第六話「咆哮」(その1)


「あら、珍しい。お義姉さまからだわ」

 受け取った電報の差出人を見て、さくらは呟いた。
 義姉、すなわち大神の姉である大河双葉からのものだ。
 宛名は大神一郎宛になっているが、彼は戦場にいったっきりだ。電報ということは急ぎのことであろうから、とりあえず中身を確認する。

「え!?」

 その瞬間、さくらは絶句した。
 義姉夫妻の息子──大神の甥にあたる大河新次郎が戦死したという報告だったからである。

「そんな……!!」

 大河も海軍将校として出征している以上、戦死はまたやむをえない。
 開戦劈頭の米軍の奇襲以来、軍の損害は大きく、大神家の知り合いの海軍軍人も幾人もが靖国神社に祀られるようになってしまっていた。
 しかし、やはり血縁関係にある身内──それも、紐育華撃團の隊員から隊長を勤め上げたとあって、さくらにとっても、一種の戦友関係にある。紐育から帰っても、帝撃総司令になっていた大神を慕い、頻繁に大神家に顔を出していたので、まるで、大神の弟のようにさくらは感じていた。

「大神さんに報告した方が……いえ、でも、煩わせては……」

 逡巡する。
 考えがうまくまとまらない。
 こんな時、知己の多い帝都や実家のある仙台から離れていることがもどかしい。
 誰にも相談ができないからだ。

「ああ、そうだわ、かえでさんに連絡すれば……」
「その必要はないわよ」

 突然、背後からした声に、さくらは肝を冷やして飛び上がった。

「だ、誰!!」

 瞬時に前方へ回転するようにして声の主から距離をとる。
 もちろん、起き上がった時には、身体を捻って正対するとともに、徒手空拳ながら戦闘態勢を整えた。
 昔取った杵柄というべきか、毎日、木刀での素振りは欠かしていないだけのことはある。
 が、相手の方は、至って落ち着いていた。

「さすがはさくらね。でも、そんなに警戒されるのは、心外だわ」
「かえでさん!?」

 現在の帝撃司令官代理、藤枝かえでが立っていたのである。

「ごめんなさい。戸があいていたし、声をかけても反応がないものだから、上がらせてもらったわ」
「え、あ、すいません、藤枝司令代理!」

 慌てて頭を下げる。
 電報に気をとられすぎていたようだ。

「と、とにかく、こちらにどうぞ」

 慌てて座布団を出し、お茶を入れる。

「お構いなく。そんなに畏まらなくていいわよ」
「すいません! バタバタしちゃって」

 アツッ! などという声が聞こえくるのは、昔と変わらぬところか。

「お茶菓子もなくて……」
「仕方ないわよ。このご時世ですものね」

 微笑みながら一口お茶をすする。

「それで、かえでさん。今日は一体、どうしたんですか?」

 帝都から廣島までの移動は、通常手段による限り一日以上かかる。
 以前のマリアの話では、かえでは帝都でもかなり忙しく立ち回っているとのことだったから、何の用事もなく訪問してくるとは思えない。

「そうね。その電報のためよ」
「え!?」
「このままだと、さくらは大神くんに伝えてしまいそうだしね。そうすると、話がややこしくなっちゃうから」
「え、ええ!?」

 なんで、きたばかりの電報の内容をかえでが知っているのか。
 しかも、時系列的にいえば、戦死公報が出たかでないか──つまり、大河の家にもそれが届いていないような時から行動をおこさねば、このタイミングで廣島にはいれない筈だ。

「大河くんも貴重な霊力保持者。華撃團にとっても重要な人物よ。日常任務はともかく、重要な動向はこちらにも入ってくるの」
「……」

 海軍将校としても、霊子甲冑を操れるほどの霊力をもっているのは、大神、大河と現帝撃隊長の神山の三名だけだ。日本、というよりも対魔という世界的な課題においても貴重な人材である。
 その人材が、軍人としても優秀であるがゆえに、前線で使わざるをえないところが日本の苦しいところであり、結果、戦死という事実が突きつけられた──そう解釈すべき事態だと、さくらは思っていたのだ。
 だが、かえでの言葉は意外なものであった。

「結論からいうわね。大河くんは死んだりしていないわ」
「え!?」

 さくらが目を丸くする。
 では、この電報はなんなのだろうか?

「公報は本物よ。大河の家には申し訳ないけどね」
「……つまり、戦死に偽装された、ということですか」
「ご名答。彼は紐育華撃團の経験を生かした、彼にしかできない極秘任務につくことになったの」
「わかりました」

 さくらにも概ね見当がついた。
 だが、かえでが具体的に言及しない以上、口には出さない。そこに何らかの理由があるのだろうから。

「でも、かえでさん。わざわざ、それだけを言うために廣島までいらしたのですか?」

 事情を踏まえた上でも、苦労の割に、あまりに用件が簡潔すぎるのではないかと、さくらはいぶかしむ。

「それだけ、じゃないわよ。これはとても重要なことなの」
「そりゃ、人の生死にかかわることですけど……」

 まだ、さくらは得心していない。
 策謀じみたことに疎いのは、昔どおりといえよう。
 とはいえ、今回はきちんと理解してもらわなければ困る。

「大河家からここに連絡がくるのは、100%確実。そうなれば、大神くんに伝わるわよね」
「ええ。もちろんです」
「それが困るのよ。大神くん、今は海軍将校として、軍人としての判断を優先しているみたいだけど、本当は優しい子でしょ」

 天下の海軍中将も、かえでにかかれば、こんな扱いだ。
 もちろん、実際に目の当たりすれば違うのだろうが、どうしてもイメージは最も一緒にた頃──太正末期のものになってしまうようである。

