第二話「指揮官」(その5)

「空襲警報!」

 小沢機動部隊上空に米航空部隊が現れた。
 敵ながら堂々たる大編隊といいたいところだが、少数機ごとに五月雨式に現れるのが米航空隊の特徴だ。
 日本航空隊は、発進後、艦隊上空で全機が編成を整えてから敵に向かう。対して米航空隊は、編隊を整えられた部隊から順に敵に向かう。
 戦力の集中という点では、日本式が優れている。米式は、戦力の逐次投入となり、各個撃破される恐れがあった。しかし、間断のない攻撃が連続してくるため、迎撃を分散させる効果はある。

「直衛機、迎撃に向かいます!」

 四隻の空母から二個小隊ずつ計二四機からなる零戦隊が翼をひるがえす。
 護衛機のF4Fワイルドキャットが攻撃隊を守ろうと前に出るが、圧倒的な性能差がある。たちまちに蹴散らされ、護衛どころか自分達の身を守るだけで精一杯だ。
 こうなると裸同然となった攻撃隊は哀れですらある。米攻撃隊は艦上攻撃機・TBDデバステーター及び艦上爆撃機SBDドーントレスから構成されているが、デバステーターにいたっては、すでに後継機が量産寸前という旧式化しつつある機体だ。零戦の前になすすべもない。

「これなら楽勝だ」

 口にこそ出さないが、瑞鶴の艦橋にもそういう雰囲気が漂っていた。
 だが、大神の表情は険しかった。

(そう、確かにこのままいけば損害は最小で済む)

 それでも、背筋に流れるこの汗は何だ。
 初めての実戦を経験してより二〇年。米田より引き継いだ戦場の匂いを嗅ぎ取る嗅覚が、何かをつげている。

「あっ!」

 それまで大人しく大神の傍らに控えていた周防が思わず叫んだ。
 彼が見たのは、雲間から突然、「飛龍」直上に現れた急降下爆撃機である。
 直衛機は雷撃機や他の爆撃隊に気をとられている。「飛龍」も盛んに高角砲をうちあげながら回避運動をとろうとするが、一万五千トンになんなんとする船体はそう簡単には曲がり始めない。
 それでも舳先が僅かに角度をかえたと思えた瞬間、「飛龍」の艦隊中央部に閃光と爆炎があがった。

「飛龍が!」

 騒然となる艦橋で、しかし、一人、大神は冷静であった。

(爆弾は「飛龍」の艦体を掠めた程度だ。艦隊構造上の深刻な被害ではない)

 だが、別の意味で深刻な事態が発生している。

(艦橋がひどくやられている。あるいは艦隊首脳部は全滅しているかもしれないし、生きていたとしても、通信ができない。指揮をとることは無理だ)

 ここまで、大神は瞬時に判断した。

「艦隊司令部指揮不能にて第五航空戦隊司令部が指揮を引き継ぐ! 艦隊に知らせ!」

 本来、この艦隊の次席指揮官は支援部隊を率いる阿部弘毅少将だ。小沢が指揮不能となれば、彼が指揮権を受け継ぐことが定められている。
 ゆえに大神のこの命令は、驚きをもってうけとめられ、瞬間、実行するものはいなかった。

「急げ! 金剛から航空戦の指揮はとれない!」

 阿部は戦艦「金剛」に座乗している。それでは満足な航空戦の指揮はとれないと大神は判断したのだ。海軍の軍法を無視してまで、彼が考えうる最良の選択を選ぼうとしている。

「周防! 信号室に伝令! 信号旗をあげさせろ!」
「は、はい!」

 周防はわけもわからずに駆け出した。
 だが、それを合図に艦橋が動き出す。

「大神司令、いいのですか?」
「かまわん。責任はすべて俺がとる。今はこの戦いに勝利することが最重要課題だ」
「わかりました」

 その時、攻撃隊の戦果報告が入ってきた。

『敵空母一を大破、一に損傷!』

 空中からの戦果判断は、ベテランでも誤りやすい。多少割り引いて考える必要があるが、良い戦果だ。

「蒼龍は駆逐艦二隻をつけて退避。艦隊は進路を一七五度に最大戦速!」

 蒼龍は機関は無事で航行に支障はないが、爆撃により飛行甲板がめくれあがり、もう空母としての運用はできない。
 これを避難させ、戦闘準備を整えた艦隊は、米艦隊へと接近する進路をとる。これは同時に、帰途にある攻撃隊に近づくことにもなる。
 一刻でも早く攻撃隊を収納することは、第二次攻撃を早いものにすることができるし、傷ついた機体と搭乗員を助けることにも繋がる。

