第三話「転換点」(その4)

「まさに堂々たる大戦艦だなぁ、大神!」

 加山は、その戦艦に足を踏み入れるや否やそう叫んだ。
 大神にもその気持ちがよくわかる。海戦の主役が空母と航空機に移ったという事実自体は覆せないが、戦艦という艦には空母にはない重厚さと迫力があり、畏怖の念すら抱かせる。士気高揚という面においては、戦艦の効力も馬鹿にはできないのかもしれない。
 ましてや、それが世界最大最強の戦艦であったなら。

「戦艦『大和』か……」

 主砲四六センチ三連装三基。排水量六万四千トン。
 従来の戦艦の主砲であった四〇センチ砲を遥かに上回る威力をもつ世界最大のこの主砲は、射程四万メートルに達し、一弾で三トンの爆薬量をもつ。
 航空用兵論者である山本五十六は、「『大和』『武蔵(大和級二番艦)』は、万里の長城やピラミッドと並ぶ世界三大馬鹿の一つだ」とまで酷評したが、案に相違して『大和』は(限定的な戦場ではあったが)活躍し、また、七〇年代の越南事変や九〇年代の湾岸戦争など折に触れて現役復帰しており、帝國海軍の象徴的な艦となる。

「よし、急ごう、加山。山本長官を待たすわけにはいかないからな」
「そうしよう」

 現在の聯合艦隊旗艦はこの「大和」である。二人は聯合艦隊司令部での会議に出席するために乗艦したのだ。

「以上が我々が今まで掴んでいる米軍の動向だ」

 GF(聯合艦隊)参謀による一通りの説明が終わった。
 部屋は重苦しい雰囲気に包まれている。米海軍は、その全力を挙げて出撃してきたのだ。
 その空気を半ば無視するように、宇垣参謀長が説明をひきとった。

「聯合艦隊司令部は、米軍の来襲地点を小笠原か沖縄と予想した。その確率にあまり差はないだろう」

 先の戦いでは米軍の狙いを沖縄と見事に喝破した大神も、今度ばかりは絞り切れない。

「しかし、幸いなことに、両地域とも日本近海だ。米軍の来襲予想日に合わせ、両海域の中間地点で艦隊を遊弋させれば、どちらにきても一日で駆けつけることができる」

 いささか中途半端にも思えるが、潜水艦や大艇(飛行艇)を用いた長距離索敵に成功すれば、上陸開始以前に米艦隊を迎撃できる筈だ。

「問題は、この米艦隊とどう戦うかだ」

 宇垣の視線が大神を見た。
 通常、聯合艦隊揮下の艦隊は、聯合艦隊から下される作戦命令に従って行動する。司令部での作戦立案段階で関わることはない。
 しかし、一つのミスにより――あるいは常にベストであったとしても――全てが崩壊しかねない、
この危機的状況においては、司令部と艦隊の意思疎通をしっかりとしておく必要があるとして、山本は先の沖縄沖海戦から艦隊司令部を聯合艦隊司令部の作戦会議に加えていた。

「我が機動部隊には、正面から殴り合って勝利するだけの能力はありません」

 大神は開口一番、そう宣言した。

「現在、我が保有する空母は『飛龍』『蒼龍』『瑞鶴』『翔鶴』の四隻です。しかし、先の戦いでの航空隊の損耗が大きく、旧二航戦航空隊と旧五航戦航空隊を統合してようやく新たな五航戦航空隊を編成できました。今の二航戦航空隊は、新兵や基地航空隊からの引き抜きで形成しています。まだ練度が不十分です」

 日本軍の航空兵養成システムは少数精鋭型であった。これにより、練度の高い航空兵を送り出すことはできたが、一度に大量の消耗が発生した場合、その補充が難しい。

「戦闘に耐えうるのは、五航戦のみということか?」
「はい」

 これには大神の後を追って聯合艦隊航空参謀に就任した淵田美津夫中佐も同意した。
 彼自身、開戦時に『赤城』航空隊長でありながら、トラック奇襲で乗艦をを撃沈され、辛うじて救助されたという経験をもつだけに、悔しそうな表情だ。

「基地航空隊で支援するにしても、敵の目標が絞り切れなくては無理です。我が軍には二拠点を同時に増強するだけの力がないのです!」

 淵田の追い討ちともいえる発言に、場が静まり返る。
 沖縄にしろ小笠原にしろ、米に占領されてしまえば、この戦争の勝敗は決してしまう。かといって、無謀な戦いをして戦力を磨り潰すわけにもいかない。
 手詰まりかと思える局面に、打開策が見出せないのだ。

