第三話「転換点」(その5)

「加山。どう見る?」

 出撃した大神機動部隊は、沖縄と硫黄島の昼間にあたる海域で待機していた。
 米艦隊が出撃し進撃途上にあるのはすでに確認されているが、未だ目標地点は掴めていない。
 一方で、沖縄と硫黄島にはB-17による空爆が強化されていた。開戦前には編隊飛行さえしていれば戦闘機におとされることはないとまで豪語していた機体であるが、さすがにそうはいかない。それでも、堅牢であることには間違いなく、迎撃は万全ではなかった。

「高々度水平爆撃だから、損害もそう大きくはないとはいえ、こう連日では、機材の損耗が馬鹿にならない」

 おそらく、米軍は物量を利して二交替、三交替での出撃だろう。対して日本軍は全員の全力出撃でようやく抗じている。

「そうだなぁ。ま、見たところ、沖縄への空襲のほうが激しそうではあるな」
「ならば、沖縄が本命か?」

 しかし、加山はかぶりをふった。

「いや。そいつはちょっと早計じゃないか大神。囮という可能性もある」
「うーむ」

 大神は腕組をして考え込んでしまう。

「そう、深刻になるなって!」

 だが、加山は明るく笑うと懐から写真を取り出した。

「こっちは沖縄で台南空の坂井三郎先任搭乗員が私物のライカで撮影したもの。もう一枚は硫黄島で陸軍硫黄島航空隊の『鐘旭』に特別に搭載されたガンカメラに撮影されたものだ」

 それには、B-17の姿がうつっていた。B-17は米軍でも機密に扱いにされていから、その姿を捉えた写真は貴重なものではある。
 だが、貴重であるという以外、とりたててどうというほどの写真には見えない。

「これがどうかしたのか」
「大神ぃ。急いては事を仕損じるぞ。こいつでもっとよく見てみろ」

 写真用ルーペを投げてよこす。
 大神は、それを手にとり、しばらく写真を見つめていたが、やがてある一点を見比べるようになった。

「気付いたようだな。機体後部に銃座が新設されているのが新型。旧型にはそれがない」
「つまり、新型が硫黄島に投入されているということか……硫黄島が本命か?」
「いや、そうとばかりはいえない。考え方は二つある。一つは、今、貴様が言った様に新型を投入して硫黄島への戦力を整えているという見方。もう一つは、沖縄に旧型新型を問わずとにかく戦力を集めているという見方だ」

 両方共、一理ある。

「で、どう見る?」

 加山がこういう言い方をする時は、既に答えが出ている時だ。

「硫黄島だ」
「理由は?」
「空襲にきている機数だ。沖縄も硫黄島もほぼ同規模だ」

 どちらに重点をおいているかを隠すためだろう。

「損害もほぼ同じ。だが、僅かながら沖縄攻撃の機数が減少している期間が何度かある」

 これは、硫黄島攻撃隊が豊富な予備機をもっているのに対し、沖縄攻撃隊がギリギリの機数しかもっていないことの証左だと加山は推察したのである。

「わかった。お前の判断だ。信頼してるよ」
「で、どうするどうする、大神ぃ?」
「そうだな。幸い、今回の作戦では、我が艦隊に大きな自由権限が認められている」

 硫黄島か沖縄かが聯合艦隊司令部でもはっきりと断定できないためだ。

「硫黄島で決めうちしよう。艦隊を移動させる」
「おっと。大胆だな、大神よ」
「そうでなくては万に一つの勝機も生まれないだろう」

 大神は、従卒の周防を呼んだ。

「お呼びでしょうか?」
「周防。作戦会議を1020(ひとまるにいまる=10時20分)より開催する。招集してくれ」
「はい!」

 周防は弾かれたように飛び出していく。
 まずは通信室に駆け込み、他艦にいる幹部を集合させるために旗琉信号をあげさせる(無線は傍受される恐れがあるので使用しない)。
 そして、艦内にいる幹部の部屋を次々と回り、大神の命令を伝える。

