照和九年一〇月。日本・横須賀港。
「どうしてもいかれますか」
「ああ」
帝國華撃團総司令官・大神一郎の問いに元雪組隊長ハインリヒ・フォン・マイヤーは肯いた。
「ヒトラーという人物、そんなに魅力のある男なのですか?」
ヒンデンブルグ大統領亡きあと、議会第一党・国家社会主義労働者党(NSDAP)を率いる首相、アドルフ・ヒトラーは大統領をも兼任。自らフューラー(指導者)と称して、ドイツにおける独裁体制を固めていた。
そして、彼はどこから聞きつけたのであろうか。日本に第一次世界大戦の英雄でもあり、世界でも数少ない歴戦の霊子戦闘経験者である元帝政ドイツ軍士官がいると知り、召喚状を出したのだ。
「わからん。あったこともない人物だ。まあ、我がドイツの国民が民主選挙で選んだのだから、そう間違いはないことを祈るしかあるまい」
「なら、どうして……」
この頃、帝國華撃團は、最初の世代交代を迎えていた。
太正の動乱を戦い抜いた花組や風組の女性隊員達は霊力の減衰等を機に引退。
米田は既に亡く、かえでも一線から身を引いた。そして、薔薇組の面々は陸軍に、大神や加山は海軍に復帰と、主要メンバーが揃って入れ替わっていたのである。
それだけに太正期から帝國華撃團・雪組隊長として活躍していたマイヤーは、帝撃の重鎮ともいえる存在になっていた。
「ヘル・オーガミ」
あえてマイヤーは大神殿と呼びかけた。
「私は世界大戦で祖国を守ることができなかった。そして、その報いとして軍を、国を追われた。だが、再び国を守る機会を得ることができるのだ」
あるいはこの時、マイヤーは二度目の大戦を予感していたのかも知れない。
だが、大神はそれには気づかなかった。
「わかりました。では、昔なじみからのせめてもの餞別です」
今の帝撃メンバーとは既に別れを終えていた。
かわりにここに集ったのは、太正時代に共に戦った戦友達。風組、花組、夢組……そして、雪組。
さすがに皆、年をとった。女性陣はほとんどが結婚もしている。
「隊長、これを」
代表として初代雪組副隊長の良子が包みを手渡した。中身は懐中時計だ。
「それと、これは私から個人的にです」
大神は腰から下げていた軍刀を手渡した。
「これは!」
一瞥して、さしものマイヤーも声をあげた。
その刀には見覚えがある。
いや、忘れようがなかった。
それは光刀無形である。
「霊剣荒鷹はさくらが。神剣白羽鳥はかえでさんが。神刀滅却は私が、それぞれ継承しています。けれども、かつて山崎真之助少佐の持ち物だったこの刀だけは継承者がいません」
「俺に継承者になれと?」
「はい。あなた以外には適任者はいないでしょう」
マイヤーはしばし悩んだが、それをうけとった。
「継承者としては力不足だが、預かってはおこう。カメラート(戦友)ととの友情の証に」
マイヤーはカチンと踵を鳴らすドイツ式の敬礼をする。
大神もそれにこたえて海軍式の、脇を開かない敬礼を返した。
だが、そこに船の上から能天気に響く声。
「まーちゃん、なにしてるのぉ。早くいこうよぉ!」
感動のシーンが台無しだ。
「奥様は、相変わらずお元気なようで……」
なんとか大神を場を取り繕おうとするが、船上から手をぶんぶんと振り回されては、無駄な抵抗だ。
「ま、家族引き連れての移動だからな」
マイヤー自身も苦笑するよりない。
「それでは、これお別れだ」
「欧州に出向いた時には、よらせていただきますよ」
「ああ、いつでも歓迎しよう」
だが、この言葉が実現することはなかった。
これが、帝國華撃團と初代雪組隊長ハインリヒ・フォン・マイヤーと永遠の別れとなったのである。
「オンケル・マイヤー(マイヤーおじさん)、つきましたよ」
「ん? ああ、寝ていたようだな。すまない」
夢を見ていた。
昼食後のボルドーを飲みすぎたようだ。
部下から“オンケル(おじさん)”と慕われる彼にとっては、愛敬のうちではある。
だが、今になってこんな夢を見ようとは。
(未練だぞ! 俺は軍人だ!)
自分を叱咤し、気を引き締め直す。
「よし、包囲を完成させろ!」
事前の予定通りに部隊を展開させると、マイヤーは自ら兵を率いて、目標の建物内に踏み込んだ。
「急げ! 相互支援態勢を崩すな!」
だが、反撃はない。
それどころか人の気配すらない。
部下からあがってくる報告も同じだ。
「一足遅かったようだな」
マイヤーは銃を降ろした。
「まだ、そうと決まったわけでは……」
「いや。彼女のことだ。そんな下手はうつまい」
マイヤーは手近な部屋の扉を開けた。
そこは、見事なまでに少女趣味の部屋で、大量のぬいぐるみがある。
「裏のハプスブルクか」
ここにいた一族はそう呼ばれていた。
ハプスブルク家が欧州の王家に君臨した政治的盟主の一族であるならば、ここの一族は、欧州全土の経済を秘密裏に手中に収めた経済の盟主だ。
「こいつは…」
マイヤーは机の上に写真があるのに気づいた。
それには見覚えがある。いや、自身すらうつっている。
太正末年に帝劇前でとられた、帝撃全員による記念写真だ。
「アイリス……」
マイヤーは、その写真にうつっている、この部屋の主の名を呟いた。
「マイヤー連隊長。どうしますか?」
「仕方あるまい。総統司令部に任務失敗の報告を入れろ」
第1SS連隊“LAH(ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー/アドルフ・ヒトラー親衛旗)”指揮官、ハインリヒ・フォン・マイヤー武装SS集団指揮官(中将)は、踵を返した。
1940年5月。
第二次世界大戦勃発から九ヶ月。
フランスはドイツ装甲部隊による電撃戦で崩壊した。
だが、それは、長い長い血みどろの戦いのほんの序曲にしかすぎなかったのである。
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