「淵田君」

 その沈黙を破ったのは山本長官だった。

「四航戦の航空隊の練成は順調だったな」
「は、はい」

 虚を突かれた質問に淵田がいぶかしげにこたえる。

「よし。ならば、四航戦の航空隊を二航戦にまわそう」

 第四航空戦隊は、角田覚治少将が率いる空母部隊である。
 それを構成しているのは軽空母『隼鷹』『龍驤』の二隻だ。このうち、『隼鷹』は客船改造空母ながら基準排水量二万四千トン、搭載機数五三機という正規空母に準じた性能を誇っており、同型艦『飛鷹』が就役後には第一航空艦隊に随伴して行動する方針であった。しかし、『飛鷹』の改装工事には手間取っており、いま少しの時間が必要とされている。

「四航戦の航空隊なら、すぐに二航戦でで使えるだろう」

 確かに、四航戦は、『隼鷹』『飛鷹』での運用を前提に構成されているため、正空母の航空隊とほぼ同様の編成をよっている。練度も五航戦に比べればおちるものの、現在の二航戦よりは高い。

「しかし、それでは四航戦が裸(航空機なし)になってしまいますが」
「やむをえんよ、淵田君。『飛鷹』なき四航戦では、主力空母同士の戦いに参加させるには脆弱にすぎる」

 もう一隻の軽空母『龍驤』は太正時代に建造された基準排水量八千トンの小型空母だ。本格的な空母戦に使うには性能が低い。かといって、『隼鷹』一隻では戦力不足である。

「わかりました。至急、部隊編成を行います」

 淵田にも代案はない。
 
「よし。これでいこう。あとは、両島にどう戦力を配備するかだ」

 現在、沖縄と硫黄島には航空隊を展開させているが、必ずしも強力なものではない。それでも、沖縄には台湾に展開している航空部隊の行動圏内であるから、かなりの戦力として期待できる。

「問題は硫黄島だ。小笠原の孤島では、周囲から援護できるような飛行場はない」

 そもそも、硫黄島自身、きちんとした港湾設備ももてないような小島なのである。避難を兼ねて住民を退去させたとはいえ、そう大部隊を展開させることは不可能だ。

「私に考えがあります」

 発言を求めたのは、加山である。

「いっそのこと、索敵機以外はみんな戦闘機のみを配置してしまいましょう。中途半端に攻撃隊を置いても各個撃破されるだけです。迎撃のみに専念して時間を稼ぎましょう」
「なるほど。よい考えだ!」

 聯合艦隊高級参謀・黒島亀人大佐も賛意を示した。奇想でもって知られる彼には好む手法だろう。

「しかし、零戦の数が足りません」

 淵田が憂慮する。
 明冶以降、急速に進んだ“高度成長”は太正末期の帝都崩壊によるダメージを受けながらも、それを克服し、開戦直前には大量生産時代を迎えようとしていた。実際、蒸気自動車の普及率では大衆蒸気自動車・T型フォードの生みの親であるアメリカに匹敵するほどだ。
 しかし、その工業力の土台をもってしても、零戦の生産は必要とされる数からは程遠いものになっている。それは、欧州大戦勃発により緊張が高まっていたとはいえ、基本的には平時態勢だった日本の軍事費が抑制されていたことと、戦前では考えられなかった程、損耗が激しいことが理由だ。

「何も戦闘機は零戦だけではあるまい」

 黒島の真意を淵田は見抜くことができなかった。

「まさか九六艦戦でも使おうというのか?」

 九六艦戦=九六式艦上戦闘機は、零戦の前の制式戦闘機だ。
 優秀な機体ではあったが、さすがに旧式化は否めない。米空母航空隊と対するには力不足だ。

「頭が固いようでは参謀は務まりませんぞ」

 黒島は意地が悪い笑みを浮かべた。
 自分の才能に自身があるがゆえに、他人を見下したような態度をとるところがこの人物の大いなる欠点だ。

「陸軍航空隊を使うのです」

 太正時代の高槻事件以来、勢力を失った陸軍は、規模としても縮小され、予算も削られている。
 しかし、航空隊は、今次大戦では戦闘らしい戦闘をほとんど行っておらず、温存された状態となっていた。

