第三話「転換点」(その9)

「大神提督、攻撃隊、発艦終了しました!」
「よし。敵の攻撃隊もまだくるぞ」

 敵空母ニ隻を撃沈確実とはいえ、まだ敵にも二隻の空母がいる。
 こちらは四隻とはいえ、空母というものは、基本的に防御力が脆弱だ。一瞬で逆転されないとも限らない。

「戦闘機が不安ですな」
「……」

 源田航空参謀の言葉に大神は無言で頷いた。
 硫黄島を囮に使って「留守」を狙った作戦はここまで順調にきている。
 帰るべき空母を失った米硫黄島攻撃隊は機体を損耗し、また、敵上空直衛隊も手薄になっており、その間隙をつくことができた。敵攻撃隊も対陸上攻撃用装備だったらしく、損害らしい損害は受けていない。
 だが、帰還した攻撃隊の損耗も大きい。
 この時期(戦争初期)の日本海軍の主力艦載機は零戦、九九式艦爆、九七艦攻というトリオである。この機体はこの時点では世界最高性能の艦載機であり、その攻撃力の高さは今回の戦いでもいかんなく発揮されている。
 しかし、弱点はあった。それは防弾性能だ。
 開戦当時の練度の高い操縦士達であれば、その腕自体が防御力となり、自機に命中弾をうけること自身が少なくなる。だが、今の航空隊の練度では、そうはいかない。
 また、この戦いに皇国の興廃がかかっていることを理解している操縦士達は、致命傷を負わずとも、燃料タンクや発動機などに被弾して帰還が困難になると敵に突っ込んで自爆していった。
 結果として、圧倒的な攻撃力を発揮しながら、損害もまた大きなものなっている。
 わけても、戦闘機隊は攻撃隊を守るために航続距離を無視した長時間戦闘や敵機への体当たりも辞さない有様だった。
 彼らもまた、自分たちが必要とされている任務は自分たちが生き残ることでもなければ敵の戦闘機をおとすことではなく、一機でも多くの攻撃機に敵艦を攻撃させることだと理解しているのだ。
 もちろん、それ自体は正しい認識である。戦闘機とは、本来が「護衛機」なのである。だが、中長期的に見た場合、ここまで“片道切符”な戦術をとることは、操縦士の損耗に繋がる。実際、この海戦の後、帝國海軍は操縦士の練度低下に悩まされることになる。
 これをもって、後世、操縦士達を批判するむきもあるが、それはいささか酷というものだ。この戦いに勝利せねば“次”はなく、そして、彼らはあまりに純粋にすぎたのである。

「きました! 3時の方向、敵攻撃隊!」

 見張員の報告に見上げれば、再び米機が迫っている。
 すぐさま直衛機が迎撃に向かい、艦隊の動きもあわただしくなった。
 相変わらず零戦はF4Fワイルドキャットに対して優位にたっているが、五月雨式に襲ってくる米攻撃機を完全に防ぐことはできない。直衛隊の迎撃を突破した米機が艦隊に迫る。
 四隻の空母を中心とした輪形陣をたもっている大神艦隊も盛んに対空砲火をうちあていく。しかし、帝國海軍の主力対空砲である一二.七糎砲も、機銃として用意されている二五粍機銃も対空兵器としては時代遅れとなりつつある。戦争後期に「炎の壁」と評された弾幕射撃とはほど遠い。

「おーもかーじ一杯!」

 最後は操艦にかかっている。
 とはいっても、蒼龍でも一万五千トン、瑞鶴・翔鶴にいたっては二万五千トンを超える巨体だ。舵を切ってから実際に動き出すまでには時間がかかる。相手の動きを見ながら身軽にかわすというわけでにはいかない。先の先を読みながら、相手の裏をかくという高度な技が必要だ。
 それでも、四空母の艦長達は自ら操舵手に号令をかけて必死に敵の攻撃をそらす。

(これならいけるか?)

 大神自身もそう思い始めたが、やはり、そうは甘くない。
 
「蒼龍上空、敵機です!」

 雲の切れ間から、急降下爆撃機SBD-2ドーントレスがあらわれたのだ。それは面舵により回頭しはじめた蒼龍の進路直上に向かっている。もはや避けようはない。

「南無三!」

 思わず加山が呟く。
 ドーントレスからポロリという感じでおちたように見える豆粒が紛れもなく五〇〇キロ爆弾だ。そして、それは一本の水柱と――二本の火柱をあげた。
 直後、蒼龍の行き足が急速に鈍る。

「蒼龍に被害を報告させろ!」

 蒼龍には二発の爆弾が命中し、航行不能に追い込まれていた。
 幸い、敵の攻撃隊は去ったようだ。そうでなければいい的になっていたところである。 大神はとりあえず、蒼龍の護衛に野分と嵐をつけ、進撃を続けることにした。彼我の距離を詰めれば、それだけ母艦まで帰りつける機体が増えることになるからだ。

「これで三対二か? こりゃ、まだわからんな」

 だが、加山の心配は杞憂に終わることになった。

「馬鹿な……」

 移乗した駆逐艦ハンマン上でフレッチャーは呆然と立ち尽くしていた。
 空母「サラトガ」はとうになく、空母「ワスプ」も浮いてこそいるが、その動きは止まり、炎に包まれている。

「キンメル長官から作戦中止命令です」

 幕僚がフレッチャーに伝える。

「すでにスプルーアンス艦隊もリー艦隊も反転したそうです」
「そうか……」

 だが、彼にはまだ最後の仕事が残っていた。

「ワスプの見込みは?」
「駄目です。消火の目処はたちません」

 火が消えなくては、復旧処置を施す術もない。
 断腸の思いでフレッチャーは命令を下した。

「……ヒューズとモリスに処分させろ」

 二隻の駆逐艦から魚雷が発射され、ワスプも波間へ消えていった。

「赫々たる大戦果じゃないか、大神ぃ」

 加山のみならず幕僚達は喜色満面といった様子である。
 既に米軍が撤退にうつったことは確認されていた。蒼龍も自力航行可能なまでに復旧し、本土に向けて回航中だ。沖縄沖海戦に続き、今度は戦術的にも大勝をおさめることができたのである。

「まだだ。まだ戦いは終わっちゃいない」

 だが、大神は険しい表情を崩していなかった。
 彼には何か不吉な予感がとりついて離れなかったのである。
 そして、それは不幸にも的中した。

「大神長官! 蒼龍が沈められました!」

 突然の凶報に艦橋が凍りつく。
 回航中だった蒼龍は敵潜水艦の雷撃をうけ、護衛の駆逐艦「野分」ともども撃沈されてしまったのだ。

「仕方がない。昨日の航空戦でやられたと考えよう」

 事が起きるまでは考えられる最悪の事態を想定し、いざ事が起きた場合にはその程度でよかったと考えるのが危機管理だといわれる。大神の態度はまさにそれであった。

「とにかくこれ以上の損害は防ぐんだ。対潜警戒を密にしろ」

 しかし、これがこの海戦最後の戦闘だった。

 結局、米軍は投入した空母「エンタープライズ」「ホーネット」「ワスプ」「サラトガ」の全てを喪失。対して日本は空母「蒼龍」、駆逐艦「野分」を失った。そして、米軍の硫黄島への上陸も島に近づくことすらできずに頓挫したのだ。
 だが、この戦いはそれらの戦術的な戦果よりももっと大きな意味をもつことになる。これ以降、米軍が攻勢に出ることは二度とできなかったのだ。

 硫黄島沖海戦。
 それは、太平洋戦線だけでなく、第二次世界大戦全体においても転換点となる戦いだったのである。

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