深川/東京タワー
 今回は二箇所まとめて。
 まずは、サクラ1第5話の舞台となる深川から。


 深川は1627(寛永4)年に創建された富岡八幡宮の門前町が創建されました。1698(元禄11)年には永代橋が架橋されたことにより、参詣に訪れる人々も増加し、門前町として急速な発展をはじめます。
 また、景勝地のこの地には、大名の下屋敷や豪商の別邸などが建ちはじめ、同時に水運の便により木場や倉庫地帯ができあがります。さらには、辰巳の花街が栄えて深川独特の情緒が生まれます。


雷門  清澄庭園は「深川の元華族邸宅の廃屋」に近いイメージを今に残す場所です。
 この地は、元禄年間に豪商・紀伊国屋文左衛門の別荘があったといわれており、その後、大名の下屋敷となり、明治初期には前島密(日本近代郵便の父といわれる)の屋敷となりました。さらに、明治11年には岩崎弥太郎(三菱財閥創設者)の所有となり、彼の別邸となりました。
 しかし、関東大震災によりほとんどの建造物は焼失し、西半分を東京市に寄贈します(現在の清澄公園)。
 さらに、戦災により大きな被害を被りますが、戦後の復旧工事により、名園の姿を取り戻すことが出来ました。
 戦前の富裕層はこのような広大な敷地を所有していたわけです。「廃屋」で、黒之巣会が人知れず作業ができるも然りといえるでしょう。

仲見世  横十軒川親水公園橋は、第5話の戦闘マップで登場する戦場付近と思われます。
 戦後、木場は14号埋立地(新木場)に移転しました。かつての木場(貯木場)は、戦後埋立てられ、木場公園となります。そして、その木場の材木の流通をになっていた運河も次々に埋立てられていきました。そんな中、現存している数少ない運河の一つがこの横十軒川なのです。

境内  往時は、木材を筏に組んで、この運河を行き来したのです。
 現在では親水公園として整備されています。あからさまなコンクリートの護岸工事がされていないため、江戸の面影を残しているようです。
 右の写真には、降魔の姿も!(違)



 さて、ここからは東京タワー編。
 第2話で「帝都タワー」として登場するのは、みなさんご承知の通り。
 東京タワーは正式には東京電波塔といい、その名の通り、東京のTV波・FM波の合計14局を中継する大電波塔です。
 観光名所でありますが、意外に東京人の間では人気が低いのです。「バカと煙は、とかく高いところに登りたがるものよ」などという感じでしょうか。
 帝都タワーも観光名所とされていますが、浅草十二階の例もありますし、地元である江戸っ子には同じような評判をとっているのではないでしょうか。

 東京タワーそのものについては、私なんぞの写真よりオフィシャルHPを見ていただくとして、タワーの高さは333m。大展望台が150m、特別展望台が250mの高さにあります。帝都タワーの設定が137mですから、東京タワーの大展望台より少し低いくらいですね。ただ、周りに高い建物はなにもないのですから、さぞかし見晴らしはよかったことでしょう。
六区  写真は東京タワー大展望台から見下ろした第2話戦場付近。
 東京タワーは高台に立っていますから、周囲から東京タワーにむかっては全て上り坂になっています。しかし、第2話の戦闘マップでは、かなり急な勾配があり、一部は崖となっています。このことから推測するに、戦場となったのは、瑠璃光院からタワーボールにかけてのエリアだと思われます。
 ……しかし、ご覧の通り、どうもお墓の上で戦っていたようである。
 バチあたりな話ですね(笑)
 


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