第三話「転換点」(その6)

 6月5日未明。

「硫黄島より索敵機が出撃しました」

 報告に大神は短く肯いた。

「航空隊の準備は完了しているな?」
「はい」

 源田が当然というようにこたえる。

「よし。進路速度ともこのまま。艦隊は現状を維持せよ」

 同じ頃、米艦隊は第一次硫黄島攻撃隊を出撃させていた。

「残りの飛行隊は対艦装備させているな?」
「はい」

 スプルーアンスは、残る機体を対艦装備で待機させていた。未だ動向が掴めない日本機動部隊に備えてのことである。

「索敵機を出せ」

 米軍は水上機の開発に熱心ではなかった。
 そのため、索敵は空母に搭載されている爆撃機を転用して行われている。それらの機体は索敵任務においても爆弾を搭載し、あわよくば一撃を与えようというものだ。

「それにしても提督。索敵機を出しすぎじゃないですか?」

 水上機と比較すると、艦上機は高性能であり、武装も強力だから、そういう意味では有利である。しかし、本来、攻撃隊を形成すべき爆撃機であるから、索敵に力を入れる(=索敵機を数多く飛ばす)と攻撃力がおちるというジレンマを抱えていた。
 スプルーアンスの参謀長、ハミルトン大佐はそのことを指摘しているのである。

「敵艦隊の動向は不明。これくらいは当然だ」
「JAPはまだ到着してないと思いますがねぇ」

 侮蔑語を使った参謀長に、スプルーアンスは険しい表情をつくった。
 先の沖縄沖海戦で初めて進撃を止められたとはいえ「100の成功があれば1の失敗ぐらいあっても不思議じゃない」といった風で、後方部隊や高級司令部には、日本軍を侮る雰囲気が米軍には蔓延していた。

「参謀長。物事は先入観を持たず冷静に断じなくてはならんぞ」
「イエス・サー」

 一応は了解するが、本当のところはどうだかわからない。
 だが、スプルーアンスは、日本軍を恐るべき相手として認識していた。
 日本軍と直接戦っている兵士や下級指揮官達は、自分達より優れた戦闘機である“Zero”の存在、あるいは、どんな不利な状況であろうとも決して降伏しようとしない日本兵を目の当たりにしている。そうした声を、スプルーアンスは無視していなかったのだ。

「CAP(上空直衛機)をあげろ。警戒を怠るな」

「空襲警報!」

 望楼からの見張がサイレンを鳴らす。
 予め空中での警戒にあたっていた零戦が迎撃に向かう。
 そして、地上では搭乗員達が機体に駆け寄っている。
 通常、日本の航空部隊ではそれぞれの搭乗員の“愛機”が決まっているが、迎撃戦闘では機体は、先輩後輩階級に関わらず早い者勝ちだ。

「コンターク!」

 次々と迎撃戦闘機が発進していく。
 艦上機たる零戦は低い姿勢から短い距離ですっと離陸していく。これは、波の同様の中で(陸上基地と比較して)小さな空母から発艦することを前提としてつくられている機体だからだ。
 一方、しょうきは、腰高な姿勢で長い滑走から飛び出す。しかし、迎撃専門機として、爆撃機用大馬力発動機を搭載している機体は、一旦空中に飛び出せば、零戦を遥かに上回る速度で上昇していく。

「おいおい。お客さんは艦上機じゃないか?」

 上空を見上げていた陸軍硫黄島兵団(硫黄島守備隊)の歩兵小隊長・米田鷹将中尉は、まるで人事のように言う。
 米田一基の末の甥にあたる彼は、がっしりとした体格であり一基とはかなり風貌が異なるが、部下からは慕われているところは一緒である。

「ということは、敵空母が近いってことだな。こいつは、うちの航空隊は苦労するだろう」

 今まで硫黄島を空爆していたのは、B-17である。この大型爆撃機は防御火力こそ濃密だが、機体の機動自体は鈍く(四発の大型機なのだから、当たり前だ)、高速高火力のしょうきにとっては最も相性のいい相手であった。
 しかし、艦上機となると話は違う。上昇能力や速度を優先して設計されているしょうきは小回りがきかないから、身軽な敵に翻弄されている。
 速度と馬力に勝るのだから、それなりの戦術があるのだが、格闘戦思考の強い日本では、まだその戦術――一撃離脱――が確立していない。

