「全索敵機、予定針路に乗りました」
「よし。全機を対艦兵装にして出撃準備。甲板に並べていつでも出れるようにしておけ!」
昨日とはうってかわった指示である。
「今日は忙しくなるぞ! 気合をいれていけ」
その言葉はすぐに実証された。
午前九時十五分。上空に発砲音が響く。
見上げれば、艦隊上空を直衛していた零戦隊が戦闘機動に入っている。すぐに、大きな火の玉が出現し、水面へと落下していった。米軍の索敵機を発見し、撃墜したのだ。
「敵に発見されたのでしょうか?」
まだ実戦の経験のない周防が不安そうに言う。
「当然だ」
実際、旗艦「飛龍」では零戦に追い回されながらも米機が無電を発しているのを捉えていた。
空母というものは、その搭載機から生み出される攻撃力の大きさの割に、防御力は低い。一発でも爆弾が命中すれば、飛行甲板に破孔やめくれを生じ、航空機の発着が不可能になってしまう。
だから、先制攻撃というものが非常に重要になる。もし、一方的に(相手が攻撃隊を発進させるより前に)攻撃することができれば、自らは一艦も失うことなく、相手を全滅させることすら可能なのだ。
艦橋にいる首脳部は、その事を知っている。
重苦しい雰囲気が場を支配した。
「大丈夫だ。もうすぐ、朗報がくる」
大神が言い終わるや否や、伝令が駆け込んできた。
「利根二号機より入電。敵空母艦隊見ゆ!」
艦橋に感嘆とも安堵ともつかないざわめきが起こる。
冷静に考えれば、前日に一度は発見しているのだから、時間の問題だったといえる。航空機の速度に比べれば、艦隊の移動速度などたかが知れているからだ。
だが、この緊張下においてそれを沈着に判断できたことが大神の潜り抜けた修羅場の数を物語る。
「飛龍より出撃命令でました!」
信号旗が飛龍のマストに掲げられている。
「よし。発艦させろ!」
全四隻の空母は、一斉に速度を上げながら艦首を風上に向けた。
ここで、航空機の離陸ということについて触れておこう。
航空機は何故空中を飛ぶことができるか。それは翼があるからに他ならない。仮に、航空機から翼をもいでしまったら、どんなに加速しても離陸することはできないのである(後年に登場するヘリコプターや、照和五〇年代以降に登場する大推力ジェット機は別として)。
その翼が、物体を上昇させる力――揚力を生むためには推力が必要だ。翼の形状が、翼の上下で気流の流れに差違を生み、情報に引き上げられるのである。
よって、より正確に言うならば、翼に対して空気の流れがあることが必要なのだ。
例えば、離陸するのに時速一〇〇キロという速度が必要だったとする。しかし、これは対地速度ではない。対大気速度である。だから、向かい風が四〇キロあったなら、対地速度は六〇キロで離陸可能だ。逆に追い風が四〇キロあったなら、対地速度を一四〇キロまであげねば離陸できない。
さて、艦載機(空母に搭載される航空機)においても理屈は同じである。しかし、空母は大きいといっても僅か数百米の長さだ。場合によっては数キロになろうかという滑走路をもつ地上の飛行場とは根本的に大きさが異なる。
この時代、空母用射出機(カタパルト=強制加速装置)は実用化されていない。発艦を少しでも安全かつ迅速に行うためには、空母自身の速力と自然の風を合わせた合成風力を発生させることが必要不可欠なのだ。
「発艦開始されます!」
艦首を風上にたてたことにより、十分な“風”を得た航空隊は滑走を始めた。
先頭を切るのは、最も軽量の戦闘機隊だ。
既に台南空の活躍から長距離戦闘機としての名声を確立した零式艦上戦闘機二一型、いわゆる零戦が、その本来の開発目的である艦載機として本格デビューするのである。
