「くそ、俺のミスだ!」
大神は苛立たしげに声を荒げる。
場所が戦艦『大和』の司令長官公室で、傍らに加山と周防しかいないからのことではあるが、ここまで感情を露にすることは珍しい。
「確かにやれらたな」
加山も表情を曇らせている。
昨日、大型艦を含む米艦隊がルソン島北部に夜闇に紛れて接近。イバ飛行場を艦砲射撃したのである。
「だから近すぎるといったのになぁ」
現在、フィリピンに展開している航空部隊の主力は陸軍第五飛行集団である。
一般に、陸軍の航空機は海軍より航続距離が短いこともあり、制圧次第、順次、前線の飛行場に移動してくるというのは、規定事項であった。
その主力飛行場は策源の防空も兼ねてリンガエンにある。
しかし、手狭でもあるため、攻撃機部隊を中心に別の飛行場へと進出させることなった。そこで、陸軍側が選定したのがイバだったのだ。
「前線に近すぎるのではないか?」
海軍側からはそうした意見も出た。
しかし、本間第一四軍に同行して作戦指導を行っている辻陸軍参謀本部作戦班長は、強くイバを支持する。
「軟弱な亜米利加のごとき、大和魂をもつ我が軍が近づけさせません」
精神論はともかく、戦場に近ければ近いほど、反復攻撃がしやすくなるし、戦況の変化にも対応しやすくなる。
また、イバは戦前から米航空隊の根拠地として、フィリピンではクラークに次いで整備されていた基地でもあるから、陸軍の主張にも理はあった。あくまで指揮権は陸軍にあり、また、陸戦を行うのは陸軍であるのだから、海軍側としても、それ以上の反対はできなかったところだ。
「加山、被害の報告は入ってきたか?」
「まだ、概算レベルだけどな──」
飛行場の施設・備蓄燃料は九割が破壊、機体は四割が破壊。もちろん、滑走路は使用不能だ。
機体の被害が意外に低いのは、格納庫の復旧(日本側が空襲で破壊したのだ)が間に合わず、かといって上空から丸見えというのも避けようということで、周辺の滑走路脇から離れたところまで分散して留め置かれていたからである。
物資が充分でなかったことが損害を軽くしたのだ。
「操縦士の損耗が低かったのも不幸中の幸いだな」
操縦士達も同様の理由で分散していたことと、フィリピンの暑さで眠りが浅かったりしたために、素早く退避できたのである。
「まだ、運が残ってるってことさ。機体はあとからでも補充できる」
加山がはげますようにいう。
帝國海軍の、特に機動部隊が悩んでいるのは、まさに人材の枯渇であったから、それからすれば、まだ、マシだ。
「……復旧は?」
「大雑把にいって一週間ってことだ」
ブルドーザ等の土木機材を集中投入して、穴の開いた滑走路を埋め立て、誘導設備などを再建するのに、それくらいということであり、機材の手配はまた別ではある。
他の基地での活動も考えられたのだが、リンガエン湾から基地までの補給路の再編や、一からの復旧を考えると、イバを再建したほうが早いとのことだ。
それまでの間はリンガエンや台湾、バタン諸島からの海軍航空隊の航空支援で凌ぐしかない。
となると、航空隊頼みになっている現在の陸戦では、積極的な作戦は難しくなるだろう。
「まいったな。小沢閣下にも申しわけがたたない」
大神が悔恨した通り、帝都・大本営では小沢聯合艦隊司令長官が、陸軍側の批判に晒されている。陸軍側が清流院参謀総長でなければ、もっと大事になっていただろう。
「大神、いつまでも起きてしまったことをグチグチいってる場合じゃないぞ! 古人曰く『過ぎたるは及ばざるがごとし』だ」
久々に飛び出した加山の格言に大神は、つい苦笑した。
「そうだな。次を考えるのが重要か」
さすがはコンビを組んで長い。
加山の一言で、大神はいつもの調子を取り戻した。
「よし、とにかく復旧に最大限の支援だ。それと、この艦隊を前に出すぞ」
これには加山が驚かされた。
海上警備を強化するのはわかるが、戦艦を含む艦隊を押し出すとは想定外だ。
「おいおい、やりすぎじゃないのか?」
