第三話「転換点」(その3)

 時系列は少しさかのぼる。

「はっ?」

 ハワイの太平洋艦隊司令部でスプルーアンス少将は、およそ軍人にふさわしくない声をあげてしまった。

「長官、もう一度よろしいでしょうか?」

 長官、と呼ばれたのは、もちろん太平洋艦隊司令長官キンメル大将である。

「ハルゼーが皮膚病で指揮がとれない。よって、君に機動部隊の指揮を任す」

 突然のことだった。
 今まで機動部隊本隊を率いてきたハルゼーは、大作戦を目前にして皮膚病で入院したのである。
 そこで、指揮官に抜擢されたのが、ハルゼー揮下のスプルーアンス少将だったのだ。
 もちろん、彼の上には多くの先輩将校達がいる。だが、米海軍は若く才能ある彼にかけたのだ。

「どうだね、やるか?」
「わかりました。やらせていただきます」

 スプルーアンスとしても異論はない。

「よし。では、今度の作戦を説明しておこう」

 キンメルは立ち上がり、幕僚に地図を広げさせた。

「今度の目標は硫黄島だ」
「イオージマ?」
「そうだ。小笠原諸島にある小島だ。しかし、ここに日本軍は飛行場を築いている」

 米軍はサイパンまでを攻略した。
 この飛行場からならば、B-17“フライングフォートレス(空の要塞)”爆撃機を用いれば日本本土を爆撃可能である。だが、それには硫黄島に展開する日本軍戦闘機が邪魔なのだ。
 これを迂回して爆撃飛行ができるような航続力をもつ爆撃機は未だ開発中のXB-29“スーパーフォートレス(超空の要塞)”のみである。

「日本本土を爆撃できるようになれば、彼らの港や工場を常に脅かすことができる。そうなれば、彼の艦隊は十分な態勢を整えることができなくなるだろう」

 俗に言う戦略爆撃だ。

「そうなれば、日本は勝手にやせ細っていく。我々の勝利は揺るがないところだろう」

 だが、スプルーアンスは納得できかねるものがある。
 そして、当のキンメル自身もそう思っているように見受けられた。

「長官。我が海軍は42年からはエセックス級空母が次々と竣工します。何も今、決戦を挑む必要はないのではありませんか」

 エセックス級空母の計画は全三三隻という大型正規空母の“量産”である。最終的には隔月ペースかそれ以下で一隻を竣工させるというものだ。
 日本が戦争終結までに完成させることのできた正規空母は、僅か六隻にすぎないのだから、おそるべき計画といえる。

「我々には待つことはできないのだよ」

 キンメルは表情を曇らせた。

「休むことなく攻勢を続けるというのは最高司令官殿の意向だからな」
「大統領の、ですか……」

 戦争は他の手段をもってする政治の延長である――近代戦争論を確立した19世紀初期の軍人・クラウゼビッツはそう記している。これは、戦争とは、外交交渉などと同じく、政治的な「目的」を達成するための「一手段」にすぎないということだ。すなわち、戦争の究極的な目的は、武力戦そのものに勝利することになるのではなく、政治目的を達成することになるということになる。
 もちろん、この政治目的はそれぞれに異なる。国境の確定、領土の獲得、経済問題解決、国内の不満から目をそらさせるため……。
 この時のアメリカにも、もちろん、政治目的はあった。
 それは、中国市場の獲得と不況の解決である。
 これを理解するには、アメリカの歴史について触れておく必要があろう。

