「ねぇねぇ知ってる? 大神さん!」
大帝國劇場の事務室では、今日も由里が噂する声が響いていた。
相手は、花組隊長の大神。
4月に着任以来、まだ数ヶ月しかたっていないのに、由里のおかげで彼も一端の事情通だ。
「それで、マリアさんたら、それ以来、意固地になって夏でもコートをきてるんですよ」
「そ、そうだったのか……」
「そうなんですよ! で、他にもあってね!」
まるで寄り添うようにして噂を語らう由里であったが、その楽しい一時はさくらの声により中断された。
「由里さん。支配人室で米田支配人がお呼びですよ」
「あっ。いっけなーい。書類を頼まれてたんだわ。ごめんなさいね、大神さん!」
挨拶もそこそこに、由里はバタバタと部屋を駆け出していった。
大神も苦笑しながら見送る。
だが、そうなると、さくらから厳しいチェックが入ることはいうまでもない。
「随分と仲がよろしいんですね、大神さん」
必殺のジト目攻撃だ。
「え、いや、ほら、事務仕事仲間になるわけだしさ」
「ふ〜ん。それ以上に親しげでしたけどね」
「ほら、それは、職場の雰囲気づくりというのが大事で……」
「ど〜だか!」
と、しかし、そんな見方をしていたのは、さくらだけではなかった。
「支配人。これでよろしかったですか?」
その頃、支配人室では、由里が米田に書類を手渡していた。
米田はそれを丹念にチェックすると満足気にうなずく。
「よし。完璧だよ」
「よかった!」
ほっとしたように笑顔を浮かべた由里は、入ってきたときと同じような慌ただしさで部屋を出て行こうとする。
「おっと。ちょっと待ってくれ」
だが、米田はそれを呼び止めた。
「なんですか?」
怪訝そうな由里に、米田は険しい表情をつくった。
「お前さん、大神のことをどう思ってるんだ?」
「え?」
「仕事仲間、あるいは友人として以上の好意を寄せてねぇかってことだよ」
「あ、え、その、えぇ!?」
いきなりの質問に珍しく由里が動揺する。
「どうなんだ、ん?」
「……」
この時代、海軍兵学校首席卒業の少尉などとえいば、婦女子のみならず、男性からも垂涎の眼差しを浴びる超エリートだ。それが、花組隊長として最前線で戦い、他の誰もが為し得ない帝都防衛の任にあたる。それでいて、本人はそれを鼻にかけることもなく気さくに日々の雑用をこなしていく。
花組メンバーがそうであったように、由里にとっても、大神は単なる好意以上の好意を寄せる対象となっていた。
「まあいい。だが、大神と花組の連中の関係のこと、忘れたわけじゃあるまい?」
「……はい」
霊力はバラバラに存在するよりも、それを一つにまとめあげたほうが強力になる。そのための触媒となるのが大神の霊力だ。だが、その力を発揮するには、花組メンバーと大神の間に信頼関係ができあがることが必要不可欠である。花組メンバー以外と大神の間に恋愛感情が成立するようなことがあれば、それを著しく阻害するおそれがあった。
「わかっていればいいんだ。頼むぞ、帝國華撃團風組・榊原由里隊員」
帝國華撃團総司令・米田一基陸軍中将は、そう告げた。
☆
(そんなことはわかってるわよ)
由里は食堂の隅にいた。
支配人室を出た後、事務室に戻る気がおきず、ありていにいえば、ここでさぼっているのである。
「でも、しょうがないじゃない!」
人の好き嫌いは理屈じゃない。感情なんだから。
由里はそう叫びたかった。
でも、それはできない。
それをやってしまったら、帝都防衛を任としながら、それを妨害するという自己否定につながる。そして、その任を離れるのであれば、大神と親しく会うことはかなうまい。
「どうすればいいのよ!」
「なにをですか?」
後ろからの声にハッとしてふりかえる。
それこそ、自分を悩ましている張本人の大神であった。
「どうしたんです? こんなところで」
突然のことに、由里はどう対処していいかわからない。
