第三話「転換点」(その12)

「おい、ヨッヘンが潰れたぜ!」
「よし。いい考えがあるんだ……」
「そりゃぁ、いい! よし包帯もってこい!」
「あっはっはっはっ」

 隣の車両から若手将校達の馬鹿騒ぎが聞こえてくる。

「元気なもんだな」

 マイヤーは苦笑した。

「注意してきますか?」
「そんな野暮はせん。放っておけ」

 副官にそう告げると、マイヤー自身もワインをあけはじめた。
 独ソ戦開始以来、第一線に踏みとどまっていたLAHは、ことに赤軍の冬季反攻により、大きく損耗している。通常ならばとっくに後方にうつって再編成にかかっているところだが、ドイツ軍の戦力不足を補うため、41年夏季攻勢であるブラウ(青)作戦―バクー油田攻略作戦――がはじまってもなお、戦線を支える任務についていたのである。
 だが、ブラウ作戦が好調に推移していることもあり、7月になってようやく再編成のためフランスへ後送になったのだ。

「オンケル・マイヤー(マイヤーおじさん)。我々もブラウ作戦に参加したかったですね。そうすれば、スターリングラードやバクーへ一番乗りできたかもしれないのに」

 全軍が好調だから、副官の言葉も威勢がよい。

「この戦力ではどうにもならんよ。我々がおらずとも、カメラーデン(戦友達)が攻略してくれるだろう」

 実際、北からは、リスト大将率いるA軍集団とヴァイクス大将率いるB軍集団が、南からはロンメル大将率いるDAK(ドイツアフリカ軍団)が予定通りの前進をしている。

「そうですね。それにしても、ロンメル閣下は大したものです」
「全くだな」

 マイヤーとロンメルは武装SSと国防軍という違いはあるが、非プロイセン閥将校の両壁ともいえる存在だ。
 両者とも、まずはフランス戦で戦功をあげる。その後、マイヤーはロシアへ転戦したが、ロンメルは北アフリカに赴任する。
 当時、北アフリカには、枢軸戦力として、イタリア軍が展開していた。しかし、イタリアはフランス戦にドイツが勝利しそうなのを見て、その分け前を欲して急遽参戦したために、軍は準備不足もはなはだしく、また、後に「やつらの“前進”とは後退のことだ」「イタリアの戦車には前進ギヤは1段だが、後進ギアは3段ついている」と酷評されるほどの弱軍である。たちまちのうちに在北アフリカの英軍に追いつめられる羽目となった。
 こうなるとヒトラーも放っては置けない。北アフリカが連合国により制圧されれば、「柔らかい下腹部」であるイタリアへ連合国に上陸され、ドイツ本国が脅かされることになりかねないからだ。とにもかくにも、英軍より北アフリカを防衛しろ――ロンメルが受けた任務はそれであった。
 だが、着任後の彼は、単に守勢防御を行わなかった。「砂漠は海。戦車は軍艦」と例えた彼は、英アフリカ軍に比べ劣勢であったにもかかわらず、機動力を駆使し、戦術的勝利を積み重ねることで、作戦的勝利へ結びつけ、攻勢に出たのだ。
 こうなると、地中海での戦闘も激しくなる。ロンメルへ補給を送り届けようとする独伊とそれを阻止しようとする英との攻防だ。だが、これも米軍の参戦により、独伊の勝利におわる。四一年六月に独降下猟兵(空挺部隊)により奪取していたクレタ島に展開した米航空隊(後、マルタ島に移動)が英地中海艦隊の動きをとめただけでなく、米本土からチェニジアへ直接、物資(含対独レンドリース)が到着するようになったからだ。
 そして、六月二一日に要衝・トブルクを陥落せしめたロンメルは、そのまま敗走する英軍を追って進撃。英軍最後の防衛線エル・アラメインをも突破し、遂にエジプトへの門をこじ開ける。伸び切っていた補給線も、新たにアレキサンドリアを占領し、策源とできたことで解決し、こうなれば、後は無人の野をいくがごとしだ。
 エジプトを通過し、英領シリア・パレスチナをも勢力下におさめつつ進撃する。
 こうなると、周りすべてをドイツ勢力下に置かれてしまうトルコもかねてからの参戦圧力に屈せざるをえない。枢軸側の一員に加わることとなった。かくて、ソ連は南部国境よりも圧力をうけているのだ。
 もっとも、さすがのDAKも損耗し、本来なら二個装甲師団(第一五装甲師団及び第二一装甲師団)と一個軽師団(第九〇軽師団)からなる筈が、稼動戦車が五〇両という有り様なのだが、偵察能力の低さには日露戦争当時から定評のある赤軍には正確な戦力が把握できるわけもない。
 いささか長い解説とはなったが、トブルク攻略の功により最年少(五〇才)元帥となったロンメルは、これだけの戦功をあげているのだ。今や国民的英雄といってもよい。