 元々、英国の植民地であったアメリカは(欧州側である)東海岸から開拓されていった。独立後も、アメリカは西部へと開拓を広げる。いわゆる西部劇の舞台となった時代だ。
 この時、白人達は原住民であったネイティブアメリカンの土地を奪い、あるいは騙したも同然のような形で周辺諸国から領土を獲得して、その版図を拡大した。
 やがて、国内フロンティアの開拓が一段落したアメリカは、一八二三年にモンロー大統領が所謂「モンロー主義」を提唱する。
 これは、表向きは「非植民地主義と新旧両大陸(欧州大陸と南北アメリカ大陸)の相互不干渉主義」であり、以降、アメリカの中心的な国家戦略となっていった。これをもって、後世、「アメリカは帝国主義を嫌った平和国家」などとする論調があるが、明らかに誤りだ。
 正しくは「アメリカは中米を植民地とする。他の地域には手を出さないから、諸列強も中米には干渉してくれるな」という宣言として解釈すべきものなのだ。
 実際、僅か二〇年後の一八四六年には対メキシコ戦争を誘発させ、これに勝利することでテキサス、カルフォルニア、ニュー・メキシコを併合している。以後も太平洋と大西洋を繋ぐ重要な戦略拠点であるスエズ運河の権利を獲得したり、キューバに基地を設置したりと積極的に勢力圏を中米に拡大していった。
 そして、東海岸至るまでの“西部”を全て開拓し、また、中米を影響下においたアメリカは、さらなる“フォロンティア”を目指す。
 南米や大西洋は既に欧州列強により支配されている。畢竟、アメリカの勢力圏は太平洋にむかった。ハワイを経てフィリピンへ。そして、列強に残された最後のパイと呼ばれた支那を目指して。
 だが、この頃、大きな経済状況の変化が訪れる。世界大恐慌である。これは、第一次大戦において、自らは戦場になることなく、製品を欧州に供給することがにより大きな経済成長をとげた米国の好景気が、しかし、やがてバブル経済へと変質してしまったことにが原因だ。一九二九年十月二四日・ブラックサースデー――株価の大暴落により全てが弾けとんでしまったのである。
 この未曾有の経済危機を米国は、日英との戦争により解決することを望んだ。短期的には軍隊増強による失業率低下と軍需産業を中心とする特需により経済を回復し、長期的には、支那への進出に立ちはだかる日英という壁を崩壊させ、支那を手に入れることで、経済危機の克服を目指したのだ。

 余談がすぎた。話を戻そう。
 要するに、ルーズベルト大統領は戦争を望んだのである。
 そのために、様々な圧力や挑発を日本に対して行ったが、一向にのってこないことに業を煮やし、ついには自らの攻撃という方策に出たのだ。
 もちろん、“日本軍が突如スーピック湾の米艦艇に不法な攻撃をしかけてきた”というスーピック湾事件なるものをでっちあげての報復という形をとっている。
 だがもちろん、そんな子供騙しがいつまでも続くわけはない。快進撃の熱狂がさめたならば、事件は追及され、暴露されるだろう。
 物事が正しいか否かよりもフェアかアンフェアかという事に大きなポイントをおくアメリカ国民だ。ルーズベルト大統領はその座をおわれ、それと同時に戦争も停戦となるに違いない。

「私が大統領として弾劾されようと辞任に追い込まれようと、それは構わない。しかし、戦争が中途半端な形で終われば、戦争目的は達成されず、我が国民は苦しむことになる。政治に携わるものとして、それだけは看過できないのだ!」

 この作戦の決定にあたり、ルーズベルト大統領は、キンメルの前でそう語った。
 それが本心かどうかは、この際、あまり意味がない。ただ、最高司令官が方針を変えないのであれば、軍はそれに従うより他ないのだ。

「ただ、この作戦とて、十二分に勝算のある戦いであることは、君もわかるだろう、スプルーアンス」
「はい」

 米海軍のもつ稼動空母4隻の全てが投入され、上陸支援部隊には新鋭戦艦「ノースカロライナ」「ワシントン」をはじめとする十一隻の戦艦も投入される。
 対して日本軍は先の戦いで空母一隻が損傷しており、稼動空母は最大で三隻。航空隊の消耗を考えれば、もう一隻も搭載航空隊の再編成となり動けず、二隻という可能性が高い。戦艦もトラック空襲を生き残った「長門」「陸奥」「金剛」「榛名」の四隻のみだ。

「わかりました。指揮官として出撃します」
「頼むぞ!」

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