それどころか、顔が赤くなっていくのがわかる。米田に言われたために、必要以上に意識してしまう。
「あれ? 熱でもあるんじゃないですか?」
大神は由里の額に手を伸ばす。
その優しさが、今の由里には辛い。
「大神さん、大丈夫です。何でもありません」
「そうかい? その割には……」
と、その時だ。
帝劇に警報が鳴り響いた。
「これは、敵か!?」
大神は慌ててシューターへ向かう。
由里は、ほっとしたのか残念だったのか、自分でもよくわからない溜息をついた後、こちらは地下格納庫へ向けて走り出す。
「由里、急いで! 今日は副司令が不在だから、私たちが翔鯨丸をとばさないといけないのよ!」
そこには、かすみと椿がすでに到着していた。
3人は、轟雷号とはホームを挟んで反対側に停車している汽車に飛び乗る。
「着席確認。安全帯装着確認!」
「全計器動作異常なし」
由里と椿の報告を受けたかすみは、号令を発する。
「鋭雷号、発進!」
瞬間、強烈なGが3人をおそう。
鋭雷号と名づけられたこの汽車は、帝劇と花やしきとの人員及び軽貨物運搬用に開発されたものだ。自重がないこともあり、轟雷号のような垂直螺旋軌道による自由落下加速ではなく、水平軌道上で火薬式射出機により加速をうける仕組になっている。これにより、3人娘は花組よりも早く花やしき支部に移動し、翔鯨丸発進のための事前準備をすることができるのだ。
「整備状況に問題はありませんか?」
「ありません。補給も万全です」
花やしきに到着するや否や、リーダー格のかすみが翔鯨丸の整備担当者と移動しながらの会話をかわす。
「緊急発進準備をお願いします」
そのまま翔鯨丸に乗り込んだ3人は、それぞれの持ち場につくと事前準備表――現在の言葉でいえばチェックリスト――を手に素早く点検と準備を完了させていく。
「轟雷号、あと10秒で到着します」
椿の報告からすぐに、轟音が格納庫中に響き渡る。轟雷号が地下線路からプラットフォームへと滑り込んできたのだ。
油圧昇華式緩衝装置と減速フックの併用により強制減速させられた轟雷号は、所定の位置で停止すると、機関車と貨車の連結が解除される。そして、貨車部分をのせた軌道はそのまま横にスライドし、翔鯨丸の格納庫へと貨車を送り込む。
「車両固定確認。格納庫扉閉鎖」
由里も素早く自らの業務をこなしていく。
「発進準備全て完了。全箇所異常ナシ!」
「翔鯨丸発進口開放願います」
かすみの報告と同時に、天井が開きはじめる。
浅草の仲見世通りである“表側”は例によって大混乱だろう。しかし、今はそれにかまってはいられない。
『発進口開放確認。緊急発進よろし』
管制員からの報告が入った。
「翔鯨丸、発進!」
号令とともにかすみがレバーをいれる。
係留していたワイヤーが次々と外れ、翔鯨丸は上昇を開始した。
そして、安全高度まで上昇したのを確認すると、翼とプロペラを展開させ、全力運転に移る。
ここまで流れるような作業だが、それを実現するには相応の厳しい訓練を経てきていた。もちろん、それは3人娘だけではなく、他の支援要員も同じことだ。その膨大な人間達の努力があってこそ、花組が活躍でき、帝都防衛を果たすことができるのである。
(それなのに、その妨げになるようなことなんてできない……)
由里は改めて自覚せざるをえなかった。
自分が帝國華撃團の一員であること、そして、私情はおろか、自らの命さえも引き換えにして、守らなくてはならないものがあるということを。
「由里、ぼーっとしてないで。光武を降下させるわよ!」
「あ、はい!」
かすみにいわれて、すでに現場上空に到着しているのに気づいた。
由里は光武との通信回線を開く。
「大神隊長、射出準備よろしいですか?」
『ああ。やってくれ!』
キネマトロンにうつる大神の顔を、なるべくみないようにして、由里はあえて事務的に手順を進めていく。