「いや──やつらは、もう一度くる」
彼らは、日本が、ひとまずイバを再建しなくてはいけないことを知っている。
優勢な航空兵力なくしては帝國陸軍がもはや前進できないことを知っている。
航空兵力があっては、米軍は補給を継続できないことを知っている。
そして、米軍には、それを撃滅すべき戦力が水上艦隊しかないことを、大神は確信している。
「成功体験は甘美なものさ。でも、失敗体験よりは僅かなものしか得られない」
かつての巴里での敗戦をも思い出して大神は断言した。
○
「戦艦もおちたものだな」
米第六四任務部隊司令官ウィリス・A・リー中将は、戦艦『ワシントン』の指揮所で呟く。
彼に限らず、海軍士官はツシマ沖海戦(日本海海戦)以来、ジュトランド海戦でも証明された大艦巨砲主義を叩き込まれていた。
海戦を決めるのは砲力であり、海上決戦が戦争の帰趨を決めるのであると。すなわち、戦艦とは戦術兵器であると同時に戦略兵器なのだと。
だが、ハルゼーがトラック空襲を成功させたことで様変わりしてしまった。海戦の主役は航空機と、それを戦場に運ぶ空母となった。戦艦は大型の護衛艦として使われているにすぎない。
しかし、敵である日本が、艦砲射撃という、戦艦の有効な使い方を教えてくれた。
航空攻撃と比較しても密度と持続性に優り、また、投射弾量あたりにかかるコストもかなり低くなる。
かつては、地上要塞と軍艦がうちあえば、必ず地上要塞が勝つとまでいわれた(実際、日露戦争でも旅順要塞に聯合艦隊は苦戦した)が、テクノロジーの進歩は優越を逆転させた。超ド級戦艦に対抗できる要塞など存在しない。対地攻撃において、戦艦は無敵となったのだ。
だが、艦砲射撃のためには、艦隊が航空攻撃に干渉されないということが必要である。
そのための状況は二つ。
優勢な対空兵器による敵航空機の排除(具体的には航空機による上空警護・航空撃滅しかない)。
もう一つは、敵航空機が活動できないような自然条件下での行動。
もちろん、空母を失った米軍には、後者を選択するよりなかった。
それが、夜戦という戦術である。
電子装備が発達途上であるこの時期、夜間水上艦隊攻撃が可能な航空部隊は存在しない。闇の中であれば、戦艦は行動の自由を取り戻すのだ。
「今回で最後になりますかね」
「さあな」
ブラウン参謀長の言葉にリーはそっけなくこたえる。
この強行突入・飛行場砲撃という作戦は、本来、緊急避難的な作戦だった。
だが、あまりに綺麗に成功してしまったがゆえに、もう一回(once more time)になってしまった。同じ手が二度通用するのかどうか。
リーをはじめとした現場指揮官にしてみれば、なにも米軍がこのような危険な作戦を行う必要はないと思わざるをえない。長期戦で日本軍に出血を強いれば、最後は国力の差でアメリカが勝利できることは明白だからだ。
しかし、政治の事情はまた異なった。あくまでフィリピン維持を訴える米陸軍総司令官マッカーサー陸軍元帥と、国民世論が戦争を支持し続けるために「勝ち戦」を必要とし続けるというルーズベルト大統領の“政治”が、この再突入作戦を生んだのだ。
「大丈夫ですよ。仮に日本海軍がいたとしても、我々にはかないません」
参謀長はカツンと靴で床を蹴った。
確かに南シナ海海戦(第一次フィリピン海戦の米側呼称)では、夜戦で遅れをとっている。
だが、今回はこの新鋭戦艦・ワシントンがいる。
一九四一年(昭和一六年)竣工で、四〇.六センチ三連装砲三基、速力二八ノットを誇る。
そして何より、レーダーだ。
この電波の目さえあれば、暗夜であっても敵艦を遠方から発見できる筈だ。もちろん、南シナ海海戦の時よりも安定度はあがっている。
そして、それは期待にたがわぬ活躍を見せるのだ。
「敵艦らしきもの。距離一万七千!」
もちろん、ここでは引くことができない。
「全艦、対艦戦闘準備!」
リーの命令が下った。
新たなる海戦の幕開けである。
コメント