第六話「咆哮」(その2)

「あー、静かにさせろ!」
「今、やってるんですけど、なんか、歓迎されてるみたいなんですけど……」
「んなこた、どーでもいーから。なんとかしろ!」

 米田鷹将中尉は呆れたように部下に命じた。
 彼の前には、米兵が溢れている。
 ただし、それは、米軍でありながら、アメリカの市民権を持たないものたち──フィリピン人による“植民地人部隊”であった。

「中隊長殿! こっちにアメ公がいましたよ!」
「おー、わかった」

 米に限らず、当時の列強は植民地での治安任務にあたらせることを主眼として現地人による部隊をいくつか編成していた。
 しかし、万が一にでも反乱を起こされれば厄介な事になるから、装備も練度も最低限のものだ。そして、何より、兵に士気がない。
 日本軍が攻めてきたために、とりあえずの戦力として前線に投入されたものの、アメリカのために自分達が戦わなくてはいけない理由は見出せないのだ。

「おい、早いとこ整列させて人数を数えておけよ」

 現地人部隊は士気が低いからすぐに降伏する。
 それは、有難いことではあるのだが、逆に負担ともなってきていた。あまりに降伏した人数が多すぎるのだ。
 元々、帝國陸軍には捕虜という概念が薄い。
 それはなにも敵の命を軽視するという意味ではなく、帝國陸軍自らが捕虜になることを潔しとしないと教育されているため、捕虜について考えるという事が縁遠いのだ。
 そこに大量の降伏者が出たとあって、帝國陸軍の“システム”は機能不全をおこしている。
 大量の降伏者を把握、整理すること。
 降伏者を後送すること。
 降伏者の食料を確保すること。
 降伏者の衛生状態を確保すること。
 後送した降伏者の収容場所を整備すること。
 全てにおいて、ノウハウが不足していた。
 それでも辛うじて捕虜の取り扱いができているのは、陸軍の後方兵站が、民間から発達した自動車化によって支えられているからであった。
 神埼重工をはじめとする国産車両は、日本以上の高温多湿、かつ、悪路に稼働率を低下させてはいるが、民生用車両をも買い上げて投入したこともあり、なんとかこの予想外の“増兵”の補給をも支えることができていたのだ。

「よーし、おめぇら。知ってることを話してもらおうか」

 この部隊の中の数少ない米国兵に、米田は尋問を試みた。
 が、相手の反応が全くない。

「あー、えーと、なんだー、通訳はいねーのか!!」

 陸軍士官学校で英語の授業はあるにはあった。
 一応、辞書を引きながら英文の意味を把握することくらいはできるが、英会話などまるで不可能。そして、他の人間も似たり寄ったりである。

「どうします?」
「連隊本部に指示を仰ぐしかねぇな」

 上級司令部に連絡をとろうとした、その時である。

「むっ、近ぇぞ」

 新たに響きはじめた戦場音に、米田は敏感に反応した。

「おい、捕虜から目を離すな」

 近くで戦闘がおきたことで、捕虜達が動揺──あるいは、逃亡、反乱をおこすようなことを米田は警戒した。
 実際、目の前の米兵はどこか希望の色を浮かべている。
 が、比人兵はそうではなかった。動揺はしているが、それは怯えからくるものであった。

(完全に士気が崩壊してるな)

 数こそ多いが、やる気がない。
 恐慌状態にさえ陥らせなければ、問題はなさそうだ。

「よし、坂崎小隊はそのまま捕虜を見張れ。他の連中は、すぐに戦えるようにしておけ」

 音からして、そう大規模なものではなかった。
 しかし、敵の銃声、味方の銃声、どちらも拮抗し止むような気配がない。
 ということは……

「中隊長殿! 大隊司令部より前方で戦闘中の濱口中隊を支援しろとの命令です」
「よし、すぐに行くと答えとけ!」

 案の定だ。
 米田は一個小隊を捕虜の監視用に残し、二個小隊で戦場へ向かう。

「前線は、この二キロ先です」

 斥候が状況を報告してくる。
 ほぼ一本道のまま続く道での遭遇戦で、前線は混乱気味。
 相手は米正規軍部隊のようで、簡単には崩れない。
 また、敵味方とも重装備に欠けていおり、決定打が出せないでいる。

「よし。長野小隊は右から。俺は左からいく」

 簡潔に指示を下す。
 第三小隊長は、本来の指揮官である島田少尉が戦死し、長野曹長が指揮をとっているが、米田が指示を下している限り、安心して部隊を任せられる。
 道を中心に部隊は左右に分かれ、密林の中に入っていく。

「……ちっ」

 足をとられかけて、米田は舌打ちする。
 この高温多湿な森林の内部は、日本の森林のそれとは全く異なっていた。
 既に何度も突入している空間ではあるが、その不快ぶりは一向に慣れることができない。