「光武、射出開始します!」
大神機を筆頭に、次々と光武が降下していく。そして全機が降着するや、見栄をきる。
「帝國華撃團・参上!」
相手は黒之巣会四天王が一人、青き刹那だ。
「よくきましたね、華撃團。だが、ここが貴方達の墓場になるのです!」
そのために刹那は、楔をうめるポイントでも何でもないこの場所を選んだのだ。
「出でよ、脇侍ども!」
煙とともに、隠蔽されていた脇侍が登場する。
「ちぃ。全機散開!」
大神の言葉にしたがって動きだそうとした花組は、しかし、足を踏み出した途端に爆発に見まわれた。
「きゃぁぁぁ!」
「大丈夫か、さくらくん!」
足元から突き上げるような衝撃に、さくら機は転倒した。
「地雷か!」
「その通り。貴様らの降下予想地点の周りは封鎖させてもらったのよ」
一方の脇侍は、皆、小銃を装備している火縄型だ。地雷原の外から執拗な射撃を繰り返す。一発あたりの損害はそう大きくはないが、遮蔽物もない状態で、これだけ集中されては苦しい。
「方陣を組むんだ!」
花組も防御を固めるとともに、マリア機のガトリング砲と紅蘭機の迫撃砲をもって反撃するが、さすがに攻撃力が少なすぎる。
「まずいわ。支援砲撃をするわよ!」
上空で戦況を見守っていた翔鯨丸も花組の不利を悟り、積極的な戦闘介入をはじめる。
「椿、目標選定はあなたに任すわ」
「了解!」
椿の目の前の計器盤には、主砲発射準備が完了したことを示す緑色燈が点灯している。
「目標、敵脇侍。方位二七〇、俯角六〇度。発射!」
海軍の砲を転用した12.7cm単装砲が火を噴いた。弾核に霊子水晶を仕込んだ対霊子戦用徹甲弾は脇侍クラスの相手には狂暴なまでの効果がある。直撃すれば地面ごとえぐりとられ、跡形もなく吹き飛ばすことができるのだ。
しかし、移動する小目標に対して直撃弾を与えることは非常に難しい。脇侍が無人機であり、比較的行動パターンを予測しやすいからこそ何とか命中させることができているのだ。
「駄目! これじゃあキリがない!」
椿が悲鳴をあげる。確かに何弾かに一弾しかない直撃だけに頼って援護を行っても限界がある。
「椿ちゃん、対空榴弾はどのくらいある?」
その時、由里が何かを思い付いた。
「え!? 飛行兵器の存在は確認されてなかったから、5発だけです」
「それを使って、地雷原を掃討できない?」
対空榴弾とは、時限信管により、あらかじめ決められた秒数で爆発。充填されていた小片が周囲に飛び散り、広い範囲の敵に打撃を与えようというものである。
由里は、それを使って、敷設された地雷を爆破してしまおうと考えたのだ。
「それはいいアイディアよ!」
かすみも賛意を示す。
「自由に行動できるようになれば、脇侍なんて光武の敵じゃないもの!」
「わかった! やってみるわ!」
花組に被害が及ばないよう細心の注意を払いながら照準すると、椿は対空榴弾を放った。調整された時限信管により着弾寸前に炸裂し、地表に広く破片を降らす。直後、今度は地面そのものが噴火したかのような爆炎と土煙をあげた。地雷が誘爆したのだ。
「いける! 次よ!」
「まかせといて!」
かすみにいわれるまでもなく椿は次弾を装填する。そして、再び射撃。今度も地雷原を吹き飛ばす。絶大な効果だ。これなら数弾しかなくても花組の行動の自由を取り戻すことができる筈だ。
だが、刹那はそれを黙ってみている程、馬鹿ではなかった。
「目障りな!」
翔鯨丸が三弾目を放ったのとほぼ同時に、刹那の攻撃が命中した。
「きゃぁぁ!」
船体が大きくゆさぶられる。狙いを正確にするため、空中に静止していたことが仇となった。刹那の攻撃は正確に砲塔に命中したのだ。
「損害は!?」
「今、確認します!」
由里は航法関係機器をチェックするが、目だった損害はない。問題は兵装だ。
「……致命的な損害はないみたいです。やってみまます!」
椿は次発装填を行おうとする。
