第五話「血戦」(その7)

「ジャップの好きにはさせんぞ」

 旗艦・重巡『ポートランド』の航海艦橋から暗夜の海を見つめているのはアーレイ“31ノット”バークである。
 演習中、常に『31ノットで現場に急行中』と27ノットしかでない戦隊を率いていても答えることからその異名をつけられた猛将だ。
 日本軍接近の報をダバオで受けたバークは、すぐさま艦隊を率いて出撃した。もちろん、太平洋艦隊司令部には事後報告の独断行動だ。
 しかし、神は米国に味方した。
 一度、偵察機に発見されたようにみえたが、空襲には合わずにすんだ。

「リンガエン湾に突入しろ」

 彼の命令はシンプルだった。
 敵艦がいることはわかっている。今も地上砲撃を続けている轟音が響いている。
 暗夜に自ら砲炎という光を発して目標になってくれている筈だ。それが多少は光源になるとはいえ、相手が視認できる遥か以前から攻撃を開始できる。それで機先を制し、一気に勝負を決めた後は、輸送船をできる限り撃破するというのがその作戦である。
 そして、速やかに引き揚げ、夜が明ける前には空襲圏外に離脱するのだ。

「敵艦確認! 重巡タカオ型四隻!」
「よし、突撃!」

 だが、バークは知らなかった。
 日本海軍には“秘密兵器”があることを。

「敵艦、インディアナポリス型4……いえ、3隻はアストリア型。ノーサンプトン型2、軽巡2、駆逐艦6!」

 大型双眼鏡に目をあてていた見張員がそのままの姿勢で報告する。
 凄まじく正確な内容だ。

「よし、わかった!」

 近藤はそれに大声で答えた。
 夜間に入り、状況が掴みにくくなることから、彼は航海艦橋にいる。

「偶数砲塔を敵艦隊に向けろ。徹甲弾に換装。左舷魚雷戦準備!」
「敵艦隊、増速します!」

 命令と報告が錯綜する。
 緊張が高まる艦橋で、しかし、近藤は冷静に状況を判断した。
 敵はまだ見つからずにいるつもりだ。
 そう、常識ならそれは正しい。
 だが、日本海軍には常識で測れない“兵器”があった。それが、今、刻一刻に報告をしてくる見張員だ。
 まだレーダーが初歩的で様々な問題をかかえている段階である。それでも、米軍では肉眼をまさると考え、その整備を進めていた。
 しかし、日本の夜間見張員はそんなレベルを超越しているのだ。
 彼らは昼間の間は暗い部屋に篭り、目に負担になるからと通常の兵士達が行うような稼業は一切行わない。
 軍務のほとんどをそれに費やしている彼らは、ついには、全くの暗夜ですら八千メートルの距離で敵艦を発見できるに至ったのだ。
 軍縮条約で主力艦を制限された日本が、水雷戦隊の夜戦で主力艦を撃破するために磨きに磨き上げた“秘密兵器”は厳重に伏せられており、米軍も夜間見張員を特別養成していることには気付いていてたが、そこまでの能力とは思いもよらなかったのである。

「よし、先手必勝だ。照明弾投下」
「偶数砲塔で、敵一番艦を射撃」
「奇数砲塔も旋回して全力射撃」
「大神閣下に接敵・交戦を打電」

 矢継ぎ早に命令を下す。
 上空待機していた摩耶2番機(重巡「摩耶」搭載の水上偵察機)から照明弾が投下され、一瞬、海上が昼間のように明るくなる。
 そして、後に第一次フィリピン海戦と呼ばれる戦いの最初の一弾が放たれたのである。

「照明弾!?」

 米艦隊は驚愕した。

「敵艦発砲! こちらにです!」

 見張員にいわれるまでもなかった。
 照明弾で照らされれば、次に砲撃がくることなどわかりきっている。

「怯むな! こちらも攻撃開始だ!」

 もちろん、すでに砲撃準備は整っている。
 米艦隊は辛うじて初弾を放つと、そこに日本艦隊の砲撃が降ってくる。

「くっ!」

 単縦形で押し出す先頭艦でもある『ポートランド』の周囲に水柱がたつ。
 さすがに初弾命中というわけではなかったが、一発は至近弾となり、艦体にダメージを与える。
 もちろん、今更引き返すようなバークではない。
 それに、彼が率いるのは重巡6、軽巡2、駆逐艦6の艦隊だ。
 照明弾に浮かんで見えたのは重巡4。それに軽巡~駆逐艦クラスが3隻までが見えた。これなら、有利なのはこちらだ。

「3隻ずつで一番艦と二番艦を狙え。スコットの駆逐艦隊を前に出して雷撃させろ!」

 バークが矢継ぎ早に指示を下す中、第二射が着弾する。
 今度は日本軍も目標をばらけさせてきていた。
 着弾修正を目視で行うために、あまり一艦に射撃を集中しすぎると、どの水柱が自艦のものかわからなくなってしまい、修正が困難になってしまうのだ。