「次は、飛行隊長の友永大尉のところだ」

 ラッタル(艦内階段)は駆け足移動というのが海軍の決まりである。
 艦自体は広いとはいえ、戦闘装備に空間を使用しているから、通路は狭い。となると、事故もおきる。

「うわっ!」
「痛っ!」

 出会い頭に誰かにぶつかった。

「も、申し訳ありません」

 慌てて立ち上がろうとした周防は、そこで始めて相手の顔を見、そして驚きの声をあげた。

「紅雄くん!」

 彼の名は、川島紅雄。
 そして、母の名は川島(旧姓・李。今でも通称として用いる)紅蘭という。

「あたた。周防かいな。見つかってしもーたか」

 母親ゆずりという怪しげな関西弁だ。

「どうしてここに?」
「どうしてもこーしても、操縦士やがな。帝國海軍第一機動部隊第五航空戦隊航空母艦『瑞鶴』戦闘機隊所属川島紅雄三等飛行兵曹やで」
「三飛曹って、まだ十五だろう!」

 叫ぶ周防の口を紅雄は慌てて塞いだ。

「大声出したらいかんがな。うちのかーちゃんにゴリ押ししてもろーて年をごまかして予科練(海軍の飛行兵養成所)に入ったんやから」

 さすがは紅蘭というべきか。

「それにしたって、卒業が早すぎないか?」
「お前と同じや。操縦員の大量消耗を補うために、オレのように成績優秀なヤツを早期卒業させて実戦配備したんや」

 日本の搭乗員不足はここまできていたのだ。

「お前も乗り組んどることはしっとたが、周防は大神提督の近くにいたさかいな。会いにいったら、提督にも、オレが乗り込んでるのがばれちまう」
「ばれるとまずいことが?」
「いや、特別扱いされたくないさかいな。それに、オレが大神提督と旧知の仲だなんてことが搭乗員仲間に漏れても面白くないやろう」

 紅雄は、ようやく埃を払いながら立ち上がった。

「ま、今度の出撃から、オレの伝説がはじまるんや。よう見ときぃ!」

 昔から大言壮語なやつだった。
 周防は苦笑しながら肩をすくめる。

「あ、信用しておらへんな。そもそもオレの才能は……」
「はいはい。それよりも、何か用事があったんじゃないのか?」

 紅雄は、はじめて思い出したといわんばかりに手を叩いた。

「そうだった。先任搭乗員に怒られちまう!」

 そそっかしいところも親ゆずりか。
 紅雄は慌てて駆け出していった。

「おっと、人の事言ってる場合じゃないや」

 周防も再び駆け出していく。

「さて、早速会議を始めよう」

 旗艦たる『瑞鶴』に全員を集合させた大神は、こう切り出して会議を始めた。
 まずは、加山から、硫黄島を敵目標と断定したことと、その理由が説明される。大神と加山だけで大方針をきめてしまうというスタイルに不満がないわけではなさそうだが、概ねは同意された。

「問題はどういった作戦をとるかだ」

 といっても、そう多くの作戦案があるわけではない。
 基地航空隊と協力し、早期に敵を発見し、全力で叩く。
 オードソックスなこの案しか出てこない。
 もとより、有効であるからオーソドックスなわけで、妙にこった作戦を実行しても、状況の変化に対応せず自滅するのがオチである。

「源田大佐、友永大尉。どうですか?」

 加山は航空参謀と飛行隊長に意見を求めた。

「敵は空母四隻ならば、こちらも四隻。機数では互角です。しかし、我が飛行隊の練度は残念ながら、米軍よりも低い。戦力的にはやや不利かと思います」

 友永は苦しげな表情で見解を述べる。
 かつては一騎当千をうたわれた海軍航空隊の練度がそこまで低下してしまっていることが慙愧の念に耐えないといった様子だ。

「友永大尉はやや甘い見方ですな」

 だが、難なくそう言ったのが源田である。

「我が空母四隻といえど、半分は発着艦ができるだけのひよっ子ですぞ。枯れ木も山の賑いかもしれないが、戦力としては換算できまい」

 やや極端な表現こそしているが、現状認識としては、大した相違はない。四航戦航空隊からの転属組は本来は練成途上であり、平時ならば内洋での訓練を繰り返している頃だろう。まして、それでも足りない部分を卒業していない飛行生で補っているのだ。

「つまり、実質的には敵の半分の航空戦力しかないということ。これで正面からぶつかりあっては勝てるわけもない。よしんば互角に戦えたとしても、互角では次に戦う時は我々が負ける。補充される物量が違う」