「前方に機影! 味方攻撃隊です!」

 最初、ケシ粒のようだった斑点は、すぐに大きくなり、翼にはっきりと日の丸が確認できる。

「収容しろ! 急げ!」

 大神が命令するまでもなく、各空母は風上に艦首を向けた。
 着艦は航空機の操縦で最も難しい部分といわれるが、わけても空母への着艦はとびきりである。港にあっては大きく見える空母も、大海の中では爪楊枝も同然。おまけに、地面とは違い、波に揺られて動揺するし、飛行甲板を外れれば海に落下してしまう。
 もとより、飛行甲板の長さでは着艦には不十分な長さしかないのだから、空母とその艦載機には特別な着艦装置が備え付けられている。今日の最新鋭空母「瑞鶴(二代目)」にも発展型が用いられているワイヤー制動式着艦装置だ。
 これは、空母の飛行甲板上を横断するようにワイヤーを張り、艦載機は機体交尾に備え付けられたフックをこれにひっかけて、無理矢理ともいえる急減速を行って着艦するというものである。ワイヤーは何本かはられているので、どれかにひっかけさえすればよいが、操縦席からは全く見えないところにフックはあるから、空母搭乗員には基地航空隊の搭乗員よりも高い練度が要求されるのだ。

「第二次攻撃隊を編成する。使える機体数を報告しろ!」

 無事な機体ばかりではない。
 むしろ、何らかの損害をうけている機体の方が多いのだ。
 この時代、エンジンパワーに余力がないこともあり、防弾性能を備えている機体は少ない。中でも非力な発動機に泣かされている日本航空機業界は、機体の軽量化でそれをカバーせざるをえず、結果として脆弱な機体となっていた。

「大神司令、集計完了しました」

 差し出された数字を一瞥するなり、大神は目を剥く。

「なんだ、この数字は!」

 戦闘機二四機、攻撃機九機、爆撃機六機というのがその数字だ。
 戦闘機はともかく、攻撃機と爆撃機の数が少なすぎる。

「どうします、大神司令」

 この数字では戦果より損害が大きくなりかねない。

「どうもこうも、この数字は間違ってるな」
「は?」
「こんな数字である筈がない。もう一度調べさせろ!」

 艦橋にいる人間は表情を曇らせた。
 司令は頭に血が昇って、現実を認めようとしなくなっている。
 彼らはそう解釈したのだ。
 冷静さを指揮官が失えば、敗北は必至である。しかし、大神はそれほど愚かではなかった。

「再報告、あがってきました……こ、これは!」
「どうした。はやく読み上げてくれ」
「はい。稼動機は戦闘機七二機、攻撃機二七機、爆撃機十八機だと……!!」

 大神の読み通りである。
 先ほどの数字は、どこで入れ違ったのかはわからないが、瑞鶴だけの稼動機数であったのだ。

「よし、すぐに第二次攻撃隊を出せ!」
「了解しました」

 このやり取りをずっと見ていた周防は、感嘆した。どうして、機数報告が間違っていることがわかったのか。
 それがどうしてもわからずに、作戦後に大神に尋ねた。

「そんなもの、見てればわかるさ」

 大神は数年に渡り帝國華撃團・花組隊長として、霊子甲冑で戦った。その中で、物体がどういう力をうければどのくらいの損害をうけるのか、あるいはそれがどのように見えるのかといったことを感覚的に知っていた。
 その彼の目から見た攻撃隊は報告の数字ほど損耗していてないことを看破できたのである。

「……何ということだ」

 フレッチャーは目前でおきている事に呆然と立ち尽くしていた。
 攻撃隊からの報告では敵空母一を大破したということであったが、それさえも疑わしい。なにせ、攻撃隊はほとんど全滅し、報告の確度が低い。
 逆に我が軍がうけている損害はなんだ。
 座乗する空母「ヨークタウン」は3発の直撃弾を受け、甲板がめくれあがるようにして破孔を生じている。魚雷も2~3発くらっているだろう、速力も落ちていた。