「さすがは日本海軍だな」

 しかし、撃ち合いになれば日本艦体は20.3cm砲40門、米艦隊は同54門。
 隻数も多いということは、防御力が総体として高いという意味でもあるから、米軍が有利である。
 同航戦(敵味方の艦隊がほぼ同じ方向に向いながら戦う)になりつつあるから、時間をかけた砲戦になる筈だから、この有利さは最大限に生かされる。

「次こそあてろよ!」

 気軽にそうハッパをかけた時である。
 突如、艦全体を揺るがすような衝撃が襲った。

「なんだ!」
「クインシー、沈みます!」
「なにっ!?」

 突然の出来事だった。
 後続していた重巡『クインシー』は船体が真っ二つに裂け、もう海に飲み込まれる寸前にまでなっている。
 まるで、急に自爆したかのようにも見えるが、そんなことはありえない。
 そして、直後、今度は重巡『シカゴ』に閃光が走り、大きく速度を落としながら隊列から落伍していく。
 ここまで、戦闘開始から僅か6分。
 米軍はその重巡戦力の三分の一を失ったのである。

「よーし。脱落したのは捨て置け。生きているのを叩けよ」

 近藤はまずは先手をとったことに満足した。
 日本軍の秘密兵器はもう一つあった。九三式酸素魚雷である。
 魚雷というものは、一種の潜水艦である。爆薬にエンジンをつけてスクリューで水中をすすむ。であるから、推進に必要なものは燃料も空気も全て魚雷内に搭載しなくてはならない。魚雷の航続距離というのは、これをどのくらい積めるかにかかっている。
 となれば、単純に空気を積むよりも酸素を積めば、それだけ効率がよく航続距離も伸びる──そう考えるのは当然だ。
 各国は盛んにこの“酸素(搭載)魚雷”を研究し、英国は一時は実戦配備にまでこぎつけた。しかし、高圧の酸素ガスは扱いが難しい。英海軍は魚雷担当者にポマードの油すら禁じるほどの徹底した管理体制を引いたにも関わらず、爆発事故が相次いで、結局は諦めざるをえなくなったほどである。
 しかし、帝國海軍は最初に空気、それから徐々に濃度を濃くしていって純粋酸素へと転換する独自の方法で、起動時の不安定さを克服。四万メートルという驚異の射程を実現する。米海軍が装備しているMk13魚雷が五千八百メートルの射程に過ぎないことと比較すれば、その凄まじさがわかるだろう。
 加えて、純酸素を利用した燃焼になれば、排気に不純物がないため、海中に溶け込んでしまい、海面に気泡が浮かばない。通常なら魚雷発見の大きな手がかりである航跡がほとんど出ないのだ。
 米海軍は、肉薄して攻撃する必要のある魚雷は小回りのきかない重巡洋艦に搭載しても使い所がないと考え、装備していない。しかし、日本海軍はこれを決戦兵器として捉え、高雄型重巡にも方舷八門、合計十六門が装備されているのだ。
 更に、魚雷は、装甲の薄い水線下に命中する上に、一発の威力が砲弾の数倍はある。
 これを加味して考えるのであれば、日本軍の攻撃力は米軍を遥かに上回っていたのだ。

「右舷側魚雷戦も準備しておけ。機をみて反転もありうる」

 近藤は実戦での酸素魚雷が想定通りの戦果をあげたことに満足していた。
 米軍は何がおきたのかすらよくわかっていたないらしい。対空砲や機銃を盛んに海面に向って撃っているところを見ると、機雷に触れたとでも思っているようだ。
 もっとも、それも当然だろう。
 米軍は後に酸素魚雷を「ロングランス(長槍)」「青白い暗殺者」と呼んで恐れることになるが、その洗礼を史上初めて受けたのだから。

「近藤提督。第9駆逐隊が戦闘加入してきます」

 近藤配下で、湾内の警戒に当たっていた部隊だ。
 駆逐艦『朝雲』『峯雲』『夏雲』から成るこの部隊は、全艦が朝潮型に属する。照和十二年から順次竣工した、まだ新しいこの型は魚雷発射管を8門装備している。もちろん、全てが酸素魚雷だ。

「米艦隊を挟撃するようにさせろ」

 近藤が指示を下していると、一通の電文が舞い込んできた。

「大和を差し向けるか」

 それは大神の司令部からのものだ。
 近藤も目の前の戦闘に没頭気味であったから、この指示には、さすがに自分をも飛び越えて艦隊総指揮をとっている大神だと感心せざるをえない。
 だが、近藤は今の状況からすると、それが間に合いそうもないと判断した。

「大神提督に打電。電文受領せれども、到着前に殲滅の予定」

 そう啖呵を切ると、先頭の旗艦『高雄』から探照灯を照射させる。
 その光に照らされた敵艦めがげ、駆けつけてきた第9駆逐隊ともども砲雷撃を集中させた。たちまち、『ヴィンセンス』」が大きく傾いて行足がとまる。
 もちろん、探照灯を照らすということは、自ら光を発しているということになるから、敵の攻撃も集中する。何度かの至近弾で船体を大きくゆらしていた高雄だったが、凄まじい音──というよりも衝撃波が艦橋を襲い、近藤らもこらえきれずに転倒する。