 全員が言葉に詰まる。
 源田の指摘は全く正しい。

「では、源田参謀はどうすべきだとお考えですか」

 加山の問いに源田は明確な回答を用意していた。

「まず、我が艦隊は徹底した隠密行動をとり、索敵機も投入しない。索敵も硫黄島基地航空隊に一任する。そして、敵艦隊が硫黄島を攻撃した後、我々は航空隊を出撃させる」

 ざわめきが起きた。
 要するに硫黄島を囮にしようというのである。

「それとも代案がありますでしょうか?」

 源田は加山に視線を向けた。

(どうだ、幾ら貴様が切れ者といっても、俺は航空一本の叩き上げだ。これ以上の作戦案はあるまい)

 そして、実際、加山にも代案はなかった。

「……長官、いかがでしょうか」

 加山は大神を見やった。

「………」

 その大神は、無言のまま腕組みをし、天井を仰いだ。

「大神長官」

 催促するかのような加山の二声に、大神は視線を戻し、決断した。

「それでいこう。源田大佐、具体化の作業に入ってくれ」
「はい」

 方針が決まれば、後は早い。
 やがて、会議は終了し、各幕僚達は自らの持ち場に戻っていく。
 だが、大神は一人、椅子から動こうとせず、そこに残った。

「大神……」

 見かねた加山が声をかける。
 大神は目を伏せたまま、口を開いた。

「加山、米田長官が自分のことをダメ軍人だといったことがあったのを覚えているか?」
「ああ」

 女子供(帝撃)を最前線で戦わせ、自分は後方で指揮をとるしかなかったことを自嘲した時だ。

「俺は、米田長官のその気持ちが、今、よくわかるよ」

 他者の圧倒的な犠牲を前提とする手段でありながら、それが最も有効な手段であり、他に代替案がない。
 無論、戦争は常にそういう側面を内包しているが、作戦計画として特定の部隊を見殺しにするとなると、次元が異なる。

「……だがな、大神。日本というクニを護るにはそれしかない。そして、だからこそ、勝たなくてはならないんだ。彼らの死を、犬死にさせてはいけない!」

 大神が弱音ともとれる発言をするのは、陸海軍では加山の前でだけだ。
 誰よりも大神との付き合いが長く、共に死線を潜り抜けた加山を、大神は部下や友人というよりも、相棒といったような感覚で捉えているのだろう。

「そうだな、加山」

 大神はようやく立ち上がった。

「ありがとう。悪いが先にいかせてもらう」

 一人、部屋を後にしようとする大神に、しかし、加山は一言を忘れなかった。

「大神。明けない夜はないんだぜ」
「そうだな」

 いつか聞いた紅蘭の台詞を持ち出され、大神はようやく笑みをこぼした。

<<小笠原沖海戦 両軍編成>>

●大日本帝國海軍
聯合艦隊司令長官:山本五十六大将
(戦艦「大和」・在呉軍港)
 第一航空艦隊(司令官:大神一郎中将)
  空襲部隊(大神直率)
   第二航空戦隊(山口多聞少将)
    空母「飛龍」「蒼龍」
   第五航空戦隊(大神直率)
    空母「瑞鶴」「翔鶴」
  支援部隊(阿部弘毅少将)
   第三戦隊
    戦艦「金剛」「榛名」
   第八戦隊
    重巡「利根」「筑摩」
  警戒隊(木村進少将)
   軽巡2、駆逐艦12隻

●アメリカ合衆国海軍
太平洋艦隊司令長官:キンメル大将(在ハワイ)
 第16任務部隊(L・A・スプルーアンス少将)
  空母「エンタープライズ」「ホーネット」
  重巡「ミネアポリス」「ニューオリンズ」
「ビンセンス」「ノーザンプトン」
    「ペンサコラ」
  軽巡「アトランタ」
  駆逐艦9
 第17任務部隊(F・J・フレッチャー少将)
  空母「ワスプ」「サラトガ」
  重巡「アストリア」「ポートランド」
  駆逐艦6
 第77任務部隊(W・A・リー少将)
  戦艦「ノースカロライナ」「ワシントン」
    「テネシー」「オクラホマ」
    「カリフォルニア」「ウェストバージニア」
    「メリーランド」「コロラド」
    「ペンシルヴァニア」「アリゾナ」「ネバダ」
  重巡「クインシー」
  駆逐艦6

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