「前線の状況を把握しろ。足を使え!」
無線機に向かってマイヤーが叫ぶ。
彼自信、司令部から離れ、戦闘地域のすぐ後方まで進んできている。
この間、実際の命令は師団参謀長が(マイヤーの方針に従って)出していた。軍艦で司令部設備ごと戦場を移動する海軍とは異なり、陸上部隊の司令部はすぐに動かすことができない(様々な指揮設備を設営するには時間がかかるし、その全てを稼動状態のまま車両にのせて移動できるような小さな規模でもない)。
そのため、状況を把握するために師団長や幕僚が司令部を離れて前線や各所に赴くことが多々ある。
この時のマイヤーは副官のロベリアを従えて、そうした行動をとっていた。
『師団長、パイパーが突破したと言ってるんですが……』
師団司令部からだ。
第二装甲擲弾兵連隊第三大隊長ヨアヒム・パイパー武装SS少佐が予定目標より前進してしまったことに戸惑っているらしい。停止命令を出すべきだと考えているようだ。
「何を寝ぼけてる。前進だ。戦果を拡大させろ」
パイパーの戦区では、大きな前進はできないと見込まれていた。
しかし、後にアンデルヌの戦いでも名をあげる名戦術指揮官であるパイパーは、戦力をうまく一点集中して赤軍防衛線を喰い破ったのである。
もちろん、進みすぎれば味方と距離が開きすぎて漬け込まれたり、逆撃を受けて壊滅することもありえた。
だが、そんなミスをパイパーが冒さないのはマイヤーにしてみれば当たり前のことである。
「シュトルヒを用意しろ」
Fi-156シュトルヒは、五〇メートル程の滑走距離があれば離着陸可能という軽量かつ良好な性能をもった軽飛行機である。戦場が広大な東部戦線では、陸軍の師団規模以上でも連絡機としても多用されていた。
その名機ぶりは、これを捕獲した連合軍によっても使用されただけでなく、戦後は仏モラーヌ・ソルニエ社や日本の神崎重工でも生産が行われたことでも立証されるだろう。
マイヤーもしばしばこれでもって戦場を移動しており、今回はパイパー戦隊を激励しにいこうとしたのだ。
だが、ロベリアの一言が、それを止めた。
「マイヤー。ヴェンシェ戦隊が苦労してるらしいぞ」
「なんだと?」
装甲連隊第一大隊を中心に擲弾兵や自走砲を随伴させた部隊は、ヴェンシェの指揮で赤軍防衛線突破部隊の主力を形成していた。それが強固な抵抗線に遭遇しているのだという。
「車体を埋めたT-34やKV-1か……」
報告された前線の状況は、かつてのモスクワ前面での赤軍防衛戦を思い起こさせた。
車体を埋めた戦車は、前方投影面積が小さくなって防御に有利な反面、機動力が損なわれる。不退転の防衛線だといえた。
「どうやら、ここが勝負どころと見たようだな」
南北から挟撃を受けているカフカス方面では、赤軍はかなりの苦戦を強いられている。それを救援しようとするなら、アストラハンへの突破を阻止した上で、長大となるB軍集団の側面を突くというのがセオリーだろう。
その最初の段階であるアストラハンへの突破を挫くための防衛線に到達したということになる。
「空軍に支援でも頼むかい?」
「まさか。白デブ(ゲーリング)をアテにするほど、我が武装SSは堕ちてはおらんよ」
マイヤーとて、フランス戦以来“空飛ぶ砲兵”とも呼ばれた空軍の戦術支援能力は評価しているし、助けられたことがある。
だが、空軍は今やヒトラー直轄となったA軍集団の支援に主力を集中していた。虚栄心に満ち、総統におもねるばかりに腐心するゲーリングが、作戦上の優先順位を理解していて空軍部隊をまわしてくれるなど、想像するだけ間違っている。
「じゃあ、どうする気さ」
幾つか選択肢はある。
迂回して主攻軸を別の場所に向ける、突破したパイパーに増援を送り戦果の拡大を行う、戦力を集中しなおして総攻撃をしかける……
だが、マイヤーはそのいずれも選ぶつもりはなかった。
ヴェンシェが突き当たっている防衛線こそ最大最期の障壁であり、それだからこそ、ここさえ抜けば相手は崩壊するというポイントでもある。
しかし、時間をかければ戦力を保持したまま後退させるおそれがある。そもそも、時間をかけるという事自体が、泥濘と冬を呼び寄せて赤軍を有利にするのだ。
「温存していたのはこの時のためだろう。ヴェンシェに第一戦車大隊第四中隊を投入させろ」
命令を伝える一方、自身の乗るsdkfz251/6装甲指揮車をヴェンシェ戦隊の方向へ向かわせる。
「マイヤー。あまり近づくとヤバイんじゃないのか?」
「ほう。どうした、ロベ……ローベ。怖気づいたわけじゃあるまい」
「ぬかせ。貴様こそ年甲斐もなく血気づいてるんじゃねぇかってことだ」
「指揮官が前線にいなくてどうする。戦争は机の上でやってるんじゃないんだ」
装甲指揮車は、ヴェンシェ戦隊の戦場に近づく。
さすがに直接射撃の交戦距離までには入らず停止するが、丁度そこに、今まで聞いたことないないような大馬力エンジンの音と重厚な走行音が近づいてくる。