「被害を知らせ!」

 高雄艦長・朝倉豊次大佐が立ち上がるより前に指示を下す。
 今のは紛れもなく直撃だったからだ。
 しかし、すぐに報告された被害は耳を疑うほどのものだった。

「海図室を貫通した!?」

 航海艦橋のすぐ裏だ。
 艦橋そのものは非装甲であるため、徹甲弾(装甲を貫通して内部で爆発する弾薬)では貫通力が高すぎて、そのまま反対側まで抜けてしまったというわけである。

「運がよかったな」

 近藤も、さすがに冷や汗をかいている。
 海図室は通常、艦隊司令部室として使われる。航海艦橋に出ていなければ巻き込まれて司令部全員戦死という憂き目にあっていたかもしれない。

「天運だな」
「近藤司令。大神提督は強運の持ち主として知られているそうだから、そのお裾わけかもしれませんよ」
「それなら有難いがな」

 朝倉の言葉に僅かに笑みを見せた近藤だが、確かにこの海戦における帝國海軍は幸運であったといえる。この後も「鳥海」が舵の故障で戦列から脱落したくらいで。被害らしい被害はなかったのだ。
 逆に米海軍には痛打を与えつづけ『アストリア』は炎上(翌朝沈没)、『ヴィンセンス』『クインシー』には一時間程で止めを刺さしたのである。
 米軍は兵力的にだけでなく、精神的にも、海戦劈頭の衝撃から立ち直れなかった結果といえよう。

「完勝だな」

 近藤からの報告を受けた加山は安堵の表情を浮かべていた。
 大神も一つ気がかりがなくなったという様にそれに応じる。

「豪語するだけあるさ。さすが近藤司令だよ」

 実際、大和到着以前に海戦は終了してしまっていた。
 米海軍は反転し、戦場を離脱したのである。
 重巡3を撃沈、1を大破。駆逐艦2隻中破。
 対して、こちらは重巡「鳥海」が小破のみ。

「まあ、本当は追撃できればよかったが、そこまで贅沢はいえないな」

 最初に大破した重巡(シカゴ)も機関が回復したらしく、それを含めて重巡3、軽巡2、駆逐艦6(うち中破2)が戦場から離脱している。
 追撃できれば、さらに戦果は拡大できたであろうが、戦闘のために艦隊が分散してしまったことや、旗艦の海図室が破壊されてしまったために再集合に手間取ったことから、それを断念していた。

「大神ぃ。そりゃぁ、本当に贅沢っていうもんだぜ。今回は防衛戦だから、撃退さえすればいいんだからな」
「それはわかってるんだがな」

 大神は新しい紅茶を啜って、ちょっと顔をしかめた。
 彼の好みからすると少々濃すぎる。
 周防にしては珍しいミスだが

(仕方ないか)

 海戦の発生に伴い、徹夜で指揮をとっていた大神たちに律儀に付き合って、周防もまた徹夜していたのだ。多少の手元の狂いは仕方ないだろう。

「どうした、大神?」
「いや、なんでもない」

 訝しげな加山に笑って大神は手をふる。
 しかし、すぐに深刻な表情になった。

「……今回の海戦でもアメリカの闘志がわかったよ」
「殴りこみだからな」
「ああ。それと彼らの合理的な判断も改めてわかったしな」

 瞬間的に兵力を失ったが、その後、被害を最小限に食い止めて線状を離脱している。日本人にありがちな“潔く散る”などという思考は持ち合わせず、冷静な損得勘定を行っているということだ。

「今更、日本人の意識を変えるのは無理だけどな。せめて、相手の精神構造くらいは理解しておかないといかんよ」

 自分が巴里で受けたカルチャーギャップが大神にそうした思考を可能にさせていた。とかく、日本人は自分と同じ尺度か、そうでなければ、変な色眼鏡で相手を判断しがちだ。
 戦前の日本の“科学誌”には「日本人は米を食べているから粘り強い。西欧人はパンを食べているから粘りがない」などという“論文”がのっていたほどである。

「ただ、一つは意識を変えてもらわないとな」
「一つ?」
「ああ、技術の進歩への意識をね」

<<第一次フィリピン海戦>>

聯合艦隊司令長官:小沢治三郎大将(在横須賀鎮守府)
 フィリピン攻略艦隊(司令官:大神一郎中将)
  リンガエン湾部隊 [支援艦隊の一部]
   (支援艦隊司令官・近藤信竹中将直率)
   第四戦隊
    重巡「高雄」「愛宕」「摩耶」「鳥海」
   第九戦隊
    駆逐艦「朝雲」「峯雲」「夏雲」

太平洋艦隊司令長官:ニミッツ大将(在ハワイ)
 フィリピン艦隊(アーレイ・バーク少将)
  重巡「ポートランド」「ビンセンス」「クインシー」
    「アストリア」「シカゴ」「ルイスヴィル」
  軽巡「サンジュアン」「ホバート」
  駆逐艦6隻

日本軍損害:小破・重巡「鳥海」
米軍損害 :沈没・重巡「ヴィンセンス」「クインシー」「アストリア」
      大破・重巡「シカゴ」
      中破・駆逐艦2


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