第一話「大神一郎」(その2)

 大神が司令官として任命された第五航空戦隊は空母「瑞鶴」「翔鶴」から編成されている。
 両空母とも竣工したての最新鋭艦とあって、現在は慣熟訓練(乗組員が艦に慣れるための訓練)のまっただ中だ。
 そのため、航空隊はまだ艦に搭載されておらず、地上基地からの訓練を行っている。
 大神は、その航空隊の訓練の様子を見るために、岩国基地を訪れていた。

「練度はどうか?」
「はっ。あまり芳しいとはいえません。直前でかなり引き抜かれましたので」

 第五航空戦隊飛行隊長は、大神の問いに厳しい声でこたえた。
 トラック奇襲により帝國海軍最精鋭部隊――他の列強なら教官クラスだろう――であった第一航空戦隊が壊滅してしまった。同時に在トラック航空隊も壊滅し、また、米軍は帰りがけの駄賃とばかりにマーシャル方面にも空襲を加えていったのである。そのため、帝國海軍全体の航空戦力を再編成する羽目となり、新編されたばかりの五航戦からも操縦士が引き抜かれていたっのだ。

「わかっている。だが、それでもやってもらわねばならないんだ」
「はっ。わかっております」

 と、大神のいる滑走路脇の天幕をめがけ、一台の蒸気自動車が走ってくる。神崎自動車製の“帝王”だ。
 そんな高級車に誰がと思っているうちに、大神の目の前で車は止まり、後部座席の扉が開いた。

「大神はん。ひさしぶりやなぁ」

 かつて聞きなれた関西弁に、大神は相好を崩した。

「紅蘭!!」

 そして、運転手が赤絨毯を敷くのをまってから、こちらは聞きなれた笑い声とともに登場する。

「ほーっほっほっほっほっ。 お元気でした、少将?」
「すみれくん!」

 思いもよらぬ再会だ。

「二人とも、どうしてここに?」
「ちょっと新型機のテストがあったんや」
「それで、こちらまで出向いておりましたものですから」

 紅蘭は、強い要請があって、空技廠(海軍の航空技術研究所のようなもの)の研究顧問となっている。
 一方、すみれは、婿養子を迎え、名目的には、その男が神崎重工社長の座についていた。しかし、実質上はすみれが取り仕切っているといっても過言ではない。そして、神崎重工は軍用機の製造においても中島飛行機や三菱重工に並ぶメーカーとなっている。新型機にも何らかの形で関わっているのだろう。

「ところで大神はん。きいたで。左遷されよったんやって?」

 相変わらず紅蘭は身も蓋もない。

「ちょっと、なんてことを言うの! 栄転ですわよねぇ、少将」

 そういってしなをつくる様は、あの頃と変わらない。いや、むしろ、大人の色気が加わって、艶っぽくなった。

「すみれはん。もう大神はんもさくらと結婚してはるんやし、あんたも人妻や。いいかげんにしときぃ」
「あーら。私の少将への想い、変わってませんわよ。神崎財閥美人総帥と海軍エリート将校の愛の逃避行なんて、すてきじゃありませんこと?」

 日本国内には、まだヒステリーに近いパニックが残っているというのに、この余裕だ。死線を潜り抜けた強さ、そして何より大神への信頼の厚さがそれを可能にしているのだろう。

「おいおい。俺だって部下の手前があるんだから!」

 さすがに将官ともなると気を使うようだ。

「えろうすんまへんなぁ。すみれはんがこんな調子やさかい」
「まぁ。大体、この機会を利用して少将に会いに行こうと言い出したのは、紅蘭じゃありませんこと?」
「そ、それは、みんなから色々預かってきたさかい……。そうだ。大神はん。これを」

 紅蘭は抱えていた鞄を開いた。
 まずは、和紙に包まれた髪の毛のようなものがでてきた。

「これは?」
「カンナはんからや。虎の髭らしいわ」

 中国の故事に虎は千里をかけるとある。
 そこから、どんな戦場でも生きて帰るという願いをこめた武運長久のシンボルとなっていた。

「何でも、自分で倒してきた虎やって」
「……さ、さすがはカンナだな」

 次はまっとうに千人針と武運長久の御守だ。それぞれ、かえでとマリアからである。

「私からはこれですわ!」

 他のものと比べると、大きい箱だ。
 開けてみると、海軍士官の二種(夏服)の軍服である。

「神崎家お抱えのテーラーにつくらせましたの。最高級品ですわよ」
「ありがとう。これは助かるよ」

 士官になると、軍服も自前で調達しなくてはならないのだ。

「最後はうちから、これやで!」

 紅蘭はメカかと思いきや、大きな紙を取り出した。

「うちの会心の作やで!」

 図面を広げた大神はいきなりうめいた。

「これは!!」

 それはまだ大神も目にしたことのない新型機の図面だった。

「まだ、モックアップ(実物大模型)もできてないんやけど、うちらが独自開発している重爆――海軍流にいえば大攻やな」

 六発(エンジン六基)という前代未聞の大型機だ。後の用語でいえば戦略爆撃機ということになる。

「空技廠とは関係なく、個人的に手伝ってるんや。発動機はうちと神崎で、機体は中島でやってるんやで」

 野心的といえば、この上もなく野心的な機体だ。
 しかし、それだけに量産できれば、決戦兵力たりえる。

「勇気づけられたよ。希望がもてる」
 
 本来なら機密書類だ。
 紅蘭も含め、花組の面々もほとんどが結婚したというのに、どうやら大神に対してだけは別格らしい。

「……あの、司令。訓練の方は……」

 いささか呆気にとられていた飛行隊長がようやく口を開いた。

「あ、ああ、すまん」

 大神は紅蘭とすみれに軽く合図する。
 二人も察して、早々に別れの挨拶をすると、なごり惜しげに去っていった。

(今のが、最後の娑婆の空気かも知れんな)

 いつ戦死するかしれない。
 しかし、死に対する恐怖はなかった。
 かえで、マリア、すみれ、紅蘭、カンナ、椿、由里、かすみ……そして、さくら。
 国家体制ではなく、郷土を、愛する人を守る。それが自らの生命を賭して為すべきことだからである。

「よし、飛行隊長。訓練を中止。全搭乗員を整列させろ!」

 大神の戦いが始まる。



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