「いずれにせよ、我々が前線に復帰するのは九月以降になるだろう。今のうちにせいぜい骨休めしておかないとな」
「全くです」

 と、そこに伝令が入ってきた。
 先ほど停車した駅にマイヤー宛の電文が届いていたららしい。

「……これは……」

 一読するなり、マイヤーの表情は険しくなった。

「我が総統のお召か」

「ご苦労だったなマイヤー」

 ベルリンの総統官邸で、ヒトラーはマイヤーを出迎えた。

「ようやく休暇だという時にすまないな」
「いえ。我が祖国のためです」
「うむ。さすがは武装SSの権化」

 ヒトラーは満足げに肯く。
 ブラウ作戦が好調とあって、ヒトラーは上機嫌だ。

「君を呼び出したのは他でもない。少々手間をとってもらいたいことがあってな」
「手間……ですか?」
「うむ。詳細は彼らから説明させよう」

 ヒトラーの後方に控えていたのは、SS帝国指導者(長官)ハインイリヒ・ヒムラーとSD(SS国家保安本部)長官のラインハルト・ハイドリヒであった。

「マイヤー、ひさしぶりだな」
「マイヤー閣下、ご健勝で何よりです」

 SSとSDの親玉の登場とは穏やかではない。この二人で全ドイツの警察権を握っているのだ。そんな連中が、自分の前にいわくありげに立っている姿というのはあまり心地のいいものではなかった。

「それで、小官に如何なご用事でしょうか」

 もとより長話はしたくない。
 マイヤーは単刀直入に切り出す。

「実は、君の特殊能力を使って片づけてほしい奴等がいる」

 ヒムラーの説明と同時に、ハイドリヒが二通の書類を取り出し、マイヤーに示す。
 それは、「イリス・シャトーブリアン」と「レニ・ミルヒシュトラーセ」という「破壊活動指導者」という分類をされた犯罪者ファイルであった。

「要はレジスタンスのリーダーだ。特殊能力をもっており、なかなかにしぶとい。そこで、同じく特殊能力をもつ君に退治をお願いしたいというわけだよ」

 当然、アイリスやレニとマイヤーが同じ帝撃に属していたのは百も承知だろう。
 それをあえて言わないのが不気味だ。

「そういうわけだよ、マイヤー。君のような有能な将軍にとっては、とるにたらぬことだとは思うが、ヒムラーがどうしてもというのでな」

 形式上、武装SSはSSの一組織であり、ヒムラーはマイヤーの上官ということになる。しかし、実際には武装SSは国防軍の指揮下で戦っている。実戦部隊の将官、それもヒトラーのお気に入りを別任務につけるとなると許可を仰がざるをえないのだろう。
 それ自体には納得できるにせよ、そこまでの手間をする理由が問題だ。

(考えられるのは二つだ)

 一つは本当に万策つきているという、裏がないという見方。
 もう一つは、権力闘争であるという見方だ。
 ヒムラーや官房長官マルチン・ボルマン、航空大臣ヘルマン・ゲーリングらは静かにしかし、激しい権力争いを続けている。その中に新たな人間=マイヤーが参加するのを防ぐために叩いておこうということだ。かつて対仏作戦計画を立案し、電撃戦を成功させたマンシュタイン将軍も彼らに足を引っ張られた。

(レニとアイリスを踏み絵にしようということか)

 マイヤーがしくじれば評価を下げることができる。成功すればレジスタンスを弱体化できる。どちらに転んでも損はない。

(まあいい)

 マイヤーはすぐに考えるのをやめた。
 もとより政略は彼が苦手とする分野だし、関わり合いになるつもりもない。一軍人として生きるのが自らの定めだ。

「我が総統。この件につきましては、小官に指揮権をいただいてよろしいでしょうか」

 ヒトラーは大きく肯いた。

「うむ。当然だ。君は我が親衛旗を率い、幾多の戦果をあげた勇者だ。例え最前線以外で任務にあたろうとも、相応の待遇をせねばならん」

 ヒムラーとハイドリヒは表情こそ変えなかったが、舌打ちでもしたい気持ちであった。
 “総統命令”によりマイヤーのやる事に干渉できなくなってしまったのだ。

(武人ぶりおって、狸めが!)

 内心で毒づくが、マイヤーの方にはそう他意があったわけではない。単に自分が最もやりやすいようにしたいというだけの話だ。
 
「それでは、我が総統。早速、行動させていただいてよろしいでしょうか」
「うむ」

 こうした動きの速さもヒトラーがマイヤーを好む要員だ。

「では、ライヒスフューラー(帝国指導者=ヒムラー)にお願いがあります」

 マイヤーはヒムラーと正対した。

「イタリアで囚われているソレッタ・オリヒメをお貸しいただきたい」

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