新サクラ大戦での銀座の聖地、続きます。
「押問堂」と「みかづき」と「停留場」。
押問堂とみかづきは、帝劇の向かいにあるようですが、停留場を挟んでいます。
この停留場は、サクラ1で、さくらと正月デートをするアニメシーンに出てくるものと同一だと思われます。
新サクラの移動マップ上では、帝劇からやや離れているようにも解釈できますが、神山は路面汽車を乗降している様子がなく、また、手前側から奥側へ向かって移動していること、みかづきには大帝国劇場からよく買いにくる=近所である、そして、サクラ1と同じ停留場だとすれば、そこから大神とさくらが路面汽車に乗り込んでいるので、大帝国劇場の最寄り駅と類推できます。
また、新の戦闘マップ等で晴海通り側には三越とおぼしき大型ビルがあって、みかづきや押問堂の立地する余地がないので、都電築地線の銀座四丁目停留場ではなく、銀座大通り=中央通り側の停留所でしょう。つまり、現実でいうところの都電本通線(銀座線、1番系統とも)の銀座四丁目停留場ということになると思います。
ということは、「押問堂」と「みかづき」の位置も自ずと定まります。
「押問堂」のモデルは、名前的にも、現実で同じ位置にある鳩居堂でしょう。
ただし、こちらは本屋ではなく文房具屋(正確には、お香、書画用品、はがき、便せん、金封、和紙製品の専門店)ですが。
1663年に太平記で有名な熊谷次郎直実の子孫が京都でお店を開いたのが創業とされ、1880年(明治13年)に、現在の場所に東京店を開設しています。つまり、サクラ1の時代にも、すでに帝劇前にあったんですね。
「みかづき」は、場所的には、押問堂の隣ですので、現実ですと、TASAKI銀座本店(旧田崎真珠)のところになるでしょうか。なお、現実の1940年(昭和15年)当時は、不二家洋菓子店がありましたので、和洋の違いはあれど、お菓子屋ではあったようです。
一方で、和菓子屋という意味でモデルになったのは、1907年(明治40年)に銀座7丁目(当時・京橋区木挽町七丁目)に創業して現存する満月堂でしょうか(https://www.seigetsudo-honten.co.jp/)。あるいは、銀座四丁目交差点近くに一九四八年(昭和二三年)に創業して現存する、あけぼの銀座本店(https://www.ginza-akebono.co.jp/)がモデルになっているかもしれませんね。
上記写真は、1929年(昭和4年)頃のもの。
右側が鳩居堂。煙草屋を挟み、松月(レストラン)、大黒屋(現在はハンドバック店だが、戦前は珍味食料品店)。松月の場所が1940年(昭和15年)当時は不二家洋菓子店になります。
そして、手前の道路上に路面電車の線路があるわけです。
続いて「銀座横丁」。
場所的には、銀座コアとヒューリック銀座ワールドタウンビルの間、すなわち、大帝国劇場の裏にあたるGINZA ALLEYと名付けられた路地が該当しそうです。
一見、ビルの入り口のようですが、よくみると、ビルとビルの間に屋根を渡したような構造になっているのがわかります。周囲にビルがたっても小路が残されたわけです。
ここには、1894年(明治27年)創業であんみつ発祥の店(諸説あり)といわれる若松があり、劇中の幟とも符号します。また、帝劇のすぐ裏手になるので、あの占い屋さんが、店を出すのにも都合がいいかも……?
なお、残念ながら銀座コアの再開発に伴い、既に閉鎖されています。
一方、昔ながらの小路(横丁)の雰囲気を今に残しているのは、三原橋横丁です。
ビルの谷間に残された路地は、クランク状の行き止まり。
劇中の銀座横丁を彷彿とさせます。
実は銀座にはビルの隙間に、江戸時代から由来するような小路が、意外に多く残っています。
聖地とは関係ないですが、銀座にいかれた際には、そういうところに目を向けても面白いかもしれませんね。
コメント