「駄目です。機械自体は正常だと思うんですけど、装填装置上で弾薬がひっかかちゃったみたいです!」
「じゃあ、その弾薬さえどかしてしまえば、次からはいけるわね。その弾薬は強制投棄しちゃって」
「了解!」
だが、そうは簡単にはいかなかった。
「かすみさん! どっかで噛んじゃってるみたいなんです! 投棄できない!」
椿が悲鳴にも近い声をあげる。
翔鯨丸は、あやめ一人で運用できるほど極端に自動化されていた。逆にいえば、機械の能力以上のことはできないようになっているということでもある。この場合は、その“裏目”が出た。
「このままじゃ攻撃できないわ!」
「そんな! なにか手はないんですか!?」
詰め寄らんばかりの由里の迫力におされ、椿がポツリともらす。
「直接、砲塔におりていけば、なんとかできるかもしれませんけど、戦闘中に人が入るようにつくられてはないから危険……」
その後半は聞かずに、由里は走り出していた。
「由里!」
「由里さん!!」
止めようとする声にも振り返ることすらない。
元より、どんな危険があろうとも、彼女はいくつもりだった。多少の危険が幾許のものか。ここで支援砲撃ができなければ、花組が、大神が敗北し、死んでしまうかもしれないのだ。
「ここね!」
整備点検用の狭い通路を這い、梯子を降り、由里は砲塔内部へとたどりついた。
一目で問題個所はわかる。
強制投棄のために装置に変形した12.7cm砲弾が噛みこんでいた。
「かすみさん、由里ちゃん、何とかなりそうよ!」
後で思い出してみても、それをどうやって処理をしたのか、由里には記憶がない。
平時なら持ち上げるだけで精一杯の12.7cm砲弾を、ロクな工具も使わずに取り外したことだけは事実である。
「いけるわよ。次弾を撃って!」
そう艦橋に報告をしたのは覚えている。
だが、冷静さを取り戻したわけではなかった。本来なら、この報告は自分が砲塔から脱出し、ハッチをきっちりと閉めてから行うべきものである。それを、彼女は、自分が砲塔にいるまましてしまったのだ。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
砲弾発射に伴う轟音、そして熱風。
それが、由里が最後に見た光景だった。
☆
「由里くん!」
「由里ちゃん!」
「由里!」
どこかで自分を呼んでいる声がする。
(……私は……)
まどろむ意識の底で、しかし、急速に現実が甦っていく。
「……私は……」
目が開いた。
多くの顔が自分をのぞき込んでいる。
「大神さん……みんな……」
直後、わっという歓声があがる。
「よかった!」
「心配したのよ!」
「もう、無茶なんだから!」
風組といわず花組といわず、一応に喜びの声をあげていた。
砲塔内で気絶した彼女は、翔鯨丸の艦橋で寝かされていたのである。
「由里くん。おかげで助かったよ。君の決死の行動のおかげで勝利を得ることができたんだ! でも何より、無事でいてくれたことが嬉しいよ!」
言いながら、大神は、笑顔で由里の手を握り締めた。
(ああ、私は、やっぱり大神さんを愛さずにはいられない)
由里は自分の心を再確認した。
そして、同時に決意もした。
(私は大神さんを愛する)
しかし、帝都防衛のために全能力を発揮することが大神のとらなくてはならい唯一絶対の道だ。愛すればこそ、それを妨げることなどできはしない。
だがら、大神を愛することは、見返りを求めない無償の愛を捧げることになる。大神に、椿の心を悟られてさえならない。
でも、かまわない。
「さあ、帰ろう、由里くん。俺達の帝撃へ!」
「はい!」
他になにがなくても構わない。大神の、愛する人の笑顔を側で見ていられるのだから。
〜Das Ende〜
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