「あー、おいおい。全然駄目じゃねぇか」

 逆に敵に追い回されている。
 すんでのところを、追いついてきた零戦に助けられた。
 格闘戦用戦闘機としては一つの頂点にある零戦も、爆撃機相手ではその真価が発揮できずにいたから、その鬱憤をはらすかのような暴れっぷりだ。

「中尉。早く避難しましょう」
「おっとそうだな」

 部下に促されて、防空壕に入る。
 硫黄島は火山島だから、地下に掘られたの防空壕はまるで蒸し風呂だ。実際、現在の海軍硫黄島基地には地熱を利用したサウナがある程である。
 しかし、対空砲座員以外の陸上の兵隊は、じっと身を潜めているより他ない。

「対空砲は、あたらないもんだな」

 この当時、対空砲の命中率は著しく低下していた。航空機の性能向上に対空砲の性能向上がおいついていなかったからである。

「米田中尉。感心している場合じゃないですよ。あたらなきゃ、やられるのはこっちです!」

 その言をまつまでもなく、米軍機は砲火をかいくぐり次々と爆撃態勢に入る。
 爆弾の量や威力としては、今までのB-17による水平爆撃の方が上だ。しかし、今回の爆撃の主力である急降下爆撃機はピンポイントで施設を狙ってくる。格納庫、司令部施設、弾薬庫といったところが集中的に攻撃される。逆に被害は大きいくらいだ。
 一時間ほどの空爆が続き、ようやく彼らは引き上げていいた。

「こいつは……ひどい有り様だな」

 防空壕から出た米田は呆然と周囲を見渡した。
 いたるところから煙をあげ、滑走路にも多くの孔が空いている。

「米田! ぼーっとしてるな。滑走路の修復作業を行え!」
「はっ!」

 中隊長に下令されて反射的に敬礼した米田は、すぐに部下を集合させた。
 本来、基地の修復は海軍設営隊の仕事である。しかし、基地の損害が大きい上に、ブルドーザー(神崎重工製九四式平削車)も3台中2台が破壊されてしまった。こうなると人海戦術に頼るしかない。
 米田小隊ももっこやスコップで滑走路の孔を埋める。

「ったく。海軍さんはまだ到着しねぇのかよ!」

 スプルーアンスは接触を続けてくる日本軍機を確認した。

「なかなかしつこい敵だな」
「はい。どうやらイオージマからの索敵機のようです」

 ハミルトンの報告に肯く。
 彼の双眼鏡に捉えられているのは、フロートをもたない固定脚機だ。日本艦隊が索敵機として用いているのは水上機だから、陸上基地から運用されたものであろう。
 直ちに、偵察機を追い払うべく上空直衛機が迎撃に向かうが、それおを確認した偵察機は一旦、姿をくらましては、再び接触してくる。

「なかか性能が高いようで、どうやら新型機かと」
「しかし、いつまでも接触を許すわけにはいくまい」

 スプルーアンスが具体的な指示をしようとしたところへ、第一次攻撃隊からの報告伝が舞い込んできた。

「強襲は成功せども、第二次攻撃隊の要ありと認む」

 地上施設にはダメージを与えたが、敵航空機を撃滅するには至らなかった。滑走路さえ補修されれば、それらの航空機が再出撃することは可能。上陸作戦を行うには、まだ早いというのが、その判断である。

「どうしますか、提督」

 現在、待機している機体は、日本艦隊出現に備えた対艦攻撃装備である。これを硫黄島攻撃に転用するには対艦攻撃装備を外し、対地攻撃装備に換装する必要があった。それには時間がかかるし、その作業中は攻撃隊を出撃させることができない。
 第一次攻撃隊を回収し、それを再出撃ということであれば、時間は更にかかるが、空白は埋まれなくて済む。

