第四話「奪回」(その4)

 マリアナ諸島。

 俗に内南洋といわれるこの地域は、第一次大戦後に日本の委任統治領となった。
 日本は南洋庁を設置し、この地域の殖産振興をはかるとともに、軍根拠地としての整備をはかっていた。
 もし手元に地図があるなら広げてみてほしい。
 マリアナ諸島から日本本土までは、ほとんど遮るものがないことに気付くであろう。僅かに小笠原諸島はあるが、ここには、軍港や飛行場といったものを整備する適地がない。唯一の軍事拠点といえるのは、硫黄島の飛行場だ(もっとも硫黄島はその名の通りの火山島であり、環境は劣悪。本来ならば、軍が駐屯する適地ではない)。それとても、空軍力しかもっていない。
 つまり、マリアナが陥落した時点で、日本は長大な海岸線を太平洋に曝け出していることになる。また、戦後判明することだが、米軍が開発中であったB-29“スーパーフォートレス”爆撃機であれば、マリアナ諸島の航空基地から日本本土を空襲することが可能であったのだ。

「我々はマリアナに逆上陸する」

 小沢聯号艦隊司令長官からその言葉を聞いた時、さすがの大神も息をのんだ。

「機動部隊とは別に輸送船団と護衛艦隊を編成。それに戦艦を中心とした支援艦隊を編成する」

 大神の前に艦隊編成が示された。
 機動部隊は先の海戦の損耗により再編中の二航戦(飛龍)、五航戦(瑞鶴、翔鶴)ではなく、四航戦を中核としている。
 先の海戦では能力不足といわれた四航戦だが「飛鷹」がようやく竣工・編入され、まがりなりにも中型空母二隻の編成となるに至ったのだ。
 そして、護衛艦隊は輸送船団を直接取り囲むようにして守る部隊であり、駆逐艦を中心とした第二水雷戦隊で編成される。
 そして、支援艦隊は……

「これだけの出撃を!」

 編成表に目をやった加山は、驚きの声を隠せなかった。
 そこには、トラック空襲を免れた「長門」「陸奥」「金剛」「榛名」の四戦艦のみならず、「大和」の名前が刻まれていたからである。

「ということは、今回は小澤長官の直率でありますか?」

 「大和」は最新鋭かつ最大最強の戦艦として、竣工と同時に聯合艦隊旗艦となった。
 出撃していない港に停泊している時にでも、小澤長官以下のGF(聯合艦隊)司令部が常駐し、指揮にあたっている。

「いや。支援艦隊は三川中将に任せる」
「では、長官は?」
「陸にあがるさ」

 小澤は大神の問いにさらりと答えたが、それは、大神と加山は驚愕させるに充分であった。
 海軍には古くから「指揮官先頭」の原則がある。これは、陸軍のそれとは違い、文字どおりの最高戦闘指揮官が戦場で先頭をとるというものである。
 この原則にのっとり、トラファルガー海戦(ナポレオン時代の英仏の戦い)では、英国の指揮官、サー・ホレイショ・ネルソン提督は旗艦「ヴィクトリー」号で艦隊を率い、勝利を導きながらも戦死した。
 あるいは、日露戦争における黄海海戦や日本海海戦では、当時の聯合艦隊司令長官・東郷平八郎大将が旗艦「三笠」に乗り組み、主力艦隊の先頭にたった。
 この伝統は今でも生きており、開戦時には世界の「ビック・セブン(七大戦艦)」といわれた戦艦「長門」、そして竣工した世界最大最強の戦艦「大和」へと聯合艦隊旗艦は引き継がれていた。
 しかし、今次大戦においては、太平洋という広大な戦場で複数の艦隊を日々、統括しなくてはならない。加えて航空機や潜水艦の性能向上により、戦闘も広域かつ立体的なものとなっている。このような状況では、最高戦闘指揮官が最前線にあっては逆に全体像が掴めなくなってしまう。
 そのため、開戦以来、聯合艦隊司令部も呉軍港に停泊する戦艦上で指揮をとっている。だが、小澤は常々、「旗艦」という司令部機能を充足するためにのみ、有力な戦闘艦一隻を遊ばせてしまうことに疑問を感じていた。
 今回がその慣習をうち破るいい機会だと考えたのである。

「さしあたり、横鎮に入る」

 小澤としても、専用の施設が欲しいところだが、今回は急なことでそうもいかない。大本営や海軍省とも近い横須賀鎮守府(横須賀軍港)に司令部をおく腹積もりだ。

「それでだ。この機動部隊、支援艦隊、護衛艦隊を有機的に連携させるために統括指揮官をおかねばならん。それを大神中将。君に頼むぞ」
「え!? しかし、三川提督がいらっしゃるじゃないですか」

 支援艦隊司令官・三川軍一中将は大神よりずっと上の年次だ。
 だが、小澤は苦笑さえ浮かべた。

「おい、大神。何度も言わせるなよ。この戦争は適材適所でやるんだ」

 自身がその人事で抜擢されたというのに、大神もついつい“常識”に捕らわれている。

(長官にはかなわないな……)

 山本五十六-小澤治三郎というラインでなかったら、一体、この戦争はどうなっていただろう。あるいは、既に宮城に星条旗があがっていたかもしれない。
 そう思うと、大神は身震いした。