「陸軍航空隊では、洋上航法や航続力に問題があるのではないか?」

 宇垣纏聯合艦隊参謀長が危惧を示すが、これも黒島にとっては織り込み済みだ。

「彼らには硫黄島の防空だけ受け持ってもらえばいいのです。島が見える範囲でなら、航法もクソもないでしょう。その分だけ、海軍機を他にまわせばよいということです」

 確かに技術的には問題がない。
 だが、別の問題がある。陸海軍の対立という図式だ。
 日本に限らず、陸軍と海軍の仲は悪いものと相場がきまっているが、これは、陸海軍それぞれがもつ本質的な思考法、発想法の違いによるものだろう。
 加えて、日本では陸軍主導の決起及び決起計画を、ことごとく海軍(及び海軍関係者)が潰してきたという経緯がある。

「関係機関との調整は何とかしよう。至急、詳細な立案をしてくれ」

 だが、山本長官は即断した。
 いざとなれば、陸軍に頭を下げても構わない。
 彼はそう考えていた。
 面子などどうでもよい。日本にとって必要なことをなすことが重要なのだと認識していた。
 それが、大神には手に取るようにわかる。

「加山」

 大神は加山に目配せする。
 加山もそれに軽く肯く。
 長い付き合いだ。それで全てが通じた。
 会議を終えた大神は、そのまま、加山の手配で秘密裏に帝都へ向かったのである。

「素晴らしいな、この機体は。水偵とは比べ物にならんね」

 厚木飛行場へ降り立った大神は、操縦士にそう感想を漏らした。
 その機体は、二式艦上偵察機。
 九九式艦上爆撃機の後継機として開発中の艦上爆撃機『彗星』の高性能に目をつけた海軍が、その試作機を半ば強引に実戦配備したものである。
 大神は機動部隊に配備された二機のうち一機を、新鋭機の慣熟訓練と称して自分の厚木までの移動に使用したのである。

「いいか、俺がここにきたことは、くれぐれも他言無用だからな」
「はっ」

 操縦士に口止めすると、搭乗員服のまま大神は待たせてあった車に乗り込んだ。
 海軍制式名称で九八式四輪駆動蒸気自動車と呼ばれる神崎重工製車両は、日本で最もポピュラーな軍用車両であり、アメリカのJeep(ジープ)と並んで最も成功した四輪駆動車の一つとなる。
 それだけに、車は順調そのもので、厚木の森から帝都へと入っていく。

「中将、もうすぐです」

 目的地が見えた。
 帝都・市ヶ谷の大本営だ。
 車寄せで下車した大神は、なるべく目立たぬように留意しながら、慎重に歩みを進めていく。
 そして、目標の部屋にまで辿り着いた。
 あらかじめ連絡をしておいたので、首尾よく人払いされているようだ。大神は自ら扉をノックする。

「開けてありますよ」

 中に入る。
 大神の姿を確認した部屋の主は、立ち上がると、大袈裟なポーズで彼を歓迎した。

「ひさしぶりね。よくきてくれたわ!」
「ご無沙汰致しております。清流院参謀総長」

 その男は、陸軍大将・清流院琴音参謀総長であった。
 高槻事件の後始末により、高槻派を中心とした中堅・高級将校が大量に退役・予備役に追い込まれた陸軍を立て直すために、照和初年に陸軍に復帰した琴音は、新たなる主流派――俗に米田派と呼ばれた――の事実上のリーダーとして陸軍を切り盛りした。

「そう固い挨拶をしなくてもいいわよ、大神提督」

 陸軍復帰後は、米田の名を汚さぬためにも、“趣味”は抑制してきた彼だが、大神の前では素に戻るらしい。

「それにしても密かに会いたいなんて、どうした風の吹き回しかしら? まさか、私に愛の告白でも?」

 大神が苦笑する。
 さすがに老いは隠せないが、伊達者ぶりは相変わらずだし、性格も変わらない。

「まあ、海軍から陸軍への愛の告白にはなるかもしれませんね」
「聞きましょう」

 琴音も真面目な表情になる。

「もしかすると、お聞き及びかも知れませんが、陸軍航空隊を硫黄島に展開していただきたいという要請をすることになりました」
「なるほど。しかし、太平洋正面は海軍の担当ではありませんか」

 陸軍は本土や沖縄本島の防空を担当することとなっており、完全な脇役に追いやられていた。
 当然、陸軍としては面白からぬ感情がある。

「そうです。しかし、激戦で海軍航空隊は著しく損耗し、米軍の攻勢を支えきれません」
「我が陸軍に下支えをしろということね」
「有り体にいえば、そういうことです」

 率直に大神はこたえた。
 虫のいい話だ。
 敵艦隊を撃破するという華々しい役目は、あくまで海軍機動部隊にあり、その機動部隊が到着するまでの時間稼ぎという地味な役目をしてくれということである。