そして、対艦用爆弾を搭載した急降下爆撃隊・九九式艦上爆撃機が続く。後に最も多くの連合軍艦艇を撃沈した航空機として評されることになるが、こちらも、これが艦上機としてはデビュー戦だ。
最後に、甲板最後尾に並べられた九七式艦上攻撃機が出撃する。こちらは雷撃隊であり、魚雷を装備していた。大型艦を撃沈するには、爆弾だけでは力不足なのである。
「発艦完了しました!」
「よし。対空警戒を怠るな。それに潜水艦も忘れるなよ」
☆
「第一次攻撃隊、出撃終了です」
同じ頃、米海軍第一七任務部隊(TF17)でも同様の光景が繰り広げられていた。
「よし」
司令官、フレッチャー少将は緊張気味に肯いた。
開戦劈頭、米海軍機動部隊は、トラックを襲い、停泊中だった日本軍主力部隊を壊滅させている。航空機で戦艦を撃沈することなどできないというのが、その直前までの軍事常識だったのに関わらずだ。
これには、その機動部隊を率いた米海軍きっての航空論者・ハルゼー中将の強引なまでの押し――その性格は“ブル”と渾名されるほどだ――により実現したことはいうまでもない。しかし、太平洋艦隊の首脳部は、それほど積極的な姿勢ではなかった。ただ、日本勢力圏の懐ともいえるトラックに奇襲をかけるだけの高速艦隊は空母によってしか編成できなかったのである。
「我々は少しでも敵主力(筆者注:戦艦)を減らせれば儲けものというぐらいに考えていた。少なくとも港湾能力を奪うことはできる筈だから、むしろ、それを期待していたのである。まして、全滅したとしても、たかだか補助部隊というのが、当時の偽ざるところであった」――『キンメル提督回顧録』より
ところが、ハルゼー機動部隊は予想外の大戦果をあげてしまった。帝國海軍最大の海外根拠地トラックを、ほぼ全滅させてしまったのである。
いかに米海軍首脳部が大艦巨砲主義者であろうとも、実際に有効である兵器を使わないわけにはいかない。米海軍は、空母機動部隊の運用理論というものを、はっきりと確立しないうちに、現実にひきずられる格好になったのだ。
(今回の作戦は、そのいい例かもしれない)
フレッチャーは、彼の上官でもあるハルゼーが常々言っていることを思い出していた。
「空母は集中運用してこそ意味がある」
今回、彼が率いている空母は「ヨークタウン」「レキシントン」の二隻に過ぎない。これは、トラック空襲時の三分の一という戦力だ。
大西洋艦隊に空母を戻したとはいえ、太平洋にもあと二隻、「エンタープライズ」と「サラトガ」がある。損傷しているわけでもない。それが今回出撃していない理由は簡単だ。そして、それゆえに根深い。なぜなら、それは陸海軍の対立という問題だからである。
この沖縄攻略作戦――オペレーション・サンダウナー――は、陸軍の発案によるものだ。
海軍は、次期作戦として、小笠原攻略を計画していたのである。これは、B-17“フライングフォートレス”爆撃機あるいは現在開発中のXB-29“スーパーフォートレス”爆撃機により日本本土を爆撃するための基地を確保しようというものであった。しかし、開戦以来、海軍と海兵隊の補助的役割しか割り当てられてこなかった米陸軍は、より陸軍が活躍できる戦場を望んでいたのである。つまり、沖縄という、今までで“最大”の土地で戦い経験を積んだ上で、日本本土・九州への上陸を考えていたのだ。
陸海軍の対立は激しく、結果、米軍は沖縄と小笠原、両方の攻略を行い、その結果を見て次の方針を決めるというものになったのである。
更に、米陸軍太平洋方面総司令官ダグラス・マッカーサーの強引なまでゴリ押しで――そして、彼にはそれを通すだけの政治力があった――先に行われることになった沖縄攻略であったが、米海軍は小笠原攻略の準備があるとして、二隻しか空母を出さなかったのだ。