「長官。謹んで拝命します。この大神、一身に変えましても……」

 畏まって敬礼する大神に、小澤またも苦笑する。

「そう固くなるな。それよりも、どの艦にのるかね?」

 “旗艦”を艦隊中のどれに選ぶかは、司令官がある程度の選択権がある。

「一度で大和で指揮をとってみたいところですが……まあ、機動部隊直率で隼鷹ですね」

 大神とて、元来は砲術科士官。世界最大最強、ついでにホテルなみにエレベーターに冷暖房完備という大和で指揮をとりたいという色気がある。だが、時代は戦艦というものを主力の座から引き摺り下ろしてしまった。航空戦を指揮しなくては、全体を統括することはできない。

「よし。それでは、今回の作戦案の詳細を草鹿参謀長から頼むよ」
「はい」

 草鹿GF参謀長は、机上の地図を示した。

「今回、我々が最初の攻略目標とするのはサイパンである」

 サイパンはマリアナ諸島の北に位置している。
 港としての機能はとるにたらないものだが、マリアナ最大の航空基地がある。ここを陥落させれば、マリアナ上空の制空権は大きく日本側へ有利になるのだ。

「サイパンを一ヶ月で攻略。以後、テニアン、グアムと攻略し、マリアナ全域を制圧する」

 矢継ぎ早の無理な計画とも思えるが、サイパンを攻略する以上、マリアナ全域を制圧しなくては、突出して孤立した拠点になってしまう。

「スピードが勝負ですか」
「そうだ。瞬間的に米軍を上回る大戦力を叩き付けて、一気に陥落させる」

 まず、支援艦隊と護衛艦隊(上陸部隊)が北西より、機動部隊は北方より進撃する。
 そして、途中で高速輸送船と高速艦艇から成る船団が本隊より分離し、先行。機動部隊の航空部隊による上空直衛のもと、上陸第一波とっして橋頭堡を確保する。以後、本隊が到着し、第二波となって上陸。
 支援艦隊による対地支援と機動部隊の航空支援の元、攻略を進める。
 草鹿の示した作戦案は要約するとこのようなものであった。

「そして、これと並行して台湾に陸軍兵力と船団を集結させる」
「なるほど、陽動作戦ですか」

 だが、ここで草鹿は苦々しく顔を歪めた。

「いや。フィリピンへの侵攻準備だ」
「え!?」

 大神と加山は異口同音に驚きの声をあげた。

「失礼ながら参謀長。我が海軍にそれだけの兵力の余裕があるとは思い難いのですが……」
「そんなことはわかっている」

 開戦当時、太平洋の島嶼には陸軍の兵力は(その全体から見れば)僅かしか配備されていなかった。基本的には海軍の担当エリアだったのである。そのため、現在でも内地を中心に一級部隊が健在であり、マリアナ方面とフィリピン方面とに軍を分けてもほとんど問題はない。
 しかし、海軍は開戦劈頭の奇襲と、その後の戦闘により多くの艦艇を損耗してしまっている。二方面に大規模な上陸作戦を行えるほどの戦力はない。
 それは、加山が指摘するまでもなく、聯合艦隊司令部は百も承知だ。

「だが、陸軍たっての要望だ。無視するわけにもいかん」
「陸軍の要望で、ありますか」
「そうだ。陸軍には『借り』もあるしな」
「……硫黄島の一件ですか」

 大神が口を挟む。

「そういうことだ」

 いくら帝国が海主陸従といっても、陸軍が海軍の指揮下にあるわけではない。陸軍には陸軍なりの戦略もあれば面子もある。
 しかし、今次大戦は、基本的に太平洋の戦いであり、主役は海軍だ。攻略拠点も太平洋の島々であり、そこには海軍に運んでもらわねば、どうにもならず、また大部分が小島のため、“陸軍の独自性”をうちだすことはほとんどできない。むしろ、海軍の付属物といってもいいかもしれない。
 だから、陸軍は自らの存在意義を示すために『(比較的)広大な戦場』であるところの、フィリピン攻略作戦を求めたのだ。

『元来、フィリピンは太平洋を縦断して遮断することで補給を断ち、無力化するのが海軍の構想であった。それを陸軍の馬鹿共のために崩したのは、全く痛恨時であり、実際に短期的には大苦戦を生む羽目になってしまった』―――「奇想参謀・黒島亀人伝」より

 この陸軍の意図を海軍は明確に把握していながら、陸軍の要求を拒むことができなかった。
 草鹿がいうように、「借り」は存外に大きなものだったからである。海軍の“大勝利”の裏で、陸軍は「新鋭機隊」独飛四七戦隊も、硫黄島守備隊も多大な損害をうけているのだから。

「いずれにせよ、今回の作戦が成功裡に終わってからの話だ。君たちは、マリアナ攻略、ただその一点にのみ集中してもらえればいい」
「はっ」

 この作戦は海軍側呼称「PS作戦」、陸軍側呼称「塔作戦」と命名された。
 海軍側呼称のPSとは、フィリピン(P)・サイパン(S)の略だ。「サイパン攻略とフィリピン攻略は表裏一体、不可分である」とあくまで主張する陸軍に配慮した作戦名である。
 もっとも、さすがにこれでは大雑把にすぎるので実際には、サイパン攻略作戦を「PS一号」、サイパン攻略に続く周辺諸島制圧作戦を「PS二号」、フィリピン攻略作戦を「PS三号」として区別するものとした。
 このうち、大神は「PS一号」「PS二号」の海軍側司令官として指揮をとることになったのである。

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