(こんなところで負け戦なんてーのは地獄だな)

 そうならないためにも、ここでもきっちり勝負をつけなくておかなくては。

「米田中隊長殿。ここいらでいいんじゃないですか?」
「おう」

 直率している第一小隊長・三島少尉の言葉に肯く。
 米田は、軍刀を抜き、頭上に掲げた。

「突撃ぃ!!」

 喇叭手が突撃喇叭を吹く。

─ 出テクル 敵ハ 皆々殺セ ─

 そういう節で覚えた旋律が戦場に響く。
 同時に鬨の声を上げ、一気に道路側へと押し出す。

「いけぇっ!」

 米軍部隊は、濱口中隊と戦っている最中に、突如、米田中隊が後方に出現し包囲されたことになる。これは、帝國陸軍が得意とする浸透戦術だ。
 これは、敵部隊の周囲の難行軍地形を浸透し、敵後方に突破、包囲するというものである。今日の目から見れば、造作もないことに思えるが、戦闘中の敵部隊に悟られないような距離をとって難行軍地形──密林中を、部隊を拡散させず、方向を誤らずに行軍するということは、この当時としては非常に困難なことだ。なにせ、通信機器も自らの座標を計る装備もないのだ。
 だが、日本陸軍は、絶えまない訓練と、そこから得られた教訓を蓄積・反映することで、それを可能としている。おそらく、単に歩兵全体としての平均練度で見るのであれば、日本軍は列強中、最強といえるかもしれなかった。

「よーし、包囲だ! とにかく撃て!!」

 密林そのものを遮蔽物としつつ、米田中隊は包囲網を完成させていく。
 あとは、絶え間ない射撃を与えていけば、相手の士気は挫ける。
 そういう筋書きのはずだった。

(……まずいな)

 米軍の反撃が一向に衰えない。
 いや、衰えるどころか、米田中隊へ向けられる銃火は増えてきている。
 正面の濱口中隊に対面していた兵員を引き抜いて、米田中隊へと回しているようだ。
 さすがに口には出さなかったが、誤算である。

(手の内がバレてきてやがる)

 そもそも、包囲された側は、なぜ軍事的に不利なのか。
 包囲側は自由に補給・増援を受けながら相手の弱いところを自在に攻められるのに対し、被包囲側は、補給・増援が途絶え、消耗する一方であり、また、機動が著しく制約されてしまうからだ。そしてもちろん、退路を断たれたという精神的動揺も大きい。
 また、軍事的常識として大兵力が小兵力を包囲するものである。包囲するには、相手に包囲を破られないだけの厚みをもった戦線を、相手が包囲されんとする抵抗を押し切って構築する必要があるからだ。したがって、包囲される=大兵力に囲まれるということになり、包囲された時の衝撃を大きくしている。
 これにより、被包囲側は殲滅され、あるいは、それをおそれて士気が崩壊、降伏するという理屈だ。
 この包囲戦術を最大限に生かしているのが、欧州で独軍が見せた電撃戦であろう。彼らは時に兵力では劣りながら、機械化部隊の機動力を最大限に生かして“戦力”とすることで、各地で包囲を成立させ、早期に敵部隊を降伏に追い込んだのだ。
 だが、同じ包囲戦術でありながら、電撃戦と対極に位置するのが、日本陸軍の浸透包囲戦術である。なぜならば、兵力のみならず戦力としても少ない部隊で、で多くの戦力を包囲しようという思想に基づいたものだったからだ。
 その思想の萌芽は日露戦争にある。
 陸戦として最後の大きな戦いになった奉天会戦では、戦力が少ない日本側が露軍に対して包囲作戦に出た。結果として失敗したのだが、包囲のための延翼活動が、露軍に退却を決意させた。
 よしんば成功していれば、露軍を全滅させられた筈──これは、小兵力であっても、いや、小兵力であるからこそ、戦局打開のために積極的に包囲活動を行うという日本軍の思想となってしまう。
 特に太正維新事件以降、一時を除いて、予算面で冷遇されたため、(陸軍が理想とするのに)充分な兵力を確保できなかったことから、これに拍車がかかった。
 とはいえ、小兵力での包囲にはそもそも無理がある。それを実現するために、奉天では作戦で補おうとした。そして、更に戦術レベルでも包囲行動を研究した結果、浸透戦術が生み出されたのである。
 すなわち、思いもよらぬ行軍ルートにより、思いもよらぬ方向から出現するという、奇襲効果により小兵力を補うというわけだ。
 そして、帝國陸軍が初めて本格的に攻撃作戦に参加したこのフィリピン戦において、この戦術は大きな効果をあげている。海岸防衛線を打ち破って以降は、士気が低い現地人部隊との戦闘が多く、包囲されたとみるや、日本軍が大兵力と思い込み、すぐに降伏していったのだ。