「レキシントンの様子は……」

 彼が幕僚に声をかけた瞬間、耳をつんざくような大音響の爆発音が響いた。慌てて音の方向を見れば、濛々たる黒煙が巻き上がりはじめている。

「レディ・レックスが……!!」

 愛称で呼ばれたその空母は、すでに大きく傾いている。この手負いの空母に、ここぞとばかりに日本軍の攻撃隊が集中した。
 もはや静止目標と化したこの巨艦に、次々と直撃弾が叩きこまれる。やがて、レキシントンは急速に傾き始めると、赤い腹を水面に見せる様にして転覆。一旦、艦尾を垂直に近く持ち上げると、そのまま水中に没していった。

「ジーザス!」

 なんてことだ。
 これで俺は米海軍ではじめて空母を喪失した指揮官になってしまった。
 いや、それよりも高級将官の戦死一号になるかもしれない。
 いずれにせよ、作戦継続は不可能だ。

「太平洋艦隊司令部へ作戦中止を打電! 戦場を離脱する!」



 戦いは終わった。
 米軍は、空母「レキシントン」を喪失し、空母「ヨークタウン」が大破。他に駆逐艦「シムス」が沈んだ。
 対して、日本軍は空母「飛龍」が中破、駆逐艦「菊月」が沈没である。
 戦術的に日本軍の勝利といえるが、戦略的には大勝といえよう。
 米軍の沖縄侵攻作戦は上陸をまたずして中止され、開戦以来始めて米軍の攻勢を挫くことができたのである。

「小沢閣下は、呉海軍病院に搬送されました」
「そうか」

 呉に帰港した空母「瑞鶴」上で周防からの報告を聞き、大神は胸をなで下ろした。
 「飛龍」への直撃弾で艦隊司令官・小沢治三郎中将も重傷を負っている。命に別状はないが、入院加療が必要だ。

「さて、俺もそろそろお迎えがくるころだな」
「お迎え……ですか?」
「そうだよ。ほら、あれだろう」

 一隻のランチ(連絡艇)が瑞鶴に近づいてくる。

「一体……?」
「軍法会議だよ」
「なんですって?」

 さらりといってのけた大神の言葉に周防は驚愕する。

「一体、どうして!」
「当然だよ。この艦隊の次席指揮官の阿部少将を無視して艦隊の指揮をとったんだ」

 そう言うと、大神はランチに乗りこむべく歩みはじめた。
 周防も慌てて後を追う。

「ついてこなくてもいいんだぞ」
「いえ。私は閣下の従卒です」

 その口調がマリアにそっくりだったのに、大神は笑みを浮かべた。

「よし、いくか」
「了解」

 大神が部屋に入ってどのくらいたったであろうか。
 扉から数歩退いたところに直立不動で、周防は立ちつづけていた。

(まさか、解任?)

 だが、周防が経験ある海軍士官であれば、違和感に気付いた筈だ。
 軍法会議というものは、法務士官の出席など厳格な規則が定められている。ここでは、それにのっとっているような気配がないのである。

「あっ」

 扉が開いた。
 神妙な顔した大神が、そこから姿をあらわす。

「大神少将!」

 呼びかけた周防に、大神は首を横にふった。

「俺はもう少将じゃない」
「え!?」

 降格、あるいは予備役編入というような判決が下ったのか。

「安心しろ。周防の思っている事とは逆だよ」

 周防の内心を見透かした大神の言葉に、しかし、周防は混乱した。
 一体、どういうことなのか理解できない。

「指揮権継承順位を無視した件は、作戦展開上必要な緊急避難として不問にされたよ。むしろ現行の規定が現実に即しておらず、改正の必要があるってな」

 問題はここからだ。

「小沢閣下は現場に復帰するまで時間がかかるから、新しい機動部隊長官を決めなくてはならない。それで、俺が中将に昇進の上、機動部隊長官に就任しろとさ」
「おめでとうございます!」

 周防は素直に祝福した。
 だが、大神の顔は渋いままだ。
 機動部隊は日本に残された最後の切札である。この戦力が潰えた時、日本もまた潰える。
 その命運が大神に託されたのだ。

(前にも同じようなことがあったな……)

 帝國華撃團・花組隊長として戦った日々。
 大神の前に立ちはだかった数々の困難と、それを打ち破るために私を捨て大神達を助けてくれてた米田を筆頭とする人々。

「よし。あの男を司令部に加えよう」
「あの男?」
「そのうちわかる。いくぞ、周防。艦隊に戻る!」

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