それは、四号戦車と同様のドイツ戦車の伝統的な箱型デザインの車両。
しかし、四号戦車と比べると一回り以上、大きい。
「オンケル・マイヤー!」
指揮官の姿を認めた各車長が敬礼してくる。
「いけ、そして虎の本領を見せろ!」
虎──ソ連戦車を遠距離から破壊できる八八ミリ砲を主砲に採用し、一〇〇ミリの前面装甲を持つ世界最強の戦車、sdkfz181・六号戦車ティーガーE(後、ティーガーI)の、これが初陣。
まだ生産開始まもないこの戦車を、エリート部隊であるLAHは優先して配備され、後世、極初期型と呼ばれるタイプのものを第一戦車大隊第四中隊として十両装備していたのだ。
「重突破戦車だからな」
目の前を通過し、戦闘に加入していくティーガーをマイヤーは頼もしそうに見つめた。
もちろん、すぐに赤軍も“新型戦車”に気づき、明らかに大型なこの戦車へと攻撃を集中させてくる。T-34の一弾が、ティーガーに直撃した。
「うわっ!」
「おちつけ。76なら跳ね返す」
悲鳴をあげたポールマン武装SS兵長を、そのティーガーの車長ミヒャエル・ビットマン武装SS少尉候補生が一喝する。
その言葉通り、T-34の七六ミリ砲は、ティーガーの装甲に弾かれ、あらぬところで爆発した。
「目標、正面のT-34、撃てっ!」
ティーガーの主砲から放たれた八八ミリ砲弾は、ほぼ直線に低進すると、T-34の上方を抜けていった。
「落ち着け、ヴォル」
ビットマンは砲手のヴァルタザール・ヴォル武装SS軍曹に声をかける。
「敵は低いぞ。深呼吸一回。撃て!」
再び放たれた八八ミリ砲弾は、そこだけが露出しているT-34の砲塔に直撃した。
かつて、独軍戦車や対戦車砲の砲撃をことごとく弾いてきたその装甲は、易々と貫通され、爆発する。
「良くやった。次だ!」
ビットマンは独ソ戦初期に三号突撃砲の車長として活躍したことが評価され、四二年春からバド・テルツSS士官学校に入校していた。卒業は秋になるところだが、LAHが前線に出るにあたって、その才能をかっていたマイヤーが特に呼び寄せたのだ。
階級が少尉候補生のままで実戦参加しているのもそのためだが、見込まれた通りの素晴らしい活躍を見せている。
そして、中隊の各車も、重突破戦車として設計されたその真価をいかんなく発揮して次々に敵を撃破していった。
「全車突撃!」
これを突破口にし、ヴェンシェ戦隊は全力攻撃を開始する。
ティーガーにより潰された場所に歩兵を突撃させ、距離を詰めた四号戦車がそれを支援していく。
一方、別の場所で戦線を突破していたパイパー戦隊にも、マイヤーが送った増援が合流し、戦火を拡大しはじめた。
これにより、赤軍は防衛線の放棄を決定せざるなくなる。
その瞬間、アストラハンの命運は尽きたといえよう。
同都市の制圧をA軍集団がヒトラーに報告したのは10月25日。
また、バクー油田を含むカフカス地方の制圧が宣言され、ロンメルとA軍集団麾下第一装甲軍司令官パウル・ルードビッヒ・フォン・クライスト陸軍上級大将がバクー油田で握手をする有名な写真もこの日に撮られたものだ。
それは、太平洋で第二次フィリピン沖海戦が行われる前日のことである。
☆
「戦争の勝ち方? バカいっちゃいかん。問題は、どう日本が滅びないようにするかだ」
海軍次官に就任している山本五十六海軍大将は、大神機動部隊の連勝に浮かれ気味の政府・軍部にそう冷水を浴びせた。
アメリカという国の国力を知り抜いている彼は、作戦的な勝利をいくら重ねても、最期は生産力の差で敗れるだろうと信じている。
だからこそ、その生産力の差が現れる前に戦争を終らせねばならないと終戦工作を進めていた。
「アメリカを脱落させれば、アメリカの生産能力で戦線を支えている独伊も必然的に共倒れになる」
英ソへの支援も後回しにて(もっともそれほどの余力はないのだが)、とにかくアメリカの海軍戦力を出てくる傍から全力で叩いて継戦意欲を削ぐというのが山本の主張である。
幸いにもこれまでは日本国内は一枚岩できていた。
しかし、戦局が徐々に優位になったことから、例えば、今回の陸軍主導によるフィリピン攻略作戦の発動など、様々な思惑が入り込んできている。
「早くケリをつけなくては……」
そのためには、米国の世論を厭戦に向けなくてはならない。
しかし、いくら太平洋で戦闘を重ねても、米本土は全く戦場になっておらず、国民に実感は薄いようだ。
なんとしても、彼らの関心を喚起する必要がある。
「やはり、あの男を使うしかあるまい」
山本は、一人の海軍中佐を前線から召集した。
その男の名は大河新次郎。
かつて、紐育華撃團の隊長だった男である 。
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