「有史以来ノ大戦争、而シテ赫々タル戦捷ニ輝ク無敵皇軍!」

 それこそ日露戦争以来の陸軍の栄光に、大本営陸軍部は、思いつく限りの美辞麗句でフィリピン戦の勝利を報道した。
 だが、ここにきて、それは過剰報道になりつつある。
 奇襲は「奇」であることに意味がある。
 何度も繰り返していれば、それは効果を失う。
 そして、遭遇する敵部隊も、米正規兵部隊が多くなり士気が高い。包囲が実は小兵力であることも米軍に周知されてしまえば、降伏するような士気崩壊は起こさない。

(包囲行動部隊である我が中隊に兵力を集中して撃退しようというわけだな)

 米田は相手の行動を看破した。
 米軍は浸透戦術への対抗戦術を確立しはじめているのだ。
 まさに「手の内がばれた」状態である。

「擲弾!」

 米田の命令により、擲弾筒が次々と発射される。
 これにより、一時的に敵の反撃が鈍った間隙を付いて、米田は展開を整理しなおした。一端、突撃を中止し、木々や地形を利用しての戦線を構築する。

「三島! 第二分隊をもっと右翼に伸ばせ!」

 米田は包囲網を破られぬように部隊を動かす。

「断末魔だ! 怯む必要はねぇぞ!」

 そう言って士気を鼓舞するが、内心ではまったく別のことを考えていた。

(まじぃな。最初に距離を詰めすぎた)

 包囲網を完成させるには戦況が厳しい。かといって、ここで後退すると損害が大きくなる。

(伝令を出して、坂崎を呼ぶか……?)

 それだとしても、密林を踏破してこないとならいから、時間がかかる。
 どうすべきか逡巡し、一瞬、戦場から注意がそれてしまった。

「中隊長殿!」

 焼けるような痛み。
 鈍痛。
 駆け寄る部下。

「で、でーしょぶだ」

 跳弾だったのだろう。腿の肉を少し持っていかれたが傷は浅い。
 鈍痛は、衝撃で転倒して背中をうったからだ。
 フィリピン上陸直後の戦いに続いて二度目の負傷となるが、いずれも致命傷でなかったのは運がいいといえるのか。
 いずれにしても、中隊長健在を示しておかねばならない。

「攻撃の手を休めるな!」

 立ち上がり、指揮刀をふる。
 幸い、素早く“復活”したこともあって、中隊に動揺は見られない。
 が、苦しい戦況が続くことは変わっていない以上、米田は決断するより他なかった。

「伝令!!」

 まだしも生き残れる方を選ぶしかない。
 濱口中隊に撤退援護を頼もうとしたその時だ。

「上空注意!」

 中隊員の誰かが叫ぶ。
 戦術に集中していて米田は気づいていなかった。慌てて注意を向ける。
 確かにプロペラ音、それも複数のものが近づいてきていた。

「……よし!」

 既に聞きなれた発動機音だ。
 そして、その回転数があがったこともわかる。

「おめーら、巻き添えにならんように、首ひっこめとけよ!」

 九九式襲撃機だ。
 新鋭機であり、まだ、配備機数も少ないこの軽爆撃機を陸軍は“主戦場”に惜しげもなく投入していた。

「うひゃぁっ!」

 低空進入してくる爆音に、米田自身も慌てて首をひっこめる。
 さすがに近接しすぎているから、九九式襲撃機も爆弾は使わない。
 前方固定の7.7mm機銃2門による機銃掃射だ。
 決して強力な武装ではないが、非装甲目標に対しては効果がある。加えて絶妙と称された操縦性が的確な攻撃を可能にしている。

「よーし! ありがてぇぜ!」

 攻撃そのものの威力より、空襲されていることによる動揺で、米部隊が崩れ始める。
 数航過の機銃掃射だったが、これで勝負ありだ。
 米田が攻撃を再開してほどなく、米軍は降服する。

「かーっ。また、捕虜がふえちまったな。強すぎるのも困ったもんだぜ」

 米田がそう茶化すと、どっと笑いがおきた。

 帝國陸軍は、次第にフィリピンの地上戦での苦戦を深めていた。
 これは、米正規軍がコレヒドール要塞に向けて組織的な撤退作戦を行っていたからである。
 同要塞はパターン半島の突端にあるため、日本側進撃路は次第に限定される一方、米側防衛線は縮小できるために防御側有利なのだ。
 特に防御側部隊密度の上昇により、米軍“軽戦車”であるM3スチュアートの出現率があがっているのが、戦術的に大問題だ。陸軍の主力対戦車兵器である94式37粍対戦車砲では太刀打ちができないのである。
 それでも、日本が前進できているのは、制空権を握っているからに他ならない。
 航空隊による近接航空支援が大きな効果をあげているのだ。
 もちろん、空母を失った今、それを支えているのは、ルソン島北部に展開している基地航空隊であった。

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