「今の日本が大神くんだけでもっているわけじゃ、もちろんない。でも、大神くんに大きな役割があるのも事実よ。もし、彼の耳にこの事が入れば、その個人的感情が判断に影響を与える可能性がある。それが本当のことならしょうがないけど、そうじゃないんだもの」
「へぇー。一郎さん、そんなに頑張ってるんですか」

 いくら愛妻といえど、軍の行動に関するようなことは大神は漏らさない。もっとも、聞いたとしても、さくらでは、ほとんど意味がわからないだろうが。

「かえでさんのおっしゃる事はわかります。確かに、一郎さんは、そういう面がありますから」

 帝都で共に闘った数々の戦。
 そこで、時には自分を犠牲にしても隊員達を救おうとした姿を、そして自分のために三種の魔神器を破壊したことを、さくらは忘れてはいない。

「……でも、それを伝えるためだけでしたら、わざわざ、こられなくても、電報でも伝言でもあったと思うんですけど」

 かえでは苦笑した。
 言わずもがなかと思ったが、やはり、さくらは素直すぎる。
 全部説明せなばならぬようだ。

「電話にしても電報にしても無電にしても、全てが傍受される可能性があるし、第三者を通さなくてはならないわ。誰かに伝言を頼んでも、よほど信頼できる人でないとね。そうなると、今動けるのは、私自身しかいなかったというわけよ」
「なるほど、そういうことなんですか!」

 ようやく合点がいったようだ。

「わかりました。大丈夫です。一郎さんにも……いえ、一郎さんにだけ伝えておきます」
「お願いね。酷だと思うけど、大河さんのところには、くれぐれも秘密よ」
「はい。任せておいてください!」

 これで、かえでの用事は済んだことになる。
 そこからようやく、久しぶりの再開を喜ぶ会話がはじまった。

「最近の帝都はどうなんですか?」

 自然、話の中心は帝撃のことになる。

「天宮さんは、うまくやってるわよ。貴方に似て、華があるわ」
「そうですか? そうだとしたら、私には似てないじゃないですか」

 自分のことを慕う天宮さくらのことは、気になるようだ。

「安心なさい。今は大規模な魔の出現もないから、貴方達に比べれば、大分、楽なのよ」
「そうですよね」

 太正末期、さくら達自身が戦ったあの争乱の後、日本での魔の出現は限定的だった。従って、現在の帝撃の活動は、表面的には演劇のみとなっている。

「訓練はしてるけど、発揮する機会がない。緊張感を保つのが難しいわ」
「でも、訓練だけですめば、それにこしたことはないですよ」

 元帝撃隊員としてのみならず、軍人の夫をもつものとして、偽らざる実感であろう。
 最悪の状況を想定して備えておくことは、もちろん必要だ。だが、それが徒労に終るのであれば、なんと幸福なことか。
 その意味では、吉野達の負担は軽いといえた。
 だが、別の観点から見れば、また、事情は異なる。

「……この前、マリアさんがいっていたんですけど、圧力があるって」
「そうね」

 さすがに、かえでも表情を一瞬、曇らせた。

「公的な組織は、最終的には問題ないわ。政府上層部は、本当の“帝撃”を知っているもの。むしろ、問題は新聞かしらね」
「やっぱり……」

 帝劇のファンには未だに根強いものがあるし、暗い世相だからこそ、一時の夢を求め、それを糧として日々に立ち向かっていくという人々も少なくない。
 だが、新聞は相変わらず『国家存亡の危機であり、御国のために命をかけて戦っている者がいる中、女性歌劇など軟弱な娯楽に現を抜かしているのは、非国民である』というような論調だ。
 こうなると、本心はともかくとして、ファンも帝劇に行き辛い雰囲気ができてしまう。
 帝劇メンバーに対する風当たりも強くなる一方だ。

「私たちの時も、批判されましたもんね……」

 さくらは、最初の降魔出現の際の新聞報道を忘れてはいない。
 確かに実質的な敗北を喫したのは自分達の不甲斐なさゆえではあったが、随分と心無い記事に傷つけられたものだ。
 ましてや、今回は花組には全く責任が無い。
 その心中はいかばかりだろう。

「そういえば、今、人手不足なんですよね?」

 男性陣が軍にとられて(戻されて)いるといっていたのを思い出す。
 これもマリアからだ。

「そうね。花組のみんなもよくカバーしてくれているけど……かなり大変なのは確かね」

 ここで、さくらは少し考え込んだ。

「じゃあ、人手は一人でもほしいですよね」
「ええ。でも、組織が組織ですもの。誰でもいいという訳にはいかなくて、補充も難しいわ……」
「私がいきます」

 さすがに、かえでも驚きの表情を見せた。

「いえ、だって、大神くんは……」
「一郎さんなら大丈夫です。大体、ほとんどこの家には帰ってこないんですから」
「でも、戦場から帰ってくるんですから、迎えてあげないと」

 死地から帰ってきたら愛妻はおらず、家がもぬけの空とあってはあんまりだろう。
 あやめは、言外にそう諌めたのだが。

「いえ。一郎さんは何が一番重要なのかわかってくれます。ちょっと待ってくだされば、すぐに準備をしますから」

 もう聞く耳をもっていない。
 彼女の意志の強さ──頑固さは昔から変わっていないようだ。
 あやめは、溜息を一つつく。

「……わかったわ。大神くんへの情報伝達は、また別の手段を考えましょう」
「じゃあ!」

 さくらの表情に喜色が浮かぶ。

「事務手続はあとでなんとかするわ。帝劇に戻りましょう」
「はいっ!」

 こうして、大神さくらは帝撃へと復帰する。
 これが、後々、日本に大きな影響を与えることを、あやめももちろん、さくら自身も、気づいてはいなかった。

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