「よし、第二次攻撃隊を出す。装備を大至急転換しろ」

 日本艦隊は発見できていないが、むしろ日本艦隊は小笠原付近にはおらず、沖縄と小笠原の中間海域で待機している可能性が高い。とうに索敵機に発見されているというのに、攻撃隊があらわれる気配すらないのがその証拠だ。。
 ならば、日本艦隊が接近する前に硫黄島に橋頭堡を築いておく方が有利だ。そのためにはできるだけ早く硫黄島を無力化しなくてはならない。
 スプルーアンスがそう考えたことは、むしろ妥当な判断といえる。だが、結果としてはそれが戦局を大きく変えたのだ。

「硫黄島への第一次攻撃が終了したようです」

 報告に大神は肯いた。

「敵艦隊の位置は把握しているな?」

 すかさず加山が大神をフォローして確認させる。
  
「はい。二四ノットで北上中です」

 米艦隊に接触していたのは、二式艦偵だ。
 艦隊から索敵機を出さないことを決定した後、この高性能の機体を眠らせることを惜しんだ大神は、これを硫黄島に派遣し、そこから索敵を行わせていたのである。

「大神長官。いいタイミングです。出撃させましょう」

 硫黄島を攻撃して疲弊した攻撃隊を収容する前後に攻撃隊を到達させることができるかもしれない。そうなれば、敵の対応に混乱を生じることも考えられる。

「よし。出撃だ」

 今まで息を潜めるように静寂だった艦隊が急に慌ただしくなった。
 空母「瑞鶴」「翔鶴」「飛龍」「蒼龍」が艦首を風上に立てると、既に完全装備で艦上に並んでいた機体が次々に発艦していく。
 そして、甲板上の機体が全て発艦し終わると、格納庫で待機していた機体がすぐに引き上げられ、第二次攻撃隊として発艦する。
 直衛機の零戦を除いた稼動全機、計264機からなる攻撃隊は、米機動部隊に対抗できる唯一の存在であり、日本最後の砦だ。
 大神は彼らが見えなくなるまで敬礼で見送った。

「空母2隻以上を含む日本艦隊を発見!」

 その報がもたらされたのは、スプルーアンスが兵装転換を命じてから30分程たった時であった。

「なんだと?」

 すぐにスプルーアンスは海図上で日本艦隊の位置を確認した。それは、米艦隊から見ると南南東の方角であった。
 本土から駆けつけるせよ、沖縄との中間海域からくるにせよ、日本艦隊は北方か西方よりあらわれると予想していた米軍首脳部は、完全に虚をつかれたのだ。
 これは、大神が早期に硫黄島での迎撃を決定したために、その回りこむだけの時間が得られたのである。

「馬鹿な。なぜ、そんなところから!」

 ハミルトンが慌てる。
 当然だろう。
 対艦装備で待機していた航空機は、ほとんど対地装備に換装されている。そして、硫黄島を空襲した編隊はまだ帰ってきていない。

「急いで対艦装備に!」
「いや、駄目だ」

 索敵機に発見された時間と彼我の距離を考えれば、既に日本艦隊は攻撃隊を出撃させている筈だ。今から作業をしていては、作業完了前に空襲をうけることにもなりかねない。

「このまま出撃させろ! Hurry UP!!」
 
 スプルーアンスの命令により、米軍機は対地装備のまま飛び出していく。
 そして全機が出撃してから30分もたったであろうか。

「レーダーに感あり! 敵編隊と思われます!」

 レーダー手からの報告に、艦橋がざわめいた。

「……出撃させておいてよかったですな」

 ハミルトンは胸をなで下ろした。
 もし、兵装転換を行っていたならば、出撃直前の最も危険な時間帯――甲板上に爆弾や魚雷を搭載した機体が所狭しと並んでいるところに攻撃をうけていたかもしれない。そうなれば、爆弾や魚雷が誘爆し、大きなダメージを負ったことだろう。

「よかったどうかはこれからだ」

 スプルーアンスは直衛戦闘機隊を迎撃に向かわせると共に、艦隊に対空戦闘を下令した。 

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