「国家危急の折、何卒、お願いしたい」

 大神が頭を下げる。

「やれやれ。海軍さんも、ずいぶんと御都合主義な」

 琴音は肩をすくめて見せる。
 海軍の計画がほぼ要求通りに推移したのに比べ、太正維新事件以降の陸軍は大幅に縮小せざるをえなかった。
 それに焦燥した一部陸軍士官は、幾つかの決起未遂事件と五・一五事件、二・二六事件という二つの“事件”を惹起させる。
 前者の事件は、決起というよりも、集団テロとでも呼ぶべきもので、犬養毅首相を暗殺するなどしたものの、丸一日もたたずに鎮圧された。それでも、文民政治家は“政治テロ”に恐れをなし、太正時代以来続いていた政党政治を著しく衰退させる。これにより、一時的に陸軍の発言力は増大するが、つまるところ、これが二・二六事件の引金であったともいえるだろう。
 二・二六事件の中核となった青年将校達は、貧農出身者であった。彼らは、貧窮する自分達の郷里と、駐屯している帝都の繁栄とに隔絶したものを感じていたのである。そして、それを生み出しているのは、天皇陛下の側に仕える奸賊であると断じた。奸賊を討ち、天皇親政を実現する。そして、陸軍は天皇陛下の御親兵として国家を鎮護するというのが、彼らの唱えた照和維新だ。
 五・一五事件の結果から、テロによって国家の中での地位を高めることができる、ひいては国家を改革できると彼らは錯覚したのである。
 しかし、彼らが『天皇陛下のために』引き起こした事件は、他ならぬ照和天皇自身を激怒させた。天皇陛下は立憲政治を力によって打ち破ろうとするものを許さなかったのである。
 事件当初、青年将校達に同情的であった(=陸軍の発言力向上を狙いたかった)一派と鎮圧を主張する琴音ら米田派、できるだけ穏便な解決を探ろうという中間派という三つ巴の対立により陸軍首脳部の対応が遅れたのに対し、照和天皇は『自ら近衛師団を率いて鎮圧する』と宣言し、当時、侍従武官だった斧彦に近衛師団の戦闘態勢を整えさせ、また、海軍も東京湾に戦艦を出動させ砲列を引いた。
 ことここにいたり、陸軍首脳部も実力鎮圧に意見が統一され、戦車部隊をも出動させる。
 まさに一触即発。
 しかし、皇軍相撃つ悲劇を避けるべきだと考えた大神が非合法ギリギリの手段(その中には、既に大神が命令権をもっていなかった帝撃を私的な影響力を行使して出撃準備させることまで含まれていた)を用いて、武力衝突を回避させたのである。
 結局、この事件で、陸軍は一層の発言力の低下を余儀なくされ、逆に当初から断固たる態度で望み、また、大神が活躍した海軍は株を上げた。
 以後、国防の主導権は、完全に海軍が握り、陸軍は武器弾薬に至るまで海軍のものと共通化せざるをえなくなったのである。
 いささか余談がすぎたようだが、琴音の台詞の背景にはこれだけの経緯があるのだ。

「それはわかっております。ですが、国家の大事。重ねてお願いしたい」
「ふん。そうね。一晩つきあってくれたら、考えるわよ」

 ニヤリとした笑みを浮かべた琴音に、大神は全身に悪寒を感じた。
 予想していなかった返事ではないが、やはり面と向かって言われると硬直せざるをえない。
 そんな大神を見て、琴音は愉快そうに笑った。

「はははは。冗談ですよ」

 冗談に聞こえないところが恐ろしい。

「大神提督に頼まれればいやとはいえませんね。もとより、我らが使命は帝國の防人たること。異存はありません」
「では!」
「ええ。独飛四七中隊を基幹に特別飛行硫黄島戦隊を編制しましょう」

 独飛四七中隊(=独立飛行第四七中隊)といえば、日本初の迎撃専用機である二式戦『鍾馗』により編成された部隊である。琴音は、迎撃に関していうならば最精鋭ともいえる部隊を投入しようというのだ。

「ありがとうございます」

 大神が頭を下げた。
 そして、なおも言葉を続ける。

「私がきたということは、どうか内密に……」
「わかっているわ。貴方か事前にきてたんじゃ、山本大将の面子が丸潰れだものね」

 琴音は愉快そうに笑った。

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