「敵攻撃隊接近!」
見張をしていた兵が叫んだ。
ほぼ同時に上空直衛にあたっていた米海軍制式艦載戦闘機・F4Fワイルドキャットが迎撃に向かう。日本の空襲部隊も護衛戦闘機部隊が編隊から離れ、F4Fに立ちはだかる。
「JAPをやっちまえ!」
対空機銃などに取り付いている水兵達からは憎悪をむき出しにした罵声が飛ぶ。
(劣等な有色人種のくせに、白人に立ち向かうとは生意気な)
そういったニュアンスがこめられているのは明白だ。だが、彼らの期待は呆気ないほど簡単に裏切られた。
F4Fは、攻撃隊に近づくどころか、零戦に追い回され、あるいは火を吹いて落下していくではないか。
「やはりか……」
フレッチャーは双眼鏡を片手に溜息を漏らした。
彼は、フィリピンで行われている航空戦の報告を受けている。それは恐るべきものだった。
台湾から発進した単発戦闘機が渡洋し、フィリピンまで来襲していること。その長駆やってきた戦闘機隊に、在フィリピン航空隊がいいようにやられていること(フィリピンの米軍機は台湾まで届かない)。そして、その戦闘機の名がミツビシ・タイプゼロ・キャリアファイターということ。
「ZEROめ!」
米軍は、日英仏ソ連合軍の兵器に好き勝手なニックネームをつけて呼んでいた。例えば、九九式艦爆には「VAL」、九七式艦攻には「Kate」といったように。
だが、零戦だけは例外だった。この機体だけは固有名詞で「ゼロ」と呼ばれた。これを、戦争緒戦に見せた零戦の強さに対する敬意(あるいは憎悪)のあらわれとするのは間違いである。零戦の後継機である艦上戦闘機「烈風」もまたF6Fヘルキャット(F4Fワイルドキャットの後継機)に対して圧倒的な強さをもっていたにもかかわらず、ニックネームで呼ばれているのだから。
だから、ゼロという呼び名は、黄色人種には白人種を越える航空機など作れるはずがないという“常識”(戦前の軍の報告書には「日本の航空機は木と紙でできている」などとしたものすらあった)を微塵に打ち砕かれたカルチャーショックが生み出したものだといえる。
「全兵器使用自由! 各艦個別回避行動許可! 対空戦闘開始!」
直衛機網を突破された以上、あとは艦上からの対空砲火によるしかない。フレッチャーは矢継ぎ早に指示を下した。
(大丈夫だ。そう簡単には当たらない)
自分に言い聞かせるように、フレッチャーは心の中で呟いた。
日本軍の空母航空部隊の攻撃を受けるのははじめてのことだが、対空砲火をぬって肉薄し、回避行動を続ける艦船に攻撃を命中させることは並大抵のことではない。まして、魚雷や爆弾はレシプロ単発航空機にとって大変な重荷。機体は鈍重になる――筈だった。
「Oh! My Got!!」
フレッチャーは自分の立場も忘れ叫んだ。
鈍重なはずの機体はさっと別れると、雷爆一体となって攻撃してくる。
急降下爆撃隊は、甲板に自爆せんばかりに突入してくるし、雷撃隊は、対空砲火すら死角になる水面ぎりぎりを這って、艦を左右から挟みこむようにして雷撃してくる。
「直撃きます!」
誰が叫んだのか。次の瞬間には艦が大きく揺さ振られた。
「損害を確認しろ! 応急班、急げ!」
怒号が飛び交う中、伝令が駆け込んでくる。
「レキシントンより被弾の報告!」
「損害は!」
「まだ詳細はわかりません」
「すぐに確認させるんだ」
「イエス・サー!」
かなりの損害を被ることをフレッチャーは覚悟した。しかし、まだ、希望を捨ててはいない。米航空隊も日本機動部隊を襲っている筈だ。
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