り、なんとか戦況を打開しようとするが、思うに任せない。

「敵艦隊、転舵します!」

 木村にとって、その艦隊運動は意表をつかれたものだった。

(読まれたか)

 相手艦隊の後尾を高速で通過するような進路を狙ったのだが、これでは同航戦に持ち込まれてしまう。
 そうなると、砲力で劣る一〇戦隊は著しく不利だ。このままではまずい。

「右舷五点回頭!」

 これで、同航戦は回避できるか、回頭が終わるまでが危険だ。転回点が一点であるために、砲撃を集中されるおそれがある。

(損害が出ずにのりきれるか──)

 その度合いによっては撤退もやむなしと、木村が覚悟した時だ。
 突然、滝のような水流が空間を覆いつくした。

「スコールか!」

 視界そのものを遮るような激しいスコール。
 これは米側の攻撃を妨げることになる。
 一〇戦隊は態勢を立て直すだけの時間を得た。

「文字通りの天運だな」

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